2013年10月13日日曜日

本 「努力しない生き方」桜井章一



「努力しない生き方」桜井章一

http://www.amazon.co.jp/dp/4087205347

身も蓋もない言い方だが、意味もなければ答えもないからこそ人生は面白いと思う。(p100)

動物も植物も地球も月も太陽も、
彼らは「答え」を求めない。「分からない」という状況にあって「迷い」を起こすのは人間だけ。
でも、「分からない」というのは、本当は魅力的なことだし、楽しいことだ。
異性に惹かれるのも本質的に相手がわからないからである。
「分からない」とい状態は生きることを豊かにするものなのだ。(p102)


わからない―――「わからない」ことをわからないままにする




ふだんわれわれが生活や仕事でひっきりなしにしている計算の多くは
もしかして無駄だったり、マイナスになっているのではないかということだ。
もちろん最低限の計算をしないことには生活も仕事も成り立たない。
しかし今の人は不必要に複雑な計算をやり過ぎている。
その中には無駄どころかきがつかないうちにマイナスになっているものも数えきれないほどある。(p 162)

計算しない―――計算しないほうが勝つ



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「耳が痛い!!!!まさにその通りです・・・!!」気分になる本。


読んでるのに、耳をおさえて、「ひーーー」って言いたくなる。

そして、読みながらなんだかどんどん軽くなる。





本読みの賢い友達から貸してもらった。



(それにしても、賢すぎる繊細アンテナを持った人は

どっかっで、なんか、生きづらそうなんだ。

だからそれを守るためにおもいっきり武装してしまう。


そこまで力入れなくても・・・ってところで、

ついつい硬くなってしまう。

私も含めて・・・

なんとかしたい・・・、この日本の閉塞感。


負の状況が強いならば、

ワクチンは伝染病の流行地域から生まれるように

呪いや因縁や業が強いのであれば、

だからこそ、叩かれて、必死に生きようとする域間や緊張感やらから

そこから対抗手段や、新しいものが産まれる、イメージを持って

生きている。最近は。そうやってビジョンを描いていれば、必ずそうなるから。)










この著者、桜井さんは、作家よしもとばななさんのお友達で共著も出しているし

ばななさんの日記にもよく登場する雀鬼、と呼ばれる麻雀界では最強の人だそう。


本読みの友達は、ばななさんも好きだけれど、

ばななさんと、この桜井さんとのつながりは全く知らなかったらしく、

そのことを教えて上げたら、「やっぱり似たもの同志に

いつのまにか惹かれあうしめぐり合うんですね・・・」って。


そうだね、

最近それは実感していてどこにいようが、似た人としか縁がない、

しかも年々その精度は上がってる気がする(笑)






この前もあたらしく友達になった子(って響きなんかいいなー♪)

と話していた時に指摘されて

気づいたけれど、

わたしの身の回りに、いわゆる

「濃い・エネルギッシュで、いわゆる個性的な人・なんか浮いてる人」

ばっかしか集まってない・・・

「いろいろなことやってますね!」とよく驚かれるけれど、

別に、いろいろなことをやろうと思ってやったわけじゃないのよね・・・(あたりまえか)


結果的に、自分がいる場所が苦しくて、

動かずにはいられないから、めちゃくちゃに

好奇心の浮気性のごとく、あちこち首をつっこんでたら

結果的になんだか

いろんなつながりやら知っていることが蓄積されていた、みたいな。




そしてやらかしてるのは、

周囲から聞いたらギョッとされるような

熱く、異次元にぶっとぶ・本質トークばっかり。

うーん、ありがたい。




そういえば、20代前半って、あまりに話題が合わなくて

でも、周囲に合わせなきゃと思ってて、そういう

「なんか、変わった人たち」に出会いたいーーー


ってずっと願ってたけれど、その一方で

そんな人たちが怖かった。自分と話なんかできるんだろうか。


って思ってたのも覚えてる。

そう考えると、今はそのころの夢がかなってるんだなあ・・・いつのまにか。

と、気づいた。



最近ずっと考えているのは、

「頭の中で考えたり、願ったことは、いつに叶うのだろう?」ということ

願った時と、現実化するときのタイムラグ。


どうも、あまりにも必死にがっついて願い過ぎたり、

求めすぎると、

こちらの祈りの姿勢がさもしくなりすぎるのか、

・・・それなりのものしかこない(笑)

これは、デパートのセールとか物を買うときとは違う話・・・

商品を見比べて、性能や但し書きやら吟味してじっくりガッツクのと、


目に見えない願いや思いをかなえるのは

ちがうからくりみたい。





そして、それは農業みたいに、

水やって、肥料やって、太陽にあてて、風をとおして、

土をほりおこして・・・・時間をかけて、みまもって、話しかけて、

時に守って。そういう繰り返しの毎日の足元の時間から産まれるみたい。




仕事をしていて痛感する。


「男の人は、尻を叩かれ慣れている。蹴られ慣れている。

グチを言うのがうまい。抜くのがうまい。頼るのがうまい。


多くの働く女性よりも。というか私よりも、」



ちっちゃいころから、

ガンガンどつきあってるところが、男の人文化にはあるけれど、

女性は体育会系ではない限り、結構大事に守られてしまうところがあるからなあ・・・






自分自身を見て、

痛いなあ~弱いな~と思うのは、

あまりに中途半端な戦後の「中産階級」お嬢さんで育ったがために、

極端にノイズ耐性が低いし、


他人が横やりをいれる環境で育ってないから

誰か他の人がいるだけで集中力が落ちるってこと。


ま、これは実地現場訓練ですね。

日々、変わっているのは自分でもわかるので。






・・・そんなことを、1年ぶりぐらいに話した

かつての教え子に話したら


教え子「めちゃくちゃ変わったね!

    20代前半の○○せんせは、あんなにギラギラしてたのに!」



わたし「やー・・・ほんっと、はずかしいよ。
    ギラギラっていうより、イライラしてたね。
    ずっと怒ってたし、怖かったし。恐怖感まみれだったし」



常に、自分に、親に、世界に、環境に、職場に、

怒っていた20代。今も怒ってるけれど

もうちょっと、大きく怒っている。





20代前半、

すべてをコントロールしたいと思ってたし、

できると思ってたし、

描いた人生通りに生きなきゃ

そうじゃなきゃ何かに負けてしまう、と

思って戦ってたけれど。


まあ、そのガムシャラ期は過ぎたのかな。

もちろん、あの勢いだからこそできたこともたくさんあるけれど。







先祖代々の、家の業、

流れについてよく考える。

「先祖三代祟る」とは恩師の弁だけれど、


つまり祖父母・両親・子供の

三代で、負の流れは集積していく、ということ。


・・・・や、めっさわかる。


ひとりっこの私は、それが集大成で積もった感あり。

きっと家の業一身に引き受けて、きっと人柱のように

すべて引き取って亡くなって人がたくさんいるんだろうなあ・・・


と考えたこともあった。

「だからこそ、子育てはせき止めだ!」by恩師


「ポジティブな流れが親からももちろんあるから、それは流して、

負の流れは自分の代でせき止めなきゃいけないわけ。

そのために、あらゆる手段や勉強や、本読んだりするわけ」


その言葉にガーーーーーーン。

殴られたよーなショック。

そー生きればいいんだ!



今の自分が

グッと光の方に向かうイメージを持つとき

どっか下の世代に

つながってるんだ、ってよく思う。




親子関係については、よくいろんな友達とも話すけれど

問題の無い家なんてない。

なにかしら、流れや癖はある。

それを、むりやり歪んでると切り捨てることも極端すぎるし・・・



ただ反発するだけなら、反抗期と同じだし。

なにかに真正面からはむかうのは、結局そのものと同じになっちゃうから、


だから、いつも間を探してる。

あるいは、180度変わるのではなくて、30度、75度ぐらい変わることを。

自分が、やわらかくなることを。

・・・・めっちゃむずかしいけれど、それはやりがいのあること。

必ず周囲に、直接つたわっていくから・・・


水面に落ちた水滴の、同心円状の波みたいに。





結果的に、

業の深い家に生まれたけれど

その業をこつこつ払ったり、毎日拭いたり、していうなかで


圧倒的に明るく光るものはできる。



って、思う。




宇多田ヒカルちゃんの、今の生き方を見ていても、ね。

彼女のお母さんが亡くなったニュースを聞いたとき、自分がどれぐらい動揺して

ショックを受けるかわからなくて、怖くなったほど。

彼女も、時代をさきがける、女神だにゃ~。






























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