2014年4月20日日曜日

「毒になる親」を読む




「毒親」と言う言葉がちらほら聞こえてきている昨今だが、
私は、その手の本がずっと読めないでいた。

まず、「『毒』親」という言葉が強烈すぎる。
まあ、まさしく「親の幼い言動から、汚染され続けてきた」というのは
正しい感覚だけれど
そこまでいくと、手に取れなくなる自分がいた。


そして、読むたびに、自分自身の辛い体験や記憶がリンクしてよみがえり、
フラッシュバックをひきおこしたからだ。


そしてそれに伴う身体反応・・・

頭痛、めまい、胸の痛み。
そこから連鎖する恐怖感・・・


ああ、また。

もう、起き上がれなくなる、
また明日から暗い穴倉にいるみたいな日々が始まる、
身体が動かなくなる、
なにかおそろしいものから、逃れられなくなる・・・

そんな自分の内側から湧き上がる感情が止められなくなり、
刹那的で、破滅的・破壊的な行動を
とってしまう、と。


だが、先日やっと手に取ることができた。
熱田神宮に行って、ついに自腹で、
お祓い(笑)を受けたのがよかったのかもしれない。


第一章は、細かい事例。
第二章は、そしてこれから、どう生きていくか。

やはり、第一章は、読み進めるのが辛かった。

具体的な事例は、

自分自身の忘れていた感情や、
幼いころに、
本当はこうやって傷ついていたんだ。
親に、こやってほしかったんだ。
あれほど、混乱していることも気づかないほど混乱していたんだ。
私は、親代わりを、幼い反応をする親にしていたんだ。
両親の仲や、灰汁を
私が吸い取らなければならない、
この家の空気のバランスは私が取らなければ
崩壊してしまうんだ。



という張り詰めた瞬間瞬間を、

己の傷口を確認していく作業のようだったから。

でも、同時に素早く、手当もついてくる文章だった。

単に、親が子供に押しつけているだけなのだ、ということ。
自分で本来自分を癒し、直し、そして自分の感情と行動の責任は
すべて自分でとるのが大人なのに

その後処理も、投げっぱなしにしていた
という、私が幼かった頃の両親。

社会的には、私の親は、後ろ指をさされない立場にあった。

戦後の高度成長期に、のった製造業の会社で、同期でno.1の出世頭だった役付きの、父。
結婚前は小学校の先生をしていた、お嬢様育ちの専業主婦の、母。
一応、文京区といわれる地区に庭付き一戸建てで育ったひとりっこのワタシ。

まさに「絵に描いたような戦後の理想を体現した、家族」

ではあった、外から見たら。

だからこそ、幼い私自身は
この家族像を壊してはならないと
ひとりで、請け負っていたのだな。
両親のバランスを。

ともわかる。




読みながら、目からウロコが落ちた。


自分が異常な頑張りや

身体感覚を放り出してまで
何かをつきつめてやらなければ
他人にgiveしなければ
存在価値がないとまで
思い詰めてしまうこの考え方。

相手の考え方や生き方が、

我慢したり、助けてと(言葉にしないで)いっているからこそ
私がいてあげなければ「ならない」。

そして、たすけてあげなければ「ならない」。
その歪みをなおしてあげなければ「ならない」。
指摘してあげなければ「ならない」。

そう思って来た。

なぜなら、まいマザーが、かつて。そう言ったからだ、
36歳年下の私に向かって。(笑)

「おかあさんが、どこが悪いのか、教えてくれないなんて
あんたは、いじわるな娘だ」と。






今でも、私が、

「海外に将来は行く」という話をすると、

母は絶叫する。「そんなの、困る!」と。

それは、
「こんなにさびしくて、くるしい私を置いて、
娘のあんたは行ってしまうのか、
なんて、ひどい、親不孝な娘なんだ!」

と、私の罪悪感に訴えかけて引き留めようとしているのだろう。


恋人に対して、

「こんなに私を苦しめて、悩ませているなんて
あなたはなんて、ひどい恋人なんだ!」

と絶叫しながら憐みをさそっているようなもの・・・


それはそれ、母が大人として自分の感情に対応する問題なのだ。
ひとりの人間として。

そして、私は、

自分自身が大きな仕事が来た時、
自分が望んでいた豊かさや、
安心感や、愛や、平和や、光がきたときに


それを恐れずに
こばまずに
受け取ることが
今できるのだろうか?

と自問自答すると

できてないな。
怖がってたし
逃げていた。
拒絶していたな。

と気づく。

自分にはそれはふさわしくないし
居心地が悪く感じてしまうのだ。


今まで、目の前に
たとえば、理想の人が現れていたとしても

一生懸命、何か思いを寄せてくれていたとしても。

見えていなかったのではないか?
感じられていなかったのではないだろうか?

わたしは。






私は、おだやかで、
大人として

尊重し合う、恋愛関係や
家族関係が、わからなかったのだ。



大人と言うのは
困ったら
パニックを起こして
感情を爆発させる。

という対応しかみていなかったから

それは私も
今選んでしまっている癖がある。

とも気づく。






幼稚園のころから、
よく家族旅行に行った。


だが、
旅行先では恐怖ともいえない恐怖だった。
(当時は、それしかしらなかったから怖いというのもよくわかっていなかった)

両親は激しい感情のぶつけあいから、
喧嘩を必ず引き起こし、それは子供にとっては
逃れられない牢獄だった。



母が、慣れない土地や、土地の名前、
タイムスケジュールにパニックを起こし、

仕事が素早く、一を知れば、百をかけぬけるような
父が、「そんなことにわからないのか」と、
母に激怒する。

両親が口をきかなくなる。
父はホテルからいなくなる。勝手にいなくなる。
母は、またその口と父の悪口を
私に勢いよく吹き込む。

私は必ずといっていいほど、旅先で体調を壊した。
腹痛。熱。めまい。


それでも、いいときは当然あり、
家族仲良く過ごすこともあった。

それは、凪のようなもので、
必ずセットで、
嵐のような夫婦喧嘩と、
母からの大量の己の夫(私からすると父)の
グチと悪口の聞き役になっていた。

私はよくわからなかったし
黙っていた。

私がおとなくしていれば、家族は回ったし、
お勉強はよくできた方だったから
それでバランスはまあとれていた。

ものごころついたころから、
私は両親のカウンセラーとおもり役だったのだ。


おそらく、自分の怒りも、あるいは両親の不安定さも
自分の幼い体でうけとめなければならない、
と思っていたのだろう。

そんな、大きすぎる役割を負った
自分の中のコドモ(インナー・チャイルド)
ぎゅ~っと抱きしめてあげたくなった。

よくがんばったね。

と。







まだまだ
私のベースなり、土台の考え方に、

「親を混乱させてはいけない」

という行動指針があることに
この本を読んで気づいた。

結局、それは自分自身を

鳥かごの中に閉じ込めている。

それは、

・親よりも、結果をだしてはいけない

だとか

・親よりも自信を持ってはいけない

・親よりも幸せになってはいけない




・・・そんな、自分の中に自分でかけていた呪い。


今更、不幸自慢なんてしたくない。

自虐でネタにしたいのでもない。



ただ、素直になりたい。


自分の行動にも
感情にも
その結果にも

すべて自分で責任を持って

腹をきめて

生きて行きたいだけ。



自分の育ってきた
土台に、愛とか
平和な人間関係がないということは

わかっていて。


それは

どうしようもなく自分自身が
欠けたジグソーパズルのピースみたいな
欠陥品のようなものなんだ

と、
対処のわからなさから

自分自身の不完全さを責めてしまう癖もついていた。


だけれど、やっぱり


人って

それぞれ、自分をいやしたり

自分自身で答えをみつけたりする力を持っているし

それができるのだ、と。

あらためて、この本を読んで

勇気をもらい。


また、子供時代のわたし、

がんばっていたね。

大人顔負けの仕事をしていたんだね

って。


泣くことができたのでした。。




















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