2014年10月27日月曜日

トムとジェリーな 母との関係


トムとジェリーのように、繰り返す母とのガチ(笑)喧嘩。

喧嘩ではなくて、私は母の言葉で、

体中が収縮したり、現実的にズシンと来る。

以前も、自分が持っているオラクルカードで母との関係を

みたら、

最終的に二人の関係から産まれる未来は「源」

意味は、カリスマ。変容。


そのカードを見たとき、

「ええええ~!?」と声を上げてしまったものの。


ああ~そうか、私自身にものすごい負荷をかけ続けられてきたからこそ

この影の部分を統合すると、

劇的に変わるんだろうな。

自分でも思っても見ないところで

想像もつかない場所で

つながり、そして何かをやっちゃうんだろうな。

と。


未来は
次の瞬間は
いつから、すべて想像可能になってしまったのだろう。

何が起こるかなんて
誰にも、自分にもわからないのに。







母の呪いを解いて、自立する。

精神的にも、経済的にも自立する。

まず行動して、結果を出す。

仕事も人生も、親の価値観や

母親のヘソの緒を断ち切って、

親の意向や枠内、望みでやろうとするのではなく、

自分がピンと来たもの。

なんか、ココロ惹かれるもの、

どうしてか、やってしまうこと。

なぜか、行ってしまう場所。

それに素直になる。





それが、私が小浜島に来た理由のひとつ。

やっと、これでいいのだ。

これでいくのだ。と腹が決まり。


これからやっていく道でもあり。



次の仕事の場所を決めました。

リゾートバイトは続きます。

今度は某所の温泉宿の仲居さん。

接客に移ります。


実家にて、両親と暮らすことはできない。

これは決断しました。


仕事において、裏方で、自分のオーラや存在感を消して

過ごす「外出する引きこもり」な日々に、

終止符を打とうと、

外見のブラッシュアップに今は力を入れてます。


・メガネ → コンタクトへ (通販で買った。)

・すっぴん → メイクへ (夏は汗で流れ落ちて省略していた)

・髪をカットへ (同じ寮に住む、元美容師の子に手紙を書いて頼んで切ってもらった)




・・・と、これだけやすと、少しずつモードも戻ってきます。

人の目を見て笑えるようになったり、

表情が出てきている自分がわかる。



先日も、両親に頼んで冬服を送ってもらいました。

そして何回かメールしながら、

次の仕事先をメールしたら、

母から超長文メール。


「温泉宿の仲居さんは反対です。」

と皮切りに、

「大学2回も行って、何をやっているんだ」
「肉体労働いつまでやってるんだ」

の言葉。。

がんがんと責められまくる言葉に

うーーん・・・と着信拒否 (小浜島に来て2回目)



着信拒否の1回目は、お金の件でもめて、

朝の6時(!)に、怒りのメールが来たため

「これは仕事と生活に支障が出る・・・」


と、自分自身を守るために、着信拒否。


占星術のskype講座(両親のホロスコープチャートを読み解いた回)

にて、

小泉マーリちゃんに言われた言葉を思い出す。

「こりゃ~キツイわ、このお母さんは。

(あまりにエネルギッシュすぎて、)

専業主婦になったら、すごいクレーマーになるんだよね~

こういうチャートの人は」

・・・・母、私に対してクレーマーです・・・


冷静に離れてみると、

両親の言動は、

ストーカーとクレーマーのようなものじゃけん。

そして、そういう性質は自分の中にもあるんだよな。

自分の影。
認めたくない部分。


そうやって認めたり、

素直に見つめられるようになった自分の成長を

讃えたい、よくやったな、って思うのです。



ちょっとずつちょっとずつ。

歩きながら、そして結果を出していこう。

光の方へ、光の方へ。


宇多田ヒカル 光














2014年10月17日金曜日

稼ぐ気持ちになれるとき(あくまで、わたしの場合)

今夜はオタク的に
文章が書けるモードなので、アウトプットしておきます~

どうもこの客室清掃の仕事は肉体系なので
気持ちがワサワサしてしまって、
文章を書いたり、まとまって長い文章を読むための
ちょっとローなテンションなり、集中力に持っていくのが
かなり難しいのです。今の私の中では・・・

集中力鍛える訓練すればいいんだろうけれど、
これはまた次の課題で。
こういうときに、体育会系の部活とかに入っておけばよかった~
と思うけれど、人生は今体験したり経験すべきことが起きているのだから
まーしゃない。

・・・長い前フリ・・・


********************:


私は、「生徒のために」とか、

下の世代に向けてだったら
ぐん!
とお金に対して
「オレ! 稼がねばっ!!!」って
気分になれるな。と
気づきました。

自分の中の「稼ぐオレ」が発動できる。
とわかった。

教え子と久しぶりに会う約束をしていて。
その時に
教え子におごれない自分の収入の
ふがいなさに、はじめて

ふがいねー!!
それじゃなんとかせねば。
行動スッペ。

と体の奥底からゴゴゴと思えたのです。
カラダの芯から、なんかエネルギーがせりあがってくる感じだじぇ。


自分のためにお金を稼ぐとか

自分を今までの価値観で
社会的に高いといわれる場所(・・・っていうか・・・「高い」って改めて考えると
・・・なんなんだろう・・・?)

に持っていくとか本当に苦手で。


このあたりが、「執着心が無い」と言われるゆえんなのかなあ・・・


この仕事(客室清掃)を始めたとき、
以前の仕事(高校教師)を
トレーナー(仕事教えてくれる役目の人)の方に言ったら、

「なんで、こんな仕事今やってるのっ!!?」と

本気で目をまんまるくされて言ったので

そんな~自分の仕事を
そんな風に言わないでくださいよ~

・・・と素で思っちゃった。

この世では、現代社会では

一応、知的な
文章とか、高等教育とか

そうだ、高度に抽象的なことを扱う=高収入。

というしくみになってるから。

なんとなく、尊敬される仕事。
すごい~って言われる仕事。

それが、「先生」だったんだな~

でもどこかで
個人的に、すごく居心地も悪かったんですよね・・・

まあ、違和感感じたからって、別に放り出さなくてもイイじゃん。
と私も今更ながら思いますが・・・

そりゃ、極端な行動だよなあ・・と思うし
きっちり、その無理して
急角度でハンドル切った分は
自分に戻ってきてるから
あーつらい。と思いながらそれでもコツコツやっていて。


でも、今、

いちアルバイトの立場だと、
また今までの立場だったら
黙っても、尊敬されてたり
注目されてた立場だったわけで(教壇に立ってたから)

そうじゃなくなって
自分の自尊心が低くなる、
卑屈になる、
ねじれてくる、
自分の女らしさとか
神様に愛されてるとか
そういうのも信じられなくなるって

こういう感じだったのか~

と、やっと振り返って
自分の感情がわかった。のでした。
渦中にいるとき、迷っているとき

必死にサバイバルして
こなしているときは
環境に適応しようとしているときは気づかないねぇ。




下の世代に貢献、していくこと。
子供や、

いわゆるインディゴチルドレン、クリスタルチルドレンと呼ばれる
下の世代。

「扱いにくい」「何言ってるの?」「変わってる」と
言われる人の気持ちが
なぜか、よくわかったり代弁で来たり。
(きっと私もそうだったし、その要素を今でも強く持っているから)

もちろん言葉は万能じゃなくて、
すべてを説明しつくすことはできない。
解釈も、
言葉にすると置き換えて少しずつズレていく。
けれど。


下の世代のこと。未来のこと。
全体のコト。
もっと広く広く視野をもつこと。


それを軸にしたら
きっと私は
強くなれるんだな~


守るものができると(たとえば家族とか)
人は強くなる、と言いますが。

そっか、
こういうことなんだな。
と実感したのでした☆


日々が、小さな大きな冒険。
自分の中の感情地図の確認です☆

あいかわらず、
ひとりっこの一人遊びの延長のまま。

気付いて、指摘されて、
ちょっとずつ
逃げまくったり、愚痴ったりぶーたれたり
キツいこと言っちゃったりして反省しながらも

変わっていく自分を実感してます。

この世とか
今文章を書けているのも奇跡なんだな~って。ありがたいな~って。

愛とか平和とか光につつまれていて、
私自身の存在が光だ。

っていうのはスピリチュアルでもよく言われる


ほんっとかよー
どこに愛とか平和があるんだよ!

て言いたくなるトゲトゲした気持ちに乗っ取られたり。

暗くてさびしい気持ちに
真っ暗い部屋にひとりでずっと体育座りして
膝をかかえこんで
1ミリも動きたくないときだってあるんだけれど。

そういうときもあっていいし
確かに無限大に大きな宇宙を内包してる人間だけれど、
同時にすごく、ちっぽけ人間で。

ただ、発する言葉も気持ちも表情も。


やはり、
すごくつながっていて・・・

この自然とか。歴史とか。先祖とか。

そうなんだな、
って実感し始めてます。






乾いた風の吹く秋の始まりに聴きたい洋楽集




2014年10月9日木曜日

久しぶりにドリカム。


ねぇ 







MERRY- LIFE- GOES- ROUND





MIDDLE OF NOWHERE







その先へ







20代の一時期、ドリカムが大好きで
ずっと聴いていたことがある。
今聞きなおすと、相当ツライ曲もある。

24/7 とか(延々と、好きな人を思い続けてぐるぐるしてる狂気に近いような恋愛歌)
まあ、そういう精神状態だったのだけれど。(笑)


上に貼ったリンクの曲は、
改めて、いいな、と。


************

またしても、あっちゃこっちゃ日記。


自分が選んできた仕事も、好きになれなくて
職業も好きになれなくて
選んできたモノも道筋も好きになれなくて、

そうすると、次々と自分が選んできたものを投げ捨てていく
ことになって・・・

という状態だったなあ、と思う。


自分の仕事への気合の入れ方も、
大切の仕方も
わからなかった。





教師をやっていても
結局、自分を見つめる目が厳しすぎて、
あらゆる、理想や追いつけない自分が苦しくて、
行動できなくて
一気に押し寄せてきて
(文科省の意図や、学校側の意図や、生徒、
そして、仕事)ふがいなさにはいつも苛まれていた。


要するに、自分を好きじゃなかった部分がたくさんあったし
最後まで自分の味方になり切れなかった。





と、同時に
今わかるのは、

「これは自分で選んだ」という意識が
全然なかったということ。


両親を丸め込みながら
(丸め込む、っていう言い方は悪いけれど・・・)
かつ、今自分ができる範囲内で・・・

という「でも・しか先生」で、
選んでいたという意識は、
最後まで、ずるずると足を引っ張った。


今、とんでもなく安い時給で(700円/時)
コンビニもスーパーもなく、
お世辞にもいい住居環境とも
食事もいいとは言えないけれど・・・

それでも、ちゃんと自分で
選んだから
だから、きちんと、
得ている。答えを内側から。



客室清掃の仕事をやっていていいのは、
自分の内側を見つめられること。

内観や、内省にいいところ。
黙々と手を動かしていると
掃除していくと同時に、
瞑想のように、
いろんなイメージやひらめきが浮かび
そして、アイデアがやるべきことがやってくる。

もちろん、そのすべてが
100発100中のわけでもないが、

それでも、試してみる価値はあるもの。

ここでの生活で、
私は、産まれて初めて、
素直に

自分自身の頭のよさとか、
直感力とか
自分が気づく力や
自分のタフさ。

に、感謝した。感謝している。



やっと、今日、

「ああ、メイクしたい、注目されたいそんな仕事がしたい」
「自分の芸を生かしたい」

と思うことができた。

そんなことも考えることもできなかった。
小浜島での生活に、必死すぎて。


自分が我慢して回るなら、
イイと思っていたし
自分がごまかして、
それで波風が立たないなら、
黙っていようと思っていた。

けれど、ちゃんと後から
それは、ツケになって回ってきた。
何百倍にもなって。


それなら、その場で、
すぐに突っ込んだ方がいい。
小さな衝突で、大きな衝突を避ける。

と、誰かも書いていたっけ。


かぐや姫のものがたり、

を作った、鈴木プロデューサーが、

「男女同権と言われて、女性の社会進出も進んでいるのに、

男尊女卑と言うか、女性の方が、

昔ながらの振る舞いや価値観にしばられすぎてて、

すごく歯がゆい、というのがある」


と、かぐや姫の物語を作った経緯を話していて、

あまりによく分かり過ぎて(そして自分に染み込んできて)

ぎゅんと来てしまった。



たくさん自分の中で
まだ整理したいこともあって

それでも、整理していく方向とか
どっちに向かったらいいとか

この気持ちに素直になればいいとか
行動していけばいい。

とか、そういうのが、
やっと確実にわかり始めて
そういう自分を生きている手ごたえがやっと
あるから、

ああ大丈夫だなあ、

自分。
としみじみ思うのだ。




毎日、毎瞬間揺れる感情は
私だって女だから、
不安定だし、
ころころ変わる。
エゴや幼さをむき出しにしてグチに溺れたり、
なんとなく同調してしまって
後から、言えばよかった。
怒ればよかった。
そんな風に、後悔することもたくさんある。




それでも、
きっと、あの時に地元を出なかったら、

数年単位で、またメンタルの病を再発して
もっと出口のない場所にいたのだろうな、

と思うし。

そして、同時に
夢みたいに、今も教壇に立って
英語を教えている自分、も想像するのだ。

もしかしたら、そこで生きていたかもしれない
もう一人のワタシ。

せんせい、せんせいと呼ばれながら
やっていた、私。
懐かしく、思い出すし、
英語の文法書を見ても泣くし、
高校生の制服姿や、
高校の校舎を見ても、
何かが狂おしく自分の中で暴れ出す。

もしかしたら、
名古屋にいて、英語を教えていたわたし。


でも、それは私の人生じゃない。

選べなかった、生きられなかった道は
やっぱり、違ったんだなあ・・・と。


また、
地元からは離れて教職に戻ろうと思っている。

そして同時に、
海外に出よう、と改めて思った。

どうして?

と理由があるわけでもなく
衝動なのだけど。


もう、そろそろ日本に
こだわり続けなくてもいいじゃないか。


としみじみ感じたのだ。

感じられたのだ。

そんな自分に、またホッとした。













朝がまた来る



















2014年10月7日火曜日

All is full of love (すべては愛で満たされている)


All is full of love


歌詞と和訳はこちらから →  http://momochiyo.exblog.jp/10933039

「あなたは、愛されてるんだよ」

とは、よく言われたものの

正直言って、はて。そうなんかいな?

と疑問に思うことも多かったのですが

(今だって、苦しいときは、ほんとかよ~!?(-_-メ)と

天をあおぐことばかり・・・)


でも、やはし

他の人から相談されると

そう思うんですよね。


私は、教師をやってたこともあって

他人にアドバイスするのに

慣れてるけど

じゃ、自分は?

・・・という、紺屋の白袴、

医者の不養生のところがあって・・・


要するに、他人のことはよく見える。のですね。笑


それでも、

他の人にアドバイスしながら

同時に自分のことは自分の問題として

さばいていく。

というスタイルが、できてしまっているし、

結局、アドバイスしていくことで

色々と回って行ったり、

いつのまにか

自分の悩みや絡まっていた糸が

ほぐれたりするんですよね・・・



なので、自分の計画通りに

悩みは解消しないので(笑)


とにかく、

来た球を拾ったり打ちながら

ゴミ拾いも

部屋の片づけもやっている。

そんな気分です。


まあ、それでええか。


準備できるところから、

手の付けやすいところから

そろえて行って、

時が来れば、

さーっとつながったり、


一気に分かったり、

抜けたりするので。


できるところから、ひとつずつ。

いいイメージを描きながら。


ですね☆















連想日記


電照菊 かりゆし58





ぼろぼろと最近考えていることや
思い出していることを、

脈絡もなく、天声人語(笑)のごとく
飛躍と連想しながら、たれながしてみます。



結論が出ていなかったり、まだ行動しきっていないことも
中途半端な棚上げ状態も
次に未来にどうなることもわからないことだらけだけど
その経過を書いてみます。




10月に入って、お休みをいただいて旅行してきました~

旅先で、目の前のことに必死になって
普段の日常生活での役割分担から離れて、
垢や、自分の思い込みが
抜けていくのは、何にも代えがたいカタルシスですね~


実際にこの電照菊を見てきました。
美しかった!
このPVに写っている風景ばかりを旅してきたので
なんだか、不思議な気分ですね。

(電照菊(でんしょうぎく)って、何度も聞いたことが
あるぞ~!)と思って調べたら
地元の、愛知の名物でした。




沖縄やこちらに来たばかりの時は
まだ、ここに自分は属していないし、
違和感や、はじかれている気分だったのですが
すんなりと、溶け込み始めている自分がいます。


そして、
旅と休息は欠かせないと痛感しました。
夏から、「文章が、読めない・書けない」と延々と
悩んでいたのですが。
これは働きすぎだな・・・と。
どんどん視野が近くなっていって
なんだか、「即」「すぐ」答えと反応が欲しくなってる自分がいて。
人生は、クリックして進むパソコンの画面の
世界じゃないのに、それも忘れてしまう・・・

客室清掃の仕事をしていても、
感じるのは、

生きているってのは、
手順を踏む、ということなのだな、と。

ベッドを一つ整える、ベッドメイクするにしても。

シーツを広げる。
整える。
入れ込む。
上から、下から。
そして、掛け布団を広げる。
枕を置く
整える、
ひっぱる・・・


そのひとつひとつを
この両手や体や足を使って
動かしてやっていくことなのだ、ということ。

(これは、最近、読んだ
よしもとばななさんの小説「まぼろしハワイ」にもあった。

幼くして両親を交通事故で無くした、姉弟の話(「姉さんと僕」)で。
姉が、弟に語るのだ。

生きてるってね、洗濯をしたり、
手順を踏むことなのね、って。)


まどろっこしいようで、

脳内で考えてたら一瞬で
できたり、想像しているようでも、
実際に現実で
目の前のゴミを拾ったり
片づけたり
していくことなんだ、と。

トイレの便器にしゃがみこんだり、
浴室のカビを取ったり、
そういう
手を動かしていくことなんだなあ、と。


**********

この頃、夜明け近くになると
メッセージ性の強い、強烈な夢ばかり見て、
ギョッとすることが多いです。

今朝も、

死刑判決になる人(人形っぽいもの)を、自分が代わりに罰する。
そして自分(すごく幼くて、若い女の子)が、文章で、
(ジャーナリスト的な)その判決を知らしめる、stopさせる、伝える・おしえる役割?

を持っていて。
(マララさん的な?)



また分析や夢ヒーリングは後日受けるにしても。



自分の心情を言葉にしていくこと。
それは、時にとてもリスキーなことにもなる。




母や自分の親との葛藤を
他人に伝えて
また分かってもらおうとするのは難しい。

分かってもらえなくてもいいのだけれど
ただ、自分の中で
冷静になったり
ニュートラルになったりする地点が
見えなくなる

パニックになるのが
怖い。

地の底にひきずられそうになったり、
覆いかぶさって
窒息するかのような気分になる。

ここまで上がってきたり、
じわじわと、自分なりに
組み立てた生活や
思考法や
流し方や、
受け答え方があるのに
それが、一気に崩壊する気分になるからだ。


そして、勇気を出して
身を引き起こしながら
思うのは、

「私はこれほどアナタによって傷ついたのだ!」と
いう応酬のサイクルの中に居ては、
何も変わらない。
ということ。

底なしの、泥沼の中で足を引っ張り合うようなものだ。


・母がしんどい
・毒になる親

そんな本も、
「こういう思いをしているのは、私ひとりじゃないし
襲ってくる恐怖や、怒りや恨みを、
また、昇華したり整理しながら
自分の人生を歩んでいる人がいるのだ」と
よく、開くものの。


やはり、

行動していくこと。

自分の自立や
自分を自分で大事にすることを

同時並行しながら
やっていくのだな、と。





母は、まだ私に手紙を時々送ってくるのだが、
その内容は、

「(あなたのことは恥だから)
あなたが、今どこで何をしているかは、
親戚や、祖母(母の母)や、私の友人には言えない。つらい。」

という内容だ。


もう、そんなことを
伝えてほしくないのに。

そういう手紙は
身体レベルで、
ギュッと私を暗闇に突き落す。一瞬で。

電話をしても、その血や親戚同士の幼稚な揉め事に
私を巻き込んで
引きずり戻そうとする圧力を感じて
慌てて切った。



それでも、ここ4か月で
必死で築いてきたものが
一瞬で、また引き戻されそうで
目の前が真っ暗になった。


さまざまな
経験をしながら、


親の病的な、私への寂しさや、執着心。
それを、
相手にしなくていい。



と、やっと気づくことができた。


「必ず、毎日メールしてちょうだい」
「友達と、いつも、携帯で送り合ってるじゃない。
私(母親)にだって、メールできるでしょ?」


と言っていた母。

「自分たちが死んでるかもしれないから、倒れているかもしれないから」

と、常に、両親は
自分たちが
「死んだら」「病気になったら」という
可能性を突き付けては
私に、連絡を取らせるようにしてきた。

冗談めかして言えばいいのだが、
いつだって隙のない真剣で
逼迫した雰囲気なのだ。


だが、ハッと気づいたのだが、

そんな脅迫めいた関係で、
心が安らいだり安心できるわけがない。

もう、自分たちの寂しさは
自分たちで学んで、気づいて埋めてください。

と、思えるようになった。




だからといって、

両親の元を離れたら、

自分の理想通りの行動ができているか、と言ったら
もちろん、そうでもない。


実家にいたときに、

うまく逃げていたり、すり抜けていた部分を
今、学んでいるし
向き合っているのだ、

と感じる。


自分自身や、
状況が進まなくて
周囲の環境に、イライラしていても、

結局、今までやってきていなかった部分だったり。
「できるでしょ?」と
思い込んでて、

人生現場で今までやってこなかったことだったり。

ああ~この年(31)で、

「こんなこと」に戸惑っていたり、
できない、って恥ずかしい姿を見せるのは
カッコ悪いなあ~


と自意識との葛藤の連続なんだけれど、
結局それを気にしているのも

実は自分だけなのだなあ・・・と


気付く。





私が今年の4月に、
仕事を辞める前、1週間ほど、(両親には言わず)仕事を休んでいた。

その後、両親に休んでいることを言ったのだが、

その時に、父は私に仕事へのアドバイスをした。

次の日、相談しながら、一見うまくいったかのように見えた。


けれども、現実や
仕事の流れの方が、
もう私のカラダよりも上滑りしていって、
私のカラダが、スキー場の下り坂で、

取り残されて、足だけ
勝手に流されていくような気分になったのを思い出した。


ああ、私は両親の製品なんだな、と思ったのだ。
ポンコツで、修理しながら
両親が手をメンテナンスを手に入れていないと
私は、動いていかないもの。

もう、そんなのはやってられない。
いやだ、と。身体が選んでいた。



両親に、その夜

「仕事を辞めた」と報告した時、

父がいきなり泣き出して、

私の方が、冷静になってしまった。


「なんだ、結局、父は自分の方が可愛いのか」と。


泣きだした父を見て、母も私を責めた。

「あんな父は初めて見た、あんたが悪い」と。


結局、両親は
私がどう感じるかよりも
自分たちが、一番かわいいし、
自分たちが、どう感じているかが
一番大事なのだな。

と気づいた。


ああ、両親はもう。
何も私にとって
役に立たないし、
これ以上、関わっても
何も産みださないな。



と、その時にパサッと改めて自分の中で
決断の音がした。


遅い親離れ、ですな。




そうやって
(自分の中では)ギリギリのラインを
決断していくことで

毎回、ググッと世界が広がっているのに
気付いている自分がいる。






新しいことに飛び込んでいこうとするとき
そういう恐怖とか
自分の中の不安が

もたげてきて

今いる場所に
いつまでも、
ズルズルととどまりたくなる。


どうせ、うまくいかないよ。
そんなの、怖いよ
無理だよ。

疲れるだけだよ。
これ以上、つかれること、
しんどいことして、何になるの?
やめておこうよ。



そんな声が聴こえてきて、

ずっと足踏みをしたくなるのだけれど。


なんとかして
相談したり
言葉にしたり
できるところから
片づけて行って。

休みながらでも
時に、逃げてしまっても
また戻ってきて




やっぱり、進みたいし
自分を
変えていこうと思うのだ。





ワケありの人生
大変な人生
と言うけれど、
ワケナシの人生、というのも


この世には無いよね、

とも、ね。









安室奈美恵ちゃん Don't wanna cry

10代、中学生まっただなかに流行ってたのですが
あのころの、ヒリヒリした毎日にぴったりだったんですよね~