2014年6月9日月曜日

海と空と太陽の前で残るもの



八重山諸島の日差しは強いです。
夕方4時ごろになっても、名古屋の2~3時ごろのような日照り。
じりじりと肌を焼く紫外線。
うっかり、初日からタンクトップのロングワンピを着て
一日中島の中を歩き回っていたら、肩~首筋にかけて
赤くやけど状態で焼けてしまいました。あちゃーと
化粧水をたっぷりつけています。










広い空。海の波の音。都会ではCDで売られていたり
「沖縄」「南の島」として商品化されて流通してパッケージ化されているものが
ここでは。ごくあたりまえに、自然にあります。


なつかしいのは、私が大学時代にアメリカに留学していた気分を
思い出すこと。中西部の何もない大学しかない田舎町にいて、
どんどん、外見も身なりも気にしないでとにかく合理的に動くことと
まっすぐとひらめいたことを即行動にうつしていくことがすべてだった。


何もなくてカビくさく、夜になったら灯りが何もなくなる寮についたときに、
がぜん自分の内側から湧き上がってきたのは
「ここで自分が必要なものを使いまわす気持ち」
そして、サバイバルの力を引っ張り出してくる。


島の中には、スーパーもコンビニもない。
ほしかったら、石垣島に行って、
船に乗って買いに行く。

必要なもの
欲しいと思ったら何が何でも手に入れる
その気持ちがびしっと明確になる。

海と空と太陽の前で残るもの
言葉も消えていく
ただ、ぽっかりと風景と同化していく
どんどんと余計なものがそぎ落とされていって
残るもの
都会の街で、アタマの先だけで考えていたアイデアも
欲しいと思っていたことも
ここでは必要ない。

都会でのオシャレもここでは、必要ない。
そうやって自分に補わなければ気持ちを保てなかった
あの切実さはココでは風景や熱い空気や空が与えてくれるエネルギーだ。

お金を落としていく観光客はすぐにわかる。
ブランドもの、あるいは雑誌で「リゾートに来るコーデ」と
そのまま載せられそうなこぎれいな格好。

もう、そういうものが今は欲しい時期じゃない。

私はすぐに、ジャージにTシャツ、ビーサン(島ぞうり)に
切り替えることにした。


と同時に浮かんでくるアイデア。
この島で、英語教室やコーチングをやったら面白いだろうなあ
この大自然とともに




海からの散歩道を行く。
必ず、蝶々が人が通る道を横切っていく、
ゆったりと、南国のペースで。
往復してくる、海に出ることを迎えるように。


都会でのスピリチュアルブームを考える。

わざわざこの島に居れば
「スピリチュアル」だ、なんだ・かんだ、の固有名詞は必要なくなる
そこらかしこに、

「神」というなら「神」
「エネルギー」というなら、「エネルギー」。
あるいは、「気持ちいい」なら「気持ちいい」が
口に出すまでもなく、あふれているから。

ここからの写真に、癒される
と言われると、そうなのか
こんなに本土で欠けているものがここでは
息づいているのか。
ただ、写真だけでも伝わるのか。と気づく。




言葉として区切られたものが
なんとも意味を持たずに

ただ直感的な感覚と体で無言で教えてくれる
美しいもの
強いもの


ただ自然が大きすぎて、虫や植物が主役で、人間は単なる脇役。
この変わる気候に翻弄されている



部屋の中に閉じこもっているのが
ばからしくなってきて
一刻も早く早起きをして
海まで散歩して
見に行ってぼんやりとして

そうすると、また次のアイデアが浮かんでくる。





ふと今日も海の帰り道に気づいたこと。

女性が、社会に出て働くときに苦労することや
直面することは
あまりに語られていないのではないか?と。


いわゆる俗の部分に直面した時の対応と切り替えだ。

それは、現在、私たち(アラサー)の母親世代は
ギリギリで主婦という職業が成立した世代だからだ。

彼女たちは確かに、会社で働く夫を支えた。
だが、家の中での振る舞いや
自分の感情を溜め込むこと
それは、経験不足が重なって、
下の世代に降りてきている。


たくましく、共感力が高い南の島の働く女性たちに出会うと思う。


ああ、なんて都会は
半分死んだような人が多いのだ。
感覚を殺して外に出回っている人間が出歩いているのだ、と。


ほしいもの
ほしくないもの

選ぶもの
選ばないもの



まっすぐに、未来に矢を投げる。

希望と言う名の矢を。













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