2014年2月4日火曜日

母の呪い、家の呪い ①



基本的に、ここまで生きてきたんだし、

命取られなきゃOKというスタンスで

書いてます。以下のこと。



PTSD、フラッシュバック、うつ病、そして母と娘の確執、
性的な内容、が非常にエグく描かれていますので
苦手な方、またまだその症状がある方はお気を付けください。

でも、以下に書くようなことは、
まだ日本で多いようですね。



*****************


産みの母を、悪く言いたくないとずっと思っていた。

一応は血がつながった人、

その人の腹から産まれたのだから

悪口を言うのは、
まるで天に唾を吐くようなものではないか、と。




しかし、ごく控えめに言って、・・・・

やはり、私の母はムチャクチャである。(笑)

娘の私に対して。




冷静に描写すれば、

ギャグ漫画のようなもの。

だが、当事者としては生死をかけている。

本気で、殺し合いの時期もあった。


だからこそ、私は冷静にならざるをえなかった。

感情に流れたら、大げさではなく、

自殺してしまいそうだったから。


宇多田ヒカルちゃんが、自伝の、線と点

を出版した時。

その内容を読んで、感じ入るものがあった。

彼女の両親は、
ものすごい回数の離婚と結婚を繰り返している。
そして、彼女の両親も、やはり
「ムチャクチャ」な人だった。
だからこそ、彼女は早く大人にならざるを得なかった。


どうやってこの両親をベースにして

私は、「まともに」生きて行けるのか?
私は、「まともな」子育てをできるのか?

と。

足がかりもない。
自分の基準点自体がズレているのだから
どこを
起点に考えればいいのかもわからない。



彼女の母、藤圭子さんが自殺した報道は
まともに聴けなかった。
つらすぎて。

***********


結婚前に小学校教師をしていた母は

とにかく、気が強い。

そして、言い切る。

今でも娘の私は、思う。

結婚しても仕事を続けていてほしかった、と。



わんぱく児童40人以上を

一気に回してひっぱっていくようなエネルギーを

一人娘のワタシにだけ注ぎ込んだのだ。

社会で働けないフラストレーション、

自分のむくわれない結婚生活、

あらゆるコンプレックスを、

私に対して注ぎ込んだ。


結果的に、私はその感情の波に振り回されて、

大きく10代と、20代の時間を食うこととなる。

いや、結果的に母の自分の中に安住することを許したのは私だ。

だから、私が線をひけなかったのに

一番の問題があるだろう。




なので、私はその偉大なる反面教師(笑)として、


・結婚してもとにかく仕事は続ける。(私が続けたいから)

・子供に自分の夢はたくさない。(自分の夢は、自分でやるべきこと)

・自分のDNAの限界が、子供のDNAの限界。(笑)

・結婚しようがしよまいが、ダンナの収入と結婚生活にしがみつかないような経済的自立
  &単純に人としてモテる人間力の魅力磨き

そして

・自分自身の起こった、心身問題はすべて糧にする。


を、モットーにしている。

まあ、結果的にそのように生きている。
別に、、完璧にやろうとも思ってはいない。
ただ、おのずとこうなってしまうのだ。



*************


「子育ては、せき止めなんだ!

家系で、ネガティブな流れは、自分の代で止めなきゃいけない。

ポジティブな流れは、当然次の代に伝えることだけれど」


スタバで、高校の恩師が言った。


「じゃあ、どうすればいいんですか?」


私は、プライドも何もかもかなぐり捨てて、

必死だった。


新卒でめでたく女性総合職として入社したものの、

うつ病を発症して休職。


しかし、両親は精神科への誤解も激しく、

休職した、原因は、心身症

理由は両親。

なんて言える状態ではなかった。


なので私は、なんとまるまる2年間、両親に黙って

休職しながら一人暮らしをしていた。


その、休職した理由も、うつ病になった理由もわかっていた。



(つづく)








0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。