2014年3月19日水曜日

学校教育で傷ついてる人は多い


TED 「学校教育は創造性を殺してしまっている」


大好きな動画だ。見たときに感動した。
学校教育が落としてしまうもの、に追及している。


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学校教育で傷ついている人は多い。

これは、今学校をとっくに卒業した大人でも、

今、学校にいる人でも、

あるいは、

学校で教える立場にある教師でも、だ。


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「仕事は高校教師です」と言うと、

よくあった反応。よくある反応。よく言われたこと
(今も②と③はある)


①学校なんて!教師なんて! 

・・・といきなり、個人的な怒りなりルサンチマン(=私的怨恨)
  をぶちまけられる。

②先生って、大変じゃないですか?

③高校生って大変じゃないですか?




うーん、大変失礼ですが、どれも意味不明っす。

以下くわしく。




①学校なんて!教師なんて! 
といきなり、個人的な怒りなりルサンチマン(=私的怨恨)
  をぶちまけられる。



教壇に立ち始めた当初。

おそらく、私自身の自信の無さや
不安が表に出ていたのが理由だろう。



いきなり、その人から攻撃されることが多くて面食らった。


「学校なんて~!」

「先生なんて~!」


・・・最初は、私が悪かったのか?

と冷静に見てたら、あまりにそういう例が多いので、

徐々にわかってきた。


その人の中にある、
「学校」のイメージが悪いだけなのだ。


自分の中の思いを、

勝手に私に投影して、投げているだけなのだ。


とわかってからは、

「相手にしなくていいね(お気の毒だけれど・・・その人個人の問題だし)」

と、99.9999%スルーして、(残りの0.0001%は、

その場から立ち去るなりその人から離れるエネルギーのために使う)

静かに線引きできるようになり、そう言われることは少なくなった。



私自身が、

「この人にとっては、学校教育なり、センセってイメージ悪そう」という嗅覚を

発達させたのもある。


・・・と、以上、モノがわかったように書いてるけれど、

この、私が仕事がセンセです → いきなり攻撃される → スルー

の対人スキルを身に着けるまで、10か月ぐらいかかった。

いちいち、言われるたびに傷ついて揺れていた。

(今だって、言われたらいい気分は全然しない。

気が下がるし、

控えめに言って、その人とはわざわざプライベートでも会いたくもない。)




しかしさ、現場でがんばってる一人の人間で、

ちょっと自信なさそうだからって、

いきなり自分の学校教育での

ネガティブな体験をぶつけるってどうなの?

失礼じゃない?












②「先生って大変じゃない?」


この質問も、意味不明。よくわからない。

この世の仕事って・・・何だって大変じゃない?

お金を稼ぐこと。

それは、それなりに苦労があるじゃろ?

なんで、「センセって・・・」と、イヤな感じのカッコ付が来るんだろう?


もちろん、どういうところに

自分はやりがいを感じるか?

ここには、淡々と毎日通えるか?

という違いはあるだろう。

でも、特に大変な仕事ではない。

かといって、もちろん、特に楽な仕事でもない。(念のため・・・)






③「高校生って(対応や教えるのが)、大変じゃない?」


と聞かれると、こう私は答えている。



「『高校生』という人間がいるんじゃなくて、

そこには一人一人の人間がいるだけです。」




そう質問する人は

自分自身が仕事上で高校生に苦労していたり、

あるいはマスコミの垂れ流す

「高校生」のイメージにとらわれてる場合が多い。






「高校生」というラベル付で、何がわかるというのだろう?

何をわかった気になっているのだろう?




単に年齢で区切られた

16~18歳の人たちをくくってまとめられるもんじゃない。

そんなの、わかるわけがない。

彼らが何を思い何を考えているのか。

そりゃ、私は年を少し食ってるかわ、わかることがあるけれど、

基本的には、わからない。

その場で生まれてくる、混乱と、

瞬間で生まれてくるものしか、わかることはない。

私は、教師は、

そこに身を、投げ入れてやってるだけ。




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こういうことを書いて伝えるのは自慢ととられるので、
難しいが、書いてみる。


私は、一応県下No.1といわれる進学校の

高校出身だ。




その学校の卒業生と言うと、

県立高校教師業界では、一目置かれるのである。


(一応、私も女性なので、こういう言葉遣いは
控えた方がいいのはわかってるんですが、
それでも言わずにはいられないので言わせていただくけれど)

ほんっと、クソばかばかしい。その判断基準。

(あのさー・・・10年以上前のハナシだよ?(-_-;))



大学卒業して、仕事するのに、
人間関係むすぶのに、
学歴ってナニが関係あるのさ・・・・・?
大体、私は教えるのもへたくそだ。
教員経験もない。
それで、何が言えるんだか・・



それだけではない

その学歴にコンプレックスのある人間から

また嫉妬をぶつけられる。



しかも、教壇に立っているだけあって

トラウマが

複雑骨折してる場合が多いから

一度嫉妬されると、ねちっこく続く事も多い。




アホじゃない?







・・・と心底思って来たが、

教師だってこれなのだ。




世の中の、今生きている日本人の多くは、


日本のみならず、

学校教育を経てきた人の多くは、

こういう思い出や未消化な

学校への想いを抱えている人が多いのではないだろうか?



それは、

憧れだったり

嫉妬だったり

劣等感だったり

優越感だったりする。




そして、私自身、それらに無関係で

クリーンで、正しいのか?

と言われたら、全然そんなことはない。

まだまだ課題もぐるぐる抱えてる

思いもいっぱいだ。



たとえば、

今でも行けるものなら、アメリカのハーバード大学院の教育系専攻に

行きたいと思うし、

目の前に、ケンブリッジ卒業生で、

7か国語ぐらいつるっとしゃべります、

(って人は、本当にヨーロッパに行くとたくさん、いる)


て同い年の人間がいたら、

心中おだやかならずに、私の存在意義ってナニ?と

落ち込みまくるだろう。



それでも、こういう思いや
感情を抱えたのは
ほかならぬ自分なのだと

引き取って生きていくだろう。

それだけは確か。



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学校教育で苦労して、傷ついている人は多い。

だけれど、その傷をいやしたり

あるいは、また学ぼうとするのも、その人自身のことだ。



でも、私だって声を出して言いたい。


はた目から見たら、
この学歴社会で成功しているように
見える
私だって


学校教育では傷ついてきたのだ。と。


でも、傷ついたからってそれで終わりじゃないでしょ?

一回や二回ぐらい死にかけたからって、

またいろいろできるのが人間でしょ?


そんなちょっとぐらい傷ついたからって、

すべて投げるのもあきらめるのも早すぎる。

そして、学校教育ヒエラルキー、

大学教授をトップとするこのヒエラルキーは

全然別に、すごいものでもない。

強固なものでもない。

ただ、支配しやすいように作られた価値観であるだけ。



そこにいつまでも、こだわってないで・・・


明るい未来にむけて、行動していった方が、

たのしいんじゃない~?

素直になって・・・


そうしたほうが・・・心身魂ラクだよ。






そう、心底痛烈にしみじみと思う。













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