2014年4月30日水曜日

第2回目 クリスタルヒーリング☆  その②

「自分の外に価値を置くと、それに左右されてしまうよ。


だから、もしも、火をつけて回る・・・・

新しい情報を提示して、、問題定義をして、

そして次々と動いていく、マスコミのような

仕事をしたいのであれば、

自己愛、自分への愛がしっかりしていないと

ノイローゼになってしまうよ。


この仕事は、他人の人を大きく変える。

それは、パッと見た瞬間、マイナスだったりするからね。

離婚したり

仕事を辞めたり。


その様子に、グラグラ揺れていたら、仕事にならないよ。」




静かに、厳しいなっちゃんの言葉。


そう、アタマではわかっているつもりだった。

なのに、

ずっと、このカラダでは、

支えられなかった。

どのような相手であれ

自分は、反応を選ぶことができる。

その感情を選ぶこともできる。

と。



だが、それは、私の親が、

私を罵詈雑言で罵り、

あるいは、家の中から追い出すと

繰り返し脅迫する恐怖から

明るい未来を想像し、選ぶという

私にとっては至難のことでもあった。


つい、目の前の人の意見に左右してしまう。

グラグラと揺れる。



「本当のことを言うと、本質を言うと、傷つく。

という恐怖感があるみたいだね」


・・・・そう。

何かを言うと、即座に否定されるというパターンが

身体に染み込んでいる・・・

誰も今、別に具体的に攻めている訳でもないのに・・・






ヒーリングの最初の

クリスタルアライカードで、セッションで出てきたのは、




バランス・タイガーアイ。


自分の内なる、

闇の力と、光の力のバランス。




闇の力

そして、




ヘマタイト。(光を天から降ろす)

クリソコラ。(コミュニケーション)

ローズクオーツ(自己愛)




そして、

スギライト(ゲート)、

風。


最後に、モルダバイト。(変容。)





どきり。とする。

最後のカード、私がこれからなっていく姿は、

モルダバイト。



水墨画家・牧三喜さんのブログで出てきた、『変容』のカードだ。


本当にその人が変わり始めようとするとき。

そして、その姿になるまで

合図を送り続ける、目覚まし時計のようなカード。

その、強いメッセージ性に私は、惹かれていた。



こちらの記事。

↓ ↓ ↓

変容。その幻を求めて。

( http://ameblo.jp/bocca-m/entry-11791205758.html )






クリソコラ。コミュニケーション。

緑色のカードには、♪(音符)の絵がおどっている。


そのカードを手に取りながら、なっちゃんが言う。

「コミュニケーションへのトラウマがあるみたいだけれど・・・?」



コミュニケーションへのトラウマ?




それならば、もうデパートの、陳列状態だ。


職場では、うまく他の同僚に、話すことができなかった。
みんないい人と分かっているのに・・・・
他の人が忙しそうだと、怒っていると、
自分のせいのような気がした。
生徒の前では、責められる気がした。
誰も、具体的な責め言葉を言っているのでもないのに。
SNSで素直に書くと、時々痛みを感じる反応がある・・・
もう、書くのをやめようかな・・・
両親は、私が仕事を辞めたと言ったら、父は泣き出した。
母は、それに乗って、私を責めだした。
昔から繰り返されるこのパターン。

彼氏ができたと思った。
だが、音信不通になってしまった。
単にデートの日付の変更メールをしたのに
返事が無くて、
そして、何度電話しても連絡が取れなくなり、あきらめた・・・


グチのように広がっていく私の言葉。




だが、どの話をしても、なっちゃんは首をかしげる。


「この、コミュニケーションが阻害されると、
ちゃぶ台返し
(=私の場合、ノイローゼ状態から
唐突に、仕事を辞めた)

をしちゃうんだよね」






左から右へ

過去から未来へ

広がった、クリスタルアライカードの上を

なぞっていく、なっちゃんの手をみていたら

ふと浮かんできた。

小泉マーリちゃんが言っていた言葉。

母親のご機嫌なように、子供はコミュニケーションを覚える。

ということだ。

※この記事。 → 
( http://red-roses-and-butterflies.blogspot.jp/2014/04/blog-post_29.html )









「自己愛。ローズクオーツだね。だっちゃんの、今回のテーマは。」




横になって長い長い、瞑想状態に入る。

石が体の上に置かれる。

最初に浮かんできたのは、

幼いころの忘れていた

両親とのいさかいや、それに対いて私がどうやって感じていたか、だ。



小学校2年生の時、初めて海外旅行に行った・・・・
今でも覚えている、カナダへの旅行。
バブル時代だった。父は年齢も上で、役職付だった。
360万、かけたそうだ。3人の海外旅行。

当時は私も子供だ。

夕食の席で、言ったのを覚えている。
「360万かかったんでしょ?カナダに(旅行に行くのに)」


それを言った途端、父の怒号が飛んだ。
怒りの圧で、自分が吹っ飛んだような。
子供がお金の金額を言うものではない。と。
母は、黙って台所の窓を閉めた。
近所に聞こえるからだ。怒っている声が。
まず、近所の目。私は泣いた。


あるいは、他の場面。

家族の旅行中、父と母が喧嘩をしている。
私は思う

「ああ。お母さん、お父さん、ケンカしないで。おねがい・・・おねがい・・・なかよくして」

その小さかった時には言葉になっていなかった言葉と、願い。


そんな、思い出すとつらい時間がしばらくすぎ、
ふっと、光がまぶしく降り注いできた。


視界が・・・怖い。明るすぎる。


だが、その光は私を包んでくれる。

無限に、天上から降り注ぐ。尽きることは無い

終わることは無い、光・・・


泣きたい。なのに、泣けない。

ピンク色の涙が、じわじわと

自分の目のふちに、内側ににじんでいくのを感じる。




「エネルギーってもんは、いつでも、天から無限に降ってくるんだ。

だから、疲れることも、持って行かれることもない。」


恩師の言葉がよみがえる。




「どうですか?」

なっちゃんの言葉に、言葉が初めて口から産まれる。





天から注ぐ光。


どこにいようと

誰といようと

光は私をアタマから、内側を満たしてくれる。

そして、同時に

私は光だ。


「そうだよ!」


なっちゃんの言葉にはっとする。


そして、その光が、私の内側の傷をいやしていく。

この感覚。


私のおでこに乗っている石を

なっちゃんが変えた。


しばらく、ひんやりと冷たい感触が続く。

・・・と、

ころころと、上から身体の中に何か降りてきた。


アメーバのような形をしていて、


くるくると、ご機嫌に私の体の中を

遊んでいる。


・・・これは、光を使う、道具だ。

このご機嫌ちゃんと一緒に行けば、

私は光を使えるんだ。



また、イメージは飛ぶ。

光が、地上に降り注ぐ。

田んぼ



水辺。

それらに、

天使の階段と呼ばれるような

光の線が降り注ぐ。

伊勢神宮で、見た写真集のような。


そして、私はそれらを動かすことができる・・・

高みから、山の上から

あるいは雲の上から

私は光の使い手なんだ。







「その感覚をよく覚えておいてね。

いつだって、だっちゃんは

光に守られていて

光を使い

光で内側からみたし、

光で癒すことができる。」


なっちゃんの静かな声。



やっと、左目の目尻から、

少し涙がほおを伝ったのを感じることができた。





(つづく)





































0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。