2014年5月14日水曜日

夢が教えてくれる


「己にとっての、過去のもの、すべてを、ひとつ・ひとつ、

ていねいに並べ替え いとおしみ 愛せば

未来に やるべきものは やってくる。

豊かさを受け取れる。」



今日の昼間。


予定外の昼寝をしてしまって、
うつらうつらしていて、
夢と現の間をただよっていたら、
こんな言葉がやってきた。


ドキッとした。お告げだ。

いや、昔からうすうすと気づいていたことが
やっとハッキリやってきた。と。


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両親との戦闘態勢が終わり。

自分の体がガチガチ固まっていた
生存本能のための
サバイバル態勢が終わり、

哀しみが。やりのこしたものが。
今日のお昼に。

夢になってやってきた。



最近の私の夢は
自分で言うのもなんだけれど、
妙に、神がかってる(笑)

冴えてる。
サイキック・・・・

お告げみたいで、、
あるいは昼間に見たもの
触れたもの。出会った人の念が
気づかなかった分野が、
バン!と
夢になって出てくる。

20代前半、産まれて初めてカナダにホームステイしたとき、
毎晩毎晩
鮮やかすぎる夢に驚いたものだけれど

あの時を思い出す。
わたしは、海外に行くと、非常に冴えるのだ。
どこか本能を聴く聴覚が目覚めるのか
研ぎ澄まされるらしい。

なんとなく日本で
「ソレ」を前面に出していくと
叩かれる。
外れる。
誤解されるようだ。

と学習していて、隠して生きてきたけれど。


今更ながら、こんなに引き取りやすくて
受け取りやすくて、
敏感体質だったのかあ。

と、やっと受け入れられた始末。


そうしたら、現実的に、
対処の仕方もある。工夫していける。

この力の生かし方も考えられる。



「敏感体質を巫女体質に!」

本来だったらこの4月にあったはずの、starbowさんのイベントの
タイトルコピーが浮かぶ。

そう、この現代日本を生きていて、共感力も高く
やさしくて、相手のことを思いやって賢くて・・・

そんな女性は、敏感体質、だけれど
現代の現場の巫女でもあって。

天使でもあり天女でもあり女神でもある。

それは、わたしだけのことではなくて。



ひきとりやすい。と気づいてからは。

お風呂に入るたびに、両足の裏に天然塩をもみこんで洗ってみたり☆
さとみさん ( http://ameblo.jp/sat16min/  )に教えてもらった足のうらもみもみをやってみたり。








本日。沖縄の離島で、働くにあたって、国民保険を脱退し、
国民年金の払い込み停止をするために
区役所に行こうと
思っていた。


役所は苦手だ。
銀行関係も苦手(笑)

うつ病の時、
休職の書類も、保険所にいくのも、役所にいくのも
その事務書類ひとつひとつが、まるで
両手両足に鉛のおもりをつけられるぐらいに苦行だった。

一文読むのも、欄に書くのも
まるで溶解していくような苦痛なのに
お金の計算と心配なんて、つらすぎる・・・

そのトラウマがあるのか、
今でもサクサクと役所関係・銀行関係は後回しになってしまう。
現実面の一歩一歩が苦手。
リアリストになって地に足をつけて行動していくのが苦手。ついつい
はしょって、飛ばしたくなる・・・
こういうのを、グラウンディング(地に立つ)のが苦手。というらしい。



そして。役所に行く身支度も、持ち物も。バックパックも帽子も
玄関準備したというのに猛烈な眠気が襲ってきて
眠ってしまった。
最近の私はこれだ。午後に猛烈な眠気が襲ってきて。眠りにおちてしまう。



やるべき仕事、幸いに占星術を50名・無料で見ますと言ったら、
たくさんの人が集まってきて今、現在てんてこまい。
すこしでもパソコンに向かっていたいのに・・・

両親との関係は一区切りついたから、
あとは身の回りや、出発までお金がもつかどうか・・・

週末は占星術講座の続きがある。
友人との、アタラシイ、プロジェクトも進んでいる。






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夢の中で。

私の中の小人が
悲しんでいた。

私の中の小人は

英語の授業をやりたがっていた。
英語の教材。授業の展開。教えていた生徒。


しかし、『火山が噴火して爆発してしまったから』


だから、もう英語の授業は途中で終わってしまったという。

溶岩が流れてくるから・・・
避難してしまった。

少し
生徒が、取り残されて
それで、小人が、その後片付けをしている。

悲しみの色が
その世界を覆っていた。




・・・・火山の噴火によって
私の中の小人は、英語が教えられずに悲しんでいる・・・



・・・火山の噴火。は、要するに私自身がちゃぶ台返しで、

仕事をやめたことだ。


私の中の小人。はインナーチャイルドでもあり

まだ、「仕事現場にいたかった」「英語を教えたかった」部分だ。

その部分が悲しんでいる・・・

あたりまえだ。

結局、何も残せなかった・・・・


どういうふうに世間が

学期途中で退陣した教師に

向かってくるかは知っている。

入学式で、自分の子供を優先したら

インターネットで叩かれる時代。


一気に自分が「世間」「社会」というものから

放り出され、刃が向いた気がした。

私は反逆罪?


もちろん、そんなことはないけれど。

針のむしろにすわっている方に慣れた身にとっては

そうやって考える方が

自然となっていた。

そうすると、そのような反応を

結果的に相手からも引き出すことになる。

「被害者癖」が私にはついていたのだ。








自分の中の悲しみ。

ほんらいだったらいた場所の自分の死。

それに対して喪に服す。


そんなことを振り返っている余裕は

辞めた後のごたごたでは無かったから。



ノイローゼから最悪の状態に持っていかずに、

泣く前に戦うことが必要で

次に動く決断と行動しかやってこなかった。



やっと、悲しみがやってきた。

自分の内側から。








教え子たちの顔が浮かぶ。

私はもう、「センセイ」という肩書を外れた

単なる30の人間だ。

でも、彼ら・彼女らにとっては

教えていた時間の記憶の中では私は「先生」なのだ。




教え子のひとり、

他の子たちへの情報を流してくれる子に

連絡をとる。元気そうだ。

まだ、沖縄に行くとも、仕事を辞めたとも伝えていない。

そこにはまだ迷いがある。




それでも、黙って去っていこうとしていた自分にとっては

ひとつの進歩でした☆









【おしらせ】 AMASANブログにて、New Soul という曲をわたしなりの解釈で訳してみました 

        ↓ ↓

http://amasansan2014.blog.fc2.com/blog-entry-12.html  ☆





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