2015年2月28日土曜日

秦由佳さんの、カウンセラー向け講座に行ってきました☆


ワタシとはたゆかさん☆

講座後の写真撮影大会にて。

はたゆかさん、さすがフォトジェニックだ。



はたゆか さんのカウンセラー向け講座に行ってきました~
25歳。若い~!


が、

講座はもう、バシッバシッ飛ばしていくし
(本気で午前中は怖かった~・・・笑)


プロ意識がハンパないし

現場現実リアルで、積み上げてきたOS(オペレーションシステム)が

桁違い。

結果を出してきた人の

圧倒的な内面の筋肉量の分厚さ。


生でやっぱり何事かなしてきた人に会うのは

とても大事と痛感。




デモで、彼女が、カウンセリングしたら、
超速で結果が出る(悩み解決)。

おもわず、メモを取りながら、

「はやい!」と

つぶやいてしまった。



彼女のやり方見てたら、
脳内で回ってきたのは、



陰陽のマークと、

宮部みゆき原作の
アニメ映画「ブレイブストーリー」。


自分が最も恐ろしい記憶の中に
タカラモノや
ヒントがある、
結局悩みは自分でしょうという

ことなんだけれど

それは、も~通り過ぎたねん、

と、たかくくってた自分に気づきました。




そして、

やってる最中のワークで

自分が出した答えに感動してしまって、

しばらく、脳内空白になって、

泣きそうになった。


色々なワークを経て、


「あなたの役割はなんですか?」


と言われた時、私が書いたのは


「学び・気づきを楽しむことを体現する」



そうゆうあなたにどんなお客さんがやってきますか?
どんな人がやってきますか?


と問われて、


「学び・気づきを楽しみたい、というがお客さんとしてやってくる」




・・・と書いて、しばし呆然。

そうだったのか、そうしたかったんだ、


と、泣きそうに。








自分がペアでカウンセリングやったら、

「あああ~私、そうそう、このポイントで

いつも苦労してた」というのが

わかりまくりでした。


やはり、わかってゆくのは自分自身で、


ついでに、自分自身の

今まで苦労してきてた現実と思ってた部分が

見事に自分の中で仕分けされていった。

ガーン

がーん

がーん。

(ショックの音)

と、除夜の鐘とかに

頭突っ込んだような、


日でもあった(笑)


そして、自分の中の
ヤミ~に

ぐえええと、なった。
次の日。


心象風景は、まさに
この寄生獣のテーマ曲「パレード」であった(笑)








タイトルも「カウンセラー向け講座」だったし

ワタシには早すぎるかなあ~

と思っていたものの、

すうううごおおくずっと気になっていたので、申し込み。

・・・・1日。3万円(笑)


えーと、私のお財布には結構ハードでした(笑)。


でも、もう行くと決めた以上行くのだ。

そうやって色々紆余曲折会って

自分自身がピンときたものには

お金を払っていくのだ。




なので、効果を上げる元をとるべく、

申し込んで出席可能とわかってから、


私は、彼女のブログ記事と、無料メルマガ バックナンバーを

ひたすら読みだしたんです(笑)

すーーごい量を。





この文章が、また波動が細かいので、

小浜島での粗い仕事生活や、

以前の住込み先の住居環境では

理解できなかった。

彼女の言葉を追って体感してゆくには、

衣食住の細やかな心遣いが自分に必要、私の場合は。


そしたら、潜在意識メルマガを3日目ぐらいに受信したら

これまた、私自身のすべての病気を発症した出来事を

再現するような件が起こる。




・・・・私はお金を払ってまで

わざわざ自分の見たくない部分を見に行ってるのか!!?


と混乱。


だけど、少しずつ落ち着いたら、

結局、そういうところを

見に行けるタイミングになったし

そして、その自分の中で

ずっと棚上げしてたりバラバラだった場所にこそ

これからの私がやっていくことへのヒントと宝物があると

教えられたんですよね~


なんだか、やたらと
抽象的なハナシになってしまうし

まだ言葉にもできないのですが、


今体感してるインナージャーニーが

これから春に、向かってつながってゆくのだなあ~と

実感しています。



秦由佳さんの言霊はすごくて、

講座の後の懇親会でも

目の前で

バンバンと面白がりながら決めていく様子が

本当に

気持ちよかったです。

すごい勢いで

人の見ていない場所で

努力してきたのだなあ、というのもひしひし。

バシバシ伝わってきたし、

同時に、

一人でいるのが本当に好きな人なんだな、

というのも伝わってきました(笑)


一緒に学んでいる方も

それぞれが自分の感じていることに

素直で

風通しが良くて気持ちよかったです。

その感じが、

「長いものに巻かれろ」ではなく、


あんまり日本人っぽくない感じでした、

みなさん(笑)




小浜島とか
旅先で

ずっといたかった場所にいる奇跡。


そして、学べている奇跡に

今いるんだよな、と思いながら。


まとまりのない日記ですが

最近、まとまりがないので

散らかったまま終わらせておきます(笑)










2015年2月11日水曜日

マンガ「3月のライオン」 10巻


バンプ オブ チキン  FIGHTER


3月のライオンのファンには
涙が出るほどうれしすぎる、
動く零君。(主人公)

羽海野チカさんのあたたかな線と絵が
そのまま描かれてる動画です。





羽海野チカ さんの マンガ 「3月のライオン」10巻

が出ていたのを全く知らず、
(チェックしている余裕が無かった)
書店の店頭で見て即購入。


私がリアルタイムで書店で買い続けてる数少ない(現在唯一?)のマンガです。


ちょうど、

に突然ひらめいて、久しぶりに行き。
雪の中の極寒の動物園は、人がいなくて、
遊園地も全然ガラガラでした(笑)

私はこの近所に住んでいて、
私の自分の二階の部屋からも、この東山動物園内にある
スカイタワーが見えて、

そして、幼稚園に上がる前から、ずっと来ていた場所なので、
中にある、観覧者も、ジェットコースターも、
全部ぜんぶ、思い出の場所なのです。

今日行ったら、平日だし、
人はいないし。
見かけるのは、現在休みであろう大学生のカップルか、
小さい子供連れのみ。

がらーんとした観覧車で、どぎまぎしてたら
係りのおじさんが優しく声をかけてくれて、
110円で乗れました。


「遊園地」「観覧車」と言われると、私はすぐに
ここの観覧車のイメージが浮かぶんですね。

「遊園地」のイメージも、一番最初に来た遊園地はここ。

そのレトロな内装や、昭和な、大丈夫・・・?て感じる
さびれ具合を見てたら、思い出したのは、
羽海野チカさんの、マンガ「ハチミツとクローバー」。

そして、羽海野チカさん、(ウミノ チカ と読む)のペンネーム自体が、
「海の近くの遊園地」 という音のアタマから確かとっているはず・・・

動物園の中はたくさんの動物たちがいて、
しかも、小浜島にいるときに、
どうも私はこの東山動植物園の夢を何度か見ていて、
実際に来たことがあるのか、夢の中で見てた景色なのか
わからん、というよくわかんない状態になってました(笑)




「3月のライオン」は、ヤングアニマルで連載が始まった時から
読んでいるのですが、ちょうどコミックが出たときに
私自身が、うつ病を発症し、
新卒で入った企業を
休職し始めた時期と重なっています。

絶望的な希望で、名鉄 神宮前駅にかつてあった、
ミスタードーナツでこのコミック1巻を読んで、
そして、主人公・零君の運命の過酷さこそが
自分のその時の状況と、まさに同じだ。と、
羽海野チカさんに長いファンレターを書いたのを覚えています。
(生まれて初めて、作家や漫画家の人にファンレターを書いたときでした)


連載がじわじわと続き、
巻数が増えて行き、

私が有松で一人暮らしを始め、
会社を休職しつつも
両親には仕事に行っているとウソをついていたときでも、

ずっとこのマンガは手元にありました。

私は、本を溜め込み過ぎて、
同時に、貯めたものを全部
一気に処分するという衝動が
交互に襲ってきて、

発作的に、ブックオフに売ったり、
衝動的に暴れ買いをしたり、と
繰り返してきたのですが、
このマンガ「3月のライオン」だけは
手放そうって考えが
一度も浮かばなかったです。


零君が、将棋にのめりこみすぎて、
体調を崩す時、
脱水症状を起こしたり、物を食べて飲み食いしなくて
危なくなるという場面があるんですが、


あの状況は、
ひとりきりで、うつ状態でじわじわと過ごしていた自分と
全く同じものでした。

当時、真夏の名古屋で、
食事をおろそかにしたり、
ずっとじっとしていた時があったので、

本当に脱水症状を起こしかけたり、
久しぶりに会った恩師に、
強制的にそのまま
親戚の家に送り込まれたり。

新しくその家を引き払って、
違う家に行ったときも
3月のライオンの新刊が出たら
必ず買っていました。



零君=自分

と、同化して乗り切って
生きていたたので、
当時仲の良かった男の子に
このマンガを貸したら、

「結構、キツイ内容だね。ハードだね」

と言われて、
え・・?とキョトンとした記憶があります。

この内容は、零君は、大変なの?と。


そうやって、じわじわと
私の人生と寄り添ってきた
3月のライオンが、10巻になって、
ストーリー上でも大きな転換点を迎えていて、

ああ、私もここまで来たんだな、
人生にマンガが一緒に歩むって
こういうことなんだな、と思いました。

あとがきで、作者の羽海野チカさんが、
手塚治虫文化マンガ大賞の
受賞のしらせをきいたとき、

突っ立ったまま、30分以上泣いてしまった。

とあったんですが、

ああ、それぐらいにこの長い間を
着実に戦い続けていたんだなあ、と

すごく実感しました。

マンガでしか表現できない部分で
戦い続けてきた、ウミノさんに敬意と感謝を。

そして、
私が、小浜島に行って、香川に行って、
また名古屋に帰ってきて、

しみじみとわかったのは、

私にとっては、仕事と言うのは、
働き続けるというのは
とても大きな存在で、大事なことだ、ということ。

これは、どうしてもゆずれないんだな、と。

そして、名古屋に帰ってきてふと思うのは、

出発前は、


私が考えてることや
感じてることは、
そのまま
言っちゃいけないんだ、
誰かに伝えちゃいけないんだ、
表現しちゃいけないんだ



とずっと思い込んでいた。
だから、苦しかったんだな

と。



3月のライオンの主人公・高校生・零君は、
すでにプロの棋士として
将棋での戦いを通じて成長していきます。

彼のプロとしての
仕事への取組みの姿勢。

羽海野チカさんのあたたかい、
絵本と同じようなエネルギーの絵柄。

登場するご飯のおいしそうなこと。

そういうひとつひとつが、
じんわりと染みてくるマンガなんです。




10巻の表紙が、

ひとのいない、
観覧車と、
そして遊園地の絵で、

今日行った、
東山動物園の

人気のない雪の遊園地との

シンクロに

おもわず、キュン、となってしまったのでした。




3月のライオンを実写化するんだったら、
東山動植物園の、遊園地で
ロケしてもらえないかあ・・・
観覧車や、乗り物を☆ 笑




















2015年2月8日日曜日

人生は続く☆

椎名林檎 ・ 本能




タイトルは、最近周囲の方が話題にしていて、

私もすごく好きな文章を書かれている

坂爪さんのブログから頂きました♪ 

14日にはイベントでご本人にお会いしてきます☆ → いばや通信




終わらない、母との葛藤の旅(苦笑)




まあ、端的に言えば、


この、豊かで 平和な(※最近怪しいけれど) 現代日本において、

30才を越えて実家暮らし、両親と暮らすというのはやりにくいね☆


・・・ということかもしれません



完璧主義に家事をこなそうとする母と、

そんなの、優先順位としては ドーデモヨクナイ?(モット大事ナコトアルンジャナイノ?)

 という娘(私)との

激突は続いています。


プライドが高い母は、この娘の、

「どーでもよくない? 優先順位として・・・」という態度が

一番キライらしく、(痛いところを突かれるから)


「馬鹿にしてるんでしょ!!」と朝から、

激烈に批判してくる。わーお。


やっぱり、母は母で

その教師として優秀だった能力を

完璧な家事を行うというところにすべて

力いっぱい注ぎ込んでいるので、


食器の重ね方ひとつにしても、

洗濯の仕方  (午前中に、4時間ぐらいかけて洗濯機を回している・・・((+_+)) も

もはや、「そんなの、きれいになってればいいじゃない」というズボラな私にとっては

つきあいきれない領域。

but 母にとっては、死活問題レベルで大事な最重要事項。

特に一人暮らしで、洗濯物は、

洗濯機には放り込んで干すだけ(いや、多くの人ってそうでしょ?)生活をしていた私としては

なんだかなあ・・・・と片目をつぶっています。

その価値観を尊重しつつ、

私自身の大事なこととを、

ナカをとって、あたりさわりなく・・・


・・・ってできればいいんだけれど!!

そこまでまだ、できない自分。

そこまで器用じゃないんです。

身体だって硬いし、それができてれば、これまでも

こんなに苦労してこなかったし!!




これを、

母が、「私は好きでやってるんだからあなたは、別にそうやらなくてもいいのよ」

というスタンスでやってくれればいいのですが、

娘のワタシに対しても、

全く同じコピー行動を求めてくるので、

私としては、姑が逐一チェックをしてくる状態で耐えられない・・・


そして、



実家に帰ってきて、蜜月の数週間も過ぎ、

ちらほらと、ぶつかる日々。

そして、変わったのは、私が、「嫌じゃ」という感覚を

押し殺さずにストレートに言うようになったところ。




しかし、旅立ちから帰ってきて、しみじみと両親を見て思うのは、

完璧でもなんでもない、不完全な人間がそこには二人いた。

という話ですね。

ありゃ、このお二人、

かなり自分に自信がないじゃないか・・・

自分のこと嫌いなんだなあ・・・

劣等感の塊・・

すごく常に他人をさばいてる、評価してるんだ~

そりゃ、苦しいでしょ~


なるほっど、それぞれ育っていく時に、こういう苦労をしたんだろうなあ・・・

などなど。

自分自身が、いろんな経験や読書や、スピ体験やヒーリングや・・・


を経た今になると、

想像できる部分も分かる部分も、

増えておりました。


父・母というのは、幼いころは神様で絶対の価値観を自分に植え付けるけれど

そうじゃないんだなあ~
そうじゃんかったんだなあ~


と気付いて、対等な人間として接するようになると、

「・・・それは、あなたの人生の問題では?」と

スッとライン引きができる部分も増えてきたな、と実感。


実家は実家で、虎の穴だなあ~と思う時もしばしば。

反抗するのではなく、従順に自分を押し殺すのではなく、

自分自身として行動してゆくこと、の練習ちゅうです。



・・・キレイにまとめましたが、

泣いたり、わめいたり、感情的になったり、人生は旅の途中です(笑)





母と激突していた案件(?)としても、

私の2階の、部屋に神棚があるので、毎朝必ず8時までに、

その榊(さかき)と、お供えしてある、塩&お米&お水を

下げて、持ってきなさい。


という、朝起きない件。


それから、

「うつ病の診断書を出したんだから、あなたには先生の仕事は一生回ってこないわ!」と

高らかに宣言された件。(自分の娘にそれを向かって言って、何の利益が・・・?)


今朝は、食器の拭き方と重ね方で、

拭いた食器は汚いから(って、きちんと台拭きした後の、チリひとつない、食卓テーブルですが・・・)

テーブルの上に置くな、という話で大激突。


何がめんどくさいって、

私のうつ病履歴から、母のリウマチ(白血球の量が少なくなっている)の話まで

持ってきて、

ガンガンとお説教が続くところ。



まあ、冷静に見ても、

神様がこの母と娘コンビを

将来のタフな世界状況なり、なんなりを見越して、

娘(私)を、何かしっかりと学ばせて経験してちょ☆と、

セッティングしたとしか思えない(笑)ぐらいの、

ものすごいえぐり方とボディーブローが言葉でやってくる。


しかし、冷静にじいい~っと母を見ていて気づくのは、

「ごめんなさい」が言えない、

隙無く、頑張れば、すべてがうまくいく、と信じきっていて

それを事実体現して生き切っていること。

単純に、

「怖い女だな~」「キツイ女だなあ~」



・・・と、自分自身の感情表現の原点を見る気分にもなるんですが、

(母に対して感じるけれど、それは私が今まで言われてきた言葉でもあるし。)


が。娘のワタシとしても、

なぜ、そこまで怒り続けるエネルギーが続く???その年で・・


と、アイデンティティーをかけた怒り狂い方を見て、

(長生きするよ・・・)と、感心しています。



しかし、親の生き方は、親の生き方なのでさておき。




私はわたしでやることがあって、

そこに対して、また淡々と、やっていくには

どうすればいいのかなあ?


と、旅路の途中なのです。




しみじみと、占星術の師匠のマーリちゃんに読んでもらった、

母と私の関係の、ホロスコープチャートを

復習してみて、

おおおお。なるほど、このように惑星のエネルギーは

現れているのか~

と、超現実に生かせているなあ、と実感したり。




結局、私は自由になりたい。

という一言につきるんですが、

そうなると、無意識に自分の中に染み込んでる、

感情や体反応やら言動があって。



自分自身の歴史とか、受けてきたやってきたことがあって。

ガツン!真正面衝突すると、


今までの母娘戦争歴史が、黒から白からグレーから、

記憶が全部ひっくりかえってきて、

3時間ぐらいは消耗するし、気分を引きずるし。

怒りやイライラ、恐怖で抑え込もうとされると、

これは、私がその後で会う人や接する態度にも影響していくし。



母は母で、「ああ、言い過ぎた・・・」と思ってるのもわかるんですが、

「言うのを止められない性(サガ)」なのだし。

私はわたしで、「論理矛盾してたら、もーバッサリとおー!」の性(サガ)だし。


仲裁に入っている父には、
「ごめんと言ったら、お前の勝ちなんだ」(勝ち負けで言うならね・・・・)

と言われるんですが・・・

「ごめん」以外での方法は無いのかしら~? と。



母との関係で、感情的に爆発してしまって、

冷静に物事が長く続いて行けない。

瞬間的な圧倒的な、苦しさがやってくるので、
それを乗り切るために、
場当たり的に衝動的に処理してしまう。

というのも、パターン化してきた部分なので

そこも、少しずつなんとかしてゆきたいなあ、

と思うところでありんす。





さて、そんな中で、

人生は続く☆







Middle of Nowhere  ☆ ドリカム















2015年2月2日月曜日

過去から学ぶ☆ 

Let It Be  ビートルズ





looking my past (long and winding road) is now my job. kind of job. 
I hate what I did. there were only dots,  however, in my home. 
tons of my books and stuff tells my a lot for the future.



自分の過去から見直す。
自分の失敗を振り返る。
そこから冷静に、弱点を分析して、課題を見つける。
同じことを二度と繰り返さないように工夫する。
対処する。


それが一番苦手だったし、できないことだった。


名古屋の自宅に帰ってきて、
ぼんやりと、たまっていたDVDや映画を見直していた。

アメリカの映画、ラブコメ、イギリス文学、
大学時代に授業で見て感動したもの、面白かったもの、
ディズニー作品・・・


カズオイシグロの英国執事映画「日の名残り」に
じわじわと癒される。

アンソニーホプキンスとエマワトソンが出演するこの映画で
感情というものをすくい取るために
芸術作品があるんだなあ、とわかる。

動画サイトhuluで  ( http://www.hulu.jp/  )

ぼんやりと気になる映画を見る。
女優・メリル・ストリープが改めて好きになって、
映画「クレイマー・クレイマー」を、3回連続して見た。




名古屋に帰って来たばかりの時は
アタマが動かなかった。
難しい文章も読めない。

以前はプライドがあった。

「高校英語教師なのに、英語の映画字幕を日本語で見るなんて恥ずかしい」

・・・別に誰に言われたわけでもない。
ただ、自分の中で、
「これぐらいは英語字幕 or 字幕なしで、見よう」

と決めていた。

私自身は、21~22歳ごろにアメリカの大学に留学経験がある。
なんとなく、英語の基礎力はあるから、
なんとなく、わかる。
別に、わからない単語が出てきても驚かない、
前後の文脈で理解できる。

それぐらいで飛ばしていた。



だけど、

そんなことは、もうどうでもよかった。
名古屋に帰って、抜け殻状態。

今はただ、落ち着くものに触れたい。

そんな思いから、躊躇なく日本語字幕英語音声、
という設定で、リモコンで合わせて
無心に映画を見ていた。



映画自体をゆっくり見るのが久しぶりだった。

名古屋で過ごしていた時は、
ゲオなどに通って、
せっせとDVDを借りていたし、
映画館もよく通っていたのを思い出した。


じわじわと、
俳優たちの演技や
映画のカットや
計算尽くされたシーンを見ていたら
やっとわかった。



「そっか。
私は映画が、大好きなんだな」




今さら、気付いた。


同じように
気づいていった。



そっか、私はクラシック音楽が、
バッハが特に好きなんだな。

そっか、私は、世間的に言われる
純文学、とか正統派の
古典文学が好きなんだな。

そっか、私は
現代で、「スピリチュアル」って言われる世界の
一番コアなピュアな部分に
すごく沿っているんだな。


それを、特に気負わず楽しめるんだな。

純粋に。



特に説明は必要ない。

もちろん、深く知識を得るのは楽しいから、
もちろん、細かい情報も知ったら楽しめる。



なんで、そこに、
今までの自分は、excuseや説明を入れていたんだろう?


誰かに申し訳ないかのように。







アタマの中で、
魂の声がかきけされる。


親の声。
昔、センセイに言われたこと。
誰かが言ったこと。
友達の声・・

周囲の声で

自分の感覚や直感の
第一印象がかっさらわれていく。


しかし、それを説明もできない。

何が自分がやりたいかを、
くいさがって言葉で伝えることもできない。
「どうせ、私の伝えることは否定されるんだ」

と最初からあきらめていた日を思い出す。






そして、もうひとつ発見だったのは、

「私は、英語が好きなんだなあ」


ということ。
それさえも、よくわからなくなっていたけれど、
じわじわと、わかった。


「意外と、英語が英語でわかる」



というのも、わかった。

当たり前かもしれないけれど、
半年以上ブランクもあり、
ちょこちょこ触れていたものの、
自分が、何がどこまでできるのかが、さっぱりわからなくなっていたからだ。




少しずつ、自分自身の

弱いところとか、
できないところとか、

持っている部分。
あるもの、から

これからやることを見つめなおしています☆