2013年10月30日水曜日

聖俗 蝶々


伊勢・猿田彦神社さんから




彼女のことを書くのは難しい。
彼女のことを好きだというのは難しい。


どこかで誤解が生じてしまって
そこで、ぶつかると私が心身消耗するので
ついつい隠す癖がついている。

彼女の本を
彼女の言葉を、
彼女の生き方が、好きだということを。


・・・彼女、というのは蝶々さん、
という作家さんのこと。



銀座ホステス、コピーライターOL中に、作家デビュー
小悪魔な女になる方法、がベストセラーに。
小悪魔ブームを作り出した人。



・・・というだけで、ある種のイメージができてしまっているので・・・



実際に、冷静に彼女の本を読んでみると、
やはり天才的なコピーライター
キャッチコピーを作り出すのがうまい。

そして、彼女の言葉から実生活に与えていく
影響力がものすごい。



常人を越えたエネルギーや
時代を読む目、見えてしまう感覚をもとに、
せっせと泥をかぶりながら
手作業と地道な仕事をしている方だと思う。


「小悪魔」

から

「聖俗」


へ。


・・・って彼女は最近、
スピリチュアル話&伊勢&出雲の話が多いんで、
どうも誤解され気味だけれど、

私にとっては(あくまで、私にとっては)
とても、まっとうな事を言っているように、
すとん、と言葉が降りてくるのです。





「聖と俗は、別々ではありえない」

とは、

この蝶々さんと作家・よしもとばななさんの対談本「女子の魂!」で
あった言葉だけれど・・・ほんま、そう。

伊勢神宮の外宮にある、
「せんぐう館」で、毎時間、本殿実物大の模型を前に、
神職さん(同世代あるいは20代ぐらいの若い方々)が、
スーツ姿で、説明をしてくださるのだが、

その使命感や、様々な人に伝えていく姿勢に
妙に共感してしまって、ずーっと一時間ぐらい話し込んでいたことがある。


その時に、教えてもらった。




「昔、災害があったとき、人は山に逃げました。そうすると、
仙人(にんべんに、山)になり、

そして、平和になると、谷(平地)に降りてきました。
そうすると、俗人(にんべんに谷)になったんですよね。


つまり、仙人も俗人も一緒なんですよ」



と教えてもらって、ぴーーーん!


つながった!!!!と☆☆


仙人←→俗人

は、二極化して別々に考えてしまうけれど、

誰だってこの陰陽・聖俗の側面は持っているでしょう。

私だって、

内面ヤンキー・ギャル・ミーハーと、

アカデミック、硬い・メガネまじめ優等生ちゃんと、

人を振り回す悪魔的な顔、

他人に対しての助けたい天使・天女・女神的な顔、

あるな~って感じるしな・・・

別に、ねらってるのではなく、自分が自然とふるまっていれば、ね。





教師だって、聖職、と呼ばれるけれど・・・

俗人としての俗なところが、振り切れてるひとほど、
また、両極で鍛えられてバランスが取れるのか、
授業が面白くて生徒からも人気がある気がする・・・





彼女の本は、結局、

「目の前のことをきちっとやろうよ!」

「そして、日々の生活をきちっとしていこうよ!」

という、村上春樹さんも、内田樹も、
よしもとばななさんも、他もまあ、突き抜けている人が

言ってることと同じことを、
手を替え品を替え言葉を替えて言ってくれている。

人が変わっていくには

自分の行動を変えていくしかなくて、

その行動を変えるためには言葉があって、

そして今の時代のような価値観の大転換期、

昔からの「とにかくやれ!」って一喝するのでは

動けないエネルギーパワーのところを

するするとほどいて、

ゆるめて、

アクセスしてくる。

そういう力がある。


彼女の言葉は。

彼女の存在感は。
































最前列・蝶々さんの真正面でした☆



Vancouver/B.C.

http://vimeo.com/76166406


It's just beautiful....

I miss Canada, i miss the scenery of this large sky, clear color and wide views all around me.

My host brother told me this video by e-mail.

カナダのホストファミリーが教えてくれた、バンクーバーの動画。

カナダにホームステイした話。

大学生の1年~2年の春休みにかけて、1か月半(2月~3月半ばまで)滞在。
一か月、homestay  その前に2週間ほどシアトル、
ホームステイ後、2週間ほど、
グランドキャニオン、ラスベガス、そしてしあげにロサンジェルス。

あの時のホームステイで、意外と自分の英語は通じる、と自信がついて、
交換留学に挑戦しよう、って思った。

その時の滞在先は、
カナダの海軍を退職した、ホストファザーEdwardと
host motherの, Patricia.


出発前、どんなホームステイ先にあたるか心配していた矢先、
彼らの写真を見て、それだけでもう、大丈夫!
と私も両親も安心したぐらい
人柄の良さが、顔ににじみでていた。

Edと、Patと呼んで、とてもかわいがってもらって、
別れの時は、日本人の友達は
もう、とっくに出発のバスに乗っていたのに、
私だけワンワン号泣して、Patも大泣きして、何度も何度もハグしてくれた。
(意外と、情に厚いんです。わたし)


わんわん泣いてる私を、他の日本人の友達も、
「・・・そこまで??」って感じで、
あっけにとられて、びっくりして見ていた。


Edwardは、3年ほど前、癌で亡くなった。
亡くなる前は、ほんとうにやせてしまって、誰だかわからなくなるぐらいで・・・

そして、私は仕事も無くて、(というか働ける体調でもなくて)
お金が無くて、(お金があったとしても、海外に行ける状態ではなかった)
飛行機にも乗れなくて、
Edへのお別れも、お葬式も行けなかった。
当時、出戻り大学生中だったので、キリスト教系の大学だったから、
礼拝堂に行って、ひとりでお祈りしながら
わんわんまた、泣いていた。


Edwardの写真は部屋の寝る場所の横に貼ってある。
父が、お礼に日本の風鈴を送ったので、

その風鈴を軒先にぶらさげて、一緒に笑っている写真。

いとこが、
「ホストファザーが亡くなったことで、いつも
あなたのそばに彼はいるんだよ」

って言ってたけれど、ああそうだなあ~って。

横須賀の基地に、朝鮮戦争の時に海軍に入っていたから、
日本に滞在していたEdward.
だから、日本人の私も、ホストファミリーとして受け入れてくれたし、
ちょっぴり日本語も勉強していた。
世界史が好きで、退職後も、時々大学の講座を聴講していたみたい。

娘さんも、孫娘も、日本的なもの、日本文化が好きだったみたい。


小学校二年生の時、生まれて初めて海外旅行に行ったのはカナダでもある。

私は小学生のとき、

必ず家族旅行の前に、
あるいは、非日常的なビッグイベントの前に、

楽しみにしすぎて、興奮しすぎて眠れずに
熱を出したり、体調を壊し、
旅行中はお腹を壊す・・というコースを歩んでいたので、


そのカナダ旅行も、体調が悪いか、
ホテルで寝てるか、熱を出してるか、お腹を壊してるか、時差ボケで
何もできないか、
・・・って感じだったけれど

ただ、あの大きくて美しい日本とは違う規模の自然は覚えてる。



I just miss the atmosphere.



カナダ国歌。 Oh Canada

For Edward














2013年10月28日月曜日

ルリカフェブログ

オススメブログ。
女子力あがるにょん。

ルリカフェブログ☆

女子の可愛い知恵

http://blog.goo.ne.jp/ruricafe

私の大好きな、作家さん、蝶々さんの読者の集いで
知りました♪


ばんばん顔写真出しているので、最初の間は

こんなにかわゆいおんなのこたちが、顔出しして、
大丈夫かにゃ????


と勝手に心配してたけれど、
彼女たちの光☆のキラッとした仕事が
早い&キレイ&強いみたい☆☆☆☆





2013年10月27日日曜日

Perfume 1mm


好奇心まかせの 日々に退屈して

ひとつのことだけ 追いかけてみるのが

実は難しい 本気になるくらい

気持ち次第だね なんて思ってたけれど

なんてことない そんなわけない ただ

現実はずっと想像の上を行く

覚悟がまだまだ 1ミリも 足りないね

Oo歌詞 http://www.littleoslo.com/lyj/home/2013/08/level3-perfume-1mm-%E6%AD%8C%E8%A9%9E-pv/







Perfumeの曲の歌詞が語る、象徴性と物語が好きだ。

あのかわいらしい三人組が、踊りつつするりと差し込むのは

現代の人々のぼやきか、シビアな現実風景。


誘惑も他に楽しいこともたくさんある現代のこの世で。

大人になって欲望も、楽しいことも遊び方もたくさん知ったうえで

ひとつのことを突き詰めていくのに必要なのは、勇気。

時間とエネルギーを

まとまってかけないと、英語だって仕事だってものにならない、し。

それでも、現実に起こってくることは

いつだって脳内で考えてくる、ことの上を行く。

だから大丈夫。


ひとつのことを突き詰めてきたperfumeのメンバーが歌うからこそ

またメッセージが強くなるよね。



















2013年10月22日火曜日

嗅覚








金木犀の香りの粒子が増えている気がする。

雨上がり、

空気中の湿度があがって

匂いの濃度が

むっと

せまってくる




闇のむこう側から。





















2013年10月21日月曜日

ミルキーチョコレート あっちゃんのスマイルハニー味 




「仕事におしつぶされるのって、趣味じゃないんです。」

・・・・・って、

好きなマンガ Real Clothesにて、
主人公をサポートするニコという
男の子が、仕事の合間にチョコレートキャンデーを差し出して
二人で食べるというシーンがあるのですが、
(以前に読んだものなのでうろおぼえ)

それを思い出しつつ、
あっちゃんの笑顔に惹かれて、コンビニで購入。

きっと心身仕事などに疲れた男性が、
女性アイドルにすいよせられて、商品や経済効果が上がるというのは
こういう感じであろう・・・青年誌や少年誌の表紙が、
女性グラビアというのも・・・・


AKB48はそれほど興味がない、
というか、淡々と人間観察をするように見てしまう。

秋元さんが、すごく才能があってセンスがあるんだなあ、芸能界という
業界では、・・・と、しみじみ。

というより、芸能人というものが、小さいころからよくわからなかった。

全員同じ顔に見えたし、名前もわかんないし、
やっと区別がつき始めて、「歌手の○○ちゃんが好き」という会話が
成立し出したのは、中学校~高校ぐらい。
ミーハーの自覚はあるけれど、なんだか後からとってつけたような
ミーハーって感じ。

私は、どちらかというと、
舞台を見に行けばその裏側の苦労をまず考えてしまうほうだったし、
今でも芸能人の人たちを見ると、

「いやあ・・・たいへんなお仕事ですね・・・・」

という思いが先に立ってしまって、あんまり
「好き!」「嫌い!」「ブス!(←って言う人こそ、何様?って感じ。)」って
感想が、心底よくわかんないのです。


そして、あっちゃん、こと前田敦子ちゃん。
あっちゃん、って私の母も漢字は違えど、「あつこ」で、昔から「あっちゃん」と
呼ばれてきたらしいので、あまり気楽に呼べない気分が個人的にある。

が、彼女の言動をyoutubeとかで見ていると、

この時代にこそ出てきたアイドルかなあ~と。
もともと、ひきこもり気味のところから、
あえてそれでも、センターに・・・という

言葉の力があまり無い感じがするので、
セルフプロデュースする力が弱いなあ、
強力なプロデューサーが必要だろうなあ、という気がする。

彼女を見ていて、
もしも身近にいてアドバイスするなら・・・


「本をたくさん読んだ方がいいと思う」
「大学に行って、普通の学生をやって、
勉強したらいいと思う」


この二点。


でも、彼女の顔を見ていると、

すべての場をかっさらう艶やかな赤いバラや、
大輪のユリの花ではないけれど、

日本の女性の、今まで秘められていた部分が花開いた、
絶妙のかわいさ、ポテンシャル、を感じる。


そしてこのチョコ、
はちみつ味であま~~~いので、
疲れ果てた脳にはgood♪






2013年10月20日日曜日

前に進む力 ダグラス・パーヴァイアンス


前に進む力


Step out of your comfort zone.
居心地の良い場所から、一歩踏み出そう


Progress not perfection.
完璧じゃなくてもいいから、前進しよう



*************



ちょっと前まで、自分にとっての、
自分自身の姿を見る、

「痛いアドバイス」というのは
文字通り、全身全霊、心身が痛かった。
すぐに泣いたり、時間差で泣いたり

鬱状態のひどかったときは、
激痛アドバイスの後は、1週間泣き続けたときがある。
思い出しては、びょーびょー泣いて。

これまた、幸運なことに、
月1回ぐらい、お茶~昼ごはんぐらい付きで、
個別カウンセリング・・・・というには生ぬるすぎる、
激痛アドバイスを繰り出す
恩師に、調整を続けられたので、
もうしょっちゅう泣いていた。


その感じすぎる感覚というのは、この鬱状態が抜けたら
無くなってしまうのだろうか、それはそれで寂しいし
この感受性の強さのようなものを失いたくない、

と、同じ状況にあった友人が言っていたっけ。

今となっては、まあどちらでもいいかな・・・

ぐらいの感じ。




そんな時期に読んだのがこの本。
といっても、2012.3.1に読んだとメモがあるから、一年半前は、
この本を読んだときは、あまりに真実が書いてあり過ぎて
辛かった。
当時の自分には、「そうはいっても、できないよ!つらいよ!」って
思いが強かったけれど、


今読むと、

あーーーそうだよね、うん、じゃあそうしよう。

と、淡々と読める。

日常雑事と目の前の仕事に追われて忘れることを
洗い出してくれる感じ。


まちがったら、素直にもどってやりなおせばいいし。
三日坊主なり、つづかなかったら、
また再会すればいいんだし。


自分が変わってきているんだなあ、と。

**************


完璧主義とは昔から気づいていたけれど
結構、度が過ぎているようだな~、

とようやく気づいてきた感じ。




そういえば小学校のころから
自由研究や宿題にやたら丁寧に時間はかけるし
絵の宿題も、細かい作業になるから
必ず、時間超過していたんだなあ。

別に、当時のわたしとしては、丁寧にやろうとしているのではなく
完成イメージが脳内にあって、
それを目指していたのでしょうけれどね、たぶん。笑



Progress not perfection.
(完璧じゃなくてもいいから、前進しよう)


この言葉が最近、何をしていても
脳内にチラついていたので再び段ボールに放り込んであった
本を出してみた。


歴史のある、ヴァンガードジャズオーケストラのリーダーによる言葉たち。


心の中にある恐怖と「事実」とは異なる。

恐怖心に対抗するには、もうひとつ大切なことがある。
「まっすぐに学ぼうとする心を持つこと」、そして
「心をひらいて、学ぶことに対して準備ができた状態にしておくこと」だ。 (p.74)



自分自身とも会話するのだ。
自分自身のことを、「面倒を見てあげたくなる、とても大切な人」だと考えるといい。
小さな子どもを可愛がるときのように、気にかけてあげて、
育ててあげて、助けてあげよう。
悪いことが降りかかってこないように、子どもを守るときのように
自分自身を扱うのだ。 (p。75)




どこを、パッと開いても参考になるアドバイスの数々。
そして、このような内容は英語の原文でもわかりやすいはずから、
と原典が無いか調べたら、
どうやら、直接ダグラス氏にインタビューして日本で書き下ろした、もののよう。


あとがきの、

「人生において、誰と出会うのか、誰と一緒にやるのかは
お互いにとって最も影響の大きい重要な決断である」



いいなあ~まさに、この本のメッセージを
この本の出版経緯事態が体現している本ですね☆☆










日本の神様カード /大野百合子


日本の神様カード


「スピリチュアル」という言葉が、一気に世の中に広まった時に、
なんかやだなあ、と違和感だった。
マスコミでお祭り騒ぎしている、「スピリチュアル」っていう言葉のまわりに
くっついているイメージやらが嫌だったのだろう、今思うと。

今年は伊勢も出雲も遷宮だし、
最近は若い女性も神社に行くのが、以前はスタバに行に行ったように
流行しているけれど。

私が小さいころは伊勢神宮参り、って友達にも言えなかったなあ・・・
たぶん、はずかしくて。毎年、2回は家族で行っていたけれど。
母が三重の出身なのと、古神道で家の中には
あちこちに神棚さんがあったから、榊(さかき)の水を替えたり、
塩と酒を盛ったり、というのは小さいころから見てきた。

なので、今の私の毎日の日常も、朝起きると、
自室にある神棚さんの、榊と塩・酒を下げる(交換するため)ところから
始まる・・・・

まあ、
とてもスピリチュアルな生活と言えるかもしれない・・・
別に、顔を洗うのと同じように、日常生活の一コマにすぎないんだけれど。


私の本名は祖母の昔からの懇意の神主さん(女性)につけてもらったものだし、
その方も鋭い人だった、ようで。

幼稚園の頃、私が、黙ったまま
ぼけーっと何もせずに友達が遊びまわっているのを見ているのをながめている
子供らしからぬ姿に心配した母が、その神主さんに相談したところ、

「この子は、他の子を見ているんですっ! こういう子は珍しいんです!(←ホメてます)」

と言い切ったそうな。
・・・確かにその性格、今でも全然変わってません。




*************




タロットカードを、20代前半ごろ、妙に気になって手に入れた。
付属の解説書を読んだだけの完全独学で、

友人に、

「タロットカードって、その時の占う人と、占われる人の
瞬間の状況を示すものであって、
どんどん変わっていくんだよ」

と聞き。

そのおおらかさ、オーガニックに幸運を告げていくの好きだったし。
そして、当時から私のタロット占いは「当たる!」と
友人の間では評判だったけれど


占いをやる側にまわると、
とてもカウンセリングの手法と似ているし、
自分の言葉の暗示力、波及力に驚く。
だからこそ、自分の言葉は注意して使わねば~



***************

で、日本の神様カード、

イラストがかわいい大野舞さんのもの。
ぼんやりと見ているだけでいろいろと連想できる。

もともと、あまりに日常に追い詰められやすい
自分自身のセルフヒーリングのために買ったけれど、
日本の八百万の神様ベースなので
書かれているメッセージがわかりやすい気がします。
すとん、と入ってくるし、
具体的な神社もイメージしやすいし。


そして、二つの選択肢を迷った時に使うと、
白黒、いい悪い、
ではなくて、
どちらにもストーリーが流れていることがわかって、

あ、そっか。と、

自分自身を断罪するところから自由になれる気がする。

こういうお告げカード(オラクルカード)って、
じぶんのために物語を紡ぐために

使うんだな、って。
物語の力、を感じます☆☆


http://moonmadness.cocolog-nifty.com/uk/2008/04/post_5576.html











2013年10月15日火曜日

「思いを 伝える ということ」  大宮エリー 




http://www.amazon.co.jp/dp/4163816801


http://www.parco-art.com/web/museum/exhibition.php?id=451






せっかく生まれた思いだから
誰かに
かんじてもらったほうがいい



************************


素敵な装丁の本。これまた友人から。

鉛筆と色鉛筆で線を細かく重ねられた表紙は、

ちょっと、落ち込んでいるときや

静かにひとりになりたいときに、ぴったり、かも。



著者の大宮エリーさんは、同じことを考えている、と感じる。

というか、脳内での言葉の走り方と感情の走り方が、

妙に似ている気がする。私と。(笑)


・・・という人がたくさんいるからこそ

彼女の仕事は今広まっているのだろうなあ・・・



「なぜ、そこで?」というところで

前触れなく、いきなり行動したり、

曲がったり、引き返したりするところが。

いや、こうとしか生きられないからこうなんですけれど・・・


ちょっと(どころではないが・・・)、

周囲を驚かしたり

心配させたりして、


トラウマを植え付けて。

ごめんね。と今更思う時がある。



****************


小さな文字で物語が、

そして少し大きめの文字で、詩が書いてある本。

じわじわと読みながら、また小説が書きたくなった。




物語を書く友人と、小説や写真を集めた

冊子を作っていたのだけれど

私が締め切りに作品を仕上げることができなくなったので、

しばらく休止している。

物語の主人公も、繊細な女の子を選んでしまったので

どうにもこうにも、書いているとその

登場人物や世界観に引っ張られて

自分自身の人生の調子自体が狂ってくる・・・ということに気づき

パサリと創作の扉は締めていた。





「言葉の巫女」

「言葉の魔術師」

と周囲から言われてきたけれど、

この自分の中の毒に、刃物に対抗する、

調整手段を確立しないと

こんな恐ろしい武器なんて使えない。



自分の影響力の大きさに怖くなって

シャッターを閉めてきたけれど。


この本で、くりかえしくりかえし、

大宮エリーさんは言っている。


「伝える、ってことは、怖いことじゃないんだよ。」




****************




アメリカに留学していた時の

鮮烈な集中力を思い出す。

全身が耳みたいになって、ぐんぐん新しいものがつながっていったとき。

夜中の三時まで、毎晩寮の部屋で勉強していたとき。

徹夜で、イラストの課題を仕上げていたとき。

充実感と恐怖と、その先にある未来への期待で、

何が産まれるかわかんなくて、指先まで痛かった。

あの、まっさらな気持ちを、思い出せるかな?





***************:



英語に初めて接した時の、

狂おしいぐらいの、憧れを覚えてる。

ハワイ旅行で父が、レストランのウェイターに話しかけられて

笑って返したけれど、私はさっぱりわかんなかった。

小学校6年生のときの、英語の本を初めて開いたとき、

はやく、はやくって言葉が知りたかったとき。

中学校になって、自分でNHKの教材を工夫して、毎日聞き始めたとき。

あの、なにも考えずにただ何度も素直に

繰り返し声に出すことがうれしかった気持ちを、おぼえてる?




****************


ちいさかったころ、

てぶらで、財布もかばんも持っていなくて、

ただ街並みを歩くだけで

大冒険だった。

空に雲がうかんでて、

歩道橋の間に、草が生えていて、

その花の名前や、雑草にはひとうひとつ名前があって、

街路樹の花がだんだん咲きだして、

そういうのだけで、みっちりと幸せだった。

待ちゆく人はみんな、自分よりも大きく見えて

それで、私はきっと、すてきな、今よりもいろんなことができて、

いろんなことを知っている大人になるんだと思ってた。

あのころの気持ちを、おぼえてる?



*****************




自分に、?(ぎもん)が向けられたら、

それはどこかで、何かのスタートの合図。



*****************


そして同時に

きちんと自分のことも大切にしてください

自己犠牲はいけません


自分のことを思いやることから

逃げないでください (p.146)




************:


わたしは今日も、インターネットのかたすみで

ぽつねん、思いを

伝えてみる☆









2013年10月14日月曜日

コトリンゴ/おいでよ


コトリンゴ/おいでよ

いっしょにゆこうよ 世界が変わる前に
花の名前がぜんぶ同じになる前にいそいで

ここへおいでよ雨になる前に
きみを思うといつもうたが聴こえるから




******************


数年前から好きな歌手、コトリンゴさん。

半分夢うつつで、

スピーカーを頭上に置いて聞いていたら、

ピアノの音が光のシャワーを浴びてるみたいに

降ってきて、あ~この人は、

ものすごいキラキラしたものを音に込めてるんだな~

と。



歌詞も、聴く時期によって、ドキっとする場所が変わる。

最近は、

「花の名前がぜんぶおなじになる前に」

で、ハッ。


あまりに日常に追われると、

すべてが同じ書き割りみたいに見えてきて

道端の花にだって、虫にだって

立ち止まって見なくもなってしまうなあ・・・て。







2013年10月13日日曜日

本 「努力しない生き方」桜井章一



「努力しない生き方」桜井章一

http://www.amazon.co.jp/dp/4087205347

身も蓋もない言い方だが、意味もなければ答えもないからこそ人生は面白いと思う。(p100)

動物も植物も地球も月も太陽も、
彼らは「答え」を求めない。「分からない」という状況にあって「迷い」を起こすのは人間だけ。
でも、「分からない」というのは、本当は魅力的なことだし、楽しいことだ。
異性に惹かれるのも本質的に相手がわからないからである。
「分からない」とい状態は生きることを豊かにするものなのだ。(p102)


わからない―――「わからない」ことをわからないままにする




ふだんわれわれが生活や仕事でひっきりなしにしている計算の多くは
もしかして無駄だったり、マイナスになっているのではないかということだ。
もちろん最低限の計算をしないことには生活も仕事も成り立たない。
しかし今の人は不必要に複雑な計算をやり過ぎている。
その中には無駄どころかきがつかないうちにマイナスになっているものも数えきれないほどある。(p 162)

計算しない―――計算しないほうが勝つ



***************************



「耳が痛い!!!!まさにその通りです・・・!!」気分になる本。


読んでるのに、耳をおさえて、「ひーーー」って言いたくなる。

そして、読みながらなんだかどんどん軽くなる。





本読みの賢い友達から貸してもらった。



(それにしても、賢すぎる繊細アンテナを持った人は

どっかっで、なんか、生きづらそうなんだ。

だからそれを守るためにおもいっきり武装してしまう。


そこまで力入れなくても・・・ってところで、

ついつい硬くなってしまう。

私も含めて・・・

なんとかしたい・・・、この日本の閉塞感。


負の状況が強いならば、

ワクチンは伝染病の流行地域から生まれるように

呪いや因縁や業が強いのであれば、

だからこそ、叩かれて、必死に生きようとする域間や緊張感やらから

そこから対抗手段や、新しいものが産まれる、イメージを持って

生きている。最近は。そうやってビジョンを描いていれば、必ずそうなるから。)










この著者、桜井さんは、作家よしもとばななさんのお友達で共著も出しているし

ばななさんの日記にもよく登場する雀鬼、と呼ばれる麻雀界では最強の人だそう。


本読みの友達は、ばななさんも好きだけれど、

ばななさんと、この桜井さんとのつながりは全く知らなかったらしく、

そのことを教えて上げたら、「やっぱり似たもの同志に

いつのまにか惹かれあうしめぐり合うんですね・・・」って。


そうだね、

最近それは実感していてどこにいようが、似た人としか縁がない、

しかも年々その精度は上がってる気がする(笑)






この前もあたらしく友達になった子(って響きなんかいいなー♪)

と話していた時に指摘されて

気づいたけれど、

わたしの身の回りに、いわゆる

「濃い・エネルギッシュで、いわゆる個性的な人・なんか浮いてる人」

ばっかしか集まってない・・・

「いろいろなことやってますね!」とよく驚かれるけれど、

別に、いろいろなことをやろうと思ってやったわけじゃないのよね・・・(あたりまえか)


結果的に、自分がいる場所が苦しくて、

動かずにはいられないから、めちゃくちゃに

好奇心の浮気性のごとく、あちこち首をつっこんでたら

結果的になんだか

いろんなつながりやら知っていることが蓄積されていた、みたいな。




そしてやらかしてるのは、

周囲から聞いたらギョッとされるような

熱く、異次元にぶっとぶ・本質トークばっかり。

うーん、ありがたい。




そういえば、20代前半って、あまりに話題が合わなくて

でも、周囲に合わせなきゃと思ってて、そういう

「なんか、変わった人たち」に出会いたいーーー


ってずっと願ってたけれど、その一方で

そんな人たちが怖かった。自分と話なんかできるんだろうか。


って思ってたのも覚えてる。

そう考えると、今はそのころの夢がかなってるんだなあ・・・いつのまにか。

と、気づいた。



最近ずっと考えているのは、

「頭の中で考えたり、願ったことは、いつに叶うのだろう?」ということ

願った時と、現実化するときのタイムラグ。


どうも、あまりにも必死にがっついて願い過ぎたり、

求めすぎると、

こちらの祈りの姿勢がさもしくなりすぎるのか、

・・・それなりのものしかこない(笑)

これは、デパートのセールとか物を買うときとは違う話・・・

商品を見比べて、性能や但し書きやら吟味してじっくりガッツクのと、


目に見えない願いや思いをかなえるのは

ちがうからくりみたい。





そして、それは農業みたいに、

水やって、肥料やって、太陽にあてて、風をとおして、

土をほりおこして・・・・時間をかけて、みまもって、話しかけて、

時に守って。そういう繰り返しの毎日の足元の時間から産まれるみたい。




仕事をしていて痛感する。


「男の人は、尻を叩かれ慣れている。蹴られ慣れている。

グチを言うのがうまい。抜くのがうまい。頼るのがうまい。


多くの働く女性よりも。というか私よりも、」



ちっちゃいころから、

ガンガンどつきあってるところが、男の人文化にはあるけれど、

女性は体育会系ではない限り、結構大事に守られてしまうところがあるからなあ・・・






自分自身を見て、

痛いなあ~弱いな~と思うのは、

あまりに中途半端な戦後の「中産階級」お嬢さんで育ったがために、

極端にノイズ耐性が低いし、


他人が横やりをいれる環境で育ってないから

誰か他の人がいるだけで集中力が落ちるってこと。


ま、これは実地現場訓練ですね。

日々、変わっているのは自分でもわかるので。






・・・そんなことを、1年ぶりぐらいに話した

かつての教え子に話したら


教え子「めちゃくちゃ変わったね!

    20代前半の○○せんせは、あんなにギラギラしてたのに!」



わたし「やー・・・ほんっと、はずかしいよ。
    ギラギラっていうより、イライラしてたね。
    ずっと怒ってたし、怖かったし。恐怖感まみれだったし」



常に、自分に、親に、世界に、環境に、職場に、

怒っていた20代。今も怒ってるけれど

もうちょっと、大きく怒っている。





20代前半、

すべてをコントロールしたいと思ってたし、

できると思ってたし、

描いた人生通りに生きなきゃ

そうじゃなきゃ何かに負けてしまう、と

思って戦ってたけれど。


まあ、そのガムシャラ期は過ぎたのかな。

もちろん、あの勢いだからこそできたこともたくさんあるけれど。







先祖代々の、家の業、

流れについてよく考える。

「先祖三代祟る」とは恩師の弁だけれど、


つまり祖父母・両親・子供の

三代で、負の流れは集積していく、ということ。


・・・・や、めっさわかる。


ひとりっこの私は、それが集大成で積もった感あり。

きっと家の業一身に引き受けて、きっと人柱のように

すべて引き取って亡くなって人がたくさんいるんだろうなあ・・・


と考えたこともあった。

「だからこそ、子育てはせき止めだ!」by恩師


「ポジティブな流れが親からももちろんあるから、それは流して、

負の流れは自分の代でせき止めなきゃいけないわけ。

そのために、あらゆる手段や勉強や、本読んだりするわけ」


その言葉にガーーーーーーン。

殴られたよーなショック。

そー生きればいいんだ!



今の自分が

グッと光の方に向かうイメージを持つとき

どっか下の世代に

つながってるんだ、ってよく思う。




親子関係については、よくいろんな友達とも話すけれど

問題の無い家なんてない。

なにかしら、流れや癖はある。

それを、むりやり歪んでると切り捨てることも極端すぎるし・・・



ただ反発するだけなら、反抗期と同じだし。

なにかに真正面からはむかうのは、結局そのものと同じになっちゃうから、


だから、いつも間を探してる。

あるいは、180度変わるのではなくて、30度、75度ぐらい変わることを。

自分が、やわらかくなることを。

・・・・めっちゃむずかしいけれど、それはやりがいのあること。

必ず周囲に、直接つたわっていくから・・・


水面に落ちた水滴の、同心円状の波みたいに。





結果的に、

業の深い家に生まれたけれど

その業をこつこつ払ったり、毎日拭いたり、していうなかで


圧倒的に明るく光るものはできる。



って、思う。




宇多田ヒカルちゃんの、今の生き方を見ていても、ね。

彼女のお母さんが亡くなったニュースを聞いたとき、自分がどれぐらい動揺して

ショックを受けるかわからなくて、怖くなったほど。

彼女も、時代をさきがける、女神だにゃ~。






























2013年10月12日土曜日

小説 「スナックちどり」よしもとばなな








「人にほんとうになにかを

してあげることは、

常に少し痛みのあること

なのだと思う。」

・・・帯の言葉を見て、ドキッ。



「スナックちどり」 よしもとばなな http://www.amazon.co.jp/dp/416382510X






あまりに仕事がキツイ時期に読んだがゆえに、

そのプレッシャーから、

周囲のすべてが灰色に見えるのと

同調して読むことができた、小説。



とゆーか、だいたいそういう時期に、よしもとばななさんの小説は読みます。


なにせ、調整力がすごくあるから・・・俗と聖の両方に通じる

人生現場力のある物語なので・・・

すごく力強い。





ばななさんの小説を読むと、

ふっと、自分の中に風が吹く。



確実に、なにかがゆるんで、

忘れていた思い出がつながって、

それで、私はここにいてもいいんだね、って思う。


ふんわりとした、この世での、

自分の着地点のクッション材のような。






私自身も、

着実に、自分の居場所を

ちいさく

ちいさく作ってきたけれど

ふっと恐怖が顔を出す瞬間がある。

「わたしは、ここ、にいてもいいんでしょうか?」

って。



この小説の

舞台は、イギリスの海辺のちっぽけな街。

そして、二人の女性の旅。

その、あまりにさびしすぎる町だからこそ、

起こった出来事は、

ばななワールドだけれど、

それでも、土地の雰囲気からなにかが起こる、っていう

普段生活していると簡単に忘れてしまう、

魔法を思い出した。





田舎の親戚の元で暮らしていた時がある。


泣きながら天井を見つめて

横になって呼吸していることしかできなかった時期の

数か月。

そして、なんでも神経がささくれだって過激に反応してしまう

私にとっては、

その、日本の田舎特有の

「なにもなさ」に逆に救われた。



ただ、田んぼと、大手スーパーと

中途半端な海水浴場と。高齢者の多い町。というか、村というか。




ちょっとずつ、薄皮をはぐように元気になっていって、

でも、仕事もできる状態でもないし、

毎日、何もできないから

ただひたすら、散歩をした。


裏から、田んぼの中を突っ切って、単線の線路の駅を通って、

町の小さな図書館を抜けて、

そして田んぼの中、町役場。

スーパーでぶらぶら。毎日のように本屋で立ち読み。

そして、海にむかって歩く。



お世辞にもキレイとは言えないゴミが打ち上げられてた

海の砂浜で、

突っ立って、ただ波の音を聞いてるだけで、なんとか気持ちは持った。

何も考えられないから、

ただ、じっと海を見ながらイヤホンを耳に突っ込んで。


まあ、毎日よく泣いたなあというぐらいに

じわじわと泣いていた。




周囲から見たら、

ただはがゆい、何も行動をしていないように見えた時期だろうけど

わたしはわたしで、自分の中の忙しさで精いっぱい。




そういう時期に、

「なにもない!」場所で、一見ムダとも思えるような時間を

過ごせたのは、

実は今の自分自身にすごおおく

だいじな時期だったなあ。



この小説のあらすじとも、内容とも関係ないけれど

そんなことを連想したのでした☆



当時、海を見ながらよく聴いていた曲。
水つながりのせいか、しっくりきた。



川井郁子 水百景









曲だけでも、明るいものを光のあるものを、と

水をごくごく飲むみたいに聴いていた。

今あの渇望感は無いけれど、やっぱり大事な曲。

今回このブログを書くために初めてPVを見たら、

とても明るい向日葵畑でロケしてたのでビックリ(笑)














小説 「心はあなたのもとに」 村上龍



村上龍「心はあなたのもとに」

http://www.amazon.co.jp/dp/4163300007



村上龍の恋愛小説は切ない。

そして、言葉がハンパない。

タイトル「心はあなたのもとに」も、胸どきゅんでしたが・・・


以前読んだ恋愛短編集「とおくはなれて そばにいて」

も、このタイトルだけですべてが語りつくされてるな~・・・・と。




や・は・り・・・・村上龍は天才なのだなあ・・・

常人ではにゃーい。


と圧倒されっぱなしだった小説。




しかも男性心理が描写されまくっていて

読んでいる間は、


繊細な、

アタマ良すぎる中年のおじさん(超金持ち・アッパークラス)に

なりきった気分になれる、なんともお得すぎる小説。



分厚かった(604ページ・2.5センチ)のに、

その分厚さが全く気にならず読めました。



そして、もう何度も何度も泣きそうになって、

男の人のやさしさと繊細さに浸り切ってしまって、

自分が女だとか、何歳だとか、どういう肩書だとか、

いうことを全部忘れられた。




というか、そういう読者の現在の状況を

全部ぶっ飛ばして、

その世界観に引きずり込む小説が大好きです。




ちなみに、


小説家では、村上春樹と、村上龍と、よしもとばななが好き。


で、よしもとばななさんの日記に

この小説が出ていたのだが、その書かれ方がすごくてずっと気になっていた作品。

******************

2011.04.27

龍先生の「心はあなたのもとに」を読んで、ものすごく落ち込む。
こんなのが書けるなんてもうそんな人生経験、知りたくないっていうくらいに。
なんといっても、彼女のメールの文体がリアルすぎて、フィクションと言われても容易には信じられない。
しかもオチはわかっているのに、こんなにつらいなんて。うますぎる!
あまりにもうますぎるのだ!特に最後のほうのパーティの場面なんてもううますぎて
吐きそうになった。


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http://www.yoshimotobanana.com/diary/2011/04/

より



さすが同業者超ホメ上手・・・




読んでいると、自分が数段頭がよくなった気分になる小説です。

そして、繊細かつ鋭敏すぎる心理描写に

何度も、じわじわと、涙が出てきてしまった。



ネタバレだけれど、

愛人の女が、病弱で死んでしまって、死に目に立ち会えず・・・て

古典的なぐらいの設定なのに

そして、そこに向かっていくのが最初から読者に提示されているのに

それでも、そこにこの切実さが伴っているなんて。



そうだった、生きてるってこういう風に、

誰だって死んでいくってわかってるけれど、


じゃあ、今やっていることは

全て無駄なのか?


って言ったら、そうじゃなくて。






その毎日の細かい風とか空気のゆれとか

太陽の光がまぶしいだとか





ささいなくだらないことが積み重ねられるだとか。

メールの顔文字とか、すねたり、甘えたり。

誤解したり、うちとけたり、ケンカしたり

計算したり、仕事したり、

全体のこと考えたり、自分の健康のことだけしか考えられなかったり。

ごったまぜ。で。



そういう過程なんだった。

と。





読んでいて、自分の中のなにかが、浄化されていく気分になる小説でした☆


「お金をちゃんと考えることからにげまわっていたぼくらへ」 糸井重里・邱永漢

「お金をちゃんと考えることからにげまわっていたぼくらへ」

糸井重里・邱永漢


http://www.1101.com/Q-itoi/index.html

http://www.amazon.co.jp/dp/4569676243

ほぼ日刊イトイ新聞から。




お金の使い方がわからない。

稼ぎ方もわからない。

貯め方もよくわからない。

お金って、なんか怖い。

たくさんのお金を使うと、罪悪感がある。


・・・ってことも、わかんなかったぐらい

わかってなかったなあ。

怖かったなあ。

わたし。30にもなって。


・・・と、気づき、購入。












この本を読んで出てくるのは、


「人間って本当に弱いものなんです、いつだって迷うんです。」


って。


そうだなあ、なんだかすべてわかった気分になった瞬間って

よく来るけれど、そうじゃないな、って。



「人を信用しなかったら仕事ができないですから」

という邱永漢さんの言葉にはジーン・・・







お説教臭くなんて全然なくて、

糸井重里さんの、自分の「ほんとうに僕はお金がわかんないし、怖いし・・・」

って気持ちをさらけだしているところにも

びっくり。

糸井重里さんが、お金のことに分かってなかったら、

わたしなんて、幼稚園児レベルでわかってないよ~・・・

って思いながらも。(笑)





正解が書いてある本でもないし、

この本を読んだからと言って、億万長者になるわけでもないと思う。



だけれど、


自分の、未来に対する、

ふわっとした気持ち。


この世を見るときの、小さかったころの目線。世界観。


を、ずっと、持っていたままで

いいんだ。

そここそを、育てていっていいんだ。

お金のことについても。

そして、まだまだ見えていない、わかっていないことが

思い込みでたくさんあるんだな、




って久々に、

気付けた本でした☆





2013年10月10日木曜日

♡♡ 好きな言葉 ♡♡ その2



今年使っていた手帳に書いていた言葉☆
その2





☆「嫌いなことから人は学ぶ」 by 養老猛司

☆何者かになりたいけれど、なりきれてなくて不安を抱えているのでは?
ただの精神論だけじゃ、穴倉から出てくるのには、まだ足りない。


☆希望と絶望、 
 不可能と可能の間。
 そっちとこっちは、実は遠くない。




☆あらゆる職業には「これくらいでよかんべ」というラインがある。
99%の人間は、そのラインをみつけると、そこに居着く。
1%(もっと少ないかも知れない)の人だけが、それを超える。
「そこまで行くことなんか誰も君に要求していない。いまのままで十分じゃないか。
これ以上自分に負荷をかける必要はないだろう」という制止の声を振り切って、歩み続ける。
歩み続けることを止められないその人たちをみていると、人間はどのような職業の、
どのような知識や技能を通じても、「行けるところまで行こう」とすると、
「向こう側」に突き抜けてしまうのだなということがわかる。
そして、私たちは凡庸な人間には決して達することが出来ない境位に私たちを導いてくれた
人々に対して敬意を払うことを禁じ得ないのである。

内田樹の研究室 http://blog.tatsuru.com/2009/09/19_0925.php





*************

読んだときに、痛くて泣いた言葉たち。
そこまで、感じられた時期も、あるのは幸せだよね☆




♡♡ 好きな言葉 ♡♡ その1




☆今年使っていた手帳に書いていた言葉☆



☆課題や負荷が<常識ばなれ>しているほど、それに対応してけば、そりゃあやっぱり
人間ばなれして進化していきますしね☆

chochoメルマガ 2012.12.10



☆ピンチって、めざめと進化のチャンスだよ♡
by chocho


☆興味のある方向やご縁でとにかく行動!
 →楽しんで夢中になっているうちに、何かを学び、拓き、自分ならではの形にしていく

①今まであった職からモデルを探そうとしないこと。
②目の前のことを地道にクリアしていくこと。
③みんな一緒じゃない。それぞれの「役割」があることを知る。





☆植物はベストコンディションではなく、少し我慢した状態がいい。
☆お前はまず現場に出て、自分の身体を測定器にし、
自然がやっている実験結果を目で見、匂いを嗅ぎ、なめて、触って調べろ


☆過去も夢、未来も夢、いまこの瞬間生きていることは、事実ですから。
  その積み重ねがあるだけです。


☆人生にやってくる全ての経験を讃えてください。
 自分がネガティブに反応しないかぎり、なにも悪い経験や出来事はないのです。
ウィリアム・レーネン









****************

今見ると、その言葉を書き写したときの気持ちも時間も思い出して二度おいしい。かも。


ナイーブな人々 / キリンジ


ナイーヴな人々 ナイーヴな人々
世界をいっそう美しく変えることが
君のさだめさ

うまくいくよ
大丈夫 ダイジョウブさ









友達から教えてもらった歌。

そうだね、感受性豊かな人こそが

できるこの世での仕事があるよね。









2013年10月6日日曜日

ふと

日本全体になんとなく、
蔓延してるこの恐怖感・閉塞感が

伝えてくるほど、

この人生は怖いものじゃない。

多くの人が思い込んでるほど、
枠から外れることは怖いことじゃない。

人生はそんなに、怖い、最悪のものじゃない。

行動するのは大変だし、しんどいし、つらいこともあるけれど、
それほど、恐ろしいことじゃない。

枠から、列から外れることは。

恐ろしいのは、自分の中の暴走する想像力。
自分の中での恐怖心。
お化け、不安。それを育ててしまうこと。


生きててよかった
そんな夜を探してる


・・・て歌詞に泣いたこともあったけれど
最近は、

生きててよかった。
とも、わざわざ考えない・・・



という感じで、死にたい、とも

思わなくなったので、

あ、大丈夫になったんだな、と。

メモ

私は明日、死ぬかもと思ったら
今の生き方を選ぶだろうか?

スティーブジョブズの言葉より。

「毎日を人生最後の日であるかのように生きていれば、いつか必ずその通りになる」
"If you live each day as if it was your last, someday you'll most certainly be right."

「今日が人生最後の日だとしたら、私は今日する予定のことをしたいと思うだろうか」
"If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?"

感受性の強すぎる人には生きにくい時代だと思う。

だけど、生きやすい時代なんてあったのだろうか?

それほど悪い時代でもないはずだ。

工夫次第のはずだから。