2015年11月9日月曜日

映画「WE ARE Perfume」に涙


WE ARE Perfume 見てきました。


Perfumeのアイドルとしてのストイックに練習を詰めていく過程とか

ライブにかけていって、

舞台を創り上げるとか、

ダンス&歌になると、

圧巻で輝く3人。

そしてperfumeの曲は

私は20代後半、4年前ぐらいからハマったけれど、

ここ4~5年の思い出が

さ~っと水底から

浮き上がるように

脳裏や体をかけめぐったり。






2時間の映画の最後・
NY公演が終わった後では涙。


エンドロールに、また涙。


彼女たちの曲を聴いて、

小さな日頃のストレスからふっと抜けて

また日常の現実現場をやっていく。


そんな、小さな光のカケラを

たくさんばらまいてくれているPerfumeに

感謝だな~と感じました♪






主題歌 「STAR TRAIN」

くりかえし聴きたくなってしまう・・・・


























2015年10月31日土曜日

映画DVD「幕が上がる」


「幕が上がる」平田オリザ原作


高校演劇部員をアイドル・ももいろクローバーが演じた
 平田オリザさん原作映画。

かなり以前に見たのですがこの感想を。






さわやか。

重みがない。


あれって感じで、片手でつかんだと思ったら

気付いたらすりぬけていたような透明感を感じた物語でした。



文句を言っているのではなくて、

大人だったら、恨み・つらみ・怒り・悲しみが体の底に溜まっていて

鎖になっている部分が、

10代の高校生では

無くてただ、すぐに変われる次の準備ができている。

という軽やかさを感じた。


これは、高校生や10代と接してると感じる部分。

次の瞬間に変わっていく

その若さと早さが凝縮していたような映画でした。


そう、こんな時間を感じていたんだったっけ。







個人的な体験としては、


高校×演劇 は

高校時代演劇部ながら、いろいろと自分ができなかった
自分自身の暗黒時代・高校時代のトラウマてんこもり

で、こわい~(><)と

避けていた映画だったのですが、

今年の秋、自分の母校の文化祭で3年生の演劇を見ていたら、


あら~と。
自分の中にずらずらと、
脳内演出案が浮かんできてしまい、


演劇っておもしろいな!板の上ではなんでも有りなんだな!
と気づいてから

演劇への興味が前のめりに。

20代後半、演劇の演出をやりたい~!と
思っていたのを思い出しました。
(今はちょっと棚上げ中)



ももクロの、 走れ!


映画「モテキ」で初めて聴いて好きになった曲です。
次に動こうとする、その初期動作って

実は軽やかでいいんだよ。
力は不要なんだよ。

って教えてくれる気がします♪













ちゅうつねカレッジ経験してみて

ブロガーはあちゅう が、大学時代(10年前)から気になっていて、

この9月から1ヶ月半ほど、月額でお金を払う、ちゅうつねカレッジ (  https://synapse.am/contents/monthly/chu_tsune ) に入っていました。

起業家の方と、合同でやっていたfaebook内のサロンで、

さすが、お金を払って入ってきている参加者の方たちの意識や仕事能力は高く、

「お金を払うことで出会える人たち、つながれる人たち」を実感しました。

コメント欄の行間から立ち上がってくる覚悟や本気度に感染したかも♡


オンラインだから、全国各地の方がいるしね。

濃厚なアウトプットや、週一回で課される「課題」、にコメントしていくのですが、

さすがに仕事と目の前のことに手いっぱいになってきたので、

ひとまず退会。もう少しまた落ち着いたら再会しようと思っています。



「このカレッジに入った人の人生を変える!」というのが、テーマだったらしいですが、

確かに私も、
このFBグループに入って、判断⇒行動が早い方たちのアウトプットを見て、

そうだ、即決して行動していけば何かが変わるんだ。

というのは体感した学びでした。

あとは、元をとるために、とにかく言葉にして書く、というプレッシャーがありましたね。

facebookグループはスマホだと見にくいので、
その見やすさを何か配慮してもらえるとありがたいなあ・・・と思いながら

有料コンテンツへお金を払う価値や、
はあちゅうが人気がある理由なども感じたりしました。

彼女が圧倒的な結果を出しているのは
やはり、それなりに具体的に動いているからで
それをやっかむものでもなし。

地をはう努力家・はあちゅうと感じました。











NVC(非暴力コミュニケーション)勉強中です!

NVC(非暴力コミュニケーション)というコミュニケーション方法を学んでいます。

今年の2月ぐらいから、友人がfacebookで参加したのを知って、
私も興味を持って行ってみました。


行ってみて、自分の言葉が無くなる、
ボキャブラリーで語れなくなる
(言葉で語らなくてよくなる)という体験をして

おお、これは水が合う・・・と。

現在、川口久美子さん(彼女のブログ ⇒   http://kokirin.blogspot.jp/  )

のオンラインコースで学んでいますが(5回連続で、残り1回)
毎回気づきや、人生現場で巻き起こる内容がシンクロで起きてきています




このオンラインコースに申し込むにあたっても、「お金が足りない」というところを、
川口さん自身が、メールをくださって、
分割で講座料金を支払うように心を配ってくださいました。



このNVC,日本に紹介されたばかりで
なかなか説明がしにくいのですが、
分かり合えないと感じる相手と橋をかけていく

そんな方法だと感じています。


正直、仕事も何もかも忙しい時期にこの学びを始めたので、なんでこんな時に
こんなに時間と労力を割いてるんだ!?私は(=_=)って
気分になりましたが、

ほいほいと、つまみ食い状態ながらも、
日常の友人知人との会話に使えますね。

まあ、ただ、私は両親との喧嘩は激しくて
実の親とはまだまだちょっと生かせてないです。
私自身も、大人げなく、両親には対応してしまう場面が多いですね・・・


毎日毎瞬間、ゆらゆらとゆらぎながら、
試行錯誤はつづきますね~









1024 蝶々さんただいま祭り

10月24日(土) 伊勢神宮にて 好きな女性作家・
蝶々さんのただいま祭り 行ってきました!



ただ、その週はもう疲れすぎてて・・・
仕事の波動を引きずったまま
ルーズな時間感覚で、伊勢に向かってしまった・・・
なんか、ドタバタ喜劇な日でした。


友達5人ぐらいをお昼一緒に食べようと私が予約していたのに、
私本人が一番の遅刻。(^_^;)

そして伊勢市駅から内宮に向かうバスで、すぐ後ろに立っていたかわいい女性の
手首に蝶々ブレスがついているのを目ざとく見つけてナンパ。

予約してあったお店で早口で
再会した友達と近況報告・お昼ご飯、会場に向かい・・・と
なんだか、ものすごい凝縮してたくさんの人と会いました。(笑)


前回の蝶々さんが直接話すイベントから、

2年間の間があいていたのですが、
その間に自分自身が経験したこと
変わってきたことを実感。

結婚したり子供を産んだりまではしなかったものの、


なんと、その間に、私は一度職を離れて、沖縄に行っちゃうし、
帰ってきてまた教師やってるし。
なぜか占星術習って、お金頂いて仕事にもしてるし。
いつのまにか、友達増えてるし。
なんだか、あっちこっち首ツッコんでるし。


そんなの、2年前の自分が聞いたら
絶対信じなかっただろうなあ。と。



そして蝶々さんがすでにママになってたのもビックリしたけれど。

久しぶりに数年ぶりにあった友達が、子供が増えてたり、
お腹に赤ちゃんがいたり、
占星術を読ませて頂いた沖縄&広島からの、蝶シスちゃんと初めて顔を直接
合わせてお話できたり。




そうかあ・・・

もう、私はいろんなことができちゃって、
たくさんの人とつながりがある、顔の広い人なんだな。
これ、もう認めよう。いい加減。




久しぶりに会った蝶シス友達がたくさんいて、
会場内を歩いてると、あっちもこっちも、わーきゃーと楽しかった♪

蝶シスさんたちは、白い明るい服をきていて、ふわふわと細かったり
美しかったなあ。
会場に入ったら、波動が高くて足がふわふわしました。
まあ、のぼせあがってたからかも(笑)



自分の成長変化が実感できてうれしかったなあ。
旧知の友は、また自分を写す鏡でもありますね♡



















ネタバレ注意。映画「マイ・インターン」やっと見てきました2


プラダを着た悪魔から9年・・・


ということで、主人公のアン・ハサウェイも、会社社長。子持ち。となって
活躍する映画、見てきました。

レディース・デーだったので、めちゃくちゃ混んでて、
前列2列目しか空いておらず、泣く泣く大スクリーンを見上げながら映画鑑賞。
ここまでハリウッド映画は人気がまだまだ、あるのか・・・!と実感。
ハリウッド映画がもたらす価値観への影響力はあなどれない。

私の右横(空席ふたつ向こうの)に座っていた、
おそらくアラフォーの女性ふたりは、
ものすごいノリノリで見ていました。ひとつひとつのシーンに
「えー!」とか、「きゃー!?」とか聞こえてきて楽しかった。


笑いが起きるシーンでは、結構お客さんも反応があったし。
映画館で見る醍醐味ですね。


映画館で見る醍醐味と言えば。

昔、
園子音監督の「冷たい熱帯魚」というスプラッター映画を見に行ったら、
おそらく、園子音作品のファンの方がたくさんいたらしく、
タイトルが出ただけで、爆笑!という雰囲気のいい時がありました。
落語を見てるみたいで楽しかったなあ。



そして、プラダを着た悪魔を英語学習に使っていた私としては、
オマージュシーン満載でにやにや。

ちょっとした小道具や、台詞回し、カット割り。
カメラの背景も、「あー!プラダを着た悪魔のあのシーンでしょ!!」と
叫びたくなるようなシーン満載。

おそらく、もうしひとりの主人公・ロバート・デ・ニーロが出てきている映画からの
引用もたくさんあったんだろうなあ。
そこまで、映画を見ていないのでわからなかったけれど。

アン・ハサウェイ演じる女社長が、
社長であるがゆえに、やっかまれたり
うとまれたりする部分、「彼女はキツイ」と言われる部分も
書かれてました。

これは、私も悩ましくて、

結局、仕事をガツガツやると(特に教師とかは)
「怖いオンナだ」「かわいくないオンナだ」
と見られるのが怖い。という。

彼女も、家庭を見る余裕がないから、
外からCEOを迎えて、自分のボスを迎えようとしたり。


結局、自分自身の素晴らしさ&価値に気づいて、
彼女は彼女自身のリーダーになっていく・・という。


ロバート・デ・ニーロが、
ヒロインに対して、「あなたほど、素晴らしい仕事をする女性に出会ったことがない」

というのだけれど、
最高のホメ言葉だよなああ!!と胸の奥に届きました。

これを自分自身で自分にかけたいよね。

やはり、昔堅気の男尊女卑と言うか、
自分のやっていること
出している結果を貶めたり低く見たくなる癖が自分の中にある。


自分がやってきたこと
すばらしいことへも、目を向けて行きたいなあ、

と最近の自分自身の個人的な課題も絡めてしみじみと見てしまいました。

ハリウッド映画がすごいのは、
こういう風に、それぞれの人が
それぞれの人生を投影させながら物語を読み解ける
物語浴ができるところなのかもしれませんね☆


そして、アンハサウェイ、やっぱり美女。
ロバート・デ・ニーロかっこいい。

俳優さんの演技や美をお金を払って見るという時間も
また人生においては必要不可欠だなあ。





※ マイ・インターン公式サイト ⇒

http://wwws.warnerbros.co.jp/myintern/

映画「バクマン」やっと見てきました。






バクマン、レディスで―にやっと見れました!
仕事でアタマが追われて全然行けなかった。
原作もアタマ最初ぐらいしか読めてなかったけれど
好きな監督さんだから絶対見たかった。


映画館に行ったら、結構高校生も入ってました。
さすが人気作。


それにしても、マンガを描くと言う地味な作業を
ここまでドラマチックに描くのがすごいな~

役者さんも豪華で、
リリーフランキーさんや
クドカンが出てくるだけで
画面の安心感が違って、
にやにやしてしまった。


大好きな大根仁監督の作品・・・
モテキからファンですが、自分語りとかひとりごとモノローグが面白い。
男子の妄想話になると
俄然輝きを増すなあ~と。


そしてエピソードの絞り込み具合
削り具合が秀逸でした。

なんだか放置の未回収エピソードが多かったんだけれど、
これはバクマン2を狙っているんだろうか?


それでも、何かを目指して
行動に次々移していくってすばらしいな。

ヒロイン演じる小松菜奈ちゃん、
すごい存在感で、
ほえ~となりました。


あの顔立ちと口元を見てるだけで、
主人公がぞっこんになるという
男子高校生の妄想エネルギー象徴になるよなあ。



邦画で、元気の出る
自己啓発書を読んだ気分になった。

「おらおらおらおら、やるぞー!」
ってな気分になれます。笑


※公式サイト ⇒ バクマン










2015年7月14日火曜日

【長いよ】占星術のモニターセッション30分受けてみました。

友人のfacebookシェアから30分モニターセッション skypeで受けてみたYO!


アジュガさん。

私も時々占星術セッションするけど、自分がお客さんの立場だと
こういう気分になるんだなあ、と勉強になりました。

この頃自分でやってたことの道筋 全部ALL OK! ・・・て感じ。
そういう関連本ばかり読んでいるしね、気づいたら・・・
目に飛び込んでくるのも「自己愛」テーマの文章ばかり。



— YOSHIKO (@MizzouYoshiko) July 14, 2015


自分に対して厳しすぎたな、厳しすぎるなというのは
これまでを振り返ってきて思う。
あまりに厳しく潔癖で完璧主義を求めるあまりに、
残しておけばよかったなあ、というところを
切っていた、そぎ落としてきた
とも言えるけれど

それはそれで、自分の若さゆえだし。
そうして、そうやって自分を護ってきたのよね。

自己嫌悪は 着ぐるみでその、中心にいるのは
自己愛だな、と 今日もふと。



お風呂に入りながら、お風呂上り、
「愛してる」「ごめんね」「ありがとう」(ハワイに伝わる、 ホ・オポノポノ ね
って体を洗ったりケアしててふと浮かんできた。



それだけコントロール(占星術的に言うなら土星)が効いてるので
教師は一生やっていく感じですね、と。







先日別件の 「見える方」(大須 マリイットさん) に、

「あなた、仕事上のコミュニケーションが下手。
周りの人は、『あなたが何を言いたいのか、どうしたいのかわからない』って思ってるわよ。
コミュニケーションを習いなさい」

と言われ、
 ショック・・・ガーン・・・今更、コミュニケーション習うの!?怒

と、思ったけど、

冷静になると、私、「結論をどこまでも留保する、先延ばしにする」という癖がありまして。

あと、仕事仲間は、
基本的に
「この人私のコトわかってくれないでしょ?」という気持ちがあるな、と。

荒が先に見えてしまうので、それを全部指摘すると正論過ぎてキツくなり過ぎるし
怖い印象を与えるし。

じゃあ、どうすれば伝えられるのだろう~?って
いつも思ってたかな。

利害関係の無い人や、友達だったら腹を割って話せるし。
自分の感情や問題について。

でも、ま、そこはもうそろそろいいかなあ・・・という感じ。
承認欲求ゾンビになって、悩みたいんです~ ってのは
もう卒業したい~。

基本的に、「お前は黙ってろ、じっとしてろ、大人(保護者)が完璧にやってあげるから」
という環境にいたので、
そこに反論せずにじっとして待ち。が基本姿勢になっていたかもしれない。

自分が仕事に対して
そこまで情熱を持っているのを見せるのが怖いのかもなあ。
あと、どう誤解されるのか、とか
反応が返ってこないのが恐怖。

どう思ってるのかがよくわからないし、指摘したら、
沈黙される場合が多くて。

ただ、それって相手にとっては、
「考えてなかったです」「そこまで言葉になってなかったです」
っていうのが多いんだよね。







「具体的にこの時期に 起こる。」

という可能性を示唆してもらえるのはありがたいですね~。

それに向けて、自分を満たしてゆく、自分で自分を幸福にしてゆく。
自分で自分のご機嫌をとるのが一番。
今が幸せであることが、未来も幸せに・・・

・・・てこれ、全部、最近買って、繰り返し読んでる、
大人女子・子供おばさん に書いてあったことだ~




あらためて肉声で言われると
響き方が違う・・・





恋愛については、かなり棚上げしていた。
「あなたねー自分勝手すぎ!」と 前述のマリイットさんに言われて

ガーン((+_+))

と来てたけど、確かに、私は

自分の直感・欲望・体・感覚・言葉がバラバラだったし
今もけっこ~ バラバラ。
それが直結すると、即、怒られる、矯正される親だったから生命維持のためもあるか。

その場で、私は、相手に、
こういう行動と言動が、望まれてる・・?

と思うと、過剰にそこに合わせてしまう癖があるし

自分の知識や直感、わかってることを、
隠して無知や無力を装って擬態する癖もある。と気づきだした。

なので、後からぶわっと湧いてくる言葉でこうやって
感想を書く、、SNSやブログ、twitterというツールは楽です。


生き方が違うから、
親の経験もアドバイスも全然役に立たないし


やはし、占星術も現実に生かしていくのに
とってもパワフル☆ありがたいツールだにゃ




今回お世話になった、 
☆ アストロ・アジュガさん  → http://www.astroajuga.net/


2015年7月13日月曜日

猫町倶楽部初心者読書会 と 私

先週土曜日

ここ5年ぐらい私が出たり入ったりしている
猫町倶楽部読書会
初心者の方を集めたイベントでした。




主に ツイッター でつぶやいたのでそのまとめ。



課題本(本を読み終わって来てくださいね。という場所です)は

東浩紀さんの、「弱いつながり」 

自分の担当テーブルで、ファシリテーター(略称:ファシリ) をやりました~♪
(司会進行役のような。各参加者のおしゃべりや感想をひきたてつつ、時間調整する役目)




相手から出てきたことを
アドリブでつなげていくのが楽しくて(笑)
しかも、それでしゃべっていいなんて情報屋としてはサイコ~♪

ファシリは、読書会のみならず場数を踏んでいきたいにゃ。


最初私が参加した当時(2010年~11年あたり)は
mixiが交流の拠点だったのですが、

現在それは、twitterになってて、twitterで
各サポーター(ボランティアスタッフ)が
リアルタイム実況中継に。


常に初めての参加者の人たちに開いてゆくというのは難しいですな。

どんな組織やグループでもそうだけど、
どうしても内輪&内輪ネタで固まりがち。

初めての方に声をかけて行く、説明してくっていう。
なんか、自分がやっぱりどこまで素直になるか、腹を割るか~の連続ですなあ。





さあ、外に出てみようよ。
新しい世界に行ってみよう



と優しいメッセージを発しているのが

東浩紀さんの「弱いつながり」の本メッセージでもありました。

(途中の哲学者らしい言葉の説明とか、
めんどくさいなシンプルに言えばいいじゃん。。。
←学者さんだから仕方ないものの
とイラッとしたけど)









結局、気づくのは、

猫町倶楽部や読書会(のみならず、他の場所でも)
自分を投影する場所だな、と。

相手がすごいと思っているのは他ならぬ自分で、じゃあ
それに対して

さて、私はどうしようか、と考えるきっかけの場なのだなあ・・

と、やっと気づいてきた(笑)


行く前は、参加する前や準備中は
「めんどくさいなあ」「疲れてるしやめようかな」って思うんだけど
(もちろん本当に休んだ方がいい場合もあるので見極めは必要)

実際にその場に足を運んでみたら

わーって 発見とか
思いもしなかった、予想外の化学反応が、出会いが、起こるんだよね。
右脳を使う感じ!

本の感想からでも、思ってもみなかった言葉が言葉を呼ぶ。
言葉は感情を想起して、現実を変える。



自分の内側で閉じて、こうしたらこうなるだろう
と 計算してたのが はずれていく。



だんだんそれが日常になってるな~ と実感ちゅう。


さて、

猫町各分科会にて、紹介プレゼンバトルがあり、

私がサポーターをやっている
アウトプット勉強会は、惜しくも一票差で、2位でした。
テレビニュース風寸劇を作り、サポーターメンバーで
スカイプで何度も練習をしたというのに・・・!




(画像:せきどめシロップさんより)

仕事が忙しくてあまり前準備にガッツリ食い込めなかったのですが、
準備のノリが、高校生の文化祭みたいで楽しかったよ~



猫町ナイトは時間の関係でサラッと途中で帰ってしまったけど
爆音クラブ面白そうだったにゃ



☆初心者読書会 ツイッターまとめ (スタッフと初心者の方両方の声☆)
⇒ http://togetter.com/li/846166




☆お申込みはこちらから♪ 今すぐアクセス!

⇒ http://www.nekomachi-club.com/






・・・・また自分大好きな記事を書いてしまった・・・




2015年7月1日水曜日

東村アキコ「東京タラレバ娘」が超痛すぎde気持ちイイ(笑)。

現在アラサー・32歳独身彼氏ナシ(2015年7月1日現在。笑)

実家暮らし

大学生と肩を並べて働く フリーター 

月収11万(2015年6月現在) ・ 親のすねかじり状態 もとい 寄生虫状態。


精神的独立&経済的独立を目指して、みっともなく、もがきまくり。

あがきまくり。


・・・の私にとって、



マンガ雑誌を立ち読みしてたら登場してきた

東村アキコ 「東京タラレバ娘」



ほんまにすげえええ!!と思ったマンガ。


リンク→ http://konomanga.jp/interview/28388-2/2

(これ、あとがきにもあるけど、

間違いなくドラマ&映画になるのでは?)



読んでて、
もう、超痛い。(笑)

バッサバッサ切られ過ぎて

なんか、もう・・・
笑うしかない。(笑)

ショック療法。
ドMになって、自分の状況が良く見える。

東村アキコの

冷徹な観察眼が、

都会と日本独身女性にうずまく

生霊・怨念にするどくメスを入れてる!(笑)





・・・とさえ感じた。



30歳過ぎてて

独身ですいません(・・・誰に対して謝ってるか意味不明なんだけど・・・)

すいません、って自分への罪悪感やら

焦燥感やらが、コメディーながら、

海外のドラマ(辛辣な皮肉と、

アタマの良さを感じさせないが実は超絶アタマのいい人しか描けないユーモア)調で

描かれてて、

気持ちいい!!!



主人公33歳独身女性(女子でもない!)たちが、

「いつになったら結婚できるんだー!」と

叫びながら、

もがきまくるマンガ。



「貴様いつまで女子でいるつもりだ問題」(ジェーン・スー)

という、秀逸なタイトルの本も連想。

そう、いつまでも、、自分のことを「女子」とか「女の子」って呼んでる場合じゃねえ(笑)





これを読んだ後で、
バッサリ言われるよ~と
友人から前情報を聴いてた、

占い(見える方)に人生を見てもらったが、


ショックを事前に受けておいたぐらいの
麻酔になった。(笑)




そして、読んでて思った個人的感想。

うーん、たしかに、
肌も髪も20代のぴちぴち感はないし、
動作もとろくなってる
容姿もなあ・・・て感じで、


その情けなさは痛感してて


よくよくわかるんだけど、

ここでの登場人物たちと
決定的に違う部分がある。



私は貯金がない(笑
実績もない。(笑)


ここに登場する3人組は、アラサーの持ち物は貯金!

と言い切ってるけれど、
20代にうつ病や心身病で終わった私は、
仕事もまともにしてなかったし、


全然貯金がない。
下り坂になるほどの
 仕事もない(笑)


だから、

無くすモノもないので、
腹もくくってて、
かなり開き直って、
SNSにもfacebookにもtwitterにもなんでもかんでもじゃんじゃか書くし、
とにかく、動いてるし
勉強会とか興味あるところはできるだけ
顔出ししてるし、


私は行動してる。(笑)ということ。


このマンガに登場する3人は

女子会ばかり開いてて、
新しく出会う場所に自分から飛び込んで
勇気を出して行ってない。

20代のままの惰性で続けてて
恋愛&結婚、(と言いつつ実は、それは生き方。価値観。仕事すべてに通じる問題)

うまくいかねえんだよ!と。

湯山玲子さんも雑誌Ane Canで言ってたけど、

「30代の女性は地獄です」と。

20代のチヤホヤモテ期を通過し、
そして、自分がそのままではもう通用しないことを知る。

人間力勝負、教養勝負になってくる。

だから、本を読もう、古典を読もう、

映画を見よう。

そしてそれを自分の実人生体験と

織り交ぜて自分の言葉で語れるようになろう

成熟した大人になろう。



・・・とおっしゃってるのだ。





そして本当に、そういう大人になりたい。





自分でも、自分の言動や

行動が、後から振り返ると、

イタイなー

と反省することばっかり。

感情的に高ぶりすぎたり、

お節介しすぎたり、

わがまま言い過ぎたり。

あー「子供おばさん」やっちゃったー!!と

ひとり大反省会によく陥ってる。


絶対になりたくなかった、

オバサンってやつに、

感情に流され過ぎる

グチっぽい年の重ね方をしてて

いてえなー自分。とよく思う。

そうやって気づきながら、

一歩ずつ歩いてる。


これも、可愛い自分だね~

と、最近のテーマは「自己愛」

どんな自分も愛しながら、

そして、そこから、自分軸に決めていくこと。

自分にウソをつかないこと。



そうやって、

生きて行こうと思う。



このマンガのタラレバ娘たちは、

きづくのかなあ。(笑)

全く同じコピーではないけれど

ところどころ、似てて、

ガシガシ、おばさん3人組(ひどい!)に

ツッコんでくるイケメンモデル男子の言動にうなづいてしまい、

この年になって、繰り返し読んでしまうマンガなのです。


笑える。

でも、これを笑えない人もいるだろうし

私も、笑えない日もあるだろうw これから。w




でもさ、

誰だって歳をとるんだよね。順番なのだ。






2015年6月15日月曜日

「まわりの人間はバカばかっかりだ!」!?



twitterでつぶやいたことを加筆してみました。

昨日NVC(非暴力コミュニケーション)の学びに行って気づいたこと。

*****************



私の周りに、
なぜか一定周期で、

「まわりの人間はバカばかっかりだ!」

という男性が現れる。

確かにそれを言う本人はインテリだ。


が、

恩師、同世代、ついには高校生が私に語ってきて、

おいおい
なんなんだこれは(^_^;)と思ってたら、

私自身が、「周りの人間はバカばっかり」
と思ってたことに気づいた。






「周りの人間はバカばっかり」
(何も自分の頭で考えてないし、行動も変えない)

という言葉の刷り込みは、
冷静に振り返ると
幼いころから、自分の父が言っていたことだ。


なので、私は父が言っていたように
それを受け止めて聴く癖もついていた。

相手が、笑ってほしそうだ、と先読みしたら、
やたら笑って流す癖もついていた。

無意識に。

ああその言葉の奥の、言いたいことは分かりますよ。という感じで。


まあ、分かってなかったけれど
空気感は受け止めますよ
その焦燥感はなんとなく寄り添えますよ。
というニュアンスで。


そしてそういう、考えは

おそらく顔や雰囲気に出るようで
自ずとそういう考えをする人と縁があり
そのような意見表明をされてきたのだろう。





父親と言うより、父が象徴するような世代的な連綿の
表現の連鎖。

だけどさ、現代の高校生にもつながってるのだから
そんなに世代間って無いよなあ~




で、やはり

「周りの人間バカばっかり!」って物言いは
自分の腹の声としても、あまりにも
いかがなものか、と思っていた。

キツすぎるし。ね。




そして昨日NVC(非暴力コミュニケーション)の場で、
学んだのは、

自分の内側の暴力的な声、マウンティングの声は 
「ジャッカル(肉食獣の)」と呼ばれている。

そして、それは、
実は・・・

ジャッカルの着ぐるみを着たキリン、だということ。
 
キリンとは、NVCの中で、ニーズ、根底にある想いの象徴。 

つまり、「周りの人間はバカばっかりだ!」という暴力的な物言いの奥には

ある純粋な結晶の想いがある。


「まわりの人間はバカばっかりだ!」と私がいう時。


「この世をもっとよくしたい」
「もっと危機意識持てよ!」


という熱すぎる想いと愛が根底にあるな、


と気づいた。 



そして、大体、振り返れば、

「周りの人間バカばっかりだ!」と怒ってる男性たちは


いい仕事をしてたり志は高かったり、
アグレッシブに学び続けてる人たちばかりだ。


で、そこで感じる違和感として。



これからの時代、

「周りの人間バカばっかりだ!」の掛け声は

・・・言おうとしてることわかるけど、
やはり、旧体質じゃない?ってコト。



あと、自分自身を裁くから自分がきつくなるよ。と。


だから、ふっとそうやって
気づく瞬間、抜けて俯瞰する瞬間が持てれば
それでいいんだよ、とも昨日のNVC講座より。




話変わるが、

スティーブ・ジョブズは、若いころバイトで入社した会社で、

「この会社では俺が一番頭がいい、周囲の人間はバカばっかりだ!」と実際に公言
即有名&嫌われ者だったらしい。 

彼のその一見ネガティブなエネルギーの出方が
還元されてapple社となり今も私が使うiphoneやらを産みだした。



自分の中の暴力的な言葉や過激な言葉は、
実は生命エネルギーが形を変えて発露したがっているのだなあ・・・

NVC、うーん、使える・・・私にとっては。






「スーパー高校生」って大変そうだ

twitterのつぶやきよりまとめてみました☆




「スーパー高校生」という子と接する機会がある。



大人顔負けの企画力と実行力を持ち、いい視点を持っている。
あ、たしかに、私より頭いいねえ、とよく思う。

周囲に力を持つ大人を引き付ける縁もある。
それも本人のパワーだねえ。


話していればどこまでも、軽やかに思考が飛んで行けるような、
打てば響く理解の速さ
左脳がくるくると回り

十代特有の伸びと接続が早く、
刷り込みも限界設定もないから俺様・圧倒的な自信を兼ね備えつつ
脳神経細胞シナプスが有機的につながって、
成長していく音が聴こえてくるような。

はー快感。


というところに快感原則があるので、
教師職が好きなのだろうな、私。






しかし・・・冷静になるとね。
「スーパー高校生」の「スーパー」ってなんだ?
どこのスーパーマーケットっすか?(冗談です。笑) 




そして、大変そうだな、と思うのは、
周囲の20代、30代、それ以上の年齢の、

技術を持った大人が、
すでに16~17歳と言う年齢で仕事仲間として 
立ち現われてくること。 


ただでさえ、自意識過剰な年齢で、自己評価と他己評価のズレが大きい時期なのに、
それに加速してまた、そのズレが大きくなること。
自分を俯瞰してみる視点がまだまだ無いこと。


周囲の大人の立場からそれぞれ投影されること。
大人のみならず、同世代からも、
自覚的であれ、無自覚であれ、劣等感、嫉妬、エゴ、誤解、
それぞれの解釈をぶつけられる総量は大きそう。

だから成長できるとも言えるだろうが、まあ
(CHOざっくり言って、)苦労も多いだろうなぁ。


「高校生」というブランドを自分で名乗って大人の思惑に
からみとられていっているのではないか? 
わざわざ踊らされに行ってるのではないか?と。 

別に本人が悪いとも言い切れない。
それを準備してきたのは大人、私の側にもある。





今思えば、私自身の高校にも、
いわゆる「大人顔負けの能力を発揮する高校生」はたくさんいた。
数学オリンピックに出続けている同級生、
絵画においての目覚ましい活躍をする友人などなど。 

いつの時代だって、とびぬけた活動をする
10代はいる。





それに対する対処法は? 

と思うと、


イチロー(野球選手)が、名電高校時代、
甲子園が終わった時に、周囲の野球部員が負けて泣いているのに、彼だけが淡々と、
(さあ次はプロ入団だ。プロへの道のりの方が長い)と、準備していた。というエピソードが浮かぶ。

プロ野球人生の方が長い。
その後の彼の活躍、自分自身の冷徹なまでの目や自己調整の連続の日々は推して知るべし。
(「努力する天然ものは最強ですね」とはイチローを評した知り合いの言葉。)

感情に流され過ぎないで、自分の中の小さな小さな、静かな声に耳を傾けてる。

自分を俯瞰して淡々と 
違う自分カメラから見られるかどうか。
その視点を少しでも育てられるかどうか。だろうか。



私のあくまで
個人的な問題意識。


子役タレントで活躍した芸能人が思春期や
10代後半20代後半になると荒れてしまうという例も見てきているから。私は。


何も分からない子供がその当時の
全能感のままで生きて行こうとすると、、
成長して、身体的にも精神的にも社会的にも違ってしまえば、
当然おおきなズレが出てくる。

現実との乖離感がすごいだろう。
今まで通りにはいかなくなる。

ここで、メンタルサポートとしての、
ヒーリングがとっても有効な気がするんだけど。



そこから、また何を選ぶかは本人次第。

新たなチャレンジや、今までの皮や役割分担を破るための自ずと何かが必要となる。

私は、そういうスーパー(って何度も言うけどナニ?)高校生(って、単純に一般化して、くくれる存在もいない、繰り返すけど)という名前をつけてしまった
大人(って存在もいないが・・・)の責任の一端で、

言語化する説明責任義務や、水を差すような冷静な意見を言う立場。




そして、その高校生が、
ひとりの等身大の悩みや苦労を、大切にしてくれや、と思う


かわいい、その悩みや苦労は、
とてもあなたにとっては、大事なもの宝物なんだよ。と。 
周囲と圧倒的な違い(と感じるかもしれないところ)に悩んでも、怒っても。 

と。





時に自分は特別なんだ、と、特権的な意識を持つかもしれない。
(私だって32歳ながら、時々持つ。笑)

それだって、何か結果を出していくための
起爆剤になるから
罪悪感をもつところでもないし。




正直、今のコミュニケーション能力&技術を持ったまま
高校生に戻らせてあげるよ、と神様に言われても即拒否する。(笑)

今の能力のまま戻ったら、「スーパー高校生(笑)」になれるんだろうけれど(笑)
激しく傷つきまくるだろうからなあ、あの柔らかな感受性の中で。


やだよ!
あんなに不自由で周囲の大人の思惑の中にでしか
生きられない窮屈な、場所。(笑)









スーパー高校生だろうが、スーパー大学生だろうが、32才だろうが、

まだまだ何もわからないからね

大丈夫。


世界は
ずっと、ずっと、大きいからね


今いる場所は、まだ点で


狭い場所だからね



そんな自意識もエゴも


吹っ飛ばしてくれる



出会いも、人も、世界中の国や地域も 出来事も、



まだまだこれから準備されてるから。


















進学校の高校で教えてみて

twitterのつぶやきより☆




私はある程度の進学校の高校(中学時代ほぼオール5)で教えて来た。

要するに、エリート校という場所。



まず、私は、個人的には好きでした。

相当、高度な抽象的な話が通じるから。

こっちが気になる内容を、容赦なくぶっとばして話しても、
引かないで食付いてくるからやりがいあるし。
バーバルなコミュニケーションできるし。

真理とか天に接続してるー!って(個人的に)私が思う話題を
ふっても、ぶわ~っと広がるので、双方楽しい。
win-winな関係(笑)



で。



生徒が悩みが無いわけじゃない。
年相応の悩みがある。
日々迷ってる。

確かに、彼らは、
小中で義務教育の『箱』の中においては
トップクラス、



(あくまで、大人が大人の都合で、
今までの日本の歴史背景から、
準備してきた、『箱』 de あーる)

教師から大人から、可愛がられる、振る舞いができる。

うまいな、よく教師&オトナ のヒットポイントを突いているなあ、としみじみ感じた。

「先生はこういう生徒としての振る舞いが好きなんでしょ?
ほらほら~優等生で文句ないでしょ?ですよね?ですよね?」

と、メタ言語を駆使してくる。




そのメタ言語に、教師の側は、
「よしよし、OK。はい高得点あげるね。」となる。

だから、内申点=通知表がとれてきたの de あーる。


それで、


「〇〇高校(に通ってる)から、すごいよね」
「〇〇高校の生徒だから・・・」と、大人はラベル付するんだけれど、

それは、入学時点の内申点&学力ですから!しょせん。
過去よ過去。
過ぎ去った部分よ。

入学してから、勉強についていけない
勉強への意欲がわかない
メンタル問題

などなどたくさん、うなるほど見てきたさ~

そして、それらに対して
ほとんどの教師は(もちろん例外もいる!!!いるけど。)

内心、

「わからない」
「めんどくさい」
「かかわりたくない」
「対処の仕方・問題解決がわからない」

と考えている(!!)

私の場合、社会人や大人は、自分よりも圧倒的に土俵が上の人ばかりだと勘違いしていたので、
この衝撃たるや、すごいものだった。





ま、

その高校にいるということで大人がラベル付して、
ついでに、マジメな生徒はそのラベルを生きちゃうから、

孤独や悩みはある意味深い側面もある、という印象。


別に、〇〇高校にいるから

人生の苦悩に対しても
己のメンタルケアに対しても
すべて対処できるわけでは無い。

もちろん、なんとか試行錯誤していこうとする生徒もいるが、
大体わからん。




教師の中にもね、「〇〇高校の生徒だから、君たちは」って
よう、言うときあるけれど、

それ、何も内容を、言っていないじゃないか。


あとじゃな、〇〇高校で教えてる自分はスゴイ。
という思い込みも教師の側にあるのだが、

単に、〇〇高校で教えてるからって、
先生の側がすごいのじゃない~


成績優秀(という情報処理)が早いのは生徒。

生徒の方が理解が早いからね、
授業が下手でも、解説がつたなくても、
生徒の側がそそくさとまとめてくれて、
勝手に勉強してくれる側面がある。正直、楽です。

しかし、それでいいのか、と。


確かに、進学校の生徒は、どちらかといえば、経済的に豊かで、
きちんとしつけられて、敬語を使える生徒が多かった。

ご両親も高学歴で、家庭の文化として
学んだり、教師を自ずと尊敬する態度が身についていたり。


だが、それに対して

嫉妬したり、劣等感持ったりするのは、周囲、大人の側、
つまり、
自分の側であって、生徒の問題ではにゃい。


「高校生」って存在はいない、ただ一人一人の違う人間がいるだけ。ね。









だからこそ、

私も、日々、どれだけ自分がニュートラルでいられるかどうかの挑戦です。












学びは快楽♪ 


スピリチュアルでもスピリチュアルではなくても、どうでもいい、

と思うようになった

かなり大きな変化、自分の中では。


どうでもいいというか、どちらでもいいから

言葉のあいまいさと、

伝えるときにどちらが、自由で広くて

大きくなるか、ということ。


例えば入り口が、

手に取りやすい話題が、

例えや、具体例として、

恋愛でもいいし、


恋愛じゃなくても、いい

相手によって、

伝える相手によって、


その切り口が入りやすければ、そこからでいいし

そこが違うなら

入りにくいなら、違う角度から伝えることを選べばいい




どのような表現方法でもいい

言葉でも

どんな媒介手段でもいい


私がこの世でこの名前をもって

この身体をもって

どんな肩書でもいいし

どんな職業名でもいい

英語を教えてもいいし

教えなくてもいい

高校教師であってもいいし

そうではなくてもいい

ボランティアスタッフでも

有給でもいい



ただ、未来に希望や解放を、つなげられるなら

学ぶ圧倒的な喜び

神と天と真理と

一体になった忘我の歓び

無私の快楽

それを伝えられるなら

この世でどんなカタチをとってもいい









なぜだかよくわからないけれど

そんな学びのよろこびが

どこかで

この世が良くなる一端に

つながるらしいと

私はもともと知っているらしい




だから、私はどこであれ、

伝え続けたい

私が天との媒介となって

この世界中に

学びの歓びを増幅するように

気づきが、自分を自由にするという

この自在さを

圧倒的な快楽を

増幅したいんだ。


学びは快楽♪



ただ、それだけなんだ。
















2015年5月25日月曜日

自分を知ってゆく毎日


高校生と話しても、結局あぶりだされるのは自分ね。


ギリギリの揺れ続ける10代後半期にいて、
生の言葉を発する彼らと接するのは、こちらが板の上に乗って、
試され続ける連続だから。


結局、腹割って素に引き戻される連続。

おお、このように私は、武装しようとしていたのか、と気づかされる。




思春期とは、年中、女性で言うなら生理状態の精神状態だそです。

なるほどにゃ・・・


あの、アップダウンの激しさ、
赤ちゃん期から、突然老成した言葉への突如の跳躍、

子供のエゴと、はしゃぎっぷりと、
論理的思考、抽象的思考が巡って、突然飛躍的な結果が出てきたと思えば、
小さな枠と経験の中で沈む、

時間が即遮断されて次に次に行く感じ。
喜怒哀楽が、短時間に詰め込まれていて、
何度でも一日に感覚は、更新されていく。

いっぱい、いっぱいな感じ。



わたし、神様に頼まれても、思春期なんざ戻りたくない(笑)

この経験&視野のまま戻してくれると言っても、そりゃ、違うやろーと思う。


過去になんて戻りたくない、
今がいつだって一番vividに面白い。



子供、中学生、高校生に接すると、

この自分の価値観や重きを置く場所 
知識。技術、年を重ねて身にまとったもの、経験、視野。
自分の中に溜まってた澱や勝手に決めてた限界を、見せられる。




「高校生」ってラベル付できる存在は居ない。
ひとりひとりの違う人間がいるだけ。


何やっても、どこに行っても、
わかるのは自分。


・・・・と考えるし、解釈するようにしてる。
そうすると、自分が変わることができるので。





自分が学生の頃
何もなしていないとき(働けない心身状態だったとき)
自分の資質と考えていることに尊敬を持って
心底感嘆して、接してくれたオトナがいた。


その逆照射を手掛かりに、
自分自身の輪郭を手さぐりで探っていった感じ。


尊敬を持って接すると尊敬が帰ってくる。
どんな年齢でも。


同時に、それ、・・・ちゃうやろ?

て部分を言語化して説明責任は、
オトナ(に、いつのまにかなってしまった)
私の側に、あると、感じるし☆


大人になって、あらら

と思ったこと。


オトナってのは、子供と勝負しないものだと思ってた。

全然、別の土俵にいて、歯牙にもかけない存在(笑)というか
圧倒的に神のような存在で、
すべてをわかっていて、何かやらされていることの背後には
想いもつかない、配慮があると思ってた。


・・・全然ちゃうやん!

高校生相手・生徒に本気で、ムキになるし、
感情的になるし、劣等感持つ
めちゃくちゃ、短所だらけの不完全な人間・・・・


教師時代も、

バッシバッシとジャッジに切っていく自分を含めた周囲に
なあ~んだ、こんなに、ある意味、子供っぽい存在だったのかああ~

なあ~んだ、こんなに、センセたちって・・・

何もわかってなかったのかあ~


そんな顔色一生懸命伺ってたのかあ・・・・


・・・と肩の力が抜けた。


ま、そこからが、すべての始まりね。




何かしら突き抜けた人は、肩書など関係なく、

子供っぽい存在の愛すべき大人たちは、
グチやエゴを超えた部分での
「なにか」を持っているし。





ひとりの人間の中に、
いろんな年齢の存在がいる。

それを本人が、押し殺してると、
どっかからそれが見え隠れする。


強い部分、弱い部分、柔らかい部分。
神性を感じるような無私のスピリット、
愛、優しさ、時に、
エゴイスト、まがまがしいまでの暴力性、残酷性、

それが、、全部ふくまれて、
ひとりの人間なんだなあ。


そうやって、
お母さんのお腹から産まれてきたんだよね。
全部持って。

今までキレイな部分だけが
愛だと思ってたけれど

ドロドロした(と自分では思ってた部分)含めて愛だし自分だな。
そして、それは人もそうだなあ。



男らしい部分、女らしい部分、性を超越した部分。

40歳でも、50歳でも、70歳でも、
繊細なその人が顔を出す。




それは、小学生・中学生・高校生でも変わらない。
「気を使い過ぎる」子供たちを見ていると
分かっているんだなあ、と感じる。

結局、「問題がある」と感じてるのは、私で、
私の側の問題なのだ。


道行く0歳や、乳幼児ににっこりと目を合わせると
その奥の大人びた顔と質に、ハッとする。
「この子、私よりも分かってるんじゃにゃい?」



このところ、自分自身の高校時代イメージがガラガラと変わった。
要するに、イメージの誇大化してた部分が、
等身大に戻ってきたわけで。

もう高校の同級生に会えるなあ。
高校時代の同級生って、超☆怖かったのだ。
高学歴集団(笑)ということで、私の中の劣等感が噴出しそうで。
バシバシ「自信ありますオーラ」は恐怖だったっけ。

投影していた影が戻ってきた。
怯えてたのは結局自分の影で。

自分をそこに見ていたわけで。
押し殺していたものが、声を上げた、「私をみて!認めて!」って。


私が教壇に立ってて授業してて面白かったのは
「自分がわかる」ということだったのかもしれない。

どういうときに(私が)キョドルか。
どういうときに、どう反応が起こるのか。
体反応に応えるから、こちらの気合と機嫌は感染する。



高校生を高校生とか、私が教師とか、
枠に入れずに、

自分が天と直結していると直感的に感じた言葉を
降ろして伝えていくとき、ビビビと来たなあ。


結局、予備校講師を見てても、現場の人たちでも、
天と地をつなぐ存在だな、と感じる。

表にわざわざ出さないけれど、すごく直感的にわかってて
それを、「教育」や「先生」の枠組みに向かって翻訳に翻訳を重ねてく。





「学生」「先生」の

「大人」「子供」役割演技はあるけれど、
その役割が外れた瞬間が産まれると
バッと面白い化学現象が起こるしね・・・。










・・・うーん、我ながら、治癒の過程♪ (笑)



昔の自分に教えてあげたい


10代の自分に教えてあげたい。

歳をとるのは本当にいいよ、って。

あなたはね、年々ラクになって、素直になっていくんだよ~~~!!!  




高校生の自分に教えてあげたい

もう、泣き続けてたあのころの自分に毎瞬間、毎時間

このメッセージを送りたいぐらい(笑)

あなた絶対に大丈夫だからね! と。




大学生の自分に教えてあげたい、

働くことで、何もかも終わりじゃないんだよ、って。

「働き始めたら、イロイロできなくなるから・・・」って大学時代に

よくオトナから言われた常套句で、それにいちいち絶望してたけれど

そんなことないよって。

どうゆう風でも働けるよって。






会社員になったばかりの自分に教えてあげたい。

大丈夫、社会人の男の人が怖くて、

セクハラ相談室に訴えたり、潔癖症すぎて、

飲み会の席で振る舞いがわからなくて悩んでも、

ちゃんとあなたはコミュニケーション取れるようになるから。

男の人と恋愛もできるようになるから。

頼れるように、甘えられるようになるから。




20代半ばの、うつ病でひとりで転げまわってる自分に言いたい。

その経験はこれから、

たくさんの人を救ったり、助けたりサポートするための糧になるから。

貴重な大学院に入ったような通過点だから。

その他ならぬ体で悩みぬいて感じたものは、

誰も奪えない財産だから。




家族関係で悩んでいた自分に言いたい。


母親も父親も、あなたとおんなじ

不完全で子供で未熟な、単なる一人の人間なんだよ。

その人が、ただ、喜怒哀楽が激しく出てるだけなんだよ。

ビビることもない。

落ち込むこともないんだよ。

そして、親の愛がベースにあるんだよ。







20代後半の焦ってる自分に言いたい、

30代になったからといって、何もそんなに世界の終りのように感じないで。と。


自分に還っていくんだよ~あなたは。

どんどん、

見たことない世界を、出会ったことのない人に出会ってゆくから、

って。




1年前の私に、小浜島で、香川で働いていた、私に言いたい。


大変だったね、お疲れ様。

大丈夫だよ、もともと自由だよ

あなたは圧倒的に愛されてる、守られてるから。

問題はないから。

あなたが、誰が、何といおうと、そうだから。









今の私に言いたい、

「31歳」「独身」「女」「自分の名前。過去、今の肩書や所属」

などで、勝手に一般化して、縛られなくていい。

世間一般や、誰かが言う、「幸せ」「価値基準」をなぞって、これから死ぬ時に後悔しない?

自分から自分にラベルを貼って、それを生きることなんて、全然ない。

自由にやりたいことを、やればいいんだって。

この中の範疇だったらこれを選ぶのが妥当でしょ?なんて

思わず、まず、

ハートがわくわくする方向に進んで、と。








10代の頃は、10年悩んでたことが、

20代の頃、これまた10年かけて悩んでたことが、




最近は1週間、3日間、1日、半日

ん。一瞬?で

ふと抜ける時がある。



あ、ここにこれた。

望んでいる場所に来れた。


そう、これを望んで欲してきた。


そういう実感が日増しに強くなる。












もちろん、悟ってもいないし
わかってもいないし、
断言できるほどでもない

生身の人間だし、


断続的にいろいろ続いて悩みっぽく
湿っぽくしたくなる(笑)んだけど、

シリアスにあえてして問題創り上げて、
同情を誘う、自作自演癖が抜けないんだけれど(笑)

「まあ、いっか」になりつつあったり。



真剣に悩みたかった病、シリアスになりたかった病のかわいい自分。
そうして、まもられてきた自分の過去。





脱ごうと思っても脱げなかった、衣や鎧と

一体化していた自分の身体。

ハダカになるには、

やっぱり今のタイミングだったし、脱げなかったのは脱ぐ時期じゃなかったってことだよね。

(精神的な話☆ 笑)



「こっち違う」「これこのまま行ったらこうなる」「NO」感覚も、出てきた。

ほんとうに・・・すごくすごく、微々たるものだけれど、それは私にとっては大変化。

ここまで変わったんだ、言えるようになった自分。







そして、

「なんか、すっごく、楽しそう」

なのだ、


私が出会う、ヒーリングやスピリチュアルの仕事してる人たちの生き方が。



年齢不詳チックで、

オトナなのに、少年で、子供で、


おいしそうなもの食べて、

あちこちやりたいことやりまくって、

あちこり旅してて、人間的にも、異性からも魅力的で、

仕事自分で組み立てて、

突発的に何か起こったら、その場でパパッとコラボしたり

対応できて、

すごく、奇人変人だったり

変わった性格なんだけど、

そういう自分を、また笑いながら

えへへへ~とかわいく、生きてて。

人の傷を癒していく。

依存関係でもなく、






だから、素直に惹かれるんだ。

そして、この、好きの気持ちに正直になるんだ☆












2015年5月24日日曜日

涙と「愛してる」



友人が亡くなった。


突然だった。
唐突過ぎた。

朝に受信した、
メールの字面の意味がわからなかった。
文字がわからなくなった。


何度も読んだ、そのメールを。
ダンナさんが、痛恨の思いで、彼女の遺品の携帯電話から
打ったメールを。



私の誕生日(6月8日)を予定していた赤ちゃんが彼女のお腹にいた。
まだ29歳だった。




くも膜下出血で、先週の月曜日に亡くなったという。


言葉がなくなった。

このように知人がいなくなるのは、生まれて初めてだ。



信じられなくて、共通の知人に
連絡が取れない。


1週間ぐらいしてから、友達には連絡しようかと思った。
本当なのか?と。
そしてどう感じればいいのかもどうすればいいのかもわからなくて。



だが。違うな、とすぐに連絡した。
この頃疎遠になっていた、友達と電話をした。
彼女が、つないでくれた縁。





蝶シス(蝶々さんという女性の作家さんのファンのメンバー)
の中でも、コミュニティ内でも、
静かに衝撃を持って、その波紋は広がっていた。







もう、彼女がこの世からいなくなる前の
自分には戻れない。



目の前の現実と、違うことがずっと体内で回ってる。


涙が勝手に流れる中で。

ただ、淡々と作業をした。
まだ入ったばかりのバイトの職場の人には言えていない。



お金って、なんで価値があったんだっけ?

私が働くってことで何が産まれるんだっけ?


そんな問いが、ふと浮かぶ、くるくる回る。


価値や意味が逸脱する。

突き抜けるほどの疲労感と虚無感

虚脱感が体を襲う。


ぐったり・・・






出会いは、石垣島の離島ターミナルで
生まれて初めて会ったのに、目を見て手を振り合った瞬間から、
すぐにいきなり盛り上がって
わーわー語り合った。

飛行機の中で、彼女から私の席に来てくれて、
それで
「天使・天女機上会議だねっ♪」

なんてノリノリで話した。












彼女が、私に耳元で今
何を言うのか、想像した。

白くて、天使のようだった彼女。


「よしこさん、よしこさん自身がすでに持っているものを大切にしてください」




私は、どれだけ私をおろそかにしてきたか。

私はわたしを愛してきただろうか?

自分を愛してる、愛ベースの選択をしてきただろうか?






自分の気持ちに。
自分が感じることを、一番にしてこなかった。
一番優先してきたのは、思考。

そして周囲の人にとっての、「私が作った私像」私イメージから
逸脱していないかどうか。

プライドと、ガチガチの頭の塊だ。


この場の空気を乱さないかどうか。

その会社や所属する組織から逸脱しないかどうか。

優秀な社員の振る舞いができているか?

その場での、求められる部下になっているか?

自分が、愛しているか・愛していないか、
どう感じるか、


ではなくて、

相手の気持ちと都合ばかり

優先していた恋愛をしていたのでは?














自分が隠してきた部分に、
抑圧してきた部分を、
出そうとしてこなかった部分に復讐されている。
見事にそれが、具現化した現実が来た。







彼女から受けた好意や慕われた気持ちを、忘れたくない。
そうやって強烈に他人から必要とされる時が私には時々あるんだけれど、
そういう自分を受け入れきれずに来た部分もあるし。
彼女は周囲の人に、その混じりっ気なしのスレてない、
人の好さで、明るい気持ちを与えていたと思う。










人から好かれる自分が、キライだった。
人から頼られる自分が、キライだった。



・・・やっと言葉になった感じ。
これなんだな。


人からの好意を受け止めることができなかった。
人から好かれる自分を、受け入れられてこなかった。自己受容。



自分を低い位置に置いておきたい。
自分は卑下していた存在でありたい。
悲劇のヒロインで居続けたい。
愚痴を言い続けられる、甘えられる、
不幸な存在で居続けたい。
未熟で中途半端で幼い状態で居続けたい。

20代のように、
わからないことが多くて、
そして、助けられ続ける存在でありたい。




一番認められたかったのは、自分に、だったのに。


親でもなく、世間でもなく、学歴でもなく。
中学時代に、オール5をとることでもなく。

高校教師を辞めてしまったのに、
今でも、「元高校教師です」と言うのはなぜだ?

自分の履歴や、20代の人生を半生を
滔々と語ってしまう、痛い自分はなぜだ?

それで、また相手の履歴や、本音を聴きだそうとする

なんだか、暴力的な応酬や
ぐいぐいと入りこみすぎる、

過剰に相手に尽くしすぎる、
自分はなんだ?


「ホメ言葉ばっかりだね!」
ある人のワークショップ後の懇親会で言われて、ハッとした。

ホメ言葉に偽りはどこにもない。
純粋に素直に言ってるだけだ。

ほめ言葉が言えなかったから、20代の一時期
相手のいいところをずっと言語化することを意識的にやってきた。


でも、同時に違和感がやってきた。


「これだけホメてやってるんだから、あなたは私に何をくれるの?」
そんなゲスい自分に気づいた。
もちろん、すべてではないが、その圧が自分の中にある。


これは、・・・ちょっと、違う。
私の目指す光の方向じゃない・・・

もうまた次に動くときが来たのだ。











亡くなった彼女に送ったメールを見直した。

小浜島に。沖縄に住み込みで働いていた時のメールの応酬。

そこに今のヒントも詰まっていた。


なっちゃん(starbowのセラピスト)のfacebook
からの、去年の、コピペ文章まで出てきた。


****************

最近、浮気だどうだ…
いろいろ聞くこと多いけど、、夏だからかな?(笑)

べつに旦那が浮気してもいいじゃんねー、というのがわたしの意見(あくまでも個人的な意見で、それをだれかに押し付ける気はないけどね)

自分が愛した男が、だれかに抱きしめてもらえる。慰めてもらえる

それは、幸せな事だと思います。

『浮気したから別れる』というのは
『自分の思い通りにならなかったから』とか、『自分だけのものにならなかった』からイヤってこともでもあるよね。

あと、オトコに額面通り愛される事(誠実に、大切に、経済的に、精神的に、継続的に)=自分の女のとしての価値

としてしまうと、またややこしい。

そうでなくて、
浮気しようが、浮気しなかろうが
甲斐性があろうが、なかろうが
嘘つきだろうが、そうでなかろうが

目の前の男を愛していたら側にいればいいし、愛してなかったら捨てればいい。シンプルに。

相手がどうであろうと、自分の価値を信じていればいい。

浮気や不誠実を引き合いに出して、わざわざ泥沼にはまらなくてもサ。

愛してるか、愛してないか。

そんだけの事でいいと思うけど、、

ダメかい?


*************




私がこの地球上に
生まれ落ちた意味。

投げ入れられた魂として何ができるのだろうか?

一人でも多くの人に。貢献すること。



自分に、素直に、素直に。素直に生きてゆくこと。




天使の、まみちゃん

この世に、光を愛を、

あなたの優しさを、記憶を。ありがとう。本当に。 祈っています。

一生忘れないよ。 そしてあなたの記憶とともに、生きていきます。また、会う日までね。
































2015年5月1日金曜日

少しだけ昔の話をしよう☆

今現在の、大事件(大悲劇)も
10年後には宝物。


心理カウンセラー・心屋さんの 好きな言葉☆
実感としてそうだと思う☆


10年前の悲劇も
今は、宝物になったから。
宝物にできるから。






10年前の21歳、私が大学2~3年生。

ちょこちょこ書いてきたことだが。



ちょっと最近、過去の出来事の読み直しが
できてきたので、再び書いてみる。
(何度も読んでいる方、本当に、くどくてすいません。。。。)



私は人生初めての彼氏ができた。
で、

両親に激怒され、
エイズ検査に行かされた。(← まあ、当時の私は行くのを選んだ、とも言いなおせる。)
(結婚前に、彼氏の部屋に行くとは何事だ!という、考え方)

両親のしつけは、非常に、厳しく、いわゆる過保護だ。

「お酒を外で飲むな、男性が同席している場所で」「ピアスは開けるな」
など。大学時代言われていたこと。
遊びたい私は、そんな生活できないので、適当に、破っていましたが、
見つかると怒りはすさまじかった。







すべての下着を捨てさせられた。
色はベージュか、黒に買い直さられた。

持っていた、赤やピンクのマニキュアもすべて処分させられた。

「女性らしいものはダメ」と。
当時付き合っていた彼氏とは別れさせられた。

家の外で何も言うな、と言われたから、誰にも言えなかった。

(←まあ、当時の私はそれを選んだ、とも言える。
家出する、とか、何が何でも、逃げるという選択はできなかった。
その選択ができなかったのも、自分だから、ま、いいんだけれどね☆)


毎日ひとりになれる場所で、泣いていた。

こんなことがありながら、当時はバイトして勉強して留学してたのだから
20代の自分を本当に、尊敬する。

自分の中の「女性らしさ」「オンナってなんなのか」「誰か未来に好きになる人ができるのか」
結婚とか恋愛とかもわからなくなっていた。
幼い世界の中で、絶望したりあきらめてることもわからないぐらいに、絶望していた。


あまりの体験のキョーレツさに数年忘れていたが、
就職した年の冬に、記憶が蘇ってフラッシュバック、し

心臓のバクバクも止まらず、会社のデスクに座ってたら脂汗や
自分が死ぬビジョンばかり浮かんでしまい、
うつ病になった。

高校時代に通ってたメンタルクリニックに駆け込んで、休職した。


今になるとよくわかる。

この出来事には、今考えたり感じたり、自分の癖。

学んだり、気づいている、すべてのヒントが含まれてる



ま、冷静に見直すと・・・・

(子供からすると)絶対的な親に従うことを選んでいた。

思考や判断基準を乗っ取られることを選んでいた、
なにもかも、大きなものに
預け切っていた子供だった。
自分軸で選ぶことができなかった。
というか、自分軸ってナニ?

という感じだった・・・
(もちろん、今もそれはあるけれど、ね)





・母娘関係。(最近はやり??の『母の呪い』 )

・最近話題の、いわゆる毒親とそこからの精神的・経済的自立。

・世代的な、性の価値観の違い。

・自分の内側に無意識に刷り込まれている、恋愛、性、SEX へのタブー

・愛着関係、近視眼的な人間関係

・自分の恋愛観、恋愛関係、人間関係の結び方

・日本戦後の社会の価値観の変遷。
専業主婦の行き場のないエネルギーが子育てに向かったこと。

・自分自身が持っている、革命衝動。自分主体で使わなかったから、親が使った。
(占星術的には、 月と天王星)

・占星術的に、21歳は自我が降りてくるという歳、その時も
自分の意識を開いていなかったから(親にまかせっきりだったから)逃げ遅れた。
今思えば、判断基準を完全に親に預けていた。(今ももちろん、その部分はあるけれど~)

・誰か他の人に、暴力的・強烈にコントロールされ、乗っ取られた経験があるということ。
そこをベースに、他の人へのアドバイスとサポートに生かせること。

・まだまだ世間一般的なメンタルクリニックのイメージ

・コミュニケーションの方法(最近勉強し出した、NVC(非暴力コミュニケーションなど)

・洗脳の概念(洗脳は、遠隔操作=物理的に離れててもその人の行動をコントロールするために
脳に負荷をかけて刷り込むというところから)



などなど。


もっともっと、もっと・・・たくさん、ある。
きっと、これからも、出てくるだろうなあ。

今は、こんなこと四六時中考えなくなった。
(昔はこういう出来事がエンエンエンドレス~に、頭を回る時があった。)


ただ、ふっと、

あ、つながる。
と思う時がある。
記憶インデックスから、つらつらと今と過去と未来が溶け出す。





そして、あんな過酷な時でも
沈着冷静さが自分を救っていた。
醒めきった、自分を俯瞰する目

内側から来る感情を断ち切った、透徹な視点が
自分を守り、律していた。
(占星術的に言うと、管理者の☆・土星)

それは、
「頼るのが苦手」「助けてと言えない」「甘えられない」
自分でもあるけど、ね。





感情がすべて無くなるような、凍らす経験をしたものが、
また、そのような体験をした人を解放してゆく。

と、オーラソーマの真理ちゃんにも言われたっけ。




当時。
心底 こんな人生は こんな自分は、嫌だ、と思った。


自分のすべてこの 血肉体 を忌み嫌った。
そんな親の身体を受け継いだ自分はどうすればいいのか、と。


だから、どうすれば自分が変われるのか、と延々

様々な、本を読み漁った。
教えてくれる人には食付いた。(文字通り、死活問題だったから)
自分の中の整理のために、心理学や、スピリチュアルの勉強も続くし。


それが、だんだん楽しくなってきてしまった(笑)


そして、ふっと、

別に幼いころの自分に、
それまでの自分に

「問題は無かったんだな」と肩の力が抜ける視点がやってきた。

確かに、起こった現実は、一見、悲劇だった、かもしれない。

それをどう解釈するか
どう意味づけて
どう行動し、
どの反応するかは、

私がいつだって、どんな状況だって自由に、

今、選べること。

だから、未来は選べる、ってこと。





この10年前の具体的な、話をするのは、

私は難しかった。(もちろん、今も突然言ったりはしないし、わざわざ話題にも出さないけれど)



専門的な訓練を受けた、カウンセラーやお医者さんにしか話せなかった。
どんな話も、ニュートラルに相手の静かな鏡になる
そういう対話方法を身に着けた人に、おそるおそる語ることしかできなかった。

自分の身の上に起こってきたことが、実は、問題だったのだと気づいたときには、
心身がぼろぼろになり、感覚過敏になっていた。
感情のエネルギーをぶつけられるだけで、苦しかったし、寝込んだ。
ニュートラルに淡々と、返事が欲しかった。


事件の内容の大きさから、出来事に揺れて、感情を投げ返されたり、
その人の価値観でジャッジされるのは、そのまま痛かった。

20代は、「強烈(な人生)だね~」と言われるのが苦しかった。
自分で選んでキョーレツにしたのではない(と、当時は思っていた)。

今は、もう、何を言われてもどう反応されても、
そこにあまり、こだわらなくなった。


そして、こんな、超個人的な体験が

誰かの未来の、人生の。
役に立てば、貢献できればいいなあ、と思う。


超個人的なことばかり書いていると無私になっていくような感覚がある・・・




そして、そんな昔の体験も、

今となっては・・・とても、とても。大事な宝物の話になりましたとさ☆


そして、この話も、
私からしたら・・・・主観的に、真実だけれど

違う人からみたら、違うのだ。
人の数だけ、その人の、解釈と現実がある。
全然ウソだったり、ツッコミ所も満載だろう。

・・・・そう、それでいいんだよね、って☆ 



やはり書くのはセラピーになるなあ・・・
このブログ記事書いて、またなにか、落ち着きました。


エゴラッピン サニーサイドメロディー

この歌の、
光(明るい方向)に
意図してゆく世界観が好きです☆


2015年4月23日木曜日

【☆開業前価格☆ ☆占星術☆ あなたの☆(星)読みいたします☆】~5月1日


占星術で、あなたが産まれ持った☆パワーお読みしますっ♪








自分自身の葛藤。
なんで、自分はこうとしか生きられないんだろう~?
そう感じたことはありませんか?
そんな生き辛いときのヒントに。

私自身もそんな連続でした☆

あるいは、ちょっと人生悩んじゃって。
困ったなあ。そんな時に☆



開業前価格 ☆ 5000縁(~5月1日) にて、 星よみしています☆♪




< 内容 >

占星術読みPDF A4 2~3枚程度(カードリーディング1種付き)
skype or LINE で30分お話セッション
メッセージ文字手書き郵送(書道歴26年の 友人の美麗文字! ) (↓ コ・レ ♡ )










< 流れ♪ >

5000縁を、振り込んでいただいて、 その振込確認後、

①メール文章でのお返事 
(PDFで3枚程度。ホロスコープチャート画像と 星読み解き、カードリーディングの写真添付☆) 
②LINE or skype で、30分 
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③その内容を踏まえて、後からお手紙で私からの一言オリジナルアドバイス
を、 友人(書道歴26年の名古屋在住の友達)が、書いてくれた美麗文字で、お手紙でお届けします☆
※彼女のブログ→ http://bimoji.hatenablog.com/





以上の流れでよろしければ、
あなたの、

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YOSHIKO



小浜島(沖縄県八重山諸島の離島) にて☆