Red - Taylor Swift
3月1日。 北條真理ちゃん の オーラソーマ ワークショップ。
『インナーマリッジ(内なる結婚)』~パートナーシップと両親の和解~
に参加してきました。(詳しくは、上のリンクをクリック☆)
自分の中の女性性と男性性・・・・
・・・・・・(いろいろ思うところがある。笑)・・・・
きっかけは。
先日。2月11日の建国記念日に、
ともえちゃんの引退記念、サイキックリーディングを受けて、
最後の終わりがけ5分に聞きました。
ワタシ「これからの恋愛ってどうなるかな?」
ともえちゃん「(カードをぺらっとめくる) ふむ、今、凪だね。
で、これからまた、仕事に生かしてくって感じだね~ 嵐がやってくる、と。(Revolution 革命のカード)」
ワタシ「・・・・((+_+))(ゲ。ヤダな・・・もう嵐はいいよ・・・)」
ともえちゃん「 ま、じゃ、ちょっと過去見てみよっか~ うん、過去は嵐だね」
「自分の女性性と男性性と向かい合う人がやってくるかな。」
・・・女性性と男性性~
じゃあ、北條真理ちゃんの、インナーマリッジワークショップだ!!
と、申し込みました(笑)
が。このところ、自分のブラックボックスとか、タブーの感情とか、
「それって、もう終わった過去じゃないの!? なんで今更その痛みを持ち出してくる、私よ!!」
という内面のフタ開け作業で、疲労懇倍気味だったわたし・・・
何もなくても、家で、ベッドの中でうずくまって
だーーーーっと泣いたり、
本の一行や、なんの気なしの風景で、
いきなり感情がぐわああーっと来て、涙ぐんだり、腹が立ったり・・・
こ、これわ・・・
昔、会社をうつ病で休んで、一人暮らししていたとき、
出てきていた、心の中のとげぬき作業と似ている・・・・
もーそこって終わったんじゃないのか~い!!
心で絶叫してても、出てくるものは出てくる。
言葉にならずに、いろいろとやってくる。
投影されていたもの、言いたかったこと、言えなかったこと
泣きたかったこと怒りたかったこと・・・
そんな感じで、雨の中、WS会場へ。
真理ちゃんは、真っ白なスカートとニットで出迎えてくれて
合計ワタシを含めて8人の参加者でスタート。
ずらりと並ぶオーラソーマボトルにドキドキ・・・・
初めてオーラソーマボトルを間近で見ました。
そのボトルが並んでいる前に座っていたのですが、
ずううううーーーーっと気になったのは上下・透明なボトルと、上クリア・下赤のボトル。
最初見て、
「きっついなー!この色!」と指差しながら声を上げてしまったものの
どきどき・・・うーん、きっとこのボトルは後から出てくるな・・・と痛感。
さて、ワークショップ・・・
真理ちゃんの話と、ワークですすみますが、
どの言葉も、すとんすとんと入ってきます。
なんとなく幼子に戻った気分で聞き入ってしまう。
途中でステキカフェでランチはさみながら。
WALL ( http://tabelog.com/aichi/A2301/A230111/23049757/ ) にて。
ジブリ映画「耳をすませば」に出てきそうな素敵なアンティークショップが横に。
午後からは、それぞれ、いよいよオーラソーマボトルを選んでゆきました。
自分自身の女性性と男性性を意図して、選びます。
私が選んだのはこれ。 左が女性性ボトル。 右が男性性ボトル。
・・・左の色・・・きっついなー!!と思いながら
ながめてたら⇒ 美しいかも? ⇒ なんだか躍動・・・って感じ・・・ ⇒ にょんにょん赤のパワーが伸びてくイメージ。
で。ぐりぐり画用紙にお絵かき。
右の色。・・・手元で見てた時は「・・・地味じゃない?((+_+))」と思ってたものの、
遠くから見たら(今、写真で見ても)
・・・派手というか、目立つな!という取り合わせ。
これらが、自分自身の両親を投影した姿でもあり、
そして自分の中の、女性性・男性性でもありました。
私は、自分が臆病で、
怖がりで、恐怖で恐れがいっぱいの自分が嫌いだった。
とにかく、恐れなしに、
飛び込んでいかなければ(←いかなければ!☆笑)
と思っていたし、
ブルブルと子犬のように震えて立ち止まり続けている自分なんて
認めなかった、というより
認めないようにしていた。
だけれど、それだから、
現実にも起こってくることも
恐ろしすぎたから。
だから、その空白を埋めるために
ずっと本を読み続けたり
言葉を追い続けたりもしていた
何かをやらなければ、と
そうやってやみくもに埋めていたものが
智恵にもなった。
そして、恐れから実際にやってみて
試して試して、
石橋叩きまくったからこそ
他の人に伝えられるようにもなったし
そこで迷いまくっている人も
またそういう時もあるよね、と
言えるようにもなったのだな、と。
そして女性性は・・・・キリストの愛。
「やりすぎる愛」笑
そこまでやらんでもいいねん!
というのに、キリストも磔になって、
殉教の愛・・・
自己犠牲の愛。
そうか、身をささげるほどまでに
何かしたい、せずにはいられない、と思ってたのは
これだったのね、と。
あげなければならない(← ~せねばならない☆笑)と
思い込んでたところ。
これも、どちらも、あって
きちんと手をつなぎ合ってた部分だったのだ。
そして、両親も、私の知らぬところで
支え合っていたのだな、と気づいた。
それは、私の世代からしたら、
よくわからない、支え合い方だったかもしれないけれど。
結局、父に、母に、文句を言い続けて
自分自身が感じることをおざなりにできたから、
だから、そうしていたのだ、
ということも、
よく、よくわかったのでした。
次の日。自分の鏡を覗き込みながら、
自分自身の瞳を見てみた。
女性性側が、
「見つけてくれて、ありがとう」
と。
男性性側が
「もう、ひとりにはしないよ」
と言っていた。
自分と結婚する という記事 ( http://logmi.jp/36853 )
をタイムリーにFacebook の 心屋仁之助さんのシェアから見ていたので
それとも重なった。
問題はもともと無かったんだよ。
もともと統合されてたんだよ。
もともと愛されてたし、今も愛されてるんだよ。
いるだけでOKなんだよ。
メッセージはシンプル。
だけれど、そこにたどり着くまでには
ここまで時間もかかったよ。
それが、無駄とも思わない。
今だから、わかったこと。
それが、これからまた、つながってゆくこと。
そう、そしてこれは自分自身が
ヒーラーとしての枠を、
やってゆくことを広げるために。。。。
自分がさらに自分にニュートラルになるために
経験してきたこと、
見たかった世界と風景だな。
と、も納得したのでした☆
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