2014年3月24日月曜日

浮かび上がる記憶と未来

木村カエラ バタフライ



年度末。
ぽっかり時間が空いたときに、ぽろぽろと考えることがある。


これほど、自分が狭い世界や小さなことに執着していたのか、
と気づく。



と、同時に、思い出したくない時期を
かなり放り投げたり、隠したり、鍵をかけてきたりした。


完璧主義で、潔癖のように、
人間関係で、一言やちょっとした言動で
瞬時に切り捨ててきたし。


大学時代は、あまりに落ち着かなくて、
たくさんのサークルや団体に
入っては、すぐに辞めることも繰り返してきた。


そんな場所が、あちこちにありすぎて、
そこを、もう今になって
のぞきかえしてみたら、意外と大丈夫と気づいたりする。


しみじみ、私は、「何かが終わる」という予感も、好きなんだなあ~とも気づく。
別れの甘美さから、そこからまた分かるという一連。








他人の感情と、自分の感情も混同しやすい。

誰かの悩み。恐れ、焦り、怒り、不安。
それらを、私がすべて受け止め、中和し、耐えなければならない

と強迫観念のように、思い込んできた。
とういことにも、気づいていなかった・・・




そして。

結局、私が放り投げた・・・(と、当時は思っていた)
勝手に当事者でやってくれ。と


怒っていたつもりだったけれど、

そうやって時間が経ってみると、

そして、なるようになるし、世界は回るということだ。

私が、勝手におせっかいを焼いて
そして、また怒っていただけだ。
一人相撲のようなもの。



そして、相手に怒っていたり、
イラついていたというのは、

結局、子供な自分に、力不足の自分に、
その状況に対して、対処がわからない自分に
怒っていたということ。

あるいは、先が見えないから不安になって怖くて
それが、怒りに転化しているということ。

そして、それについつい執着してしまうこと。

ひとつの感情が浮かび上がったら
それに居座ってしまう癖がついている・・

それが楽だからだ。

そして、周囲の多くの大人たちが、
そうしてきたから。そうしているから。

そこから、スポっと抜けて行こうと思う。


空を見上げて。
雲を見て。






結局、自分が、まず上がること。

それだけに集中しよう、と。







以前、前世をtomoeさんに見てもらった時に

まず、私の体の状態を見ながら・・・言われた言葉が忘れられない。




「全体的に、左にずれてるね。

(私は、赤ん坊のころから、左側を下にして、寝る癖がある。

もちろん、私の顔立ちも左右対称ではない。)

左に向かってね・・・・、20センチぐらいずれてる。

(何が?と問われれば、それは、重心、ともいえるし、

あるいは、自分が地に足を付けている

その基軸ともいえるし・・・)




でもね、アタマがぱかーって開いてるの。

蓋が開いてるみたいにね。

だから、憑依されやすい。乗っ取られやすい状態。

なので、まず

足から戻そう。

足を、左から戻して。

そこから、天(アタマ)を戻そう。

じゃあ、なっちゃんに、左足につける

アンクレットを作ってもらおう。」


乗っ取られやすい。
憑依されやすい。


その言葉は、恐怖とともに、

激しく胸に響いた。

おびえる私に、彼女は大丈夫だよ、と

伝える代わりに言った。



「でもね、

天とは、上に、きれ~~~いにつながってるからね。」





このエピソード、
あまりに怖かったので、前回のブログにも書けなかった。

たしかに・・・・

私の人生なんて、ほとんど、




他人の意向、エゴ、幼くて未熟な、

激しく感情をぶつけてくる、勝手な大人の都合に、

「乗っ取られ続けてきた」ようなものじゃないか。


でも、成長してからも、

それを許してきたのは、その侵入を認めて、

門をあけっぱなしにしていたのは、

同時に私だ。


もう、私は

自分で稼げなくて、行動を制限されていた

幼い子供でもないのだ。



そして、私だって、時には、

エゴ、激しい感情、勝手な都合をふりまわす

大人になった。




つまり、完璧な人間はどこにもいないし

完璧な人間になる必要もないってこと☆










相手の身体レベルに根差した、自信満々の態度によって、

私の言葉は

簡単に相手に左右される、と気づいていた。

それは年齢も、性別も関係ない。


その場の無意識レベルの制空権を握られたら、

一瞬で吸い込まれるようにそこに自分から入ってしまう。


「催眠術にかかりやすい」

「変性意識に入りやすい」

(変性意識;極度に集中しているときに、時間が短く感じるような意識のありかた)


といえる。

これは、ひっくり返せば、

有能な催眠術師なり、カウンセラーなりに
訓練を積めばなれるということ、らしい。

と、それなりに文献を読んでわかってきた。



ああ、めんどくさい。


それが、正直な感想だ。


また、「私がなりたい自分」の方向に行くには

とんでもない階段の段数を

上っていかなければならないのか。


と、階段の行きつくはるか先を見上げると

気が遠くなるけれど

まずは、目の前の一段を

踏むことだけに集中しよう。

それでいいのだ、ともわかってきた。



****************









この立場になってわかってきたけれど

私は「恐れられていた子供」だったのだ。

子供らしくなく、無表情。落ち着いている。

何を考えているのかわからない。

まだ、考えている内容に

言葉も、表現する方法も

合致していなかったから

内側でじっとしているしかなかった。

大人を冷静にじっと見返すと、

目の前の年上の人は、まるで自分が査定されているようにも、感じただろう。

時には。





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この頃、BONES(ボーンズ)というアメリカの連続ドラマを見ている。



このドラマで、主人公、エミリー・デシャネル演じる、

法人類学者、テンペラス・ブレナンが、非常によくわかった。


彼女は、圧倒的な経験で、遺体や、骨をみて、

瞬時にその人の、性別・趣味・年齢・人種などを言い当てる。

シャーロックホームズのように、さくさくと、推理していく様子、

さっと「分かる」様子、専門語の羅列で会話が進む。

感情を切り離して、できるだけ理性と科学で物事を解決していく。


主人公の、感情の切り離し方と、真実への追及の異常な情熱が

あ、似てる。と思った。

別に私はFBIに協力しているわけでもないけれど(笑)


他の人が目をそむけるような、

腐乱した遺体をも、綿密に調べていく作業を

淡々と行って、内面をえぐり、他人とこの世界を

掘っていくのは似てるなあ、と。

主人公は、相棒(体育会系FBI捜査官)から、その


特異な頭の良さと、結果を出す信頼から、

「BONES(骨たち)」と呼ばれてる。


ふと、おもった。




私も、別の名前が必要な時期なのかもしれないなあ・・・・と。























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