2014年10月9日木曜日

久しぶりにドリカム。


ねぇ 







MERRY- LIFE- GOES- ROUND





MIDDLE OF NOWHERE







その先へ







20代の一時期、ドリカムが大好きで
ずっと聴いていたことがある。
今聞きなおすと、相当ツライ曲もある。

24/7 とか(延々と、好きな人を思い続けてぐるぐるしてる狂気に近いような恋愛歌)
まあ、そういう精神状態だったのだけれど。(笑)


上に貼ったリンクの曲は、
改めて、いいな、と。


************

またしても、あっちゃこっちゃ日記。


自分が選んできた仕事も、好きになれなくて
職業も好きになれなくて
選んできたモノも道筋も好きになれなくて、

そうすると、次々と自分が選んできたものを投げ捨てていく
ことになって・・・

という状態だったなあ、と思う。


自分の仕事への気合の入れ方も、
大切の仕方も
わからなかった。





教師をやっていても
結局、自分を見つめる目が厳しすぎて、
あらゆる、理想や追いつけない自分が苦しくて、
行動できなくて
一気に押し寄せてきて
(文科省の意図や、学校側の意図や、生徒、
そして、仕事)ふがいなさにはいつも苛まれていた。


要するに、自分を好きじゃなかった部分がたくさんあったし
最後まで自分の味方になり切れなかった。





と、同時に
今わかるのは、

「これは自分で選んだ」という意識が
全然なかったということ。


両親を丸め込みながら
(丸め込む、っていう言い方は悪いけれど・・・)
かつ、今自分ができる範囲内で・・・

という「でも・しか先生」で、
選んでいたという意識は、
最後まで、ずるずると足を引っ張った。


今、とんでもなく安い時給で(700円/時)
コンビニもスーパーもなく、
お世辞にもいい住居環境とも
食事もいいとは言えないけれど・・・

それでも、ちゃんと自分で
選んだから
だから、きちんと、
得ている。答えを内側から。



客室清掃の仕事をやっていていいのは、
自分の内側を見つめられること。

内観や、内省にいいところ。
黙々と手を動かしていると
掃除していくと同時に、
瞑想のように、
いろんなイメージやひらめきが浮かび
そして、アイデアがやるべきことがやってくる。

もちろん、そのすべてが
100発100中のわけでもないが、

それでも、試してみる価値はあるもの。

ここでの生活で、
私は、産まれて初めて、
素直に

自分自身の頭のよさとか、
直感力とか
自分が気づく力や
自分のタフさ。

に、感謝した。感謝している。



やっと、今日、

「ああ、メイクしたい、注目されたいそんな仕事がしたい」
「自分の芸を生かしたい」

と思うことができた。

そんなことも考えることもできなかった。
小浜島での生活に、必死すぎて。


自分が我慢して回るなら、
イイと思っていたし
自分がごまかして、
それで波風が立たないなら、
黙っていようと思っていた。

けれど、ちゃんと後から
それは、ツケになって回ってきた。
何百倍にもなって。


それなら、その場で、
すぐに突っ込んだ方がいい。
小さな衝突で、大きな衝突を避ける。

と、誰かも書いていたっけ。


かぐや姫のものがたり、

を作った、鈴木プロデューサーが、

「男女同権と言われて、女性の社会進出も進んでいるのに、

男尊女卑と言うか、女性の方が、

昔ながらの振る舞いや価値観にしばられすぎてて、

すごく歯がゆい、というのがある」


と、かぐや姫の物語を作った経緯を話していて、

あまりによく分かり過ぎて(そして自分に染み込んできて)

ぎゅんと来てしまった。



たくさん自分の中で
まだ整理したいこともあって

それでも、整理していく方向とか
どっちに向かったらいいとか

この気持ちに素直になればいいとか
行動していけばいい。

とか、そういうのが、
やっと確実にわかり始めて
そういう自分を生きている手ごたえがやっと
あるから、

ああ大丈夫だなあ、

自分。
としみじみ思うのだ。




毎日、毎瞬間揺れる感情は
私だって女だから、
不安定だし、
ころころ変わる。
エゴや幼さをむき出しにしてグチに溺れたり、
なんとなく同調してしまって
後から、言えばよかった。
怒ればよかった。
そんな風に、後悔することもたくさんある。




それでも、
きっと、あの時に地元を出なかったら、

数年単位で、またメンタルの病を再発して
もっと出口のない場所にいたのだろうな、

と思うし。

そして、同時に
夢みたいに、今も教壇に立って
英語を教えている自分、も想像するのだ。

もしかしたら、そこで生きていたかもしれない
もう一人のワタシ。

せんせい、せんせいと呼ばれながら
やっていた、私。
懐かしく、思い出すし、
英語の文法書を見ても泣くし、
高校生の制服姿や、
高校の校舎を見ても、
何かが狂おしく自分の中で暴れ出す。

もしかしたら、
名古屋にいて、英語を教えていたわたし。


でも、それは私の人生じゃない。

選べなかった、生きられなかった道は
やっぱり、違ったんだなあ・・・と。


また、
地元からは離れて教職に戻ろうと思っている。

そして同時に、
海外に出よう、と改めて思った。

どうして?

と理由があるわけでもなく
衝動なのだけど。


もう、そろそろ日本に
こだわり続けなくてもいいじゃないか。


としみじみ感じたのだ。

感じられたのだ。

そんな自分に、またホッとした。













朝がまた来る



















0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。