2014年3月31日月曜日

8年ぶりぐらいに、東京に行って考えたこと。


コーチングの基礎講座に行ってきました。 
https://www.youtube.com/watch?v=W6QjKT1A2pI 


もちろん学んだことは多かった。

が。
それより、困った、とまどったのは、


自分が、 
東京滞在3日間で、右肩下がりに
吸い取られるように、
どんどん疲れていったこと。


もちろん、
できないこと 
失敗、 
わかんないこと。 
たくさんあったから、それかな? 


外資系の団体、というか 
負荷を課しながら 
やっていくからその 
ストレスかな? 


お金が足りない状態で行ったからかな? 





などなど、 

と思ってたんだけれど 
もちろん、それもすべて、ある。 (笑)



が、 

どうやら、それだけじゃない。 



冷静に今日、さっき名古屋に帰ってきて 
風呂に入って振り返ったら、 




☆人が多すぎたこと 

☆よって、ホッとできる場所が少ないこと 

☆山手線が、朝から人身事故(=ホームからの、飛び込み)で止まったこと。 
 4日間の滞在中、2日間も、これで遅刻を心配したこと。 




この3点の大ショックだな、と。 



☆人が多すぎる。 

これは、道行く人の人間観察も習慣になってる私にとっては 
情報量が多すぎてパンクしそうになった。 
もう感覚を完全に閉じて歩くしかない。 

歩くスピードも速いし、 
イライラしてる人が多い。 
駅の乗り換えで、すぐ背後で、 
「ちっ」という舌打ちの音を何度も聴いて 
本当に怖かった。 

電車の中では、 
みんな一斉にスマホをいじっていて、 
なんだか私まで一気にi-phone中毒がうつってしまったような気分に。 
つまり、「私もスマホをいじらなければ」という気分になってしまうのだ。
アホっぽいけれど、
そういう気分が感染していった。


☆ホッとできる場所が少ない。 

研修場所が、青山近くだったので 
新宿、渋谷といった、大きな駅を乗り換えを 
使ったが、慣れてないので
これがまた大変だった。 



空を見上げても、どんより灰色で曇ってる。 
緑の場所が少ない。 
明治神宮に、朝に参拝しても 
みるみる消耗していく。 

山手線も、車内での広告が 
映像が流れていて、それが飛び込んできて、疲れる。 


数年前、大学に入りなおしたとき、 
東京の私大の大学も検討したが、
 
「人が多すぎる、情報量が多すぎる」と避けて 
懸命だった。 


なにしろ、私は、
現時点でもこれほど疲れるのだから。 




☆山手線が、人身事故で止まりまくる。 


これが一番ショックだった。 
そして、自分が思った以上にショックをうけている自分が、
ショックだった。 



あまりに重い題材だから考えないようにしてきたことだが、
やはり自殺したいという人が東京は多すぎるのではないか?ということ。 
そして、この日本の自殺の問題は、
なんとかしたいのだ。とわかった。

自殺のことを考え出すと
私自身が、底なし沼に引きずられる気分になるので
関わってこなかったが
いくらなんでも、もう目をつぶれない。



ホームから飛び降りた、飛び降りたという場所の上を 
また人が通過して、電車が通過していく。 


そりゃ、どんな場所だって
死んだ人は、何万年単位で考えたらいるだろう。

それでも、名古屋で同じ状況が起きるのとは
比べ物にならないほど
私は全身に緊張と恐怖が走った。

ゲームやマンガや小説の中ではない 
自分が生きている国の首都で
これほど、高いビルに囲まれ、
オシャレな服を着て、
平和な物のあふれている日本で、

起きているのだという現実は 
あまりに重かった。 



私自身が、20代を、うつ病なり、精神の病で 
かなり時間を食われたというのは悔しいという思いもある。 

そして同時に、 
自分自身が、地下鉄や列車に飛び込んでしまえば楽だという 
ビジョンが常に浮かんできたことがある。 



この三点目のことは、 
今後の私が生きていく時に 
何かしら、かかわらざるを得ない問題だ、と感じた。 

日本の自殺率の高さ。 
この日本の閉塞感を打ち破りたい。 



だけれど、その前に自分の心身がくたばってしまったら 
何もできない。 


改めて、今私は名古屋にいるのが 
必要なんだな、と思った、 

東京には住めない。 
もちろん、行く場所のひとつの地方都市ではあるが 
あまりにも、私にとっては 
ある種の、呪い(と言ってもいいぐらいだった) 
が強すぎて、しんどすぎる。 





もちろん、東京で研修を受けて、 
今までだったら絶対に会わなかったであろう人に出会い、 
自分自身のスキルも、生き方も見直すこともできた。 

同志のような、 
分野も職種も違えど、 
目指している方向性が同じ人にも、同世代にも会えた。 

また人生なり、自分の生き方を 
もう一度俯瞰して 
見直すことができた。 


東京は、日本全国から人が集まってるから 
あまり介入せずに、放っておいてくれる。 

地方都市だったら、こりゃー個性が強すぎて 
濃すぎて、浮くだろう、 
村八分だろう、 

というような人も 

気楽に存在できる。 

そんな、しがらみや、他人の目や 
ご近所の目、というような 
狭い価値観内での縛りあいから 
自由な場所だ、と感じた。 



それでも、あの東京は 
私は、 
今、ツライものがある。 


自然が、切り離され過ぎている・・・・





ああ、あんな場所で 
近い将来、オリンピックをするなんて。。。。 

と、私は個人的に、思わずにはいられなかった。 


こういう 
大きな腐臭というか 
呪いがかかった 
今の日本で 



私は、何ができるだろうか? 

どうやって生きるのだろうか? 




特に大きなことをするでもない。 
ただ目の前から、 
部屋の片づけから、 
なんだけれど。 (笑)


その課題を
改めて、感じずにはいられなかった。 


私だって、ホームを踏み外して
「むこうがわ」に行っていたかもしれない人間なのだから。









さあ、明日から新しい職場です☆



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