2014年2月12日水曜日

母の呪い 家の呪い ③ 恩師T先生

PTSD、フラッシュバック、うつ病、そして母と娘の確執、
性的な内容、が具体的に描かれていますので
苦手な方、またまだその症状がある方はお気を付けください。

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診察室以外の時間の方が、人生は当然長い。

そして、働いていない人間にとって

普段、平日、やることがない、

やれない、ということは

めちゃくちゃに辛い。お金を使うわけにもいかない。

だるい。でも、体は動かした方がいい。

適度に。少しずつ。

一気には改善しない。

その手持ちぶたさと、焦る気持ち。









捨てる神あれば、拾う神あり。

新しく何かに飛び込めば、

必ず、助けてくれる人が現れる。




その時期、結果的に

私に大変化をもたらした、

人生のキーパーソンに私は出会う。



①高校時代の恩師T先生
②中学からの親友Sちゃん
③母の弟のおじ、Nおじさん



今回の記事では、


①高校時代の恩師T先生   について。



彼とは、偶然地下鉄の改札内で、病院に行く途中で、再会した。

背が高く、何を考えているのかわからない顔。

パッと見、いつも不機嫌そうな、怒っているような顔。

でも、笑うときは、顔中の表情筋を使って笑う。

私は、笑い方を忘れていた、うつ病時代、

彼の笑う顔を見て、笑い方を思い出した。必死でコピーした。

そう、顔の表情だって、真似と言う名の学習なのだ。




「お前、全然変わってないな」

携帯の連絡先を交換した。





T先生は、私の高校2年生の担任、化学のセンセイ。当時は水泳部の顧問。


高校時代、唯一と言っていいほど、

「この先生は、私のことを分かってくれる!」

と思った人。




だが、


私の幼稚園~大学までで

唯一、母親が大嫌いだった先生。

当時、母は、

私がT先生の名前を言うだけで、

「その名前を言わないで!」と怒り狂った。

まあ、馬が合わなかったのだ。母と当時の、T先生は。

それがまた、事態を一層悪化させた。

私が好きな先生は、母が大嫌いであり、

また、説教が増えるだけだった。




太極拳をライフワークとし、

それに感化された生徒が何人か、同好会を作り、

そして、学校外の教室に、私も参加したことがあった。

生徒から圧倒的な人気を誇り、私が高校3年生になるとき、

別の県内の進学校に変わっていった。

クラス全員、T先生の離任式、その後集まった教室で、大泣きした。


県下の進学校で、理系をひっぱり、

国公立、東大・京大、トップクラスの

医学部や理系学部に、合格者を出してきた先生。

授業はうまく、キャラクターが愛されてきた。


だが、名物教師にありがちなように、

かなり、極端な性格で、エピソードにもことかかない。




・敬語が使えない。(どうやって教員採用試験に合格したんだ?)

・バカにはバカという。(どうやってここまで生きて仕事してきたんだ?)

・本当のことを素直に言う。よって敵を作る。

(うつ病が治った生徒から、自宅によく、激昂した電話がかかってきたそうだ。
 幼い息子たちや、お嫁さんはその勢いに怯えたという)








高校2年生の時、

母は毎日のように金切り声をあげていた。

「○○○(←私の名前)がおかしくなっている!もう勉強しないなんて!」

私の状態は、ガタガタだった。ガタガタの状態を、

親と教師とクラスメイトに悟られまいと、さらに神経をはりめぐらせるから

状況は、さらに悪化していった。





1時間目から6時間目まで授業は、寝る。

あるいは、保健室で、寝る。

あらゆる各方面の大人から怒られる。説教される。

「努力不足だ、がんばれ」しか言われない。

もう、うんざりしていた。誰も助けてくれるなんて思っていなかった。

二者面談(保護者と先生)が終わり、

そんな時、担任だったT先生が、私を科学室へ手招きした。

(ああ、また怒られて説教か・・・)

しぶしぶ入って、椅子をすすめられた私が言われた言葉は
意外なものだった。


「勉強なんて、しなくったっていいじゃん!」


私は一気に泣き、唯一、T先生には、なついた。



それから10年後、

あの言葉の意味を、私が教師になった今、

T先生は解説してくれた。



「成績が悪くて、
メンタルが追い詰められている生徒には、まず安心感を与えることが必要なんだ。

俺が担任するクラスにいるだけで、

別に成績に左右されずに、生徒が存在OKってことを伝えるのが大事なんだ」



T先生が、私がどん底、高校生活を送っているときに、
唯一、現在に続く、
私のいいところを見抜いてホメてくれた。


「お前には、言葉の力がある」

そのメールをもらった時のうれしさと言ったらなかった。





そして、また彼は、

代々教師家系であると同時に、
東洋医学の治療家の家系でもあった。

弟さんは、鍼灸学校の専門学校教師だ。

マッサージ、鍼。肩こりや腰痛、部活で体を痛めた生徒が

よく、T先生のマッサージを受けたり、

良い先生や、マッサージ師・鍼灸師を紹介してもらっていた。








大人になって再会してみると、

高校生に対して言わなかった

それよりも、高い意図があったことを教えられた。

そして同時に、聞き上手であるがゆえに、

私は現状をなんでもかんでも話してしまった。


T先生とは、月に一回、

お茶、→ランチ or 夕食

を繰り返していた。

だが、その時に交わされる言葉は、


27歳の小娘と、52歳のオヤジという

登場人物と、舞台設定にしては、

抜き差しならない生々しいシュールな、ものだった。

いつも真剣勝負で、(まさに、言葉の『真剣』)

私自身は、自分の人生もすべてかけていたから

食らいついて必死だった。

同時に、T先生が持っている、カウンセリングスキルも吸収していた。

自らの状況をこやしにしながら、

激痛カウンセリングセッション。・・・なかなか、過酷。(笑)



私の現状から始まり、どこからここを立て直していくべきか

何の本を読むべきか、

現在の高校教育の課題。問題点。



T先生は、一般向けにやさしく書いた本を薦めない。
原典、抽象度が高くて、その核を抑えれば全体に展開できる本ばかり
すすめられた。

今読もうとしても、アタマが痛くなるようなものばかりなのだが
その時は命が、そして自分の次世代がかかっていると
思って必死に読んだ。

いわゆる、男らしい読書。






アタマのいい人がありがちな傾向として、

本当のことを言うのは痛い。怖い。

そして、言われた側には激痛が走る。

毎回、会うたびに激痛と気づきがあった。

だが、一度出かけると一週間寝込む、そんな体調でもあった。




両親と私の間に立ち、

「教師」という立場で、最大限私を守ってくれた。

私のことは、T先生の子供たち・お嫁さんにもすべて筒抜けで

家族そろって心配をさせていたらしい。





T先生とは、数年前に決裂した。


「師弟関係というのは、親子・兄弟姉妹・恋人・友達・すべての人間関係が含まれているのです」


とは、精神科医・神田橋條治先生が、弟子の学校女性カウンセラーとの共著で述べていた言葉。


それを読んだときに号泣した。

まさに、そうだったからだ。

そして、だからこそ、

今はT先生と私は、袂を別っている。


そういう時期もあるのだろう。












「お前、高校のセンセイ向いてるんじゃない?」

ある日、いつものように月イチでお茶か、ご飯をしながら

T先生が突然言ったセリフをよく覚えている。


あのセリフに反応して、今、ここの私があるからだ。








(つづく)

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