2014年4月5日土曜日

新年度 1週間のつれづれ

新年度 1週間のつれづれ



※この記事は、一般的な教員の話、というより
あくまで私個人の考え方の話です。





先日、職員会議に生まれて初めて出た。


各部門からの報告で
書類が、
バンバン出していくので、
情報が一気に押し寄せて、情報処理以前にオーバーフローした。

なんか効率わるいなあ・・・

あと、これは内容、
オンライン上で事前にシェアできないのだろーか?
ママさんもいるんだし・・・ 


と思うのだが。

まあ、実際に顔を合わせることで
同僚同士の交流が良くも悪くもできているし
キャラクター把握もできているなあ、とも思う。



仕事の合間のムダ話って
実はすごく大事、って
思うものねー





で、話をもどして。

その時に伝えられた、
生徒の服装規定があまりに厳しくて
うーん、と

私が、げんなりしてしまった。

仕事は仕事なので、

教師の帽子をかぶってる私は
指摘するだろうけれど


人間としての私は
うーむ。迷い中。息苦しい。



まだ生徒を実際に会ってないので、
なんとも言えないけれど。



アパレルで働いていたころは、
原色を身に着けて、
濃いメイクをすることが求められて
(地味色だと、お客さんと見分けがつかないから)

その両極のような振り切れた場所である、
教育現場に来たら、
浮かないことが求められてる気がする。

いや、
誰も「浮くな」とは言葉で
いっていないのだが

この微妙なラインと圧を常に
感じる状態が、私は、嫌なのだ。

アパレルで働いたときに
痛感したのは
あたりまえだけれど

どんなに派手な服だろうが
メイクしてようが、

性格も仕事力も
全く別ということ。

ド派手だろうが、
仕事できる人もいるし
できない人もいるし

嫌なやつもいるし
いい人もいる。

そしてそこには
相関関係は無い。
あらゆる組み合わせがある。
そして、どんな組み合わせがあってもいい。

と私は思っているし、
何かこのような服を着ている人だから
こうだ、

という決めつけ方をしたくない
自分の受け入れる幅を
広げたい、といつも思っている。


なので、しみじみ
何着てようが、
その人の在り方とは、関係ないなあ
と。




もちろん、よく言われることで、

明るい色を着られる人は
どちらかといえば、
気持ちも状況も上向きのことが多いし、

暗い色を着ている人は
どちらかといえば、下がり気味。

とか、各色やカタチから読み解けば
それなりにメッセージはあるのだが、

まあ、服は突き詰めれば、
無くても生きていけるモノである。

それなりに己を
無意識のうちに縛ってるけれど
定期的に見直して
リセットしていきたいもの・・・・






私は個人的には週末には
網タイツを履きたいし
かわいくハーデーな、下着つけよう。

と改めて、
決意した(笑)
ま、単なるミーハー野郎ですが。








アパレルでバイトしてたこともあり、
服装とメイクについてはよく考えている。


考えている割に、
それほど技術があるわけでも
バリエーションがあるわけでもないが、

それでも、考えている。




まず、思うのは


教師同士の交渉やお願いごと
公式の場で、

自分が説得する必要がある場合、

スーツや、シックな格好をしていた方がいい。
保守的な格好をしていた方がいい。
胸元は開いていないもの、
黒・紺・白・ベージュ、灰色。
スーツの、形も昔からあるオーソドックスなもの。


ということだ。

これは保護者相手でも同じだろう。


保守的な価値観ベースに、
「安心できるか?信用できるか? 素直に自分の言うことを聴くか?」という
物差しで、こちらを、刻々とジャッジし続けられるから。



だからといって、
別にここで、相手の言うとおりに行動する必要もないが。
まずは、じっくりと、相手の話を聴くことと
それからお互いにすりあわせていくこと。


これは、敬語を丁寧に使って
ハッキリと語尾をしゃべり、
自分を低い場所に置き、
一歩一歩、交渉してゆくこと。






次に。

それほど、要(かなめ)の役割が求められない時。

一般的に、
(日本人を見てもそうかもしれないが、)
黒を着ている人が多い。

で、それが私はあまり好きではない。

白を好んで身に着けてるけれど、
まあ、暗い気分の時に
明るい色着てる人が、いてもいいじゃないか、

周囲も気分明るくなるし、と。
このところ、澄んだキレイな色、
年中、春色でやってる。

また、スタイルについては模索中。




***************




なんで、こういうことを
考えて書くか、かと言うと、

徹頭徹尾自分のため、でしかない。



溜め込むと自分の中で
飽和していくからだ。
言えないことが。
表現できないことが。



あと、自己流にすぎないけれど、

ある程度、他の人の服装を見ると
その人がなぜ、この服を色を選んだか、
というメッセージを感じるからだ。



これはあくまで私の仮説だけれど、

教師は、ネガティブ・ハイテンションの人が多い気がする。

(もちろん、人それぞれなので、あくまで傾向として)


役割上、仕事上どうしようもないが、

今の教室は監獄モデルと言われている。

数の少ない看守が、多くの囚人を見張る方法として。

生徒を見渡せる教壇と、教室の座席がある。


その教師となる人たちは、

エネルギー値が高く、

周囲にエネルギーをまき散らしていく。

良くも悪くも。


だから、ネガティブなものを、同世代や

外の社会での人間関係でも同様にまき散らしている気がするのだ。


教師は、感情表現が幼い、とずっと感じている。

いいことを言っているのに

その表現方法をとってしまったがために、

それから先に、誰も動かないのではないか?

という場面を何度も見た。



感情表現の稚拙さ

自らの欲望への幼さは、

外部の世界に向かって

ひらけない。

エネルギー循環のサーキット(回路)が閉じてしまう。

つまり、受け取る側・周囲の人間も

そこから圧や、暴力性・支配性を感じて

離れて行ってしまう・いい感情を抱かない。



それは、同時に己自身にもブーメランのように

帰ってくる。

そうなると、本人が、一番ツラくなる。



まず、ヒステリーを起こしたり、

駄々っ子のようにごねて、

それで、周りがあやして、対応して

さらに、それでわがままが加速して・・・という

サイクルに乗って、

教師という役割に

生活すべてを、

無意識レベルで浸食されて

人生・心身まで蝕まれていく人を見てきた。


それは、本人自身の人生、かかわる人たちすべて、

周囲、子供にまで波及していく

呪い、といってもいいものだ。


自分のグチと利益をこそ

まず主張し、そこに居ついてにぎりしめて

泣きわめいた方が勝ち、なんて

クレーマーの世界じゃないか。


それを、上の世代がやってきたからといって、

私は、同じことをやりたくはない。

もっと、他の感情表現の方法は選べるはずだし、

訓練しだいで、もっと他の

やり方は身につくはずだ。


お互いにゆずりあって、まあまあと中をとりながら

循環させて大人になっていくのが

あるべき、人と人の姿と関わり合いなのではないか?




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最近、考えているのは、

分かっている人 と 分からない人。

の、むすびかた。

つなぎかた。

伝え方だ。




たとえば、私はスピリチュアル関係の話が好きだ。

蝶々さん、という作家さんの本が好きで

(最初はレンアイ方面について書いていたが、今はスピリチュアルと、生き方全般について語っている)

その読者仲間の子たちとは、

その話をするが、それ以外の知人とは

また、ついつい隠してしまう。



できるだけ、その方面に縁が無い人の前では

その話題と、ボキャブラリーの使い方に気を付ける。

スピリチュアルに近しい人たちと、そうではない人たち、

指す方向は同じでも

言葉への名付け方と、使い方が違うからだ。


分かる、と、分からない。は、

上下でも、えらい、えらくない。でもない。

そして、この世のシャバに出て

生きて働いていくということは

「分からない人」「通じない人」と

関わって、また関係をむすんでいく作業でもある。



わかっている人同士で話しているのは安心する。

翻訳作業の手間ヒマも省けるし、

一語を発すれば、それで千里まで走れる。

直感的に分かり合える。

こちらが誤解され、異なる価値観を投げつけられ、

裁かれ、見下され、傷つけられることもない。




わかっている人同士での連携は不可欠だ。

安心している場所での、

気持ちや意見を、書いたり話したり聞いてもらうことは

外に出ていくための基地になり原動力にもなる。


それでも、やはり



今、

わからない人。

つうじない人。

そこにむけて、アプローチしていきたい。

ひらいていきたい。


と思う。


だって、私も知らなくって

そして教えてもらった一人だからだ。





わからない人だったし

今でもたくさんわからないことがあるからこそ。


伝わらない人

わからない人へ


向かっていくには

ほんの少しの勇気

そして、技術。

その両輪だなあ、と感じている。


子供の時のように

うまれたてのような

まっさらの目で

この世を

他の人を

そして他ならぬ自分自身に

耳をすまし、

聴けるだろうか?








この頃、いつも

そうやって問いかけられている。

自分から。

















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