2014年11月27日木曜日

村上春樹「女のいない男たち」 感想










ざっくりとした走り書き感想です。



別離の寂しさ、残される寂しさ、について。

村上春樹の、「女のいない男たち」を読んだ。
ついに。

というのも、昨夜友達の家に遊びに行って、
本棚にあるこの本を手にしたら
いきなりもらったのです(笑)

私は村上春樹を高校の時からCHO愛読していて、
喉から手が出るほど欲しかったものが
なんともするりと手元にやってきて狂喜乱舞。笑


時々こういうことがあって、
相手の本を興味津々に持ってページめくっていると、
(大体の本に対して私は活字中毒なので食付くため・・・)
その本をもらったり。
そのほかにも昨夜は、頂きまくった日でした。
受け取ることを自分に許可した日、だったし☆


と言う脱線話から戻って、



「相手が去りゆく寂しさ」
「自分だけが残される寂しさ」というのを
この本を読んで実感。
というか、それをやっとわかって染み込んできたかもしれない・・・


繰り返し語られる
男性の、女性が去ってしまう胸の痛み
虚脱感。孤独。
去りゆく哀しみ。
自分が深く、深く傷ついていたことに気づく男たち。


村上春樹作品に繰り返し出てくる
暗号のような象徴的なモチーフ。


短編「イエスタデイ」は 小説「ノルウェイの森」を思い出すし、
「独立器官」は、ねじまき鳥クロニクルみたいだった。
「シェラザード」は、1Q84の、ヒロイン・青豆が
隠れて生活しているのを思い出した。
「木野」は、ねじまき鳥の失敗版みたいだし、
「女のいない男たち」は初期の3部作みたいな、
具体的な名前の出てこない物語。


と、同時に。
私も31になっているので、
なるほど・・・男の人って、
確かにこういう「昔の女性の影」って
すごく愛してるよなあ~

そして、全然生活に密着してない(笑)

ふわふわした甘ったるいノスタルジーに
浸っているようにも。
付きあいだしたカップルが、
彼女が好きすぎて、舞い上がっていて
「将来は・・一緒に住んで・・・」と言って、
お酒を飲みながら、具体的なことは何も詰めずに
盛り上がってるあの加減に似てる~



短編トニー滝谷にも出てくるけれど、
愛した妻が、洋服だけ残して死んでしまい、
主人公が、その洋服を処分してゆく物語。

幼いころ(中高生ぐらいの思春期の時)に

「女が自分の元から消えてしまう男」

という物語を読んで

は?なんで女は消えるの?
よくわからん・・・
と思っていたが、

今の自分の立場になったらよおおおおおく分かるようになっていた(笑)



というのは、去りゆく女
を、いつのまにかやりまくっていたし
結局、私も常に動きまくって移動しまくって
いたい人だ。とわかったから。

国境も、願わくば地球だって越えて行きたい。



まず、私の場合、
親という、異性としても人間としても
立ちはだかってくる人間から
ぶっちぎって去りゆく、ということが
ここ半年の大テーマだったので、

現状維持で引き留めようとする保守的な、
圧やエネルギーに
とても敏感になり過ぎてて
そういうものは、一切合財バッサリ、切り捨ててきた。
潔癖主義、ぐらいに。
そーしないと、それぐらい徹底的に
切らないと、私も次に進めなかった。

だから、
友人・異性関係、「ここにとどめよう」「変わりたくない」という
気持ちが見え隠れするだけで、
あーもう、だめ。ナシナシ、嫌!

と、変化を歓迎してくれる人だけに集中していた。


で、やっと落ち着いてきて
見回すと、
確かに、今の場所に長くいる人もいるのだ。


そうとしか、現在はできない人もいて、
それぞれが、人それぞれのペースだから
私も責めたり、
「変われよ!」と言うことも
できないな・・・と。

親が、すごい勢いで
私を引き留めようとしたり、
実家からでないような言葉や呪いをかけていたり、

当時付き合ってた
恋人が、
ものすごいさびしがり方をされると、
一気に0.001秒で醒めるどころか氷点下以下に下がったり、

というのを、20代は繰り返していたけれど、

まあ、自分の中の
過激に変わっていきたい部分を認めてそれを
最大限生かそうと決めたら、楽になって、
肩の力も抜けた。

だから、仕事もクルクル変わったし、
人間関係も、所属する団体も
何もかもを、劇的に、ガラリと変えたくて変えたくて
その変わり方自体も変わりたくて

という、自分を変えたいフリークみたいな
感じなんだけれど。

この小説には、


それと対照的に
去って行った女を
いつまでも思い続ける物語が連続していて


あああ~

なるほど、こうゆう風にさびしいんだ。
男に限らず、残された人は。

と実感した。


あと、男性は結婚しいようが子供いようが、
中年のおじさんになっても、

すごく若いころの恋人とか彼女とか
忘れられない女性への
夢とか思い出は
めちゃくちゃに甘いし
弱い部分なのだなあ・・・


とその語り口調でしみじみ思っていたけれど

そのカギもこの小説に描かれていた。



さて、村上春樹の小説技巧は
すごすぎて、逆に文章がうますぎることが
読者に気づかれないぐらいに、上手。

と、他の小説家たちが口をそろえるけれど、

確かに気を付けて読むと

ものすごい大胆な省略があって
飛躍があったか、、と思ったら、

いきなりキーワードだけ投げておいて

音楽での、
リズムと長を変えるということを
ほいほいやっていて

世界プロの小説家、というのを改めて感じた。

執拗な描写も、さらりと読ませるような
言葉づかいと組み立て。
( )かっこづかいの、読みやすさ。




そして、何よりも私はこの作品を読み終わった後で、

「そうだよね、人がいなくなるっていうのは
寂しいことだったね」


と思い出させてくれた。

小学校の時、
自分の思い通りにならない中で
たくさんの友達が転校していって、
わんわん泣いたり、

別れの時に、大泣きしたのを思い出した。
別離の瞬間って、結構私は泣くから。特に。


けれど、他の人が
自分の感情を押し殺して
あるいは、感じないように強がっていて、

「こんなことはなんでもないんだ、
 淡々とクールな立ち振る舞いをじぶんは続けられるんだ」

というポーズをとっているときの無理の仕方も

感じられるようになった。


後から、自分がどれほどに深く傷ついていたか、
哀しかったかをきづく、

短編「木野」は、


最近の自分自身も感じた。

あと、これが現在の日本全体に向けて書かれていることを
考えると、

どれほど自分が深く傷ついているか
そして涙を流すことを
おざなりにして過ごしている人の多さを
感じたりするのだ。


その澱や、見過ごしてきた部分は
自分でも思っていなかったところから

復讐されたり、
事故に遭ったり、
病気になったり、
とんでもない出来事が起こる、という形で
やってきたりする。


そういう、、この小説の底に流れている
もう一つの物語。

象徴性が、地下や地底の中にもうひとつの
街や通路を作り出しているようだ。
その水脈や、流れは言語に関わらずに
普遍的に世界中に通用する部分だ。


確かに彼の小説は
彼の小説でなければ、癒せない、
ヒットできない部分を打つ。

そして、自分が、
毎日の生活で
置いてきていた、適当に扱って来た
感情を、丁寧に思い出させてくれる。

小説には
本には
物語には
そういう力がある。

そういう力に私は

文字通り生かされてきたし、
命を救われてきたし

危ないかもしれない、
という夜とか
時間とか
瞬間を

受け止めてもらった。

だから、本のチカラや言葉のチカラを
やっぱり、感じるし

自分自身も意識的にありたいと思うのだ。



















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