2014年11月13日木曜日

お嬢様だった、のコンプレックス


ありあまる富 Goose house (椎名林檎カバー)





「豊かさへのコンプレックス」
「豊かだったことのコンプレックス」

がずっとあった。
ことに最近気づいた。


こういうことを言うと
やっかみと
嫉妬を受ける。
だから、
「そんなことないよ」「すごくないよ」

と、必ず言いなさい。
と母に言われてきた。

あるいは、
外で口に出すな、と言われてきた。



確かに大人になった今、
これは目立っただろうな~、
と感じる。



戦後の流れに乗った、
「成り上がり小金持ち」なんだけれどね。


幼いころから、
借家暮らしで
苦労していた父にとっては
大仕事だっただろうし
よくやった、ということなのだろう。


母は、もともと
モノの余裕がある家から来たので
几帳面でマジメではあるものの、
しっかり稼ぐダンナがいることを
前提とした、
お嬢様な
お金の使い方をしていた。



ひとりっこで、
遅い結婚だった父と母の娘として、
そして、私の幼稚園~小学校低学年は
バブルの時期とも重なり、
かなり周囲の同級生からも
浮いた生活をしていた。
と、今思う。


一応文京区と呼ばれるところに住んでいた。
周囲は、サラリーマンばかり。




幼稚園は、旅行のためによく休んだ。
北海道旅行に何度も行っている。

幼稚園~小学校の間は、
毎週末、家族で、外食に行った。
当時、名古屋では最高級だったホテルのレストランや
日本食のお店に。

毎週末、
余所行きの服を着て。

服は、高級ブランドだった、思えば。
今のような、メッゾピアノ
子供服ブランドが無かった時代だ。

子供は他の家と比べるのがわからないから
私はただ、親の言うとおりに着ていた。

(第一、服を
選ぶ、という自我が遅くて、
何を選べばいいのかもよくわからなかった)



同級生のお母さんから、
言われたという、

なんで、あなたの家は、
大手デパートの紙袋ばかりなの?と。




初めての海外旅行は
小学校2年生のときの夏休みの、
カナダ旅行。
ノースウェストに乗って。
時差ボケと飛行機酔い、
いつもの旅行の体調不良で、さんざんだったが、
そこから、海外旅行も増えて行った。

ハワイに行くための、
ビジネスクラスにも
スィートルームにも、泊まった。
ヨーロッパ旅行では、
トップクラスのツアーに行った。


今思えば、かなりの金額だろう。


ただ、私もそれなりに?
結果を出した。

旅行に行くたびに、
ガイドさんの話を全部メモに取り、
(大体夏休みだったり長期休みだったので)
その宿題にまとめあげたり、
立派なアルバムを作ったり
日記を書いたり
工作を作った。


帰ってきてからも、
何日も、かけて。


それは、いつも教師に絶賛された。
(インディゴチルドレンっぽいな~)



欲しかったものは
一番、性能のいいものを
買ってもらえた。

ただし、厳しく言い渡されたし
物持ちは非常によかった。

今でも電子機器が壊れたことが無いのは
おそらく、両親に
きちんと使い方と保管方法を
厳密に厳格に
しつけられたせいもあるだろう。


自転車。
パソコン。
それを見て、同級生が欲しがったそうだ。


カタログを広げ、一番前にあるもの。
一番性能がたくさんついていて、
値段が良いものを。


父が運転する車の中のBGMは必ずクラシック音楽。
ワーグナーが大好きな父がかけているカセットテープは
ニーベルングの指輪。
部屋にはぎっちりと、クラシックレコード。
小林秀雄全集。
壁一面の本。
(軍事関係の本が多かった。父の仕事と趣味の一致)


私のアップライトのピアノは
親戚からもらったものだが、
海外高級ブランド(名前を忘れた)


母が着ているのは
父に買ってもらうブランド服。
と言っても、ヴィトンなどではなく、

「ある程度の日本企業の役付きの専業主婦が着る
服の部類でのトップブランド」
(というくくりがあったのが、今ではわかる)




・・・・という生活を
きちんと

「そんなことないよ」
とフォローすることを教えられつつ

私は、単純に本を読んでいるのが
一番好きな子供だった。



で、

ただ、そうだなあ、そういう場所にいると
落ち着くし
素になるなあ
・・・と思うのだ。


今でもアカデミックな場所が好きだ。
大学や大学教授、
いわゆる知的な仕事をしている人はすぐわかる。
そしてそういう人の
そばは、
落ち着く。


何かに深く集中している人が好きだ。
本を読んだり
芸術に触れると
ああ、自分でいられる、と思う。




ギラギラしすぎてなくても、
ある程度お金がかけられたり
手間暇がかけてあるものは好きだ。




今の仕事でも、
ロイヤルルームに入ることもあるんだけれど、

なんとなく、
なつかしいな~となる。

ミーハーちっくに、
つい周囲に合わせて
はしゃいじゃうこともあるけれど
実は自分の中では
子供のことのおとなしく
その場を感じていた「私」がいて、
ちょっと無理をしている。




まあ、そういうところに、
泊まりたいな、と思ったら、

一泊できる選択肢を持てるように
稼げるようになりたいな、

思う。




小学校
中学校
高校
大学
就職


そつなく、
名古屋の愛知県内の
憧れられるような場所に行った。
高校教師は、公務員の中でも収入がいいらしい。
(と、教壇に立ち始めて1年ぐらいしてから知った。笑)
そこをガッツく気に、またなれなかった。

保守的な価値観の人なら
もう大満足でそのまま結婚。
だっただろう。

ある程度は努力した。
その場に完璧に合わせようと、求められてる役割を
演じ切ろうとした。


だけど、今わかるのは

「そんなの
あんまり、
好きじゃなかったし
全然ピンときてなかった」



これだ。





長野県の大学に合格して家を出たいと行ったとき。
独り暮らししたいと、仕事を始めてから行ったとき。



「この生活の何が一体不満なんだ!」


と、父に怒鳴られ、
母に言われて、

逆に私は、あっけにとられてしまった。


その逆切れ具合に、
押し黙ってしまった自分がいた。


不満だらけどころか、
全然好きじゃない。


もっとうごきまわっていたい
自由に一人暮らしがしたい
こんな温室の中で
じわじわと絞殺されていくような生活なんて
私にとっては
ツラすぎる。

と。




なんだか嫌味な投稿になってしまったかも。

だけれど、

そういう生活や環境の地がありつつ

この私がいるのだから

そこを否定してもしかたないし
でも、隠しても仕方ないし、
それでも見せつけるものでもないし。

ただ、自分なんだな~、
と思うのだ。


クラシック音楽を聴くと、
落ち着く自分とかね。

ヨーロッパ的な
海外的な豊かさに触れると

魂が解き放たれるぐらいに
ワクワクする自分を。



素直に、ね。















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