2014年4月6日日曜日

大きすぎるものを孕んでしまった。~コーチング基礎講座~









即答できず

すぐに、結果が出ないものを

受胎した。

それは答えであり

問いであり。


そんな自分自身が

今、産み落とされようとしていて、

同時にその

己自身を産もうとしているかのよう。





入れ子構造のような

曼荼羅の中に

放り込まれたような。

・・・マンダラ、よくわかってないけど(笑)、

要するに未知なる

どでかいものに

また出会ったの。


謎はクリアになった分、

自分がやるべきことが
行動して変化していくべきことが

また大きくわかった。


ボキャブラリーの組み換え

言語感覚の組み換えが

今起こってて

感覚器官が

また変化(へんげ)をとげてる。



そんな感じ。



************:



ctiのコーチング基礎講座を、東京にて
3月28-30日、受けてきました。

hitoちゃんの紹介もあり、
-2万円ではあるが、、


3日間で

受講料6万円+往復交通費+現地での交通費と食費etc

で、パラサイトシングルの極致を極めながら
両親からの借金で回している私にとっては
まー気持ちに、余裕がない旅であった(笑)

しかし、6万円も出せば
人間、嫌がなんでも、何かをもぎとって帰る。(笑)

今回学んだことに

「自分の身の丈以上の買い物は、自分自身の変化と成長に必要」

ということ。(笑)

また、金銭感覚が刷新された。


お金を払うことで

そのお金以上の価値(と、私が感じるもの)を得て、

を手に入れること。そしてそれを自分自身に生かし

そして永続的に、私の命あるかぎり

周囲に還元してシェアしていくためのもの。

交換可能な価値=エネルギーとしての

お金が、

私にとっては

私自身の生き方でもあり

そして現実にそのまま生かしていくものなのだ。

この世が資本主義である以上、

お金を支払うことで、技術へも

アクセスできる。

能力とは、技術の集大成だ。







幸い、東京友達nanaちゃんの家に3泊もお邪魔したものの
経済的な余裕の無さと、
東京の人の多さにあてられ、

ついでに、課されたタスクのプレッシャーやら
二日目に宿題が出てたのに
その相手を見つけていなかった自分とか(実際、東京に行けば
なんとかなると思っていて、そしてなんとかなったのだけれど
やはしギリギリすぎる行動はあまりよくないなーとわかった。(あたりまえだ)


そして、受講仲間が

現場経験の責任者やマネージャーやら勤めてる

仕事ができつつも
人間的なバランスもよく、
そして、学ぶことにCHO素直な人たちだったことも

自分自身の自信の無さを
照らし出される結果となった。

とゆー風に、
周囲をキョロキョロおちつきなく
見渡して

それで、自分の立ち位置を考えるあたりが
私も日本人ですな・・・(笑)


初日、部屋に入った時に

ratingされなれている、値踏みされ慣れている

ボクシングのリングに上がることを許され

そのルールで戦うことを暗黙の了解としている

戦闘服としての

スーツ。

を隙無く着込んだ男性陣の参加者を見て、


・・・東京怖い。

ビビった。(笑)


洗練された、都会的なその外見は

確かに、東京の人も情報も

過剰に飛び交う中で、しっかりと鎧の役目を果たすのだろう。

その、戦場で

鎧をかすめる、風の音まで聞こえてくるようだった。

要するに、東京で、あるいはここまで来るような

男性が見ているものは、戦っているものは

大変なのだ。と肌身で感じて。


一方、女性陣の参加者は、尋ねてみると、

どんな仕事をしているのか、さっぱりわからなかった。

聞いてみると、人事での採用やコンサルタント、教育担当者。

あるいは、自分自身がコーチを受けた人。

さまざまなバックグラウンドを持つ人たち。


研修初日、私は元気いっぱいだった。

すでにわかること、

理論や背景を説明されると、バッと脳内でつながっていく

快感とひらめき。

しかし、どんどん、時間が経過していくにつれて

疲れて行った。

肉体的な疲労もあるだろう。

春という季節もあるだろう。

ビルの谷間から、高い建物しか見られない、

以前の記事にも書いた、東京と言う磁場の悪さもあるだろう。



しかし、それだけではない。

他の参加者の方にも最終日、言われた。


「右肩下がりに、元気が無くなってますね」


参加者の顔も、

服装も、

どんどんとゆるんでいって、

男性陣は、その中の女性性や

うけとめかたがどんどんと

伸びていく中、

私は、自分の中から産まれてくる

さまざまなせめぎあう力で

困っていた。

そして、それらを

統合できなくて、疲れていた。


その時は混乱していて、

なんだか逃げるように会場を後にしてしまった。


だが、その夜には、

疲れ切っていたもののワインを片手に

友人に話していた。

「おそらく、私は、今、産まれなおしている時期なのだと思う。」

陣痛で子宮から産まれるように、

外の世界に出ようとしているのだ、と。





地元に帰ってきて

日常が始まると、

また、よくようわかってきた。

今まで私が考えてきたこと。

今まで私が読んできた本。

今まで私が会いたかった人、直接学びたかった人。


それが、惑星直列のように並び始めて

人生現場でまさに生きようとしているのだ。


それらは、

他の人に言ったら、

浮いてしまう。

あるいは、それらを行動にうつせば、

今まで自分がいた場所から離れてしまう。

今、親しい、近しい人たちと

距離ができてしまうかもしれない

恐怖と寂しさ。



自分が、見下される

異端視される


そんな恐れで、

隠し続けてきたことだったり


やれなかったことだったり。


それらに今、ひらいていこうとしてる自分。



自らの

感情や

現実の仕事や

自分の人生をこそを

ネガティブな波動(感情の渦や、嫉妬や

足を引っ張ってくる思い)から守るために



自分自身をコーチングすること。

具体的に行動していくために。

瞬間瞬間での

覚悟

そのためにも

私は、東京に行ったのだな。


解釈も理解も、意味も物語も

ちゃんと、未来にわかってくる

後からついてくる。

だから、今、わからなくても大丈夫だ、

その物語のあらすじが。


****************




聖の世界(スピリチュアルワールド、神社空間etc)

も、

俗の世界(現実仕事・恋愛・人間関係・家族関係・友達・遊び・・・)も、

別々じゃない。

どちらへも、深く掘れば掘るほど、

つづいている。


この春の桜の花の塊を

見ながら

わかった


桜の花びらと、

仕事が別々なわけではなく、

つながっている。


そこには分離する

ものも、分けるものでもなく

花や

自然に接すると

すでにもう

わかっている

そこに体現されていると感じるものを

人は

追い求めているのではないだろうか。

言葉にするならば

真・善・美

本当のこと。

いのち

宇宙



あるいは、

影。


人によって、言い方は違えど

同じ方向を目指している。

理系と文系も、分けるのは意味不明で

どちらも同じ方向を目指している。

大学だって、
学問だって、


文学
哲学
物理学

すべて、

突き抜けてしまったものは

みんな同じことを言い出す。

何次元もの宇宙、大きいこと

各国の古代からの神話が同じ形式を持っていたり

神々の逸話にどこか

共通点があるのも。



************


地元にいながら、

私はある程度、

職場以外の世界を知っている気分でいた。

同じ職業の人よりも、

他の仕事をしている人と話している方が楽しかったし、

学ぶものもあった。


でも、基礎コースに行って、

東京で泊まって、改めて

私は、とんでもなく狭くて

小さい場所にいたのだな、と気づいた。

価値観がある一定の同じものを良しとしている。

そんな集団の中にいると

自ずと見えなくなるものがある。


職場の価値観スタンダードは、

世間の価値観スタンダードでも

世界の価値観スタンダードでもない。





そっか。

私は

あまりに、高い打ち上げロケットみたいに

わかって見えていた分、

理解されていなかったところが多かったのだな。

とも、わかった。



研修の中で、

私の直観(ひらめき)と比喩(たとえ)は

けっこう、現時点でも、いい線をついていたからだ。




いつも、大人が激する場所にいて

自ずとだまって

引いて観察する癖がついていた。

ただ、だまりすぎると

相手には肯定(YES)と受け取られるから

そうじゃないんだ


私の想いはこうなんだ。

と瞬時にさしはさんでいくのは

これからの練習だなあ。






これからがすべての

ゼロスタートなんだな

と感じる。



産まれる

孕む

変化する

そのくりかえしの

流れに

自覚的になれて、うれしい。





※写真はすべて、東京友達・けーにゃん撮影です♪ 感謝×∞


































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