2014年11月27日木曜日

内田樹さんのブログ記事を読んで泣いた件。







内田樹の研究室の最新記事、(2015年11月26日掲載)

資本主義末期の国民国家のかたち

を読んでいたら
途中で泣けてきた。
長いです。でも、時間をかけてゆっくりと読み込む価値が
絶対にある、この文章は。



内容としては政治の話なんだけれど。

どういう部分で
もどかしさを今の日本で
感じているか、を
書いてくれてあったから。

そう、こういう言葉で開放する人に
私も反応してきたんですね~




で。


すごくよく分かったからだ。

現在、仕事現場や教育現場で
どれぐらいにすり減らされているかという感覚が。

こういうことを言う人が
ほんとうに必要なんだよ~


としみじみ思う。





自分の父親が
それなりに哲学を持って
職場でばっさばっさと
改革していった人だったのもあり、

自然と上の立場に立つ人は、
深い智恵と、
言葉の力があると思っていたら
どうもそうでもなかった。

ので、最初に教壇に立った時に、
恩師に、逐一
職場での周囲の愚痴を言っていたら、
(まあ、私も甘えてましたね・・・笑)



「お前は、高校教師に対して
期待しすぎだ!」


と電話越しに、一喝されて
(高校教師は、大学教師のようにマイクも使わないから
地声がデカい。そして、本気で怒鳴ると、電話越しにビリビリ響いて結構、うるさい・・・・。(-_-;)


また、ガーン・・・そういうもんかい・・・

と遅く、
大人の社会の実情を知ったのでした(笑)




じゃあ、自分でやるか。
自分がやればいいのか。

という気分になったのも今日この頃。




祖先・今・未来の時間軸にこそ、

この自分は立ち現れて

そこから自分自身と言うものが出てくる。



どうやったらこのような政治体制を批判できるのか。僕が学術というものを最終的に信じているのはそこなんです。為政者に向かって、あなた方はこういうロジックに従ってこのような政策判断をして、あなた方はこういう動機でこの政策を採用し、こういう利益を確保しようとしている、そいうことをはっきり告げるということです。理非はともかく、事実として、彼ら政治家たちがどういうメカニズムで動いているものなのかをはっきりと開示する。本人にも、国民全体にも開示する。別に彼らが際立って邪悪であるとか、愚鈍であるとか言う必要はない。彼らの中に走っている主観的な首尾一貫性、合理性をあらわにしてゆく。その作業が最も強い批評性を持っているだろうと僕は思います。
(本文より)


学問をしろ、
それが、現実を相対化するんだ。
と恩師によく言われた。

要するに、今いる視点に埋没するな

今いる場所は、
ほんの狭い一点でしかないんだ、

自分を俯瞰しろ

他の時代に地域に
もし住んでいたらと
五感(第六感、第七感まで)

を総動員して
自分の視点からまた他の場所に移動する。

現在の自分をその場から見てみる。


要するに
親との問題に固着して
居続けていた私に対しての
アドバイスでもあった。

心理学の本を読め、
精神医学の本を読んで
自分自身をそこから
見つけ出していけ、

そうするとそれはまた
今度は自分の武器にもなってゆく。

断片の一件些細な情報からも
その背後に動いている
流れを読み解く。
シャーロックホームズのようなこの動きが
訓練である程度
後天的にできるんだ、と分かってから、

少しずつその方向に
足を歩んできた。


相手によって、
カジュアルでもいいし、
硬くでもいいし、

男性、女性、老若男女の
聞き手や受け取り手
相手によって、かみくだいて説明が
もっともっとうまくなりたいな、と思っている。













村上春樹「女のいない男たち」 感想










ざっくりとした走り書き感想です。



別離の寂しさ、残される寂しさ、について。

村上春樹の、「女のいない男たち」を読んだ。
ついに。

というのも、昨夜友達の家に遊びに行って、
本棚にあるこの本を手にしたら
いきなりもらったのです(笑)

私は村上春樹を高校の時からCHO愛読していて、
喉から手が出るほど欲しかったものが
なんともするりと手元にやってきて狂喜乱舞。笑


時々こういうことがあって、
相手の本を興味津々に持ってページめくっていると、
(大体の本に対して私は活字中毒なので食付くため・・・)
その本をもらったり。
そのほかにも昨夜は、頂きまくった日でした。
受け取ることを自分に許可した日、だったし☆


と言う脱線話から戻って、



「相手が去りゆく寂しさ」
「自分だけが残される寂しさ」というのを
この本を読んで実感。
というか、それをやっとわかって染み込んできたかもしれない・・・


繰り返し語られる
男性の、女性が去ってしまう胸の痛み
虚脱感。孤独。
去りゆく哀しみ。
自分が深く、深く傷ついていたことに気づく男たち。


村上春樹作品に繰り返し出てくる
暗号のような象徴的なモチーフ。


短編「イエスタデイ」は 小説「ノルウェイの森」を思い出すし、
「独立器官」は、ねじまき鳥クロニクルみたいだった。
「シェラザード」は、1Q84の、ヒロイン・青豆が
隠れて生活しているのを思い出した。
「木野」は、ねじまき鳥の失敗版みたいだし、
「女のいない男たち」は初期の3部作みたいな、
具体的な名前の出てこない物語。


と、同時に。
私も31になっているので、
なるほど・・・男の人って、
確かにこういう「昔の女性の影」って
すごく愛してるよなあ~

そして、全然生活に密着してない(笑)

ふわふわした甘ったるいノスタルジーに
浸っているようにも。
付きあいだしたカップルが、
彼女が好きすぎて、舞い上がっていて
「将来は・・一緒に住んで・・・」と言って、
お酒を飲みながら、具体的なことは何も詰めずに
盛り上がってるあの加減に似てる~



短編トニー滝谷にも出てくるけれど、
愛した妻が、洋服だけ残して死んでしまい、
主人公が、その洋服を処分してゆく物語。

幼いころ(中高生ぐらいの思春期の時)に

「女が自分の元から消えてしまう男」

という物語を読んで

は?なんで女は消えるの?
よくわからん・・・
と思っていたが、

今の自分の立場になったらよおおおおおく分かるようになっていた(笑)



というのは、去りゆく女
を、いつのまにかやりまくっていたし
結局、私も常に動きまくって移動しまくって
いたい人だ。とわかったから。

国境も、願わくば地球だって越えて行きたい。



まず、私の場合、
親という、異性としても人間としても
立ちはだかってくる人間から
ぶっちぎって去りゆく、ということが
ここ半年の大テーマだったので、

現状維持で引き留めようとする保守的な、
圧やエネルギーに
とても敏感になり過ぎてて
そういうものは、一切合財バッサリ、切り捨ててきた。
潔癖主義、ぐらいに。
そーしないと、それぐらい徹底的に
切らないと、私も次に進めなかった。

だから、
友人・異性関係、「ここにとどめよう」「変わりたくない」という
気持ちが見え隠れするだけで、
あーもう、だめ。ナシナシ、嫌!

と、変化を歓迎してくれる人だけに集中していた。


で、やっと落ち着いてきて
見回すと、
確かに、今の場所に長くいる人もいるのだ。


そうとしか、現在はできない人もいて、
それぞれが、人それぞれのペースだから
私も責めたり、
「変われよ!」と言うことも
できないな・・・と。

親が、すごい勢いで
私を引き留めようとしたり、
実家からでないような言葉や呪いをかけていたり、

当時付き合ってた
恋人が、
ものすごいさびしがり方をされると、
一気に0.001秒で醒めるどころか氷点下以下に下がったり、

というのを、20代は繰り返していたけれど、

まあ、自分の中の
過激に変わっていきたい部分を認めてそれを
最大限生かそうと決めたら、楽になって、
肩の力も抜けた。

だから、仕事もクルクル変わったし、
人間関係も、所属する団体も
何もかもを、劇的に、ガラリと変えたくて変えたくて
その変わり方自体も変わりたくて

という、自分を変えたいフリークみたいな
感じなんだけれど。

この小説には、


それと対照的に
去って行った女を
いつまでも思い続ける物語が連続していて


あああ~

なるほど、こうゆう風にさびしいんだ。
男に限らず、残された人は。

と実感した。


あと、男性は結婚しいようが子供いようが、
中年のおじさんになっても、

すごく若いころの恋人とか彼女とか
忘れられない女性への
夢とか思い出は
めちゃくちゃに甘いし
弱い部分なのだなあ・・・


とその語り口調でしみじみ思っていたけれど

そのカギもこの小説に描かれていた。



さて、村上春樹の小説技巧は
すごすぎて、逆に文章がうますぎることが
読者に気づかれないぐらいに、上手。

と、他の小説家たちが口をそろえるけれど、

確かに気を付けて読むと

ものすごい大胆な省略があって
飛躍があったか、、と思ったら、

いきなりキーワードだけ投げておいて

音楽での、
リズムと長を変えるということを
ほいほいやっていて

世界プロの小説家、というのを改めて感じた。

執拗な描写も、さらりと読ませるような
言葉づかいと組み立て。
( )かっこづかいの、読みやすさ。




そして、何よりも私はこの作品を読み終わった後で、

「そうだよね、人がいなくなるっていうのは
寂しいことだったね」


と思い出させてくれた。

小学校の時、
自分の思い通りにならない中で
たくさんの友達が転校していって、
わんわん泣いたり、

別れの時に、大泣きしたのを思い出した。
別離の瞬間って、結構私は泣くから。特に。


けれど、他の人が
自分の感情を押し殺して
あるいは、感じないように強がっていて、

「こんなことはなんでもないんだ、
 淡々とクールな立ち振る舞いをじぶんは続けられるんだ」

というポーズをとっているときの無理の仕方も

感じられるようになった。


後から、自分がどれほどに深く傷ついていたか、
哀しかったかをきづく、

短編「木野」は、


最近の自分自身も感じた。

あと、これが現在の日本全体に向けて書かれていることを
考えると、

どれほど自分が深く傷ついているか
そして涙を流すことを
おざなりにして過ごしている人の多さを
感じたりするのだ。


その澱や、見過ごしてきた部分は
自分でも思っていなかったところから

復讐されたり、
事故に遭ったり、
病気になったり、
とんでもない出来事が起こる、という形で
やってきたりする。


そういう、、この小説の底に流れている
もう一つの物語。

象徴性が、地下や地底の中にもうひとつの
街や通路を作り出しているようだ。
その水脈や、流れは言語に関わらずに
普遍的に世界中に通用する部分だ。


確かに彼の小説は
彼の小説でなければ、癒せない、
ヒットできない部分を打つ。

そして、自分が、
毎日の生活で
置いてきていた、適当に扱って来た
感情を、丁寧に思い出させてくれる。

小説には
本には
物語には
そういう力がある。

そういう力に私は

文字通り生かされてきたし、
命を救われてきたし

危ないかもしれない、
という夜とか
時間とか
瞬間を

受け止めてもらった。

だから、本のチカラや言葉のチカラを
やっぱり、感じるし

自分自身も意識的にありたいと思うのだ。



















2014年11月25日火曜日

今後の私の方向性メモ

GLITTER  Perfume



キラキラの夢の中で

僕たちは約束をしたね

その日がいつかくるまで

泣かないよ 思い出すよキミを

祈って キミと 笑って





3.11の年の秋、発売されたこの曲。
日本への祈りや、この女神のような
3人の衣装が、今後の
日本への未来へのメッセージに感じています。
女性だからこそ、できるこの、
戦いではなく、
新しい価値観を提示できる、という素晴らしいお仕事。



☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆


もうすぐ小浜島生活が終わる。

ので、自分用にも兼ねて、今後の方向性メモ。

もちろん変わる可能性も大。



次は、来年の5月まで、温泉宿の仲居さん。

その間に、映画happy!の自主上映会や

占星術の読みは続けて行く。



そしてその後やること。



・働きながら世界一周をする

・世界中、各国の教育現場を見学する、
教育現場の人と会う&インタビュー

・その様子を、ブログや媒体で書いていく。
インターネット通信を多用。

・同時並行して青年海外協力隊に応募

・占星術、その他ヒーリング技術を学び続けて仕事に応用


・今この世にある肩書にとらわれずに、なんでも多方面収入にする
(ひとつの分野にこだわらない)

・日本(or 海外)にいる友人とのコラボ続行。




将来的に、日本の教育現場、

次世代に対してと

学校というシステム時代を改革してゆくベースにしていく☆



*************



教育現場で歯がゆかったのは、

「本当にこのやり方が根本的に良いのか?」

「長期的な目で見たとき(100年、200年、という単位で)に、

これは効果がでるのか?」


ということが検証できなかったこと。

そしてそれらを話す場がなかったこと。


また、それらを科学的に、

論証してゆくことがおざなりにされていて

個人の教師の経験値に寄っていたこと。

確かにそれでなんとか回っていたけれど

「どうにもならないし、まあこうしておこう・・・」

と波を荒立てずに、なあなあにしていた思考停止部分

が多すぎて

それが、(私個人にとっては)

身を切られるほど辛かった。のです。

ま、これはどの職場に行ってもあることなんだろうけれど、

私としては、未来に向かう教育に

特にそこの魅力を感じるんだよにゃ・・・



それをこの世で具現化してゆくためには

海外の大学院に行く、というのも選択肢に入ってくるかもしれないけれど

(学びオタクなので、そこらへんは好きというか、大歓迎・・

きっと、ひいひい愚痴をガンガンと、

ブログなどで吐き出しながら、やってしまうんだろうなあ~)




22歳ぐらいの時に、

「今の教師の給料を3倍にしたい。」と言ってたんだけれど

それは変わってない。

つまり、金銭的価値ではなくても(通帳に振り込まれる金額と言う意味ではなく)

それぐらいの価値を、センセイという仕事には

私は感じているのだ。

直感で。


ここに書いた文章が、

深夜のインターネットのノリではなく

結果を出してゆけるように

行動していこうと思う☆










猟奇的なキスを私にして ゲスの極み乙女


タイトルとか、バンド名からして印象に残るこの曲。

なんとなく忘れられない人
なんとなく忘れられない曲

オーラを出さないように気を付けて
過ごしていた時期は長くて、
存在感を消すのも得意というか
存在感を消している方が楽ぐらいなんだけれど。


ここぞというときは、
相手に踏み込もうと思うのだ。
これからも。
























2014年11月14日金曜日

違和感


宇多田ヒカル Beautiful World



新聞なんかいらない

肝心なことが載ってない 




☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆


久しぶりにTVニュースのトップを見て
ものすごい違和感を感じた。


不安で脅して、
そして
お金を動かそうとする勢いばかり感じたからだ。

ふーん・・・

ぶちっと。テレビを消す。


片目で見て。
そうか、この世はこういうところで
動いているのか、とちょっと参考程度で。


それで、もういい。





今の仕事では、客室のテレビを、NHK総合テレビ(音量25)に合わせる。

お客様が、リモコンでテレビをつけた瞬間に、まず
NHKがうつるようにするためだ。

清掃中、テレビを瞬間的につける。
その時間だけで、もう、テレビを見るのは十分だ。
と感じる。


以前、小浜島に台風が来た時

今年の台風の時、
台風情報を流すのを
昼休み中ずっと見ていたら、
気が滅入った。



被害がすごくて、
どこもかしこも
生きるのさえも必死の形相・・・

のような世界。

そんなに殺伐としている
世界なんてどこにもないのに。


テレビの向こう側では、
いつも人が何かに追われて
怯えてて、
そしてそれを防御するために
何かを買ったり対策を常に施さなければならない。

と告げているようだ。



わざわざ被害があるように見せかけて
病気だ、不安だとさわぎたてて
そしてそれを対策するために

お金を動かそうとする。
人をまとめて動かそうとする。


・・・・なんでこんな風に
なっちゃったんだろう?


マッチポンプだなあ・・・
(自分でマッチを着けて、火を起こし、そして自分でそれをまた火を消す)



テレビをずっと見てても
そこに答えはどこにも無いんだな、と

改めて。
思った。





今は離島にいるから
物理的にも
情報が遮断された場所にいる。


都会のように
ぐるぐる巻きにされない。
資本主義と、いろんなモノに
侵食されそうな勢いに。


そして、それぐらいがちょうどいい。

ただ、
また本土に帰ったら
どうなるんだろう・・・とは思う。

もう、情報漬けの生活をしていても
結局
魂や体がのっとられてしまうだけなんだろうなあ・・・


きっと。


だから、遮断したり
ある程度、取捨選択して
どんどん捨てていく、
抜いていく作業が
これからの時代のカギなんだなあ。
と。



政治の話を見ると、
そこで動いている流れに
自分の心が折れそうになる。



もう、この世に私が
価値の重きをおいて、
そして、
何か影響力を与えることができるのだろうか?



虚無感さえ感じる。

そこは少し考える。

考えている。


だけど、やっぱり変わらないな、大事なことは

と思う。




こういう世に
私ができることといったら、
目の前のことに集中しながら
行動して
書き続けること。

自分の天からもらった役目を
素直に、
希望と喜びベースに
生きていくことだなぁ。


てね。
























トリックスターの叔父 ~母方祖母に会いに行った その②~






映画「私を離さないで」 予告編
(カズオ・イシグロ原作)




「この世は実は残酷であるということを
この世の厳しさを

大人は子供に対して隠している。
そして、それがあるとき暴かれる。

その様子を描こうとした」

と、イギリスの作家カズオ・イシグロが
小説「私を離さないで」
で、書こうとした。

そんな旨を、インタビューで答えていたっけ。

それを思い出す。


****************



MY母の弟・・・・

私からすれば叔父、

のことを書こう。

幼いころから、私はこの叔父になついていた。
親戚筋で唯一、子供と真剣に遊んで向き合ってくれる人

というのが、幼心の叔父の印象。


「おじちゃん、おじちゃん、」

と言って、私は小さいころいつも、抱き着いていた。

「よしこの、ひっつき虫!」

と叔父にからかわれていたものだ。


私はいつも「特別枠」だった。

叔父からも
祖母からも、特別に可愛がられた。




結婚をせずに、冬になると毎週末長野にスキーに泊まりがけにいった叔父。
アウトドアにハマっていた趣味人の叔父。

「あの子は、山と結婚したのよ」と

母をはじめとする、彼の姉たち(私からすると叔母たち)はいつもボヤいていた。


叔父は、長男だ。

まず、四人姉妹が産まれて、最後に、待望の男の子だった。


なので、祖母は徹底的に叔父を甘やかした。
四人姉妹の四番目の女の子だった
母と、それで、いつも激しい喧嘩をしていたらしい。

叔父は男の子だからって、
いつもなんであんなに、特別なんだ!

と。


彼だけが、地元の私立中学に行き、
高校に進学し、
東京の私立の大学に入った。

そして、地元の有力銀行に、
祖母の兄が、頭取だったので、
就職した。今でいうコネ入社。


叔父は、ことごとく、
家の流れに反抗した。

姉たち4人に責められて怒られ続け
そして、祖母が甘やかしたので、

どれだけ年を重ねても
子供のようにダダをこねていた。
(今思えば)

有力なコネ入社なので

それなりにYESマンでやれば、
出世もできただろう。

だが、上司に反抗し
ずっと、ヒラ社員だった。
強烈に部下から慕われた。



そして、そのことに
誇りを持っているようだった。


庄屋の代々の家の長男に産まれて
コネ入社したものの
損得勘定ではなく、
弱い者の味方に付く。

そして、結婚をせずに、
すべてのお金は
スキーに注ぎ込む。

魚をさばくのがうまく、
大きな魚を一匹買ってきては
お刺身におろしてくれた。


小さいころ、私は彼の生き方が好きだった。
親戚筋の中では
まだ、ニュートラルな意見を持っている人。

私に絶対の味方に
付いてくれる人。



私がうつ病をわずらっていた
28ぐらいの時、

叔父と祖母が住む家に
半年ほど、いたことがある。

その時、
私は、叔父の洗濯物を干しながら
ふと考え込んでしまった。



「なぜ、叔父は結婚しなかったのだろう?」




その質問を当時、私のカウンセラー役 兼 人生のメンター役だった
恩師にしたら変えてきた答えは一言。

「そりゃ、マザコンだったから」



・・・身もふたもないな((+_+))

(恩師はその辛辣な口調で真実を突き、
笑いを取って、
人気を博してる名物教師だった)

と思ったが
確かにそうだろう。


叔父は自分の母親と住んでいて
そこで祖母は、何をしようと可愛がっていた。

同時に、4人の姉の気の強さもわかっていた。

そして、結婚しないというのは、
反抗理由にもなった。


大人になると。子供のころは圧倒的に無条件で
何も考えずに大好きで
信頼し切っていた人が。

実は、いろいろと癖も短所もある
単なる一人の人間として立ち現われてくる。


それが成長するということ。


そして、差に
私は、痛みをいつも感じていた。
それは、大人になりたくない
真に成熟したくない
自立したくはない
自立してはいけない

というジレンマだったのかもしれない。


************



叔父も年を重ねる。

50歳になり、定年を間際になって
もともとの頑固さが
さらに暴走しだした。


50半ば、冬に週末にスキーに行き、
足を骨折した。
重体で、長野の病院では手術ができず、
都会まで救急車で運び、全身麻酔。

当時、まだ私もうつ病から回復期で
些細なショックで大きく揺れていた。

おろおろと私はして
涙ぐんでいたが、

母を含む伯母一同は憤慨していた。

「いい年して、結婚もせず、
スキーで暴走して骨を折って
親戚一同に迷惑をかけて!」


その数年後に、もう一度叔父はスキーで
同じく骨折する。

病院にお見舞いに行ったら
さすがに、まずかった、という顔をしていった。

「前回は俺なんて、なんとかしてやる!
若い者には負けんぞ!
と思ってたんだけどな。
今回ばかりで、懲りたわ。
もう、スキーはやめる」


そんな素直な叔父に、私はきょとんとした。

そして、きっぱりと彼は、スキーを辞めた。


***********


叔父と母は仲が悪い。

特に私が両親ともめて、
うつ病になり、叔父と祖母の家に避難した時から
ずっと悪い


叔父は私の「側」についたということだが、
結局、それは私のことは抜きで
兄弟同士の感情的な理解に至らない喧嘩に発展していた。





私が仕事を辞めたとき
叔父に報告しろ、と母に言われて
電話したら

叔父は絶句して、ただ一言。
「今度の仕事はやめるなよ」



・・・仕事を続けるか、辞めるか。
それだけの価値でしか、
もう私を測ってくれないんだな・・・・


もう、叔父に連絡を取るのはやめよう、と思った。

親戚一同から縁が切れたと思った瞬間だ。



**************



今年の8月末。

母方祖母が高熱を出して、危うくなったことがあったらしい。
私には知らされていなくて
後から母の手紙で知った。

その手紙に、叔父が男のヒステリーを出した、とあった。


叔父や叔母が育った家(昔からの庄屋の日本家屋の家。)を
もう取り壊す。
何もかもが無くなった。と
叔父は言い放ったそうだ。


それに対して大ショックを受けた母。
祖母の見舞いにも来てほしかった。
8月は夏休みだから
(祖母にとっては、私はまだ教員と言うことになっているので
8月は夏休み = 祖母の見舞いの口実にもなると)


その、何重にもかけられたトラップを読んだだけで、
二日ぐらい落ち込んで寝込んだ。

そしてその手紙から感じたのは

「助けてほしい、救ってほしい
この場所に来てほしい」

というメッセージだ。


私が行けば。
私がこの家の人柱になれば。
カウンセラー役になれば。



叔父は私がなんやかんやでカワイイ。
幼いころから慕っていた姿が焼き付いているから。
私に対しては素直になる。

私は言われてきた、跡継ぎのいないこの家を
もらってね、と冗談交じりで。

私が犠牲になって
母の怒りや情緒不安定さを支え、
叔父のカウンセラー役になり
父の不安の材料を吸い取り、
祖母に顔を見せて


地元で、誰にも後ろ指を指されない職業(高校教師)につき
収入を得て
そして結婚すれば
地元の東海圏にいれば、


大万歳だ。





嫌だ。
はっきりと思った、

それは私の死を
意味する。


家に戻れば。
この家の流れにとりこまれる。
出口のない場所に
エネルギーの発散場所も無くて
いつも、何かやろうとするたびに、
打ち砕かれるあの密室空間に。


もう、それはやりたくない。







そして、叔父が
この母方の家の流れをまさに
文字通りに


「途絶えさせようとしている」
「ゼロ・リセットしようとしている」


と感じた。

家まで壊すのが男の人の
破壊衝動だな、と。


そこまでに呪わしく

そして退職後の叔父が
結婚しておらず、
伴侶も子供もいなくて
広い家でどのような孤独の時間を
過ごしていたかも感じた。


私が、、叔父の子供のような
存在だったことも。


それは気の毒だし大変だったと思う。

だが。

その生き方に
私を巻き込まないで。


ときっぱりと思った。
今回ばかりは。
それは確かに、哀しい。

私は、その古い日本家屋が大好きだったし、
将来、私がもしも引き継いでいたら、

そこでコミュニティや
何か人との交流ができれば、と願っていた。

だけど、優先順位は
まず自分の人生を守ることだ。と。




そして。

祖母の危篤 → 入院 → 回復劇を思った。

祖母は、これを若いころから
10数回繰り返している。


・・・繰り返しすぎじゃないか?

と内心思っていた。


祖母はもう90代だ。

今回も、その、祖母の体調悪化と
その一連の周囲の親戚のお祭り騒ぎパニックと
その沈静化の流れを見て

気付いてしまった。


「祖母は、自分で病気になって、この家族の団結力を上げている」と。


息子(叔父)のわがまま。
娘(伯母)たちの、それぞれの言い分。
祖母は、もう叱るエネルギーは無いが
病気になることができる。

病気になれば、伯母たちは団結する。
病気になると特別だ。
交代で病院に見舞いに行く。

「〇〇さんの娘さんたちはすごいね~
皆さん、お見舞いに来るね~」
と看護師さんや、お医者さん、周囲の患者さんから言われる。
つまり、
病気になることが、祖母が唯一
自分の人生でスポットライトを浴びて注目を集められること。




母もそうだ。
リウマチで、毎月〇万円の治療費をかけている母。
「痛い!痛い!」と
叫べば、私も父も優しくなると知っている。


母も父もずっと私を脅してきた。
「もしも家を出て、父と母が死んだらどうするんだ!
何かあったらどうするんだ!」

それにずっと怯えて生きてきた。

病気、死、不安、恐怖。
それを脅迫材料に
家族をまとめようとする。


自作自演・・・








そんな流れの一連を汲んできた私だ。


実家にいたときに
しょっちゅう病気になって寝込んでいた自分を振り返る。



そして、それを思うと。
そんな風景の一連が遠くから見えたとき。






もう、この家の流れは私で
変えよう

終わりにしよう。

と、決めたのだ。






希望と愛をベースに

ワクワクと楽しみを
「なんか」の直感と光に向かって歩いていこうと。





それは、
私が生きれば
私が今ここで変われば、



過去の時間軸が変わること。
今あるこの家の流れが

そして未来の時間軸が変わる。




研究者として、そして未婚で若くして
おそらく研究の化学薬品の毒性のせいで、亡くなった
祖母の姉の無念さを思う。


今も老人介護施設で、
生きているのか死んでいるのかわからないような
じっと虚空を見つめている祖母を思う。


いつまでも一緒に
ダラダラいることだけが
愛じゃない。



今、ここで私が
光に向かって歩くこと。

それを選ぼう、と☆

























































2014年11月13日木曜日

お嬢様だった、のコンプレックス


ありあまる富 Goose house (椎名林檎カバー)





「豊かさへのコンプレックス」
「豊かだったことのコンプレックス」

がずっとあった。
ことに最近気づいた。


こういうことを言うと
やっかみと
嫉妬を受ける。
だから、
「そんなことないよ」「すごくないよ」

と、必ず言いなさい。
と母に言われてきた。

あるいは、
外で口に出すな、と言われてきた。



確かに大人になった今、
これは目立っただろうな~、
と感じる。



戦後の流れに乗った、
「成り上がり小金持ち」なんだけれどね。


幼いころから、
借家暮らしで
苦労していた父にとっては
大仕事だっただろうし
よくやった、ということなのだろう。


母は、もともと
モノの余裕がある家から来たので
几帳面でマジメではあるものの、
しっかり稼ぐダンナがいることを
前提とした、
お嬢様な
お金の使い方をしていた。



ひとりっこで、
遅い結婚だった父と母の娘として、
そして、私の幼稚園~小学校低学年は
バブルの時期とも重なり、
かなり周囲の同級生からも
浮いた生活をしていた。
と、今思う。


一応文京区と呼ばれるところに住んでいた。
周囲は、サラリーマンばかり。




幼稚園は、旅行のためによく休んだ。
北海道旅行に何度も行っている。

幼稚園~小学校の間は、
毎週末、家族で、外食に行った。
当時、名古屋では最高級だったホテルのレストランや
日本食のお店に。

毎週末、
余所行きの服を着て。

服は、高級ブランドだった、思えば。
今のような、メッゾピアノ
子供服ブランドが無かった時代だ。

子供は他の家と比べるのがわからないから
私はただ、親の言うとおりに着ていた。

(第一、服を
選ぶ、という自我が遅くて、
何を選べばいいのかもよくわからなかった)



同級生のお母さんから、
言われたという、

なんで、あなたの家は、
大手デパートの紙袋ばかりなの?と。




初めての海外旅行は
小学校2年生のときの夏休みの、
カナダ旅行。
ノースウェストに乗って。
時差ボケと飛行機酔い、
いつもの旅行の体調不良で、さんざんだったが、
そこから、海外旅行も増えて行った。

ハワイに行くための、
ビジネスクラスにも
スィートルームにも、泊まった。
ヨーロッパ旅行では、
トップクラスのツアーに行った。


今思えば、かなりの金額だろう。


ただ、私もそれなりに?
結果を出した。

旅行に行くたびに、
ガイドさんの話を全部メモに取り、
(大体夏休みだったり長期休みだったので)
その宿題にまとめあげたり、
立派なアルバムを作ったり
日記を書いたり
工作を作った。


帰ってきてからも、
何日も、かけて。


それは、いつも教師に絶賛された。
(インディゴチルドレンっぽいな~)



欲しかったものは
一番、性能のいいものを
買ってもらえた。

ただし、厳しく言い渡されたし
物持ちは非常によかった。

今でも電子機器が壊れたことが無いのは
おそらく、両親に
きちんと使い方と保管方法を
厳密に厳格に
しつけられたせいもあるだろう。


自転車。
パソコン。
それを見て、同級生が欲しがったそうだ。


カタログを広げ、一番前にあるもの。
一番性能がたくさんついていて、
値段が良いものを。


父が運転する車の中のBGMは必ずクラシック音楽。
ワーグナーが大好きな父がかけているカセットテープは
ニーベルングの指輪。
部屋にはぎっちりと、クラシックレコード。
小林秀雄全集。
壁一面の本。
(軍事関係の本が多かった。父の仕事と趣味の一致)


私のアップライトのピアノは
親戚からもらったものだが、
海外高級ブランド(名前を忘れた)


母が着ているのは
父に買ってもらうブランド服。
と言っても、ヴィトンなどではなく、

「ある程度の日本企業の役付きの専業主婦が着る
服の部類でのトップブランド」
(というくくりがあったのが、今ではわかる)




・・・・という生活を
きちんと

「そんなことないよ」
とフォローすることを教えられつつ

私は、単純に本を読んでいるのが
一番好きな子供だった。



で、

ただ、そうだなあ、そういう場所にいると
落ち着くし
素になるなあ
・・・と思うのだ。


今でもアカデミックな場所が好きだ。
大学や大学教授、
いわゆる知的な仕事をしている人はすぐわかる。
そしてそういう人の
そばは、
落ち着く。


何かに深く集中している人が好きだ。
本を読んだり
芸術に触れると
ああ、自分でいられる、と思う。




ギラギラしすぎてなくても、
ある程度お金がかけられたり
手間暇がかけてあるものは好きだ。




今の仕事でも、
ロイヤルルームに入ることもあるんだけれど、

なんとなく、
なつかしいな~となる。

ミーハーちっくに、
つい周囲に合わせて
はしゃいじゃうこともあるけれど
実は自分の中では
子供のことのおとなしく
その場を感じていた「私」がいて、
ちょっと無理をしている。




まあ、そういうところに、
泊まりたいな、と思ったら、

一泊できる選択肢を持てるように
稼げるようになりたいな、

思う。




小学校
中学校
高校
大学
就職


そつなく、
名古屋の愛知県内の
憧れられるような場所に行った。
高校教師は、公務員の中でも収入がいいらしい。
(と、教壇に立ち始めて1年ぐらいしてから知った。笑)
そこをガッツく気に、またなれなかった。

保守的な価値観の人なら
もう大満足でそのまま結婚。
だっただろう。

ある程度は努力した。
その場に完璧に合わせようと、求められてる役割を
演じ切ろうとした。


だけど、今わかるのは

「そんなの
あんまり、
好きじゃなかったし
全然ピンときてなかった」



これだ。





長野県の大学に合格して家を出たいと行ったとき。
独り暮らししたいと、仕事を始めてから行ったとき。



「この生活の何が一体不満なんだ!」


と、父に怒鳴られ、
母に言われて、

逆に私は、あっけにとられてしまった。


その逆切れ具合に、
押し黙ってしまった自分がいた。


不満だらけどころか、
全然好きじゃない。


もっとうごきまわっていたい
自由に一人暮らしがしたい
こんな温室の中で
じわじわと絞殺されていくような生活なんて
私にとっては
ツラすぎる。

と。




なんだか嫌味な投稿になってしまったかも。

だけれど、

そういう生活や環境の地がありつつ

この私がいるのだから

そこを否定してもしかたないし
でも、隠しても仕方ないし、
それでも見せつけるものでもないし。

ただ、自分なんだな~、
と思うのだ。


クラシック音楽を聴くと、
落ち着く自分とかね。

ヨーロッパ的な
海外的な豊かさに触れると

魂が解き放たれるぐらいに
ワクワクする自分を。



素直に、ね。