2014年4月30日水曜日

第2回目 クリスタルヒーリング☆  その②

「自分の外に価値を置くと、それに左右されてしまうよ。


だから、もしも、火をつけて回る・・・・

新しい情報を提示して、、問題定義をして、

そして次々と動いていく、マスコミのような

仕事をしたいのであれば、

自己愛、自分への愛がしっかりしていないと

ノイローゼになってしまうよ。


この仕事は、他人の人を大きく変える。

それは、パッと見た瞬間、マイナスだったりするからね。

離婚したり

仕事を辞めたり。


その様子に、グラグラ揺れていたら、仕事にならないよ。」




静かに、厳しいなっちゃんの言葉。


そう、アタマではわかっているつもりだった。

なのに、

ずっと、このカラダでは、

支えられなかった。

どのような相手であれ

自分は、反応を選ぶことができる。

その感情を選ぶこともできる。

と。



だが、それは、私の親が、

私を罵詈雑言で罵り、

あるいは、家の中から追い出すと

繰り返し脅迫する恐怖から

明るい未来を想像し、選ぶという

私にとっては至難のことでもあった。


つい、目の前の人の意見に左右してしまう。

グラグラと揺れる。



「本当のことを言うと、本質を言うと、傷つく。

という恐怖感があるみたいだね」


・・・・そう。

何かを言うと、即座に否定されるというパターンが

身体に染み込んでいる・・・

誰も今、別に具体的に攻めている訳でもないのに・・・






ヒーリングの最初の

クリスタルアライカードで、セッションで出てきたのは、




バランス・タイガーアイ。


自分の内なる、

闇の力と、光の力のバランス。




闇の力

そして、




ヘマタイト。(光を天から降ろす)

クリソコラ。(コミュニケーション)

ローズクオーツ(自己愛)




そして、

スギライト(ゲート)、

風。


最後に、モルダバイト。(変容。)





どきり。とする。

最後のカード、私がこれからなっていく姿は、

モルダバイト。



水墨画家・牧三喜さんのブログで出てきた、『変容』のカードだ。


本当にその人が変わり始めようとするとき。

そして、その姿になるまで

合図を送り続ける、目覚まし時計のようなカード。

その、強いメッセージ性に私は、惹かれていた。



こちらの記事。

↓ ↓ ↓

変容。その幻を求めて。

( http://ameblo.jp/bocca-m/entry-11791205758.html )






クリソコラ。コミュニケーション。

緑色のカードには、♪(音符)の絵がおどっている。


そのカードを手に取りながら、なっちゃんが言う。

「コミュニケーションへのトラウマがあるみたいだけれど・・・?」



コミュニケーションへのトラウマ?




それならば、もうデパートの、陳列状態だ。


職場では、うまく他の同僚に、話すことができなかった。
みんないい人と分かっているのに・・・・
他の人が忙しそうだと、怒っていると、
自分のせいのような気がした。
生徒の前では、責められる気がした。
誰も、具体的な責め言葉を言っているのでもないのに。
SNSで素直に書くと、時々痛みを感じる反応がある・・・
もう、書くのをやめようかな・・・
両親は、私が仕事を辞めたと言ったら、父は泣き出した。
母は、それに乗って、私を責めだした。
昔から繰り返されるこのパターン。

彼氏ができたと思った。
だが、音信不通になってしまった。
単にデートの日付の変更メールをしたのに
返事が無くて、
そして、何度電話しても連絡が取れなくなり、あきらめた・・・


グチのように広がっていく私の言葉。




だが、どの話をしても、なっちゃんは首をかしげる。


「この、コミュニケーションが阻害されると、
ちゃぶ台返し
(=私の場合、ノイローゼ状態から
唐突に、仕事を辞めた)

をしちゃうんだよね」






左から右へ

過去から未来へ

広がった、クリスタルアライカードの上を

なぞっていく、なっちゃんの手をみていたら

ふと浮かんできた。

小泉マーリちゃんが言っていた言葉。

母親のご機嫌なように、子供はコミュニケーションを覚える。

ということだ。

※この記事。 → 
( http://red-roses-and-butterflies.blogspot.jp/2014/04/blog-post_29.html )









「自己愛。ローズクオーツだね。だっちゃんの、今回のテーマは。」




横になって長い長い、瞑想状態に入る。

石が体の上に置かれる。

最初に浮かんできたのは、

幼いころの忘れていた

両親とのいさかいや、それに対いて私がどうやって感じていたか、だ。



小学校2年生の時、初めて海外旅行に行った・・・・
今でも覚えている、カナダへの旅行。
バブル時代だった。父は年齢も上で、役職付だった。
360万、かけたそうだ。3人の海外旅行。

当時は私も子供だ。

夕食の席で、言ったのを覚えている。
「360万かかったんでしょ?カナダに(旅行に行くのに)」


それを言った途端、父の怒号が飛んだ。
怒りの圧で、自分が吹っ飛んだような。
子供がお金の金額を言うものではない。と。
母は、黙って台所の窓を閉めた。
近所に聞こえるからだ。怒っている声が。
まず、近所の目。私は泣いた。


あるいは、他の場面。

家族の旅行中、父と母が喧嘩をしている。
私は思う

「ああ。お母さん、お父さん、ケンカしないで。おねがい・・・おねがい・・・なかよくして」

その小さかった時には言葉になっていなかった言葉と、願い。


そんな、思い出すとつらい時間がしばらくすぎ、
ふっと、光がまぶしく降り注いできた。


視界が・・・怖い。明るすぎる。


だが、その光は私を包んでくれる。

無限に、天上から降り注ぐ。尽きることは無い

終わることは無い、光・・・


泣きたい。なのに、泣けない。

ピンク色の涙が、じわじわと

自分の目のふちに、内側ににじんでいくのを感じる。




「エネルギーってもんは、いつでも、天から無限に降ってくるんだ。

だから、疲れることも、持って行かれることもない。」


恩師の言葉がよみがえる。




「どうですか?」

なっちゃんの言葉に、言葉が初めて口から産まれる。





天から注ぐ光。


どこにいようと

誰といようと

光は私をアタマから、内側を満たしてくれる。

そして、同時に

私は光だ。


「そうだよ!」


なっちゃんの言葉にはっとする。


そして、その光が、私の内側の傷をいやしていく。

この感覚。


私のおでこに乗っている石を

なっちゃんが変えた。


しばらく、ひんやりと冷たい感触が続く。

・・・と、

ころころと、上から身体の中に何か降りてきた。


アメーバのような形をしていて、


くるくると、ご機嫌に私の体の中を

遊んでいる。


・・・これは、光を使う、道具だ。

このご機嫌ちゃんと一緒に行けば、

私は光を使えるんだ。



また、イメージは飛ぶ。

光が、地上に降り注ぐ。

田んぼ



水辺。

それらに、

天使の階段と呼ばれるような

光の線が降り注ぐ。

伊勢神宮で、見た写真集のような。


そして、私はそれらを動かすことができる・・・

高みから、山の上から

あるいは雲の上から

私は光の使い手なんだ。







「その感覚をよく覚えておいてね。

いつだって、だっちゃんは

光に守られていて

光を使い

光で内側からみたし、

光で癒すことができる。」


なっちゃんの静かな声。



やっと、左目の目尻から、

少し涙がほおを伝ったのを感じることができた。





(つづく)





































2014年4月29日火曜日

第2回目 クリスタルヒーリング☆  その①





セラピスト・なっちゃん「独立したいの?」


私 「・・・うん、独立したい。これから自分の名前も顔も

出していって、文章も書きたい。

レポーターとして出て行ってもいいと思ってるし・・・

世界と日本もつなぎたい・・・


でも、怖くて仕方がない。

誰か、友達や他の人が一緒にいるときはいいんだけれど

一人になると、ふっとどうしようもなく落ち込んでしまって・・・」


しゃべりながら、ビリビリと襲ってくる痛み と 恐怖。



ただ、こわかった。

自分がここにいて、申し訳ない気分になる。

自分で選んで、この時間に

お金を払って

この場にいるというのに。

自分の未来の仕事とビジョンを語っても、こころもとない。


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なっちゃんのクリスタルヒーリング、二回目。


マーリちゃんの占星術講座の後に予約をした。



予約した時は、まだ仕事についていた。

その仕事を、なんとかしてうまく持続させようと

もがいていた。だが、自分でも訳が分からず、

ちゃぶ台を返すように辞めてしまった今、

どうなるのだろうか。




占星術講座の新しくも、膨大な情報量で、

アタマもすっかり疲れていた。






住居 兼 ヒーリングサロンのstarbowの絨毯の床の上で

ごろり、と横になる。


手足両足伸ばして、左右に、ごろごろ転がってみる。


・・・・「センセ」だった時は

こうやって、自分にだらけるのも禁止していたなあ・・

こんな姿を他人に見せないようにしていたなあ・・・




一緒に占星術を学でいた仲間が帰っていく。


ひとちゃん( http://red-roses-and-butterflies.blogspot.jp/2014/04/blog-post_27.html )が、手を振って帰っていく。

「(クリスタル・ヒーリングを) 楽しんでね~」


tomoeさん ( http://red-roses-and-butterflies.blogspot.jp/2014/01/blog-post_29.html )も部屋を離れていく。

「(クリスタル・ヒーリングで) よい魂の旅を!」


外の世界では

今、属するものもなく、

家の中では、鼻つまみ者の私は今、

ここでは、どういう状態であろうと受け入れられている。









クリスタル・ヒーリング直前。

携帯電話が鳴る。

知らない電話番号。

慌てて出ると、職場の上司からだ。

「新しい人が見つかりましたので、つきましては、明日、

職場に来てください。その時に、支払い過ぎた給料分も差し引く手続きがあります」


(退職届にハンコを押し、早く出てってください。

次がつかえてしまうので。お金も払ってね)

その無言のメッセージを感じながら、

「わかりました!」

仕事の条件反射で答えてしまうが、

内心、血の気が引く。ただでさえ、通帳には少ない金額が

さらに減っていくのか。

恐怖感が増し、体がまた固まる。



*************************





前回(こちらの記事。→ http://red-roses-and-butterflies.blogspot.jp/2014/02/blog-post_2.html )


から、たった3ヶ月しかたっていないというのに、

なっちゃんにも慣れ、starbowメンバーに慣れ。

初めてクリスタルヒーリングを受けたときは、

自分の中に、

スピリチュアルや、石へのアレルギーも反抗心も、疑いもあった。


いいや、それはまだ、時々出てくる。

だが、それは自分自身が

選ぼうとすることへの

反抗心や疑いでもあるのだ、

と分かり始めている。



私は膨大なブログ記事を書き、


人とつながりはじめていた。

友達も、私のブログをきっかけに

クリスタルヒーリングを受けた。

小さくて、確実な反響の手ごたえもある。

そんなサイクルに入っていた。





音叉を鳴らし、

音楽をかけ

光は絞られる。


ヒーリング開始だ。



私は、椅子に置いてあったクッションを

ぎゅっと胸に抱きしめていた。

何か抱きつくものがないと、ただ、ただ、さびしかった。


ひとりぼっちになってしまった。


と 感じていた。




(つづく)












小泉マーリちゃん♡の、占星術 2日目





変わりたい自分と

同じぐらいに

変わりたくない自分がずっといた。


そこでずっと立ち止まっていたいと

願っていた。

それに、

気づかなかったなあ。

だから、ずっともやもやしていたんだ。


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小泉マーリちゃんの占星術講座。2日目。


けっこうな長時間、座っているので

楽な服装とメガネで、いざ☆




マーリちゃんの星の読み解きは

聴いているだけで、ヒーリングになるの。

古代からの統計とそれにもとづく、膨大なパターンからの言葉。



自分自身が

今まで自己流で見てきた世界のメガネや

井の中の蛙にいたのだ、と

あたらしい目を開かせて、気づかせれくれる。



ひとつの分類であり、

自分が納得することが重要で

その素質が自分に、

あるかどうかを吟味しているときに

また、新しいことがやってくる。


そして、マーリちゃんが言った言葉が

ふと、私の中を貫いた。


「小さい子供と言うのはお母さんと感情を共有していて

お母さんが、ご機嫌なように、振る舞う。

そうしないと、生きていけないからね。

自分でご飯も食べられないし、働くこともできないから。


だから、泣いたら、お母さんが喜んでご飯をくれるなら、

泣くし、

かわいく「ほしいの♡」と言ったら、

大人がご機嫌なら、そういう風になっていくし。

だから、それが家の代々に続く、その人の感情表現パターンになっていくし。」




お母さんがご機嫌なように・・・




そうだ。

私は、病気になった時が

一番、母が優しかった。


病気になりさえすれば、すべてが免除された。

風邪になったら、一日中寝ていて、テレビが見放題。


(テレビは、応接間のみにあり、特別なときしか見られなかった。)

料理もご飯も運んでもらって

いつもは禁止されてるマンガも読めた。


家の中で、自分に従わせようと、

激怒して、怒り狂う

父の怒りも、

私が体調が悪ければ、すべて免れることができた。



くりかえし、くりかえし、私は

幼稚園に上がる前も、

幼稚園の時も

小学生の時も

病院に通い続けた。


ぜんそく。アトピー。アレルギー。鼻炎。腹痛。


少しでも症状が出ると、

即大きな病院に連れて行かれた。


今思うと、機械の調子が悪いから

即、もとに治そうとするようなメンテナンスだった。


もともと虚弱体質でもあっただろうが、

その私の病気の症状に、

過敏な両親の反応が、

輪をかけていたのだ。



私は、無意識レベルで理解していたのだろう。

「この世(=両親)は、私が病気になれば、優しい。」と。



母は、父に、よく食ってかかっていた。


「○○(私の名前)が、アトピーなのは、アレルギーなのは、私のせいじゃない!

私の家の血のせいじゃない!

あなたの家の血のせいだ!」


私の体の症状は、両親の権力闘争の

ネタでもあった。


密封された、

タッパーウェアの中で生きるような

過保護な家庭の中で、

あらゆる種類の薬を飲み、

錠剤をのみ。




・・・・この、感情表現と

コミュニケーションの型は、

私の中に根付いてしまっている。





「自分を傷つけて、コミュニケーションをとる癖がついているみたいだね」


その後の、なっちゃんのクリスタルヒーリングでも

言われ


ハッとする。





マーリちゃんの占星術講座を受けながら

私自身が産まれたときの星の配置を読むと。


己自身がもともと持っている

資質も気質も、全く認めようとしなかったことに気づく。



私は、


情報を拡散しながら

あちこちに動き回っているのがスキ。

ゆっくりと味わいながら、

食事をするのがスキ。

言葉の語彙を、吟味して

その美しさと、質と、どこまで宇宙の果てまで届く言葉なのかを

精査してそれを使えるようになるのがスキ。


何か二つの仕事や、真逆の方向のものを

同時並行しているのが、好き。





なのに。

それらは、自分自身では

「フラフラしていて、落ち着きがなく」「足りないもの」であり、「罪悪感」として

ずっととらえていた。


殺さなければ、周囲に合わせなければと

ずっと思っていた。


・・・これは、

ノイローゼにもなるだろう・・・


我ながら、気づいた。


これほど、自分自身を勘違いしていたのか、と。

だから、辛かったのか、と。





他の人、他の星の説明を聞くと、


私も、その資質が欲しかった。

私も、それになろうとしていた。

だから、自分には足りないんだ、

自分が悪いんだ、その欠けを埋めなければと

己を責め続けていたことばかり。




そして、それは

恐ろしいほどに、気づかぬまま、

両親が持っている資質でもあった。






さあ、もう家を出なければ。


そして、自分自身がもともともっている

星の役割を、

自分を開いて

生きて行こう。


そう、ふつふつと

内側から思うことができた、


占星術講座でした☆


来月、後半が続くので楽しみです♡






































2014年4月27日日曜日

♡ ひとちゃん の 力強い コーチング ♡ 



ひとちゃん

「でさー、だっちゃん
(=私のこと。昔使ってたハンドルネームが、『だらだらあひる』だったから)

は、

これからの自分を、上から見てみると、、、どんな顔してる?」




「(数十秒の沈黙。)・・・・・


・・・・・ぶぶぶぶっ。(←噴き出している)


・・・爆笑してる。(笑いながら)」


ひとちゃん 「ば。爆笑?(笑ってる)」


私「うん。未来の、

これからの人生のワタシって、めっちゃ笑ってる。

あるいは、爆笑したり、すぐに悲しくなったら泣いたり、


腹が立ったら怒ったり

する。、

さらっと終わる。


感情の、

喜怒哀楽がハッキリからっとしてて。

それで、爆笑してる場面ばっかり」






これが、仕事を辞めた当日の夜に

彼女と、スカイプで話したコーチングの内容。


この会話は、


私の内側から出てきた言葉は、

今後の私自身の人生をずっと支えるだろう♡

そして、この言葉を出してくれたひとちゃんに

無限の感謝☆


***********************





ブルドーザー天使

(=人並み外れてパワフルな力を持つかわいい女子)

と私が勝手に呼ぶ、

読書会つながりの友達、ひとちゃんの

コーチングに、ひっじょーに、助けられている♪



※ 彼女のブログ♡

  ↓ ↓

life perchひとのプロコーチ・ファイナンシャルプランナー独立への道





なにかと、私の人生の転機に現れては

アドバイスをくれたり、窮地を救ってくれる。

お守りみたいな存在の彼女。



そうやって、

己の持つ、才能を

周囲の友達に還元しているひとちゃん♡

昨夜も、みんな(9人ぐらい)でご飯終わった時、

彼女が率先して、さらりと割り勘のお会計を済ませてくれていた。

(会計事務所にお勤めだから、数字・お金の計算☆得意♪)


以前こちらの記事でも登場♡ 

人生迷走中の私に

前世リーディングを薦めてくれた彼女♪
(  http://red-roses-and-butterflies.blogspot.jp/2014/01/blog-post_29.html  )




ひとちゃんの、行動力と、地に足つけて

物事を進めていく力は、今、私が弱い部分で。


年下ということを全く関係なく


友人として、

人として、まず、

大尊敬している ♡




最初に出会ったのは数年前、

また彼女も私もグラグラ揺れまくっている自信のない

20代女子であった。


が、月日は流れてまた会ってみると

双方何かしらを築いてきたものがあり。


そして、私自身もctiコーチングの講座に行くことになり、

あれよあれよと、ひとちゃんと縁が深く巻き込まれているのであります☆


ひとちゃんは、現在

まだコーチングの習得真っ最中、


私も、1か月の1時間あたり、3000円(アルバイト身分特別価格☆)

にて、お願いしている。






先日も、ひとりで延々と考え続けて、

煮詰まってしまったわたくし。

別の友達のfacebookで、

「一人で考えずに、相談しよう!」


コメントしているひとちゃんを見て

そーだそーだ。こういう時は風穴を開けねば、と

さっそくひとちゃんに、携帯でメール連絡。


現在、お昼は会社に勤めている彼女、

夜九時から、

スカイプにて、30分ほど、コーチングをお願いする。


一気に思いをどばーーーーっと吐き出す私。

うんうん聞いてくれるひとちゃん。

スカイプだと、声だけになるので

その人の状態が想像しやすい。




彼女のコーチングは

一言でいうなら


「力強い」。




力強さに

エネルギーの塊が

まっする直球で飛んできて

自分一人では

気づかなかった局面と側面・行動に、


実用的な光をあてて、

気づきを与えてくれる。



その力強さは、

大地に根ざし、

現実に根ざし、

彼女がコツコツと開拓してきた

フィールドを、畑を、その収穫を背景に持っている。




かわいらしく乙女な彼女だが、

大きな企業で経済的なエネルギーも

ポジションも得た

ひとちゃん自身が

次の場所へと移ろうとしている。

変容まっただ中の彼女。



彼女の持っている落ち着きと

耕してきた、畑の鍬のひとふりひとふりを

感じられて。


その経験の内側の、ココロと仕事の筋力から、

そばにいるだけで

年下なのに、


「守られる感」を感じてしまうワタクシ。♡


彼女にお願いするコーチング、

そして、ひとちゃんが

どんなコーチになっていくのか。

もちろん、今でも

きらめいて光を放っている彼女だけれど

これからが

私も。彼女も。


ますます楽しみなのです♪♪































2014年4月26日土曜日

小泉マーリちゃんの、占星術講座 1日目☆




行動したら行動した分だけ

世界から帰ってくる。

それに、楽しいことを選んだって

世界は崩壊しないんだ。



これが、ここ数日の気づき♡


******************



さて、本日小泉マーリちゃん☆(http://ameblo.jp/light-side/

の占星術講座、一日目受講してまいりました。@starbow (http://starbow737.com/)



starbowのお家の中で、テーブルの上にケーキや、クッキーてんこ盛りで。

ハーブティーを飲みながら始まりました、占星術講座。

友達の家で女子会のノリながら、

内容は本格派で情報量膨大。


しかし、きゃっきゃ♡ してる女子のノリと

生徒陣(ヒーラー揃い)のアタマの良さと機転で

まわるまわる、学びワールド☆






始めの自己紹介で、

小泉マーリちゃん。

「マーリちゃん♡って呼んでくださいね。

小泉先生って、呼ばれたら、困ります」(か、かわええ~♡)





でもね・・・

小泉マーリちゃん、実は全然私の中で、初対面じゃなかったのです。(笑)


というのは、2日前ぐらいに夢の中に出てきて、

必死に、トモダチ・東京けーにゃん(現在プロデュース中・イラストレータークリエーターの卵ちゃん)

の作品を相談してたんです。小泉マーリちゃんに。

何を相談して、何をしゃべっていたのか

もう忘れちゃったけれど、

とにかく、めっちゃしゃべってた。

マーリちゃんも私も。



そして・・・本日。

講座が始まって、納得。


マーリちゃん、めっちゃ早口。

わたくし、一応教師職でしたので、

早く喋れと言われれば喋る方なんですが、圧巻。

情報シャワー量がすごいんだけれど、

だんだん聞いてたら、倍速の音速速聴学習テープを聴いているような(いや、聴いたことないんだけれどww)

一種の情報ハイ状態になっちゃって。

そして、その占星術の見方が

もう、有機的になって頭に流れ込んでくるんですね。生き物みたいに


天網恢恢疎にして漏らさず。

っていうけれど、

占星術の知識が、網目のように張り巡らされて、

マーリちゃんの話を聴いているだけで宇宙トリップから

惑星をかけめぐって、

そのまま己の気質・個人の性質に降りてくるんだから

うっひょ~(内心の声)状態です。





各自、それぞれ生まれたときの

自分の星の位置を読む、チャートを頂き

それの読み解き方、星の配置、意味を解説いただく。


しかし、占星術、なんでも事象を切れます。

国家レベルから、社会、地球全体、と思えばひとりひとりの人間まで

縦横無尽につながっていく上に

具体例と、全体を包括する意味がつながってるから


ま~

どこまでも飛べる飛べる。

すごい勢いで、自分自身への新しい見方が訪れると同時に

他の人への見かたと、受け入れ方も立ち上がってくる。


「どうして、自分はこうなんだろう」

「こうとしかできていなかったんだろう」

という部分が、

実は、このような意味を持っていたのか!


と、心の中で、ガッテンガッテン増大。



うつ病なり、病気なりを繰り返してきた

私の場合。


とにかく、1日目の間でもわかったのは

自分自身の持っている

もともとの気質なり、原型を

否定したり、真逆の方向ばかりを目指して

自分の取扱説明の

反対向きの力ばっかりかけてたのだなあ。

という深い納得が訪れたのでした。




明日も楽しみだなあ♪













「うんくさい」自己啓発セミナーからの学び








「引き寄せの法則」

願うことがやってくるということ。

そして、己の行動を変えて、

望むものに手を伸ばして

その方向に一歩一歩歩いていく。


スピリチュアル業界でよく言われる言葉だ。







自己啓発業界

(・・・というものがある。世の中には、ほんとうにいろんな業界がありますね・・・)

では、これを体系化して

数日間の合宿セミナーで、

体得できるようになっているらしい。

調べると、数十万円するそうだ。

先日も、そんな宣伝をしているワークショップに行ってきた。





正直、

その場で小出しに、

出し惜しみされ、

売り込まれている商売臭と営業のノリがイヤで

早々に帰ってきてしまった。





数千円の、ワークショップで体感してもらい

もっと知りたい人に

さらに値段が上がった商品を・・・・


というコンセプトがうるさかった。



確かに、そういう独立のやり方があるが

私の周囲は

そういう部分を越えて動いている人が

多かったからだ。

つまり、お金以上の仕事を明らかにしている人たち。

縁に、めぐまれている、とも言えるだろう。




大きな組織になると

仕方ない現象なのだろうか?







そして考え込んでしまった。

たしかに、数十万払い、


合宿に参加し、

自我なり自己を組み換え、

そして、夢なり願いなり、収入なり仕事の結果

を実現できるのかもしれない。


だが。


・・・そこまでして

「欲しい」って気持ちは

なになのか?

と。



それはエゴではないのか?









そうして

欲しいものとはなんなのだろうか?と。

そうやって


商品価値として


お金と交換して、

今こことは別にあるものとして

提示できるものなのだろうか。





「これだけお金を払っているのだから

それだけの対等なサービス=引き寄せの法則や

気づきを受け取って当然だ。

それは、座っていれば、受身でやってくる。」


と。


無意識に甘えていたな。

と気づく。






もちろん、忙しいビジネスマンが、

今までスピリチュアルに関係なかった人が

今までとは違う

思考体型や

価値観を体得していくには、

いいのかもしれない。







本を読んでいると

どういう書き手だろうが

言おうとしているところは同じなのだな、

と感じる。



装丁やデザインや

男が言うのか、

女が言うのか、

どんな年代の人がいうのか

どの国籍の人が言うのか

どの文体がいいのか。

女言葉がいいか

男言葉がいいか

丁寧語がいいのか

タメ口がいいのか、




それで、受け取る側は

変わる。

受け取りやすさは変わる。











昨日、伊勢神宮に行ってきた。

生まれて初めて、自腹で

内宮にて、お祓い(神恩感謝)を受けてきた。

(最低価格・5000円から。ということで、現段階では5千円でお願いしてきました。)




お祓いが終わって、おさがりをうけるときに、

立ち上がったら、

神主さんに、

「神様の前ですから、膝をついてお進みください!」

とバシッと叱られた。

(禰宜さんは、祝詞をあげるので、腹にひびくいい声だ)


印象的だった。






なんとなく、この一連の流れが、

その、私が「うんくさい」と思った

ワークショップからの学びだったのかもしれない。


やはり、実際にやってみないと

経験しないと

わからない。

そして、その経験だって

すべて未来には

意味もこれから変えられる。



やっぱり今ここにいる自分の状況から

すべてはじまるんだよ。

それは、大金を積むことでもない

(もちろん、それがやりたかったら、やればいい☆)

ということへの。
















2014年4月20日日曜日

「毒になる親」を読む




「毒親」と言う言葉がちらほら聞こえてきている昨今だが、
私は、その手の本がずっと読めないでいた。

まず、「『毒』親」という言葉が強烈すぎる。
まあ、まさしく「親の幼い言動から、汚染され続けてきた」というのは
正しい感覚だけれど
そこまでいくと、手に取れなくなる自分がいた。


そして、読むたびに、自分自身の辛い体験や記憶がリンクしてよみがえり、
フラッシュバックをひきおこしたからだ。


そしてそれに伴う身体反応・・・

頭痛、めまい、胸の痛み。
そこから連鎖する恐怖感・・・


ああ、また。

もう、起き上がれなくなる、
また明日から暗い穴倉にいるみたいな日々が始まる、
身体が動かなくなる、
なにかおそろしいものから、逃れられなくなる・・・

そんな自分の内側から湧き上がる感情が止められなくなり、
刹那的で、破滅的・破壊的な行動を
とってしまう、と。


だが、先日やっと手に取ることができた。
熱田神宮に行って、ついに自腹で、
お祓い(笑)を受けたのがよかったのかもしれない。


第一章は、細かい事例。
第二章は、そしてこれから、どう生きていくか。

やはり、第一章は、読み進めるのが辛かった。

具体的な事例は、

自分自身の忘れていた感情や、
幼いころに、
本当はこうやって傷ついていたんだ。
親に、こやってほしかったんだ。
あれほど、混乱していることも気づかないほど混乱していたんだ。
私は、親代わりを、幼い反応をする親にしていたんだ。
両親の仲や、灰汁を
私が吸い取らなければならない、
この家の空気のバランスは私が取らなければ
崩壊してしまうんだ。



という張り詰めた瞬間瞬間を、

己の傷口を確認していく作業のようだったから。

でも、同時に素早く、手当もついてくる文章だった。

単に、親が子供に押しつけているだけなのだ、ということ。
自分で本来自分を癒し、直し、そして自分の感情と行動の責任は
すべて自分でとるのが大人なのに

その後処理も、投げっぱなしにしていた
という、私が幼かった頃の両親。

社会的には、私の親は、後ろ指をさされない立場にあった。

戦後の高度成長期に、のった製造業の会社で、同期でno.1の出世頭だった役付きの、父。
結婚前は小学校の先生をしていた、お嬢様育ちの専業主婦の、母。
一応、文京区といわれる地区に庭付き一戸建てで育ったひとりっこのワタシ。

まさに「絵に描いたような戦後の理想を体現した、家族」

ではあった、外から見たら。

だからこそ、幼い私自身は
この家族像を壊してはならないと
ひとりで、請け負っていたのだな。
両親のバランスを。

ともわかる。




読みながら、目からウロコが落ちた。


自分が異常な頑張りや

身体感覚を放り出してまで
何かをつきつめてやらなければ
他人にgiveしなければ
存在価値がないとまで
思い詰めてしまうこの考え方。

相手の考え方や生き方が、

我慢したり、助けてと(言葉にしないで)いっているからこそ
私がいてあげなければ「ならない」。

そして、たすけてあげなければ「ならない」。
その歪みをなおしてあげなければ「ならない」。
指摘してあげなければ「ならない」。

そう思って来た。

なぜなら、まいマザーが、かつて。そう言ったからだ、
36歳年下の私に向かって。(笑)

「おかあさんが、どこが悪いのか、教えてくれないなんて
あんたは、いじわるな娘だ」と。






今でも、私が、

「海外に将来は行く」という話をすると、

母は絶叫する。「そんなの、困る!」と。

それは、
「こんなにさびしくて、くるしい私を置いて、
娘のあんたは行ってしまうのか、
なんて、ひどい、親不孝な娘なんだ!」

と、私の罪悪感に訴えかけて引き留めようとしているのだろう。


恋人に対して、

「こんなに私を苦しめて、悩ませているなんて
あなたはなんて、ひどい恋人なんだ!」

と絶叫しながら憐みをさそっているようなもの・・・


それはそれ、母が大人として自分の感情に対応する問題なのだ。
ひとりの人間として。

そして、私は、

自分自身が大きな仕事が来た時、
自分が望んでいた豊かさや、
安心感や、愛や、平和や、光がきたときに


それを恐れずに
こばまずに
受け取ることが
今できるのだろうか?

と自問自答すると

できてないな。
怖がってたし
逃げていた。
拒絶していたな。

と気づく。

自分にはそれはふさわしくないし
居心地が悪く感じてしまうのだ。


今まで、目の前に
たとえば、理想の人が現れていたとしても

一生懸命、何か思いを寄せてくれていたとしても。

見えていなかったのではないか?
感じられていなかったのではないだろうか?

わたしは。






私は、おだやかで、
大人として

尊重し合う、恋愛関係や
家族関係が、わからなかったのだ。



大人と言うのは
困ったら
パニックを起こして
感情を爆発させる。

という対応しかみていなかったから

それは私も
今選んでしまっている癖がある。

とも気づく。






幼稚園のころから、
よく家族旅行に行った。


だが、
旅行先では恐怖ともいえない恐怖だった。
(当時は、それしかしらなかったから怖いというのもよくわかっていなかった)

両親は激しい感情のぶつけあいから、
喧嘩を必ず引き起こし、それは子供にとっては
逃れられない牢獄だった。



母が、慣れない土地や、土地の名前、
タイムスケジュールにパニックを起こし、

仕事が素早く、一を知れば、百をかけぬけるような
父が、「そんなことにわからないのか」と、
母に激怒する。

両親が口をきかなくなる。
父はホテルからいなくなる。勝手にいなくなる。
母は、またその口と父の悪口を
私に勢いよく吹き込む。

私は必ずといっていいほど、旅先で体調を壊した。
腹痛。熱。めまい。


それでも、いいときは当然あり、
家族仲良く過ごすこともあった。

それは、凪のようなもので、
必ずセットで、
嵐のような夫婦喧嘩と、
母からの大量の己の夫(私からすると父)の
グチと悪口の聞き役になっていた。

私はよくわからなかったし
黙っていた。

私がおとなくしていれば、家族は回ったし、
お勉強はよくできた方だったから
それでバランスはまあとれていた。

ものごころついたころから、
私は両親のカウンセラーとおもり役だったのだ。


おそらく、自分の怒りも、あるいは両親の不安定さも
自分の幼い体でうけとめなければならない、
と思っていたのだろう。

そんな、大きすぎる役割を負った
自分の中のコドモ(インナー・チャイルド)
ぎゅ~っと抱きしめてあげたくなった。

よくがんばったね。

と。







まだまだ
私のベースなり、土台の考え方に、

「親を混乱させてはいけない」

という行動指針があることに
この本を読んで気づいた。

結局、それは自分自身を

鳥かごの中に閉じ込めている。

それは、

・親よりも、結果をだしてはいけない

だとか

・親よりも自信を持ってはいけない

・親よりも幸せになってはいけない




・・・そんな、自分の中に自分でかけていた呪い。


今更、不幸自慢なんてしたくない。

自虐でネタにしたいのでもない。



ただ、素直になりたい。


自分の行動にも
感情にも
その結果にも

すべて自分で責任を持って

腹をきめて

生きて行きたいだけ。



自分の育ってきた
土台に、愛とか
平和な人間関係がないということは

わかっていて。


それは

どうしようもなく自分自身が
欠けたジグソーパズルのピースみたいな
欠陥品のようなものなんだ

と、
対処のわからなさから

自分自身の不完全さを責めてしまう癖もついていた。


だけれど、やっぱり


人って

それぞれ、自分をいやしたり

自分自身で答えをみつけたりする力を持っているし

それができるのだ、と。

あらためて、この本を読んで

勇気をもらい。


また、子供時代のわたし、

がんばっていたね。

大人顔負けの仕事をしていたんだね

って。


泣くことができたのでした。。




















2014年4月6日日曜日

コーチング と 「かわいい」は両立するのか?


答えは、YES

だろう(笑)

と、書いててわかった。ww






今までの自分の振る舞いに、

コーチング的な考え方や

フィロソフィー(哲学)

を組み込んでいるのだなー私。





コーチ、かかわる人の性差について

ちょっと考えてる。



つまり、コーチが男性か?

女性か?

どんな外見か?

どんな印象を与えるか?


によって変化すること。

ま、どんな仕事でも

(教師だろーが。学生だろうが。主婦だろうが)

年齢でも

誰でもそうなんだけれど・・・・





なんやかんや言って。

外から見た

己の身体、(顔も含む)

ってすごく実は、自分を表してるからなーと。



私の場合、

自分は外見から見て、オンナで、

自分が思っているよりも、判断も思考も

女体をベースにしていて

女性ホルモンにふりまわされている

気分でうつろいやすく、感情で

流れやすい生き物なのだなあ・・

と痛感する。(でもすぐ忘れる。笑)



アタマの中身は、すげー雄々しいこと考えてたり

(読む本も、どちらかといえば、硬い男性っぽい本好きだし)


実は、女の子にハートマークつけたりして

送りつけてホメまくる方が好きだよなあ、って

思うことも多々あるんだけど。

つまり、自分の身体的・社会的な性別と

自分の芯て

融通無碍、自由自在でいいんだよなーと。





日本が、ほこるkawaii文化

cute とも pretty とも違って、

そしてかつ、どこかで

男性への甘えや依存や

「お・ば・か・さ・ん」

が入ってるような「かわいい」

のニュアンスもある。

それが昔は、嫌いだった。



昔からのアイドルや、

AV(アダルトビデオね)

男性向けマンガを見てると

を見てると、何が

女性の記号としてウケているのか、

それに対して発情するように組み込まれてるか

というのを、実感するのだ。






私は高校時代、「かわいい」と口に

素直に出すことができなかった。

同級生が口にすると、

それ以外のボキャブラリーはないのか!

とイライラしてたし、

男への媚を売っているようで

嫌だったしなあ~。





コーチングの技術やデモをみながら

こりゃあ、悪用しようと思えば

私利私欲で

どこまでも、

行く危険性があるな、と見てて思った。

無意識を

ある程度操れるから。


まだこのあたりは模索中だにゃ~

ひとまず、奈良で撮ったバラ写真で締め ♡























大きすぎるものを孕んでしまった。~コーチング基礎講座~









即答できず

すぐに、結果が出ないものを

受胎した。

それは答えであり

問いであり。


そんな自分自身が

今、産み落とされようとしていて、

同時にその

己自身を産もうとしているかのよう。





入れ子構造のような

曼荼羅の中に

放り込まれたような。

・・・マンダラ、よくわかってないけど(笑)、

要するに未知なる

どでかいものに

また出会ったの。


謎はクリアになった分、

自分がやるべきことが
行動して変化していくべきことが

また大きくわかった。


ボキャブラリーの組み換え

言語感覚の組み換えが

今起こってて

感覚器官が

また変化(へんげ)をとげてる。



そんな感じ。



************:



ctiのコーチング基礎講座を、東京にて
3月28-30日、受けてきました。

hitoちゃんの紹介もあり、
-2万円ではあるが、、


3日間で

受講料6万円+往復交通費+現地での交通費と食費etc

で、パラサイトシングルの極致を極めながら
両親からの借金で回している私にとっては
まー気持ちに、余裕がない旅であった(笑)

しかし、6万円も出せば
人間、嫌がなんでも、何かをもぎとって帰る。(笑)

今回学んだことに

「自分の身の丈以上の買い物は、自分自身の変化と成長に必要」

ということ。(笑)

また、金銭感覚が刷新された。


お金を払うことで

そのお金以上の価値(と、私が感じるもの)を得て、

を手に入れること。そしてそれを自分自身に生かし

そして永続的に、私の命あるかぎり

周囲に還元してシェアしていくためのもの。

交換可能な価値=エネルギーとしての

お金が、

私にとっては

私自身の生き方でもあり

そして現実にそのまま生かしていくものなのだ。

この世が資本主義である以上、

お金を支払うことで、技術へも

アクセスできる。

能力とは、技術の集大成だ。







幸い、東京友達nanaちゃんの家に3泊もお邪魔したものの
経済的な余裕の無さと、
東京の人の多さにあてられ、

ついでに、課されたタスクのプレッシャーやら
二日目に宿題が出てたのに
その相手を見つけていなかった自分とか(実際、東京に行けば
なんとかなると思っていて、そしてなんとかなったのだけれど
やはしギリギリすぎる行動はあまりよくないなーとわかった。(あたりまえだ)


そして、受講仲間が

現場経験の責任者やマネージャーやら勤めてる

仕事ができつつも
人間的なバランスもよく、
そして、学ぶことにCHO素直な人たちだったことも

自分自身の自信の無さを
照らし出される結果となった。

とゆー風に、
周囲をキョロキョロおちつきなく
見渡して

それで、自分の立ち位置を考えるあたりが
私も日本人ですな・・・(笑)


初日、部屋に入った時に

ratingされなれている、値踏みされ慣れている

ボクシングのリングに上がることを許され

そのルールで戦うことを暗黙の了解としている

戦闘服としての

スーツ。

を隙無く着込んだ男性陣の参加者を見て、


・・・東京怖い。

ビビった。(笑)


洗練された、都会的なその外見は

確かに、東京の人も情報も

過剰に飛び交う中で、しっかりと鎧の役目を果たすのだろう。

その、戦場で

鎧をかすめる、風の音まで聞こえてくるようだった。

要するに、東京で、あるいはここまで来るような

男性が見ているものは、戦っているものは

大変なのだ。と肌身で感じて。


一方、女性陣の参加者は、尋ねてみると、

どんな仕事をしているのか、さっぱりわからなかった。

聞いてみると、人事での採用やコンサルタント、教育担当者。

あるいは、自分自身がコーチを受けた人。

さまざまなバックグラウンドを持つ人たち。


研修初日、私は元気いっぱいだった。

すでにわかること、

理論や背景を説明されると、バッと脳内でつながっていく

快感とひらめき。

しかし、どんどん、時間が経過していくにつれて

疲れて行った。

肉体的な疲労もあるだろう。

春という季節もあるだろう。

ビルの谷間から、高い建物しか見られない、

以前の記事にも書いた、東京と言う磁場の悪さもあるだろう。



しかし、それだけではない。

他の参加者の方にも最終日、言われた。


「右肩下がりに、元気が無くなってますね」


参加者の顔も、

服装も、

どんどんとゆるんでいって、

男性陣は、その中の女性性や

うけとめかたがどんどんと

伸びていく中、

私は、自分の中から産まれてくる

さまざまなせめぎあう力で

困っていた。

そして、それらを

統合できなくて、疲れていた。


その時は混乱していて、

なんだか逃げるように会場を後にしてしまった。


だが、その夜には、

疲れ切っていたもののワインを片手に

友人に話していた。

「おそらく、私は、今、産まれなおしている時期なのだと思う。」

陣痛で子宮から産まれるように、

外の世界に出ようとしているのだ、と。





地元に帰ってきて

日常が始まると、

また、よくようわかってきた。

今まで私が考えてきたこと。

今まで私が読んできた本。

今まで私が会いたかった人、直接学びたかった人。


それが、惑星直列のように並び始めて

人生現場でまさに生きようとしているのだ。


それらは、

他の人に言ったら、

浮いてしまう。

あるいは、それらを行動にうつせば、

今まで自分がいた場所から離れてしまう。

今、親しい、近しい人たちと

距離ができてしまうかもしれない

恐怖と寂しさ。



自分が、見下される

異端視される


そんな恐れで、

隠し続けてきたことだったり


やれなかったことだったり。


それらに今、ひらいていこうとしてる自分。



自らの

感情や

現実の仕事や

自分の人生をこそを

ネガティブな波動(感情の渦や、嫉妬や

足を引っ張ってくる思い)から守るために



自分自身をコーチングすること。

具体的に行動していくために。

瞬間瞬間での

覚悟

そのためにも

私は、東京に行ったのだな。


解釈も理解も、意味も物語も

ちゃんと、未来にわかってくる

後からついてくる。

だから、今、わからなくても大丈夫だ、

その物語のあらすじが。


****************




聖の世界(スピリチュアルワールド、神社空間etc)

も、

俗の世界(現実仕事・恋愛・人間関係・家族関係・友達・遊び・・・)も、

別々じゃない。

どちらへも、深く掘れば掘るほど、

つづいている。


この春の桜の花の塊を

見ながら

わかった


桜の花びらと、

仕事が別々なわけではなく、

つながっている。


そこには分離する

ものも、分けるものでもなく

花や

自然に接すると

すでにもう

わかっている

そこに体現されていると感じるものを

人は

追い求めているのではないだろうか。

言葉にするならば

真・善・美

本当のこと。

いのち

宇宙



あるいは、

影。


人によって、言い方は違えど

同じ方向を目指している。

理系と文系も、分けるのは意味不明で

どちらも同じ方向を目指している。

大学だって、
学問だって、


文学
哲学
物理学

すべて、

突き抜けてしまったものは

みんな同じことを言い出す。

何次元もの宇宙、大きいこと

各国の古代からの神話が同じ形式を持っていたり

神々の逸話にどこか

共通点があるのも。



************


地元にいながら、

私はある程度、

職場以外の世界を知っている気分でいた。

同じ職業の人よりも、

他の仕事をしている人と話している方が楽しかったし、

学ぶものもあった。


でも、基礎コースに行って、

東京で泊まって、改めて

私は、とんでもなく狭くて

小さい場所にいたのだな、と気づいた。

価値観がある一定の同じものを良しとしている。

そんな集団の中にいると

自ずと見えなくなるものがある。


職場の価値観スタンダードは、

世間の価値観スタンダードでも

世界の価値観スタンダードでもない。





そっか。

私は

あまりに、高い打ち上げロケットみたいに

わかって見えていた分、

理解されていなかったところが多かったのだな。

とも、わかった。



研修の中で、

私の直観(ひらめき)と比喩(たとえ)は

けっこう、現時点でも、いい線をついていたからだ。




いつも、大人が激する場所にいて

自ずとだまって

引いて観察する癖がついていた。

ただ、だまりすぎると

相手には肯定(YES)と受け取られるから

そうじゃないんだ


私の想いはこうなんだ。

と瞬時にさしはさんでいくのは

これからの練習だなあ。






これからがすべての

ゼロスタートなんだな

と感じる。



産まれる

孕む

変化する

そのくりかえしの

流れに

自覚的になれて、うれしい。





※写真はすべて、東京友達・けーにゃん撮影です♪ 感謝×∞