2014年11月27日木曜日

内田樹さんのブログ記事を読んで泣いた件。







内田樹の研究室の最新記事、(2015年11月26日掲載)

資本主義末期の国民国家のかたち

を読んでいたら
途中で泣けてきた。
長いです。でも、時間をかけてゆっくりと読み込む価値が
絶対にある、この文章は。



内容としては政治の話なんだけれど。

どういう部分で
もどかしさを今の日本で
感じているか、を
書いてくれてあったから。

そう、こういう言葉で開放する人に
私も反応してきたんですね~




で。


すごくよく分かったからだ。

現在、仕事現場や教育現場で
どれぐらいにすり減らされているかという感覚が。

こういうことを言う人が
ほんとうに必要なんだよ~


としみじみ思う。





自分の父親が
それなりに哲学を持って
職場でばっさばっさと
改革していった人だったのもあり、

自然と上の立場に立つ人は、
深い智恵と、
言葉の力があると思っていたら
どうもそうでもなかった。

ので、最初に教壇に立った時に、
恩師に、逐一
職場での周囲の愚痴を言っていたら、
(まあ、私も甘えてましたね・・・笑)



「お前は、高校教師に対して
期待しすぎだ!」


と電話越しに、一喝されて
(高校教師は、大学教師のようにマイクも使わないから
地声がデカい。そして、本気で怒鳴ると、電話越しにビリビリ響いて結構、うるさい・・・・。(-_-;)


また、ガーン・・・そういうもんかい・・・

と遅く、
大人の社会の実情を知ったのでした(笑)




じゃあ、自分でやるか。
自分がやればいいのか。

という気分になったのも今日この頃。




祖先・今・未来の時間軸にこそ、

この自分は立ち現れて

そこから自分自身と言うものが出てくる。



どうやったらこのような政治体制を批判できるのか。僕が学術というものを最終的に信じているのはそこなんです。為政者に向かって、あなた方はこういうロジックに従ってこのような政策判断をして、あなた方はこういう動機でこの政策を採用し、こういう利益を確保しようとしている、そいうことをはっきり告げるということです。理非はともかく、事実として、彼ら政治家たちがどういうメカニズムで動いているものなのかをはっきりと開示する。本人にも、国民全体にも開示する。別に彼らが際立って邪悪であるとか、愚鈍であるとか言う必要はない。彼らの中に走っている主観的な首尾一貫性、合理性をあらわにしてゆく。その作業が最も強い批評性を持っているだろうと僕は思います。
(本文より)


学問をしろ、
それが、現実を相対化するんだ。
と恩師によく言われた。

要するに、今いる視点に埋没するな

今いる場所は、
ほんの狭い一点でしかないんだ、

自分を俯瞰しろ

他の時代に地域に
もし住んでいたらと
五感(第六感、第七感まで)

を総動員して
自分の視点からまた他の場所に移動する。

現在の自分をその場から見てみる。


要するに
親との問題に固着して
居続けていた私に対しての
アドバイスでもあった。

心理学の本を読め、
精神医学の本を読んで
自分自身をそこから
見つけ出していけ、

そうするとそれはまた
今度は自分の武器にもなってゆく。

断片の一件些細な情報からも
その背後に動いている
流れを読み解く。
シャーロックホームズのようなこの動きが
訓練である程度
後天的にできるんだ、と分かってから、

少しずつその方向に
足を歩んできた。


相手によって、
カジュアルでもいいし、
硬くでもいいし、

男性、女性、老若男女の
聞き手や受け取り手
相手によって、かみくだいて説明が
もっともっとうまくなりたいな、と思っている。













0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。