2015年6月15日月曜日

進学校の高校で教えてみて

twitterのつぶやきより☆




私はある程度の進学校の高校(中学時代ほぼオール5)で教えて来た。

要するに、エリート校という場所。



まず、私は、個人的には好きでした。

相当、高度な抽象的な話が通じるから。

こっちが気になる内容を、容赦なくぶっとばして話しても、
引かないで食付いてくるからやりがいあるし。
バーバルなコミュニケーションできるし。

真理とか天に接続してるー!って(個人的に)私が思う話題を
ふっても、ぶわ~っと広がるので、双方楽しい。
win-winな関係(笑)



で。



生徒が悩みが無いわけじゃない。
年相応の悩みがある。
日々迷ってる。

確かに、彼らは、
小中で義務教育の『箱』の中においては
トップクラス、



(あくまで、大人が大人の都合で、
今までの日本の歴史背景から、
準備してきた、『箱』 de あーる)

教師から大人から、可愛がられる、振る舞いができる。

うまいな、よく教師&オトナ のヒットポイントを突いているなあ、としみじみ感じた。

「先生はこういう生徒としての振る舞いが好きなんでしょ?
ほらほら~優等生で文句ないでしょ?ですよね?ですよね?」

と、メタ言語を駆使してくる。




そのメタ言語に、教師の側は、
「よしよし、OK。はい高得点あげるね。」となる。

だから、内申点=通知表がとれてきたの de あーる。


それで、


「〇〇高校(に通ってる)から、すごいよね」
「〇〇高校の生徒だから・・・」と、大人はラベル付するんだけれど、

それは、入学時点の内申点&学力ですから!しょせん。
過去よ過去。
過ぎ去った部分よ。

入学してから、勉強についていけない
勉強への意欲がわかない
メンタル問題

などなどたくさん、うなるほど見てきたさ~

そして、それらに対して
ほとんどの教師は(もちろん例外もいる!!!いるけど。)

内心、

「わからない」
「めんどくさい」
「かかわりたくない」
「対処の仕方・問題解決がわからない」

と考えている(!!)

私の場合、社会人や大人は、自分よりも圧倒的に土俵が上の人ばかりだと勘違いしていたので、
この衝撃たるや、すごいものだった。





ま、

その高校にいるということで大人がラベル付して、
ついでに、マジメな生徒はそのラベルを生きちゃうから、

孤独や悩みはある意味深い側面もある、という印象。


別に、〇〇高校にいるから

人生の苦悩に対しても
己のメンタルケアに対しても
すべて対処できるわけでは無い。

もちろん、なんとか試行錯誤していこうとする生徒もいるが、
大体わからん。




教師の中にもね、「〇〇高校の生徒だから、君たちは」って
よう、言うときあるけれど、

それ、何も内容を、言っていないじゃないか。


あとじゃな、〇〇高校で教えてる自分はスゴイ。
という思い込みも教師の側にあるのだが、

単に、〇〇高校で教えてるからって、
先生の側がすごいのじゃない~


成績優秀(という情報処理)が早いのは生徒。

生徒の方が理解が早いからね、
授業が下手でも、解説がつたなくても、
生徒の側がそそくさとまとめてくれて、
勝手に勉強してくれる側面がある。正直、楽です。

しかし、それでいいのか、と。


確かに、進学校の生徒は、どちらかといえば、経済的に豊かで、
きちんとしつけられて、敬語を使える生徒が多かった。

ご両親も高学歴で、家庭の文化として
学んだり、教師を自ずと尊敬する態度が身についていたり。


だが、それに対して

嫉妬したり、劣等感持ったりするのは、周囲、大人の側、
つまり、
自分の側であって、生徒の問題ではにゃい。


「高校生」って存在はいない、ただ一人一人の違う人間がいるだけ。ね。









だからこそ、

私も、日々、どれだけ自分がニュートラルでいられるかどうかの挑戦です。












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