2014年2月27日木曜日

コーチングの勉強はじめました☆

















「コーチング、勉強してみようと思います!

ずーっと考えていたことが、

コーチングに全部入ってるってわかったので!」



と、酒も入ってないのに興奮して上ずり気味に言う私に、

コーチングの美人講師・まぁちゃんは、ラーメンをすすりながら言った。


「あのね、コーチングの考え方を

もともと持っている人、自然にできている人を

ネイティブ・コーチって呼ぶんだけれどね~

私もね~中級コースまでは、周囲に、すばらしいね、ネイティブコーチだね!

ってさんざんおだてられたけれど、

上級コースに行ったら、もう、ひたすらダメだしばっかりされて、

怒られるし、注意されまくるし。

涙涙の日々だったよ~本当によく泣いたよ~~はははは!」


そこに自虐の色は全くなかった。

珍しい。こういう話し方になると、多くのこれぐらいの年の、日本人は、

どこかに自分自身に傷をつけながら、貶めながら話すのに。

彼女には、その色も気配もない。

不思議な気分。



これって、仲間に、Big welcomeのサインってこと?


***********************




コーチング。

なんとなあく、話は聞いたことがありました。

心理学の影響が大きい技術かな?

ぐらいで思ってたが、軽く流していた。どーも、営業用の付け焼刃な技術の気がして。


が。

ご縁があって行ってきました。

基礎講座。(こちら→ http://starbow737.com/?p=285



これまた結構高かったの。

8000円。


えーと、メニューには、ここだけのスペシャルプライス!

・・・と書いてあるものの、

2時間で8000円ですよ、奥さん。(誰だよ)

1時間4000円じゃん。



そんなに効果あるんかね?



と首をひねりつつも、まあ申し込んじゃったし。

というぐらいの、お気楽な気分で行ってきました


結論。8000円は安かった。


もっと、大きくて違うロールモデルを、

新しいロールモデルを探していた、私にとっては。






そこでの講師。


まぁちゃんこと、長友まさ美さん。from 宮崎
(starbow関連で、講師やヒーリングする女性はやたらとフットワーク軽い。
日本全国、通勤感覚で動き回ってる。)

https://twitter.com/ma_cya0729




九州美人である。


すんごく、びかーっとした
存在感に、最初風圧というか気圧を感じて
黙り込んでしまった。最初。



身体が意識が逃げてしまうのだ。
まあちゃんの横で。

緊張してしまって
見透かされる気がして。

つまり、相手から、気圧される気持ち。




でも、それが、恐怖感や
圧迫感や、脅迫に基づいてない。
私を切り捨てようとしていない。

この人は、私よりも経験値が高くて
きっと、知らぬような人と数多く接してきている。

だけれど、それを個人的なルサンチマンでぶちまけていない。


圧倒的な正の力から放たれている。


誰か、濃く積み上げてきた人のそばによると、
その人を見ることで
逆照射される。

つまり、自分が見ている。自分の姿を
自分の足りない、これから成長の余地がある自分の姿を
その人の中に。

そういう意味で、
自分自身がクッキリと照らし出される。





「私は、怖くて守りに入って生きているのだな、まだまだ」


と、彼女の左横の席に着いたとき、
一瞬でわかってしまった。
手元の、自分の筆箱とノートに目を落として、否応なしに。


私は、

箱の中で生きている。

箱庭の中で生きている。


日本の枠組み。
組織の中。
今までの記憶。過去。
しがらみ。人間関係。思い出。

その中で、怖いから出たくない、

行動したくない、

まだまだたくさん、様子見と日和見している部分があるのね、と。

スゴイ人っていうのは、そういう姿を一瞬で見せる。



そこの中でしか、生きられないんだよ、

と刷り込まれてきたせいもあるし、

今はまだ、この組織の一員として

学んで経験すべき時期でもあるけれど。



まだ、同じ職業の人は、わかる気安さもある。

だが、同時に、この日の丸親方身分にいると
どうしようもなく、打ち砕かれていて、去勢されていく側面を感じるときがある。

民間にいるときの、触れたら切れるような危なさ。
ゾクゾクするような、厳しさとスリル。

それが、良い・悪いではない。

私のように、感じやすすぎる感覚を持って

この年でキャリアも無いものにとっては
まだ必要な保護フィールドだ。


ただ、私の本来持っている強さは、
そんな枠内に
長い間、
押し込めようとすると
結果的に、自分を殺すことになる。


だから、いつまでも同じ場所にはいられない。

その「強すぎる」自分。

も、

もう受け入れてきている。




*******************







2時間のセッションを終えた後も、
ガールズトークのように、
おしゃべりをしつつ、
まぁちゃんが、皆の質問に答えてる。



そのやりとりが、
脳内に、風と酸素が一気に入ってくるようで
今までにないような感覚。

遠くにいるのに近くにいて、
一歩もどかしいんだけれど
ついていけないような

言葉が遅れているんだけれど
どっか懐かしい。



まあ、その日の前日、飲みすぎて
お風呂に入ってなかったから(笑)
単に、体が疲れていたというのもあるだろうけれど。

それだけでもなかった。
その興奮ともいえぬ、不思議な連帯感と理解感覚。


そこにいたメンバーが

仕事の現場でももがきつつも
学ぶことに貪欲で、新しい人に次々と出会うこと、
変わっていくことに
物おじしない、
新しい時代を切り開いて連携していくであろう
メンバーだったこともあるだろう。





水墨画家・牧三喜さんが、仕事の問題点を明確にして

まぁちゃんに質問し、

それにまぁちゃんが答えるという

やりとりの間に座りながら

そうか、これは小さいころに

大人に囲まれていた私が、使ってた働かせてた、

アタマの感覚に似てるんだな~とわかる。


牧さんも、己のひらめきから逃げない。

その場で思ったことを、その通りに行動していく。
芸術家の強みなのか
私が、「ここでは黙っておこう」「後に置いておこう」という部分を
ぐいぐいと、瞬時に発していく。



ベースに信頼感と安心感があって、
わかんなくても
自分はできなくても、
なんだか参加したくなる、
あの言葉の使い方。



その後でも、ダベりながら、一緒にご飯に行く。



その場で、お茶を飲んだり
ラーメン食べながら、

バババッと、まぁちゃんが中核になっている
地元の大きなプロジェクトと、
新しい連携が取れていくのを目の前にして


ああ、これが新しい時代の仕事のカタチだったり、
運動のカタチなんだ、と
肌身で感じた。


こんなの、大きな組織の中で
上や横ばっか気にしてる時はできない。




ピンで生きている人って、生きようとしている人って、楽しそうだ。

これが、starbowの周辺をうろついている私の、直感とひらめき。


ああ、近々遠くない将来

私は独立して、飛び回るんだろうなあ。

すでに確信。

カタチは謎、

でもそれは後からついてくるもの。


まだ、今は大組織に属してチームワークや、その他学ぶ時期。

でも、これはきっと数年だろう。

そんなに長くは続かないなあ・・・

とも。




おそらく、まぁちゃんは、昔のワタシだったら
怖くて、近づけなかった人。

自分の中の劣等感に忙しくて、
固まってしまっていた人。


夕食後のお茶で、hitoちゃん(コーチング勉強中)が言う。

「(コーチングは)違う職業の、共通言語になるんだよね」

そうね。

セラピスト
画家
教師
FP
etc. etc.......


それぞれ、専門分野は違えど
同じ問題意識を語り合うことができる
仲間たち。







結果的に、

入れ込んでしまって、さっそく調べてCTI( http://www.thecoaches.co.jp/)
と呼ばれるコーチングの、

事務局の、基礎講座(8万円。から、紹介値引きしてもらって、-2万円で、6万円☆)

申し込んじゃいました。お金ないのに。貯金も0円なのに。(笑)







・・・・我ながら、書いてて、展開はやい~☆

とワクワクしている自分。

おもしろいですね、生きてるって。

何が起こるか、次わかんないから。


そして、やっぱり死ぬまでにはどうしてもこれはやっておかなきゃ、


という仕事、

行動があって。


そこはひらめいたら、もうゆずれないな。

という生き方を選択し出したんですね、私は。












おお決意表明みたいな文章になってしまった。自分で自分にびっくり。笑





読書「人を助けるすんごい仕組み」西條剛央

スピ部読書会、3月課題本「人を助けるすんごい仕組み」読了。
http://starbow737.com/?p=292

http://www.amazon.co.jp/dp/4478017972
























3.11の話は、いまだに泣ける。

この本に限らずに、あの津波の光景とか描写とか
人が亡くなった話を読むだけで、自動的に涙が落ちてくる。


写真はもっといけない。
以前、大学図書館に置いてあった、3.11の被害の写真集を見ていたら
これまた自動的に涙が重力に逆らわずに落ちてきた。
震災後、1年か2年たった後の話である。
おそらく、今もそうだろう。


なので、私は、仕事の前に、
極力、3.11関連の書籍・ニュース・写真・映像等々見ないようにしている。
朝も、見ないようにしている。(一日中、その悲しみのトーンで覆われてしまうから)
それぐらい、ダイレクトに悲しみに全身が包まれてしまうのだ。

私は、東北に身内がいるわけでもなく、
誰か知っている人が直接的な被害に遭ったわけでもない。


だが、あの日の恐怖は一生忘れないだろう。
インターネット上で情報は錯乱し、
テレビは高い波が、家を飲み込んでいく様子を何度も放送していた。
日本が壊れてしまった、と私は
襲い掛かる情報の中で、なんとかしようと上を向いて
息をしているだけで、精いっぱいだった。



そんな日々も昔の話となっただろう、と
今回の課題本を読み始めたら
また
いけない。

この本の前半半分を、泣きながら読んだ。
筆者の西條さんの身内の方も亡くなっているし、、
次々に、被災者に話を聞いていくと、誰かが亡くなっている。
・・・という話が、この本のメインではないのだが
まあ、その話を触れざるを得ないのだ。


仕方がないので、ティッシュ箱を抱えて、涙を拭きながら読む。
結局、泣いて体力と気力が続かず、
二日間に分けて読んだ。
私の読書量の速さならば、この本の分厚さは一日なのだけれど。


昔、村上春樹さんの本を読むと、
気分が悪くなって、寝込んでしまって、それでも読みます!というような
読者の話を読んだことがあって、

・・・そんなことってあるのかね?と
半信半疑だったが、私にとっては、3.11の話がこれである。



・・・しかし、冷静に考えると
なんで私が、3.11の件でこれほど感応し、泣いてしまうのか
よくわからない・・・。

ちょっと、30才の社会人にしては、憑依されすぎじゃないだろうか?
大体、これでは、題材として英語新聞も教材としても読めやしない。

阪神淡路歳震災でも、
その他毎日起こっている事件でも、
それだけでもなく、日々どこかで人は死んでいくのだけれど。

3.11が起こった時に、私は何もできなかったからだろうか?
それとも、あの時に感じた無力感と絶望感に
いまだに私はとらわれているからだろうか?

なんだか、それ以外に、もっと根本的な理由がある気がする。



まあ、それはおいおい、また探っていこう。
さ、さておき。



「人を助けるすんごい仕組み。」

を読みながら、
私自身がリミッター解除できていないことばかりだな、
と。

今いる場所で、仕事であれ、人生であれ、家族であれ

「もう、これ以上は変わらないだろう」と

私自身があきらめていることの、なんと多いことか。と。


あるいは、組織として硬直している日本の行政・お役所と同じように

私の心身。思考パターン、

いつのまにか陥ってるんじゃないか?

と振り返ってしまいました。




スピ部当日読書会が楽しみです☆


それにしても、西條さん、イケメンですね・・・うーんすっごく、好みのタイプです。
(こういう話で、こういうくだらないどうでもいい部分って大事ですよね♪笑)


ほぼ日刊糸井新聞リンク

西條剛央さんの、すんごいアイディア。 2011年6月27日更新
 https://www.1101.com/funbaro/index.html

西條剛央さんのその後とこれから。 2012年2月28日更新
https://www.1101.com/funbaro2/index.html

東北の仕事論。高田自動車学校 篇 2011年12月2日更新
https://www.1101.com/tohoku_shigoto/takada/index.html















2014年2月12日水曜日

母の呪い 家の呪い ③ 恩師T先生

PTSD、フラッシュバック、うつ病、そして母と娘の確執、
性的な内容、が具体的に描かれていますので
苦手な方、またまだその症状がある方はお気を付けください。

*****************


診察室以外の時間の方が、人生は当然長い。

そして、働いていない人間にとって

普段、平日、やることがない、

やれない、ということは

めちゃくちゃに辛い。お金を使うわけにもいかない。

だるい。でも、体は動かした方がいい。

適度に。少しずつ。

一気には改善しない。

その手持ちぶたさと、焦る気持ち。









捨てる神あれば、拾う神あり。

新しく何かに飛び込めば、

必ず、助けてくれる人が現れる。




その時期、結果的に

私に大変化をもたらした、

人生のキーパーソンに私は出会う。



①高校時代の恩師T先生
②中学からの親友Sちゃん
③母の弟のおじ、Nおじさん



今回の記事では、


①高校時代の恩師T先生   について。



彼とは、偶然地下鉄の改札内で、病院に行く途中で、再会した。

背が高く、何を考えているのかわからない顔。

パッと見、いつも不機嫌そうな、怒っているような顔。

でも、笑うときは、顔中の表情筋を使って笑う。

私は、笑い方を忘れていた、うつ病時代、

彼の笑う顔を見て、笑い方を思い出した。必死でコピーした。

そう、顔の表情だって、真似と言う名の学習なのだ。




「お前、全然変わってないな」

携帯の連絡先を交換した。





T先生は、私の高校2年生の担任、化学のセンセイ。当時は水泳部の顧問。


高校時代、唯一と言っていいほど、

「この先生は、私のことを分かってくれる!」

と思った人。




だが、


私の幼稚園~大学までで

唯一、母親が大嫌いだった先生。

当時、母は、

私がT先生の名前を言うだけで、

「その名前を言わないで!」と怒り狂った。

まあ、馬が合わなかったのだ。母と当時の、T先生は。

それがまた、事態を一層悪化させた。

私が好きな先生は、母が大嫌いであり、

また、説教が増えるだけだった。




太極拳をライフワークとし、

それに感化された生徒が何人か、同好会を作り、

そして、学校外の教室に、私も参加したことがあった。

生徒から圧倒的な人気を誇り、私が高校3年生になるとき、

別の県内の進学校に変わっていった。

クラス全員、T先生の離任式、その後集まった教室で、大泣きした。


県下の進学校で、理系をひっぱり、

国公立、東大・京大、トップクラスの

医学部や理系学部に、合格者を出してきた先生。

授業はうまく、キャラクターが愛されてきた。


だが、名物教師にありがちなように、

かなり、極端な性格で、エピソードにもことかかない。




・敬語が使えない。(どうやって教員採用試験に合格したんだ?)

・バカにはバカという。(どうやってここまで生きて仕事してきたんだ?)

・本当のことを素直に言う。よって敵を作る。

(うつ病が治った生徒から、自宅によく、激昂した電話がかかってきたそうだ。
 幼い息子たちや、お嫁さんはその勢いに怯えたという)








高校2年生の時、

母は毎日のように金切り声をあげていた。

「○○○(←私の名前)がおかしくなっている!もう勉強しないなんて!」

私の状態は、ガタガタだった。ガタガタの状態を、

親と教師とクラスメイトに悟られまいと、さらに神経をはりめぐらせるから

状況は、さらに悪化していった。





1時間目から6時間目まで授業は、寝る。

あるいは、保健室で、寝る。

あらゆる各方面の大人から怒られる。説教される。

「努力不足だ、がんばれ」しか言われない。

もう、うんざりしていた。誰も助けてくれるなんて思っていなかった。

二者面談(保護者と先生)が終わり、

そんな時、担任だったT先生が、私を科学室へ手招きした。

(ああ、また怒られて説教か・・・)

しぶしぶ入って、椅子をすすめられた私が言われた言葉は
意外なものだった。


「勉強なんて、しなくったっていいじゃん!」


私は一気に泣き、唯一、T先生には、なついた。



それから10年後、

あの言葉の意味を、私が教師になった今、

T先生は解説してくれた。



「成績が悪くて、
メンタルが追い詰められている生徒には、まず安心感を与えることが必要なんだ。

俺が担任するクラスにいるだけで、

別に成績に左右されずに、生徒が存在OKってことを伝えるのが大事なんだ」



T先生が、私がどん底、高校生活を送っているときに、
唯一、現在に続く、
私のいいところを見抜いてホメてくれた。


「お前には、言葉の力がある」

そのメールをもらった時のうれしさと言ったらなかった。





そして、また彼は、

代々教師家系であると同時に、
東洋医学の治療家の家系でもあった。

弟さんは、鍼灸学校の専門学校教師だ。

マッサージ、鍼。肩こりや腰痛、部活で体を痛めた生徒が

よく、T先生のマッサージを受けたり、

良い先生や、マッサージ師・鍼灸師を紹介してもらっていた。








大人になって再会してみると、

高校生に対して言わなかった

それよりも、高い意図があったことを教えられた。

そして同時に、聞き上手であるがゆえに、

私は現状をなんでもかんでも話してしまった。


T先生とは、月に一回、

お茶、→ランチ or 夕食

を繰り返していた。

だが、その時に交わされる言葉は、


27歳の小娘と、52歳のオヤジという

登場人物と、舞台設定にしては、

抜き差しならない生々しいシュールな、ものだった。

いつも真剣勝負で、(まさに、言葉の『真剣』)

私自身は、自分の人生もすべてかけていたから

食らいついて必死だった。

同時に、T先生が持っている、カウンセリングスキルも吸収していた。

自らの状況をこやしにしながら、

激痛カウンセリングセッション。・・・なかなか、過酷。(笑)



私の現状から始まり、どこからここを立て直していくべきか

何の本を読むべきか、

現在の高校教育の課題。問題点。



T先生は、一般向けにやさしく書いた本を薦めない。
原典、抽象度が高くて、その核を抑えれば全体に展開できる本ばかり
すすめられた。

今読もうとしても、アタマが痛くなるようなものばかりなのだが
その時は命が、そして自分の次世代がかかっていると
思って必死に読んだ。

いわゆる、男らしい読書。






アタマのいい人がありがちな傾向として、

本当のことを言うのは痛い。怖い。

そして、言われた側には激痛が走る。

毎回、会うたびに激痛と気づきがあった。

だが、一度出かけると一週間寝込む、そんな体調でもあった。




両親と私の間に立ち、

「教師」という立場で、最大限私を守ってくれた。

私のことは、T先生の子供たち・お嫁さんにもすべて筒抜けで

家族そろって心配をさせていたらしい。





T先生とは、数年前に決裂した。


「師弟関係というのは、親子・兄弟姉妹・恋人・友達・すべての人間関係が含まれているのです」


とは、精神科医・神田橋條治先生が、弟子の学校女性カウンセラーとの共著で述べていた言葉。


それを読んだときに号泣した。

まさに、そうだったからだ。

そして、だからこそ、

今はT先生と私は、袂を別っている。


そういう時期もあるのだろう。












「お前、高校のセンセイ向いてるんじゃない?」

ある日、いつものように月イチでお茶か、ご飯をしながら

T先生が突然言ったセリフをよく覚えている。


あのセリフに反応して、今、ここの私があるからだ。








(つづく)

2014年2月11日火曜日

1月スピ部読書会「百合のリアル」

お口直し、その2。少し前の話デス。


スピ部(=スピリチュアル)読書会にて、

課題本:「百合のリアル」を語ってまいりました♪

http://matome.naver.jp/odai/2138606858184581401


こちらのリンクから、試し読みができます☆
↓ ↓

http://ji-sedai.jp/book/publication/yuri.html





読み通してみると、

自分自身を気づかずに縛っている

息苦しい『ラベル』に気づける文章です。

とても丁寧に、openに語られていて・・・

口調もやさしいんです。

著者の、牧村朝子さん、通称まきむぅさん。

とても美しい方。そして、読むとその勇気と行動力に感動☆





男だから・・・


女だから・・・

と言って、ついつい、分けてしまう。




カテゴライズして、
タグ付して
しまう。

のだけれど・・・


自分自身に対しても
他人に対しても。

そして、それが苦しめる。

ラベルをこなそうとするとき、

人は負担を感じる。

・・・というのは、レズビアンの人のみならず

誰でも同じこと・・・





昔、

「意外とミーハーだよねえ。フリフリとかリボンのついた帽子とか好きだよね~」


と知人から、からかい口調で言われて、


「女の子はみんな、こういうのが好きなんですよ!」

とムキになんて反論したら、

「ほらほら、そういうところが、思考停止ポイントなんだよ。

俺の知っている人で、男物の服ばかり着ている女性いるよ」

と、切り替えされ、ぐうの音も出なくなった記憶が。





私自身、ラベル付することで、
カテゴリー分けすることで、
自分自身をしばってきたなあ。と思う。


自分自身の中にも、レズビアン的な傾向があるし・・・

女子友達に、ハートマークをつけまくって

メールするのが楽しいし。

女の子に対して、ホメまくるのも楽しいし。



この本の冒頭の質問。

「自分はモテとはどういうものと思っているのか?」
「それを自分は本当に望んでいるのか」



これ、
私は、

一昔前の黄金期のCanCam(赤文字雑誌)が標榜するような

「全方位・全方向モテ」が、モテだと思っていたなあ・・・と。

そして、それを演じ切ろうとするときの息苦しさと、起こってくる周囲へのひずみ・歪み。




あるいは。


日本での、うつ病や、精神病への偏見は

まだまだ根深くて、そこについているラベル付に

私は、怒ることは多くて。


「隠しておかなければならないこと」
「みっともないこと」
「怠けているだけ」

等々の、偏見も、また腹立たしい。



だけれど、
対話として、オープンに
フラットに、話していきたい・・・

自分の責任として、自分の感情まで引き受けて、
まるっと、自分として生きたい・・・・

それを前面に出しながら、開かれたコミュニケーションを続けていきたい・・・

この本で、まきむぅさんがまさに、実践しているように・・・・


そんなことを、思ったのでした。



ちなみに、この読書会でのお土産は、
ローズクォーツ。(ピンク色の石)


石の意味は、自己愛:自分自身への愛。


ラべリングは、自己愛の欠如から来るのでは?
正当化しようとしてしまうから・・・

なっちゃんの言葉に深くうなづき。


その後、

それぞれ、
「自分の~を愛します」とアウトプット。

私は、


「自分の『天然素材』を愛します」

と発表☆

自分自身の、

天然素材、もともと持っているキャラクター。
身体。能力、それらを。


何か、
「優等生」「教師」「女」「ふつう」「世間」「○○の娘」「30才」etc...


のラベル付に
自分であてはめて適合しようと動くと苦しいから。

このままの天然素材を最大限に発揮していきたい。


そんなことを

願えた、読書会でした♪♪♪














♡ ♡ ♡ 初ヨガ体験 ♡ ♡ ♡

どうも重い内容が続いてしまうので、
小休憩はさみつつの~

お口直し記事☆
私の現在日常生活です。




****************




杉町明子さんによる、『今、ここ。この瞬間』を感じるヨガ


に参加して、

初☆ヨガ体験してきました☆

本当によくて、ハマりそうです♡



きっかけは。



なっちゃんのクリスタルヒーリングを受けたとき、

最後に引いてもらったカード、つまり

これからの未来、として、、

①animal(動物)
②Yoga(チャクラの活性化)
③Speaker
④Talk to your angel


がありました。


ついでに、これらの説明。

①動物にかかわること。

あるいは、動物的な人との関わり?媒介?

まあ、言語的に通訳・翻訳を、日本人同士でもやってるなー

とはよく思うので、それかな?


②yoga

 これが新しいトピックでした☆

だが、もともと「ヨガでもやったら?」とは各方面から言われていたこと・・・

なっちゃん曰く

「こういう仕事(ヒーラー・治療家)をやってると

自分をニュートラルに保つのが難しくて。

なので、こういう技術を持っているといいんだよね~」

と言われ。もともと、starbowさんで企画予定してたヨガ講座に、

帰宅してから即申し込み。



③Speaker

喋る人、表現する者、伝える者。

つまり、スピリチュアルな事柄を、公に伝えていく役割。

ふむふむ、これは私がブログ書くの好き、なんやかんやSNS好き

発信大好き、表現大好き、から来てるかな。


それを、もっと素直に拡大していけばいいのね~


・・・と、このブログの「スピについて」シリーズを書き始めたのでした。

④talk to your angel


あなた自身、私自身の天使と話しなさい。

この時点では、私の守護霊さん(中納言さん、と勝手に名付けた平安時代の女性)

はわかっていなかったものの、


クリスタルヒーリング中に、


リラックスした最高な状態の、

自分自身のイメージを見たら

にこにこ笑顔で笑ってて、その周りを白い光が何重にも同心円状に包んでて

それで妖精さんやら天使さんやらが、みっちりぎっちり(笑)

取り巻いている絵を見たので、

はっはああ~

私が100%純粋な状態で、笑顔だと、これぐらいの

影響力があるのだにゃあ。

と、落ち着いて、わかったのです。





で。


❤ ❤ ヨ ❤ ガ ❤ ❤

❤ Y  ❤ O ❤ G ❤ A ❤



2月9日、

cosmic cafe(いろんなヒーラーさん(治療家や、クリエイター

というイベントがあった後、

生徒さん5人に対して、センセイ一人、ほぼマンツーマン状態で

2時間弱、ゆっくりと教えていただきました。


杉町さん、・・・色っぽいぞ。(笑)

天然素材で内側から光ってる女性。


stabowさん、ってふつうにマンションの一室なんですが、

普段からヒーリングサロン、マッサージサロンとして

使われているだけあって、

セージの匂いが立ち込めていて、

異空間・異次元トリップ感満載(笑)の

ゆったりした気分になります。

「今 ここ」

に、フォーカス。



とって、呼吸をフォーカス。

吸って。はいて。

静かな声で、

「カラダは意識を向ければ、ちゃんと応えてくれますからね~」

足をゆびで触っていく。

「セルフジャッジを捨てて、さわってくださいね~」

良い・悪いではなくて

「このカラダはこのまま、ここにいる、ね☆」

て、ちっちゃいころのように

自分の足とのおしゃべり


いろんなポーズをとっていく


バランスがとりにくかったり・・・

身体が硬かったり・・・


が。


最後のポーズ(シャバアーサナ)、で

杉町さんの誘導に従いながら

目を閉じていると・・・


静かな白い光の中に入っていくような

一瞬が来て、

その後、

アタマの中でわんわんと

鳴っていた雑念が

静まり返っていたのでビックリ。


マッサージを受けたり

クリスタルヒーリングを受けた後のように

からだも、気持ちも



ぼわ~~~~~ん。

ぼや~~~~~ん。

動作も緩慢に。

思考も緩慢に。


でも、自分自身の中で

大事にするべき芯は感じられたような・・・あたたかい・・・感触。


すぐに言葉も出なくなるぐらいに

落ち着けました。


自分の状態によって

何を感じるかは違うそうです。


足は、地面の下に根深く、

そして、アタマは天につながってどこまでも天高くつながっていく・・・


というイメージが

大好きでした・・・♡

また、ヨガおじゃましたいものです。


もそっと、勉強しよっと♡ (^^)















母の呪い 家の呪い 寄り道☆「母という病」

PTSD、フラッシュバック、うつ病、そして母と娘の確執、
性的な内容、が具体的に描かれていますので
苦手な方、またまだその症状がある方はお気を付けください。

*****************
重苦しい内容が続いちゃうのでせめて青空写真を☆





これまた、前回の日記で

「衝撃を受けた・・・・」

という反応があったので、補足をば。笑


私の経験を話して、相手からそう言われて、
また私が、ショックを受けたりしていたので
20代は表に出さないようにしていたんですけれどね。

(といって、私が書いた文章に反応をくださった方が、
 困ると言っているのでもないですよ~。
むしろ、素直に感想を言ってもらう方が今はうれしいです。)




まず、現時点でこの文章を書いている私のスタンスとして。

このブログは、
「書く練習」だと思ってます。


あと、自分で起こった体験ではあるものの
もう、表現技法の試行錯誤の段階に入っているので、
そこを探ってます。

まあ、本来はこういう話題に耐性のある
編集者的な人と
練りながら相談しながら
出していくのがいいのですが。
なにせ、一人で好き勝手書いているので(笑)



まーしかし・・・
いくらなんでも、逃げるのが遅すぎでしょう・・・
我慢しすぎ、耐えすぎだろ・・・
どこまで親の犠牲になってんだ・・・

というのが、前回の、
私自身の日記を読んだ感想です。(苦笑)

当時、主治医だったO先生(精神科)に、

「あなたは、逃げるのが遅れる傾向があるからなあ・・・」
「ほんっとうに、イイコだったんだねえ・・・」


しみじみ言われたのを思い出しました。

その言葉を聞いた時は、
激痛を伴ったアドバイスでしたが



今見直すと、うん、そうだね。(笑)




でも、本人気づかないんですよ。
子供にとって親は絶対的な存在として立ち現われていて
いつも、楽観的に考えてしまうから。




だから、うつ病中に誓ったんですよね。

言いたいことが言えないなんて
もう嫌だ。
我慢しすぎて死ぬなんて、最悪だ。

もう、ガマンしない。


自分が生きたいように生きる。
そこに対して、どのような結果が出ようと
私は引き受ける。
だから、相手を即座にストレートに、ホメたり、
場の空気を読まなくたって
それよりも、自分が大事なことだと思えば
それに従おう、と。





私の両親は、それこそ
戦後の高度経済成長期の「勝ち組」(勝ち・負けで言うなら)
だと思います。

でも、その絵にかいたような、家族で
すべての両親の業を背負ったような
舞台裏をつぶさに見てきた私にとっては


そこに、

日本の明るくて新しい価値観は無い、

と確信しています。


うつ病闘病中、
私の妄想から離れなかったのは、

父と母の、業や、幼い部分を
私がすべて吸収して、そして死んでいくということ。

私が総決算して、この家族は終わっていくんだ。

という自殺願望が

ぐるぐるとまわり続けていたこと。
私がいなくなれば、それでいいじゃないか。もう。

という思いが離れられなかったこと。

あんな苦しい思いを
これから産まれる人間が
してほしくない、と切に願わずにはいられません。

ひたすら、
密封したタッパーウェアの内側に
閉じ込められていたような日々。

しゃべろうにも、しゃべれない、
誰にも語れない
あの重苦しさ。


周囲の大人は、
私がこれほど大変なのに、

両親の、完璧なまでの外面を信じきっていて、
誰も助けてくれないんだ。
という絶望はすごいもので

それが今でも
怒りとなって
反骨精神にもなっているのかもしれません。





父は、大手製造業の、同期で一番の出世頭でした。
若くから役職→役員→子会社社長

と、順繰りに上り詰め、同期を「リストラする側」だった人。

その代わり、
その仕事の重みと澱はしっかりと受け止めていました。
そのネガティブサイドは、すべて
家族の中で吐き出されていました。


父が働き盛りの時は
「蛇のような眼をしている」と言われていたし、
(それぐらい、いつもピリピリしていた)

家でも会社の役割を外さない。
絶対的な上司として君臨していた。
私が2~3歳の時、父の頭にガーンと乗ったら、
父は、幼い私に対して、

「部長の俺に対して、何をやるんだ!」と本気で怒ったそう。(おいおい・・・)


家の中では

「疲れたというな!」と箝口令がしかれ、

私は中学時代、数学を教えてもらっていたものの
父がすぐに怒るので
泣きながら教えてもらっていました。


なので、今でも私は
「疲れた」という愚痴を言うのが苦手なのです。




母は、結婚前まで小学校の先生をしていたものの
結婚後、「良妻賢母」思想にもとづいて、
専業主婦になり。

そして、絶対的な父の恐怖政治に対して
怯え、恐れ、私を代わりに差し出してしまったようなもの。

「専業主婦というシステムは、人間を壊してしまう側面があるのかもしれませんね」

とは、先日読んだ精神科のセンセイの本の言葉ですが、

深くうなづけます。





最近、気づいていたのが、

私は、けっこう、相手に対して

自分の愚痴なり困った立場を

巧妙に、誰かとのコミュニケーションの道具なり

接着剤に使っていた。ということですね。

まあ、これほど過酷な経験をしてきた私を

可哀相がってよ、

これほど大変なんだから

可愛がってよ、

当然でしょ?私が同情されるのって。

・・・と無意識のうちに

依存してたなあ、と。


そして、そういう心情でいると

やっぱり、そういう人が集まってくるので。

そこからも、脱却の時期かな。





さて、本日、本屋で見つけて即買いした本。


「母という病」

http://www.amazon.co.jp/dp/4591131467


非常に売れているようですが、冷静に描かれているのでまた参考になります・・・



それにしても、
こういうネタは重苦しくなるので、難しいですね~





母は、娘の私に対して、

19歳ぐらいのころ、(ストレスによる過食で今より10キロ太っていた)

「太ってる!デブだ!デブだ!」(言われなくてもわかってるっつーの)


とあまりに連発したので、すっかり女性としての自信を失っていたことを
思い出しました。



まあこの日記も、

飲み会から帰ってきた次の日、

母が「酒臭い!くさい!」と

まるで汚物を扱うように絶叫したので、考え込んでしまい、

書き始めたのが、経緯です。



では、またつづきでお会いしましょう♪









2014年2月6日木曜日

母の呪い 家の呪い ②


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母の呪い 家の呪い ① 
 http://red-roses-and-butterflies.blogspot.jp/2014/02/blog-post_2686.html 

舞台裏編  http://red-roses-and-butterflies.blogspot.jp/2014/02/blog-post_3933.html

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↑まず、舞台裏編を読んでね❤






PTSD、フラッシュバック、うつ病、そして母と娘の確執、
性的な内容、が具体的に描かれていますので
苦手な方、またまだその症状がある方はお気を付けください。

*****************



私の高校時代は、地獄。

その一言に尽きる。
県下一番の進学校に入ったものの、成績は急転落。無気力、すべての授業中は寝る。

・・・そこまではよくある高校生だ。

だが、それを両親は許さなかった。毎日毎日、両親から罵詈雑言が飛ぶ。

「勉強しろ、努力しろ、そんなのでは行く先はホームレスだ。」

そして、その後で必ず付け加えられた。

「こうやって、親から言われていることは、外では絶対に話すな」

私は何も、しゃべれなくなった。言葉が出なくなり、友達はいなかった。
保健室でひたすら寝るようになった。
本を読んでいるか、絵を描いているか。涙は止まらない。
勉強できるような状態ではない。

高校の同級生が、行かないような大学に進学した時
一番心がけたのは、
高校時代のことは、話さないこと。悟られないこと。だった。




大学3年生の時。
めでたく彼氏が私にできた。


まあ年頃だ。彼氏はアパートに住んでいたから、よく遊びに行っては泊まった。

しかし、両親は私が
男の1人暮らしの部屋に行っていたことを知り、文字通り「発狂」した。

その対応は、時代錯誤のものだった。



・父は丸坊主になり、「○○○(←私の名前)が化け物になった!」と叫んだ。
・エイズ検査に行かされた。
・持っていた下着はすべて捨てさせられた。
・代わりに、黒・肌色の下着を買わされた。
・部屋に貼ってあったポスター(当時の、演劇のロミオとジュリエット、藤原達也と鈴木杏のもの)
  は処分させられた。理由は、私と彼氏を思い出すから。
・赤とピンクのマニキュアはすべて処分。


母は絶叫した。
「こんなこと・・・誰にも言えない!親戚にも、おばあちゃんにも!誰にも!」


(まあ、今思うと、
別に言わなくていいんじゃない?0.1秒で即却下。ですが、
そのころはそんな切り替えはできなかった。)



両親によって、犯された、と感じた。


毎日人のいないところで泣いた。
彼氏の前でも泣き続けた。

困った彼氏は言った。
「泣かないでよ。困るから」

・・・これほど、男が役に立たないのか、と思い知った経験はない。
まあ今考えれば、21歳ぐらいの大学生に何ができるだろう。
多くが、まだまだ大人にそそのかされて生きている年齢だ。





毎日、誰にも言えずに暗くて重い闇を歩くような日々。

しかし、私にはその時、アメリカ留学が決まっていた。

誰にも相談することもできずやり過ごした。必死で。

そして、私はアメリカに留学する前に、彼氏と別れる。

だが、アメリカに出発する前日(飛行機で飛び立つ前)、
母は夜を徹して、私の布団の横でささやき続けた
(マジで、実話です)

「お願いだから・・・もう、あんなことをやめて」

まあ私がハゲたり発狂したり
グレなかったのが奇跡だ。




だが、このソーゼツすぎる記憶は、すっぽりと忘れてしまった。
アメリカの留学から日本に帰って来た時には。

人間、あまりに常軌を逸した経験は
忘れてしまう機能があるそうだ。

そして、ふっとその記憶がよみがえるときがある。
前ぶれなく、心身を串刺ししてくる、「フラッシュバック」という名で。




大学も卒業し、めでたく大手企業に総合職として入った一年目の冬。

類は友を呼ぶもの。


大学時代のバイトの塾での教え子が、
リストカットをしたと、SNSの日記で書き込みをしていた。

私は色を失う。
数日前、その生徒から相談するメールをもらっていたからだ。



「進路で悩んでいる。先生も、色々思うところがあるようですが、
一体、どうやって対応すればいいのでしょうか。」


私なりに、幼い22歳なりに
自分の感情処理と表現方法には工夫をこらしてきた。

「自分の状況を俯瞰して、できるだけ他人を見るように自分の気持ちを把握する。
そういう冷静さが大人、って言うんじゃないかな。」

そんなことをメールした矢先だった。



あわてて生徒を近くのファミレスに呼び出し、
仕事後、話を聞く。
涙をただ、重力にまかせて落とる生徒に、
私は神経を研ぎ澄ませた。
生徒は高校生だ。

自分自身の、今までの記憶も同時によみがえる。


勉強どころか、ずっと授業中に眠っていた、友達もいなかった高校時代。
当時通っていたメンタルクリニック。
必死で、友達や学生生活を取り戻した、大学時代。。



季節は2月。一番寒い時期だった。
冬も、うつ病が発症しやすい時期だ。


そんなこんなで、あまりにプライベートでも、
その生徒の心配が私の気持ちを占めていた。仕事も、その後も、
疲れ果てていた私は、気分転換に髪を切って、久しぶりにほんのりと、茶色に染めた。

家に帰って玄関を開けた私に、
母は言い放った。

「気持ち悪い!」

私は虚をつかれて、泣いた。

母は続ける。

「泣かないでよ、ご近所にどう言われるか。

以前も、○○の時も、××の時も、言われたのよ。お宅の○○ちゃん(←私の名前)が泣いてたね、って」

目の前で泣いてる娘の心配よりも、近所の目の心配かよ。である。




そこからフラッシュバックである。
大学時代の
彼氏との別れた時の、記憶がよみがえった。

会社に出られなくなった。
胸が痛い。頭が痛い。




それでも無理やり会社に行く。
仕事が進まない。ずっとPC画面を見ているだけで何もはかどらない。
ひたすらだるい。
物をあちこちに忘れてくる。
家の鍵を、喫茶店に忘れる。

休もうと、トイレに行って、その目の前の扉に、
自分の首を吊る縄が見えて、自分がその首を吊る絵が浮かんだ瞬間

私は覚悟した。


「精神科に行こう。もう、働けない。私の命があぶない」



ただ、その当時から私は書くことで自分を保っていた。
同時並行して、2人ぐらいの友達に、自分の状況をメールする。
彼女らからの反応と返信から、
なんとかギリギリの状況を保っていた。




数年ぶりに精神科の扉をたたく。
昔、母が激昂して、診察券を真っ二つに切り裂いた精神科だ。

子供から大人まで、多くの患者を抱えている。
高校の保健室の先生にすすめられた
評判のいい場所だった。

しかし、今の時代、精神科はどこも満員御礼。
ましてや、評判がいいなら、なおさら。

そして、ドクターの診察前にカウンセラーによるカウンセリングを受けなければならない。
予約して、ねじこませてもらって、そしてまた数時間待って。
針のむしろの中で順番を待つ。
欲しいのは休職届、医者の、休職診断書。

それだけなのに、
これほど時間をかけなきゃいけないなんて。

白衣を来て、ゆったりとした椅子に座る
久しぶりの、O先生に、たどり着いたとき、
もう細い一本の線の上をたどっている状態だった。


一気に自分の状態を話す。





O先生「どうして、この状態になったか、わかる?」

私「両親が・・・私が彼氏ができたときに、エイズ検査に行かされて。

それでです。」

O先生「そりゃ、そうだよなあ。彼氏ができただけで、エイズ検査に行かされちゃあ、
たまったもんじゃないよなあ」

泣き笑いしていた。

ああ、よかった。私の方が間違っていたんじゃないんだ。

O先生が続ける。

「・・・(少し黙る)それだけ言葉で言えるなら。薬は出さなくてもいいね」




今でも、O先生がうつ病の薬を出さなかったのは、
良かったのか、悪かったのかわからない。


その後、私は心身症の、頭痛と胸の痛み、だるさに
長い間、苦しむことになる。

だが同時に、うつ病の薬を飲むことで、
起こってくる身体症状や状況に
気を遣わなくてもよかったから。


あのころの自分は、
毎日すべての全財産を持って歩いていた。
通帳。ハンコ。
いざとなったら、すぐに逃げだせるように。
帰る場所は自宅だった。
両親が住む場所。

多くの友達からの申し出もあった。
「家に来ればいいよ」と。


でも、なんとか私は自分の範囲内で解決したかった。
あと、他人の家にいて、自分がまた
おのれのペースを守れないのも怖かった。


親戚の家にも避難させて欲しい、と電話したことがある。
親戚は電話口で怒鳴った。

「あんたの、家のお母さんは怖い!
高校時代、どれだけ怒られたことか。
○○○(←私の名前)を、勝手に吹き込まないで!と。」

(高校時代に、あまりに親の暴言に耐えられなくて、
 勝手にその家に家出したことがあった)


なんで、死にかけてるような人間を、怒鳴るんだ。
と、怒る元気もなかった。
そんな怒声を聞いても、心臓は痛くなるだけだ。



重い相談、非日常的な相談をした時こそ、
その人が出る。


というのは、そこから学んだ。

結局、相手が揺れる。


そして、プロのカウンセラーやセラピストは
それを避けるため、
ニュートラルであるため、
研鑽を積んでいる。



別に、その親戚を今、恨んでいるわけでもない。
だが。
幼いころから可愛がってくれただけに、控えめに言って、
ショックだった。
確かに、あの時、私の命は危なかったのだから。



そのころからの癖かもしれない。

手元に、大切なものを持ち歩いていないと
落ち着かない。
あるいは、お守りがたくさんないと不安。


帰るべき家は安全な場所ではなくて、
私はいつも逃げ続けなければならない。
そういう思いが、巣食っていたのだろう。





久しぶりの診察の帰り際、O先生は静かに、言った。



「よく、来てくれました」


「ほんとうに、よく、来てくれました」



ここから、O先生との、二人三脚で私の

奇妙な数年間が始まる。




ポール・クレー の天使
O先生の診察の机に入っていたもの。
まさに、Oセンセイの、私の話を聴く姿勢そのものでした。



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※あくまで、私個人のうつ病、フラッシュバック体験、その治療過程です。
 




(つづく)





















2014年2月5日水曜日

母の呪い、家の呪い ~舞台裏編~



↑ ↑

「呪い」(のろい)って
なんだか、まがまがしい、ひびき・・・
強い、キツい言葉ですねぇ。

こわ~い❤

・・・と、自分でタイトルをつけておきながら。笑










ちょっと、このシリーズを書こうと決めた背景をば。

CHO個人的な、恨みとか、怒りとか
被害者感情とか書き連ねたいのでもなく。

公開悪口したいのでもなく。

(ま、結果的にはそれに近いですかね・・・?
 でも、直接会ったら、人のいい、面倒見のいい、
ふつうの専業主婦ですよ。my母は・・・。矛盾してるかな?)

書きつつ、変換して、探っていきたいことがありまして。






先日、
Tさんに、過去世・未来・現状課題
見てもらった時に、


「左足に・・・お母さんの手が・・・」(ぎゃーっ!)
と言われて。


そのくわしい、てんまつはこちら→  http://red-roses-and-butterflies.blogspot.jp/2014/01/blog-post_29.html
 

つまり、生霊的な母の縛りを聞いて。


私なりに、とっくの昔に・・・
もう終わった問題だった気でいたのですが、


落ち着いて時間が、経過してから考えるほど

確かにそうだわ。


私が、自分の直感や

ワクワクする方向に素直になったり

自分が楽しんだり

ときめきを集めて行こうとするとき

飛び立とうとするとき

罪悪感を感じて、

ブレーキを踏んでいる一番の根本要因は

そこだわ・・・

と、わかりまして・・・☆






生霊・・・いきりょう・・この現代社会に~!!??




と思う方もいるかも。

でもね、

ま、あるよね。

と素直に思う。



ま、あるかもね。

と生きた方が、ちょっとわかりやすくなることが

この世は多い気がするんです。


この世界を何層にも

色鮮やかに見られて。





自分自身、何年も何年も、重い思いを

抱き続けていたから


ずっと怒ってたり。

何かに、ずっととりついた思いでいたら。

ありゃ、どっか心身症状でるだろ

病気にもなるだろ?

どこかに歪みや、ひずみは来るよね?

と。それがなにやらドロドロと

してくれば、力を伴って

「生霊」にもなるよね・・。



ま、高校生と接していると感じちゃうのです・・・


彼ら、若い世代は一つの感情にとどまらず、

次々と瞬間を生きていて。


大人が、いかにどれだけ、滞っていて、

ひとつの恐怖なり、怒りなり、感情に執着しているか、ということが。


高校生が「むかつく」

と呪いの言葉(笑)を発する言葉と

大人が「むかつく」と

いう場合、


大人(私よりも目上の人)の方が、もっと根が深い場合が多い。


ずっと、何年も思い続けていて

そこで凝り固まって、べっとりと動かなくなっていることか。


すでに、別の状態なり生き物になっていて。

まさに、「触らぬ神に、たたりなし」状態。







閑話休題。

母が、私の左足首つかんでる問題。


って、

こりゃあ、つまり

私自身が足首つかませることを、

許しているのね、


わたしの、

その中途半端な心持の

やさしさじゃなくて、

同情心が、


あかんね、と。

気づきまして。

つまり、ダメ男をのさばらせている

ダメンズ好きと同じ構造じゃねえか・・・と。

「あの人は、私がいないとダメだから~」って

お金貢いだり、殴られたり(注:べつにしてないけれど、たとえです)

している女性、

君がまず変わらんと・・・・


ちゅうのと同じね。

自分がまず変わらないとね、

と。





現実的に母と、トラブルもあったので(笑)

このブログシリーズになりました。



呪い → 言祝ぐ(ことほぐ)


ためへの、


大きな ネガティブ → 大きな ポジティヴ 

転換への

ひとつの過程かな?

と感じています。


混沌の中から

産みだしていくとき

なんです、たぶん☆















2014年2月4日火曜日

母の呪い、家の呪い ①



基本的に、ここまで生きてきたんだし、

命取られなきゃOKというスタンスで

書いてます。以下のこと。



PTSD、フラッシュバック、うつ病、そして母と娘の確執、
性的な内容、が非常にエグく描かれていますので
苦手な方、またまだその症状がある方はお気を付けください。

でも、以下に書くようなことは、
まだ日本で多いようですね。



*****************


産みの母を、悪く言いたくないとずっと思っていた。

一応は血がつながった人、

その人の腹から産まれたのだから

悪口を言うのは、
まるで天に唾を吐くようなものではないか、と。




しかし、ごく控えめに言って、・・・・

やはり、私の母はムチャクチャである。(笑)

娘の私に対して。




冷静に描写すれば、

ギャグ漫画のようなもの。

だが、当事者としては生死をかけている。

本気で、殺し合いの時期もあった。


だからこそ、私は冷静にならざるをえなかった。

感情に流れたら、大げさではなく、

自殺してしまいそうだったから。


宇多田ヒカルちゃんが、自伝の、線と点

を出版した時。

その内容を読んで、感じ入るものがあった。

彼女の両親は、
ものすごい回数の離婚と結婚を繰り返している。
そして、彼女の両親も、やはり
「ムチャクチャ」な人だった。
だからこそ、彼女は早く大人にならざるを得なかった。


どうやってこの両親をベースにして

私は、「まともに」生きて行けるのか?
私は、「まともな」子育てをできるのか?

と。

足がかりもない。
自分の基準点自体がズレているのだから
どこを
起点に考えればいいのかもわからない。



彼女の母、藤圭子さんが自殺した報道は
まともに聴けなかった。
つらすぎて。

***********


結婚前に小学校教師をしていた母は

とにかく、気が強い。

そして、言い切る。

今でも娘の私は、思う。

結婚しても仕事を続けていてほしかった、と。



わんぱく児童40人以上を

一気に回してひっぱっていくようなエネルギーを

一人娘のワタシにだけ注ぎ込んだのだ。

社会で働けないフラストレーション、

自分のむくわれない結婚生活、

あらゆるコンプレックスを、

私に対して注ぎ込んだ。


結果的に、私はその感情の波に振り回されて、

大きく10代と、20代の時間を食うこととなる。

いや、結果的に母の自分の中に安住することを許したのは私だ。

だから、私が線をひけなかったのに

一番の問題があるだろう。




なので、私はその偉大なる反面教師(笑)として、


・結婚してもとにかく仕事は続ける。(私が続けたいから)

・子供に自分の夢はたくさない。(自分の夢は、自分でやるべきこと)

・自分のDNAの限界が、子供のDNAの限界。(笑)

・結婚しようがしよまいが、ダンナの収入と結婚生活にしがみつかないような経済的自立
  &単純に人としてモテる人間力の魅力磨き

そして

・自分自身の起こった、心身問題はすべて糧にする。


を、モットーにしている。

まあ、結果的にそのように生きている。
別に、、完璧にやろうとも思ってはいない。
ただ、おのずとこうなってしまうのだ。



*************


「子育ては、せき止めなんだ!

家系で、ネガティブな流れは、自分の代で止めなきゃいけない。

ポジティブな流れは、当然次の代に伝えることだけれど」


スタバで、高校の恩師が言った。


「じゃあ、どうすればいいんですか?」


私は、プライドも何もかもかなぐり捨てて、

必死だった。


新卒でめでたく女性総合職として入社したものの、

うつ病を発症して休職。


しかし、両親は精神科への誤解も激しく、

休職した、原因は、心身症

理由は両親。

なんて言える状態ではなかった。


なので私は、なんとまるまる2年間、両親に黙って

休職しながら一人暮らしをしていた。


その、休職した理由も、うつ病になった理由もわかっていた。



(つづく)








スピについて その⑧ MYクリスタルヒーリング(2)

その①  猫町読書会とSNSのこと

その②  クリスタル・ヒーリングとの、出会い

その③  セラピスト、なっちゃん。

その④  スピ部読書会での出会い

その⑤  水墨画家、牧三喜さん

番外編 私の前世など ←なぜか、一番人気記事。やはり壮絶だから?(笑)

その⑥ 年末の飲み会(フィクション)

その⑦ MYクリスタルヒーリング(1)


***********************






特に、真新しい情報はなかった。

結論から言って、

3時間のクリスタルヒーリングで、

私がわかったことは

すべて、以前にどこかで考えたことだったり

出会ったことだったり

あるいは、本で読んだことだったり

過去に会ったこと。



ただ、それが

やさしく、包まれて並べ替えられた。

そして、自分のためだけに、

手に取りやすいような道具として

提示された。




私が経験して、手を焼いていた

思い出は、硬くて一番とがったものばかりだった。

だから、思い出すたびに

痛くて、いつ何をきっかけに

思い出すかわからなくて。

小さなゴツゴツした痛みを

いつも抱えていた。



それらが、おさまるべきところにおさまった。

そういう印象だった。


「過去の赦し」

なっちゃんは、そう私のクリスタルヒーリングのセッションを表現してくれた。





前のシャツが開く服で寝転び、

クリスタルを身体の上に起き、

なっちゃんの誘導で、呼吸を繰り返す。

瞑想状態に行ったとき、とても視界は明るかった。


自分の家に帰った、my home! そんな気分だった。

おそらく、臨死体験をした人の、光に向かう気分は

あんな感じだろう。




********************

ヒーリング前に、私は言っていた。

「私の中の、ヒーラー性とスピリチュアル性を生かしたいんです」


とうとう、観念していた。

私は、治療家、セラピスト、カウンセラーにだけは・・・なりたくなかったのだ(笑)

大学時代、聞き上手だ、アドバイス上手だ、

カウンセラーになるべきだ、とは言われてきたからこそ。

それを、前面に出して生きていきたくなかった。

できれば、一生隠していきたかった。


なぜか?


答えは簡単。


この時代で、セラピストなんて、大変すぎる。

他人が、抱えてくる重みは尋常ではない。

プライベートも、普段も、見境なしに相談されて、頼られる。

その重さ、つらさ、めんどくささ。


そして、「スピリチュアル」なんて言葉。

マスコミでいいように使われて、

そして、手あかがついてしまったこの言葉。揶揄され、自虐的に語られ。

ただでさえ誤解され続けているこの人生、

これ以上余計な、偏見を増やしたくない。



・・・そう思っていた。


でも、それどころではない、

そして私のもともと、おおもとはその部分にこそ

強みがあるのに。「世間体」やら、「他人の目」と合わせて、

バランスをとって、隠して・・・

生きるのにすでに限界だと分かってしまった。



**************


クリスタルヒーリングが終わったら、

身体がふわふわした。





なっちゃん「今夜は、お酒を飲まないでくださいね。すごく酔いやすい状態になってますから」



確かに、飛行機の上に乗ってるみたいだった。

気圧が低くて、雲が自分よりも下に見えて。

そして、天上の常に太陽が照っている青空の元。

私は、飛行機に乗ると、その景色を見ているだけで涙が出てくるぐらいに

その風景が好きなのも、

思い出した。


普段は、あまりにお金が無くて

飛行機に乗れないのが悲しくなるから

考えないようにしていること。


********************

その後は、現在進行形なので書きにくい。




ただ、私自身が苦労していた、

自分の感情の突出に振り回される、

ことが非常に少なくなった。



瞬時に切り替えたり、言いたいことをストン、


と前よりも素直に言えるようになった。

もっと、単純に言えば、


教壇に立った時に、生徒に注意をしやすくなった。

自分の中の怒り、というより

「叱って、雰囲気を締める」、

という目的を

他にブレずに、焦点を当てやすくなった。


友人との連絡もとりやすくなった。


ひとつの感情に引きずられて、次の行動にうつせないのが

私の弱点だったが、

安定感が出たので、切り替えやすくもなった。


結果的に、多くの人と交流するのがラクになった。

一気に、毎日メールを

同時並行して送受信するのも、

以前よりも苦痛ではなくなった。




******************





以上は、私の個人的なクリスタルヒーリングの経験です。

人それぞれに、違いはあると思いますので、

あくまで参考意見として、必要なところだけ、

後は切ってお使いくださいませ☆




そして、ここまでで

一応、この「スピについて」シリーズは終わりますが、

今後も内容は未来は、現在・そして続いていきますので・・・♪

今後もこのブログをよろしくお願いします。






※私が受けた、クリスタルヒーリング starbowのHP → http://starbow737.com/