2015年4月15日水曜日

ブスとか、デブとか

自分の顔に
ずっと、
コンプレックスを持っていた。

どうせ、かわいくないから、
私は。

と。



まあ、今でも全くないわけでもないけれど
それほど特に考えなくなった。
意識しなくなった。

ずっと、自分はデブだデブだと思っていた。

これは高3の時にストレスで過食に走り、

現在より10キロ以上太っていて、
毎日のように、母から

「デブだデブだ!」と言われ続けたので
自己イメージが、すっかり

デブ。


固定していたのだと思う。

当時、ウエストが入らなくて服が買えなかったし、
細身の友達と
これみよがしに、比べされて
言葉で「太ってる太ってる」と
毎日のようにシャワーのように言われて、

自分の意識はボロボロだったと思う。





「ブスと言う呪い」 という記事(こちら) を
友達がfacebookでシェアしていたので
じっくり読み込んでしまった。



(ついでに、顔の美醜の話題で浮かぶのは、
ミドリカワ書房さんのこの曲。
整形手術したい女子高生の話)




ミドリカワ書房  顔2005

歌詞: http://www.kget.jp/lyric/34450/%E9%A1%942005_%E3%83%9F%E3%83%89%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%83%AF%E6%9B%B8%E6%88%BF 







なぜ、こんな話を書きだしたかというと・・・


自分の顔が嫌いだった。と

私の母方祖母が言い出したからだ。


「私の顔はキレイじゃないから、嫌いだ!」

そんなことを、介護施設に入っている祖母は言っていたそうだ。

母の姉(私からすると叔母)は、

「私も、自分の顔がずっと嫌いだった」という。

なるほど、そうやって

無意識のうちに刷り込まれていたのか、と

またハタと膝を打った。


だって、その自分の顔の嫌い方が、

私のかつての嫌悪感の出し方と
同じだったからだ(笑)

祖母・母・私の

女系三代にわたる、「ワタシってブス」の呪いかあ~。
根深いなあ(笑)。



私の母方女系家族の考え方の流れは、
かなり独特だ。





向田邦子の「阿修羅のごとく」(女姉妹の家族の物語)
を連想する感じ・・・


いや、呪いなんて無いんだけれどね・・・・

でも自己暗示がかかっているときは
その間は、本人にとってはまぎれもなく真実だ。
その物語を生きている。



31歳になった今、冷静になって
鏡を見たり写真を見ると、

祖母・母・私の顔も、

別に、それほど
ひどいブスとも思わない。



「かしこカワイイ顔」と、友人にも言ってもらったけれど
なるほど、うまいこと言うなあ~♡

と受け入れられるようになったぐらい。

確かに、芸能人やモデルのように、
外見でお金を頂けるほどではない。

けれど、まあ、顔立ちよりも
それよりも
コミュニケーションの技術を磨くとか
行動していくとか
人間総合芸術!

の方に力点を置けばいいのだとわかった。


私も、別に今ではそれほど思わなくなったが、

中学校時代にとんでもなく嫌な経験をした。

林間学校で、目の前の男子が

クラス中の女子の 顔の可愛さを、採点し出したのだ。

その、針のむしろに座ったような気分を今でも覚えてる。

私の点数は低くて、

もう全力でその話を聞こえないふりをした。




今でこそ、人前に立つ職業もやったり
サービス業もやったり

自分のファッションセンスって・・・と思ってたから
アパレルも行ったし、

まあ、いいや。

ちょっとずつ、気にするけれど

笑顔でニコッとできるような
余裕を自分に作るのが大事だ。


・・・って感じ。




ブロガーのはあちゅうも、

大学生時代に顔写真を載せていたら、
「ブスだ」と炎上して、

それを糧にしてここまで来たというがあるし。







「ブス」という単語も
「デブ」という単語も

最近は全く使わなくなったなあ。



「かわいいね~」と
たくさん言うようになった。


昔の、そんなことで悩んでた自分を
ちょっと、「大丈夫だよ~」って言ってあげたくなった。















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