2015年5月1日金曜日

少しだけ昔の話をしよう☆

今現在の、大事件(大悲劇)も
10年後には宝物。


心理カウンセラー・心屋さんの 好きな言葉☆
実感としてそうだと思う☆


10年前の悲劇も
今は、宝物になったから。
宝物にできるから。






10年前の21歳、私が大学2~3年生。

ちょこちょこ書いてきたことだが。



ちょっと最近、過去の出来事の読み直しが
できてきたので、再び書いてみる。
(何度も読んでいる方、本当に、くどくてすいません。。。。)



私は人生初めての彼氏ができた。
で、

両親に激怒され、
エイズ検査に行かされた。(← まあ、当時の私は行くのを選んだ、とも言いなおせる。)
(結婚前に、彼氏の部屋に行くとは何事だ!という、考え方)

両親のしつけは、非常に、厳しく、いわゆる過保護だ。

「お酒を外で飲むな、男性が同席している場所で」「ピアスは開けるな」
など。大学時代言われていたこと。
遊びたい私は、そんな生活できないので、適当に、破っていましたが、
見つかると怒りはすさまじかった。







すべての下着を捨てさせられた。
色はベージュか、黒に買い直さられた。

持っていた、赤やピンクのマニキュアもすべて処分させられた。

「女性らしいものはダメ」と。
当時付き合っていた彼氏とは別れさせられた。

家の外で何も言うな、と言われたから、誰にも言えなかった。

(←まあ、当時の私はそれを選んだ、とも言える。
家出する、とか、何が何でも、逃げるという選択はできなかった。
その選択ができなかったのも、自分だから、ま、いいんだけれどね☆)


毎日ひとりになれる場所で、泣いていた。

こんなことがありながら、当時はバイトして勉強して留学してたのだから
20代の自分を本当に、尊敬する。

自分の中の「女性らしさ」「オンナってなんなのか」「誰か未来に好きになる人ができるのか」
結婚とか恋愛とかもわからなくなっていた。
幼い世界の中で、絶望したりあきらめてることもわからないぐらいに、絶望していた。


あまりの体験のキョーレツさに数年忘れていたが、
就職した年の冬に、記憶が蘇ってフラッシュバック、し

心臓のバクバクも止まらず、会社のデスクに座ってたら脂汗や
自分が死ぬビジョンばかり浮かんでしまい、
うつ病になった。

高校時代に通ってたメンタルクリニックに駆け込んで、休職した。


今になるとよくわかる。

この出来事には、今考えたり感じたり、自分の癖。

学んだり、気づいている、すべてのヒントが含まれてる



ま、冷静に見直すと・・・・

(子供からすると)絶対的な親に従うことを選んでいた。

思考や判断基準を乗っ取られることを選んでいた、
なにもかも、大きなものに
預け切っていた子供だった。
自分軸で選ぶことができなかった。
というか、自分軸ってナニ?

という感じだった・・・
(もちろん、今もそれはあるけれど、ね)





・母娘関係。(最近はやり??の『母の呪い』 )

・最近話題の、いわゆる毒親とそこからの精神的・経済的自立。

・世代的な、性の価値観の違い。

・自分の内側に無意識に刷り込まれている、恋愛、性、SEX へのタブー

・愛着関係、近視眼的な人間関係

・自分の恋愛観、恋愛関係、人間関係の結び方

・日本戦後の社会の価値観の変遷。
専業主婦の行き場のないエネルギーが子育てに向かったこと。

・自分自身が持っている、革命衝動。自分主体で使わなかったから、親が使った。
(占星術的には、 月と天王星)

・占星術的に、21歳は自我が降りてくるという歳、その時も
自分の意識を開いていなかったから(親にまかせっきりだったから)逃げ遅れた。
今思えば、判断基準を完全に親に預けていた。(今ももちろん、その部分はあるけれど~)

・誰か他の人に、暴力的・強烈にコントロールされ、乗っ取られた経験があるということ。
そこをベースに、他の人へのアドバイスとサポートに生かせること。

・まだまだ世間一般的なメンタルクリニックのイメージ

・コミュニケーションの方法(最近勉強し出した、NVC(非暴力コミュニケーションなど)

・洗脳の概念(洗脳は、遠隔操作=物理的に離れててもその人の行動をコントロールするために
脳に負荷をかけて刷り込むというところから)



などなど。


もっともっと、もっと・・・たくさん、ある。
きっと、これからも、出てくるだろうなあ。

今は、こんなこと四六時中考えなくなった。
(昔はこういう出来事がエンエンエンドレス~に、頭を回る時があった。)


ただ、ふっと、

あ、つながる。
と思う時がある。
記憶インデックスから、つらつらと今と過去と未来が溶け出す。





そして、あんな過酷な時でも
沈着冷静さが自分を救っていた。
醒めきった、自分を俯瞰する目

内側から来る感情を断ち切った、透徹な視点が
自分を守り、律していた。
(占星術的に言うと、管理者の☆・土星)

それは、
「頼るのが苦手」「助けてと言えない」「甘えられない」
自分でもあるけど、ね。





感情がすべて無くなるような、凍らす経験をしたものが、
また、そのような体験をした人を解放してゆく。

と、オーラソーマの真理ちゃんにも言われたっけ。




当時。
心底 こんな人生は こんな自分は、嫌だ、と思った。


自分のすべてこの 血肉体 を忌み嫌った。
そんな親の身体を受け継いだ自分はどうすればいいのか、と。


だから、どうすれば自分が変われるのか、と延々

様々な、本を読み漁った。
教えてくれる人には食付いた。(文字通り、死活問題だったから)
自分の中の整理のために、心理学や、スピリチュアルの勉強も続くし。


それが、だんだん楽しくなってきてしまった(笑)


そして、ふっと、

別に幼いころの自分に、
それまでの自分に

「問題は無かったんだな」と肩の力が抜ける視点がやってきた。

確かに、起こった現実は、一見、悲劇だった、かもしれない。

それをどう解釈するか
どう意味づけて
どう行動し、
どの反応するかは、

私がいつだって、どんな状況だって自由に、

今、選べること。

だから、未来は選べる、ってこと。





この10年前の具体的な、話をするのは、

私は難しかった。(もちろん、今も突然言ったりはしないし、わざわざ話題にも出さないけれど)



専門的な訓練を受けた、カウンセラーやお医者さんにしか話せなかった。
どんな話も、ニュートラルに相手の静かな鏡になる
そういう対話方法を身に着けた人に、おそるおそる語ることしかできなかった。

自分の身の上に起こってきたことが、実は、問題だったのだと気づいたときには、
心身がぼろぼろになり、感覚過敏になっていた。
感情のエネルギーをぶつけられるだけで、苦しかったし、寝込んだ。
ニュートラルに淡々と、返事が欲しかった。


事件の内容の大きさから、出来事に揺れて、感情を投げ返されたり、
その人の価値観でジャッジされるのは、そのまま痛かった。

20代は、「強烈(な人生)だね~」と言われるのが苦しかった。
自分で選んでキョーレツにしたのではない(と、当時は思っていた)。

今は、もう、何を言われてもどう反応されても、
そこにあまり、こだわらなくなった。


そして、こんな、超個人的な体験が

誰かの未来の、人生の。
役に立てば、貢献できればいいなあ、と思う。


超個人的なことばかり書いていると無私になっていくような感覚がある・・・




そして、そんな昔の体験も、

今となっては・・・とても、とても。大事な宝物の話になりましたとさ☆


そして、この話も、
私からしたら・・・・主観的に、真実だけれど

違う人からみたら、違うのだ。
人の数だけ、その人の、解釈と現実がある。
全然ウソだったり、ツッコミ所も満載だろう。

・・・・そう、それでいいんだよね、って☆ 



やはり書くのはセラピーになるなあ・・・
このブログ記事書いて、またなにか、落ち着きました。


エゴラッピン サニーサイドメロディー

この歌の、
光(明るい方向)に
意図してゆく世界観が好きです☆


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