2014年2月11日火曜日

母の呪い 家の呪い 寄り道☆「母という病」

PTSD、フラッシュバック、うつ病、そして母と娘の確執、
性的な内容、が具体的に描かれていますので
苦手な方、またまだその症状がある方はお気を付けください。

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重苦しい内容が続いちゃうのでせめて青空写真を☆





これまた、前回の日記で

「衝撃を受けた・・・・」

という反応があったので、補足をば。笑


私の経験を話して、相手からそう言われて、
また私が、ショックを受けたりしていたので
20代は表に出さないようにしていたんですけれどね。

(といって、私が書いた文章に反応をくださった方が、
 困ると言っているのでもないですよ~。
むしろ、素直に感想を言ってもらう方が今はうれしいです。)




まず、現時点でこの文章を書いている私のスタンスとして。

このブログは、
「書く練習」だと思ってます。


あと、自分で起こった体験ではあるものの
もう、表現技法の試行錯誤の段階に入っているので、
そこを探ってます。

まあ、本来はこういう話題に耐性のある
編集者的な人と
練りながら相談しながら
出していくのがいいのですが。
なにせ、一人で好き勝手書いているので(笑)



まーしかし・・・
いくらなんでも、逃げるのが遅すぎでしょう・・・
我慢しすぎ、耐えすぎだろ・・・
どこまで親の犠牲になってんだ・・・

というのが、前回の、
私自身の日記を読んだ感想です。(苦笑)

当時、主治医だったO先生(精神科)に、

「あなたは、逃げるのが遅れる傾向があるからなあ・・・」
「ほんっとうに、イイコだったんだねえ・・・」


しみじみ言われたのを思い出しました。

その言葉を聞いた時は、
激痛を伴ったアドバイスでしたが



今見直すと、うん、そうだね。(笑)




でも、本人気づかないんですよ。
子供にとって親は絶対的な存在として立ち現われていて
いつも、楽観的に考えてしまうから。




だから、うつ病中に誓ったんですよね。

言いたいことが言えないなんて
もう嫌だ。
我慢しすぎて死ぬなんて、最悪だ。

もう、ガマンしない。


自分が生きたいように生きる。
そこに対して、どのような結果が出ようと
私は引き受ける。
だから、相手を即座にストレートに、ホメたり、
場の空気を読まなくたって
それよりも、自分が大事なことだと思えば
それに従おう、と。





私の両親は、それこそ
戦後の高度経済成長期の「勝ち組」(勝ち・負けで言うなら)
だと思います。

でも、その絵にかいたような、家族で
すべての両親の業を背負ったような
舞台裏をつぶさに見てきた私にとっては


そこに、

日本の明るくて新しい価値観は無い、

と確信しています。


うつ病闘病中、
私の妄想から離れなかったのは、

父と母の、業や、幼い部分を
私がすべて吸収して、そして死んでいくということ。

私が総決算して、この家族は終わっていくんだ。

という自殺願望が

ぐるぐるとまわり続けていたこと。
私がいなくなれば、それでいいじゃないか。もう。

という思いが離れられなかったこと。

あんな苦しい思いを
これから産まれる人間が
してほしくない、と切に願わずにはいられません。

ひたすら、
密封したタッパーウェアの内側に
閉じ込められていたような日々。

しゃべろうにも、しゃべれない、
誰にも語れない
あの重苦しさ。


周囲の大人は、
私がこれほど大変なのに、

両親の、完璧なまでの外面を信じきっていて、
誰も助けてくれないんだ。
という絶望はすごいもので

それが今でも
怒りとなって
反骨精神にもなっているのかもしれません。





父は、大手製造業の、同期で一番の出世頭でした。
若くから役職→役員→子会社社長

と、順繰りに上り詰め、同期を「リストラする側」だった人。

その代わり、
その仕事の重みと澱はしっかりと受け止めていました。
そのネガティブサイドは、すべて
家族の中で吐き出されていました。


父が働き盛りの時は
「蛇のような眼をしている」と言われていたし、
(それぐらい、いつもピリピリしていた)

家でも会社の役割を外さない。
絶対的な上司として君臨していた。
私が2~3歳の時、父の頭にガーンと乗ったら、
父は、幼い私に対して、

「部長の俺に対して、何をやるんだ!」と本気で怒ったそう。(おいおい・・・)


家の中では

「疲れたというな!」と箝口令がしかれ、

私は中学時代、数学を教えてもらっていたものの
父がすぐに怒るので
泣きながら教えてもらっていました。


なので、今でも私は
「疲れた」という愚痴を言うのが苦手なのです。




母は、結婚前まで小学校の先生をしていたものの
結婚後、「良妻賢母」思想にもとづいて、
専業主婦になり。

そして、絶対的な父の恐怖政治に対して
怯え、恐れ、私を代わりに差し出してしまったようなもの。

「専業主婦というシステムは、人間を壊してしまう側面があるのかもしれませんね」

とは、先日読んだ精神科のセンセイの本の言葉ですが、

深くうなづけます。





最近、気づいていたのが、

私は、けっこう、相手に対して

自分の愚痴なり困った立場を

巧妙に、誰かとのコミュニケーションの道具なり

接着剤に使っていた。ということですね。

まあ、これほど過酷な経験をしてきた私を

可哀相がってよ、

これほど大変なんだから

可愛がってよ、

当然でしょ?私が同情されるのって。

・・・と無意識のうちに

依存してたなあ、と。


そして、そういう心情でいると

やっぱり、そういう人が集まってくるので。

そこからも、脱却の時期かな。





さて、本日、本屋で見つけて即買いした本。


「母という病」

http://www.amazon.co.jp/dp/4591131467


非常に売れているようですが、冷静に描かれているのでまた参考になります・・・



それにしても、
こういうネタは重苦しくなるので、難しいですね~





母は、娘の私に対して、

19歳ぐらいのころ、(ストレスによる過食で今より10キロ太っていた)

「太ってる!デブだ!デブだ!」(言われなくてもわかってるっつーの)


とあまりに連発したので、すっかり女性としての自信を失っていたことを
思い出しました。



まあこの日記も、

飲み会から帰ってきた次の日、

母が「酒臭い!くさい!」と

まるで汚物を扱うように絶叫したので、考え込んでしまい、

書き始めたのが、経緯です。



では、またつづきでお会いしましょう♪









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