2015年1月20日火曜日

シャバで理想を語って実践するコト☆

Don't worry Be happy 

 モンゴル800




「みなさん、ここで、やったことは、シャバでもできますっ!!」

と、一昨年の3月、ctiコーチング基礎コースに行ったときに、

そこでヘルプをしていた、プロコーチの溜 香世子さん ( http://www.ikiruchikara-hypno.com/ )

が、3日間の講習の締めに言った言葉。


「みなさん、ここでやったようなことが、現実の

この部屋でやったことで起こったら面白いと思いませんか?」



その言葉に電流が走った。全身に。

「そうだ、そうだ、そうだ!!そうありたい!!」と。


そして、同時にそれよりも

強く、強く思った。「無理です。できません、怖すぎる・・・」と。

それでも、スパリと言い切り、そして恐怖を抑え込んでいた

私は、、その言葉を飲み込んだ。自分の怖さと恐れを見ないふりをしていた。


・・・と、今になると、わかる。





ctiコーチング。コーチングの一つの流派。

私のコーチ・ひとちゃんも、宮崎の、私がしびれたプロコーチ・まあちゃんも、

この流派の出身だ。( http://www.thecoaches.co.jp/ 

私はこの基礎コースに行き、

「お金が続かない」という理由で、中級コースにも進まなかった。

が、それよりも、もっとモヤモヤとした、誰にも言えない、

言葉にならない思いで沈み込んでしまった。

落ち込んだ、という言い方がいいのかもしれない。




コーチングコースの最終日、泊まっていた友達の部屋で、飲み会をした。

友人・けーにゃんの、ヒーリングアンクレットを

私がなんの気なしに手に取った瞬間、

バラバラと床に転がった。

私の血の気が引いた。

(ヒーリングブレスの糸が切れるのは、

代わりに何かをひきとってくれている、と考えられている)


「ごめん、ごめん。ごめんね・・・・!」

必死で謝りながら。





一緒に飲んだ友達が、

コーチングなんて・・・?


というような、

なんだか、ちょっと見下したような言い方をされて

私は傷ついた。


傷ついたが、一緒になってコーチングってね、

と自分自身を自虐しながら、語った。

ただ疲れていた。



今思うと、自分自身への接し方が、

周囲の反応に現れていたのだろう。


コーチングなんて・・・何ができるの?と。

そして、実際に

それを自分がやるのが、怖かった。

嫌だった。

めんどくさかった。

行動したくなかったし、

実践もしたくなかった。


・・・と、当時のワタシを今振り返るとわかる(笑)




*******************





私はもっと立派なことができるはずだ。

何かどこかに使命があって、その型を完璧に生き切れば、

やり切れば、きっと

そのように天は、そして恵みは巡ってくる。

人生は安泰だ。



・・・そんな思いに、今思えば、支配されていたのだろう。



東京に出て、自分にとっては大枚をはたき、

基礎コースと呼ばれる、3日間のコースを受けたとき、

私はうちのめされていった。


「最初は元気だったのに、みるみる元気が無くなっていきましたね」


他の参加者にも言われた。


それは、東京と言う人の多さ、に呑まれただけではない。

確かにそれもある。

通勤列車、朝の山手線が人身事故で止まる、

年度末だからこその自殺の人の多さ・・・・

そのことに、愕然とした。東京はこれほど、殺伐とした場所になっていたのか、と。


でも、それだけじゃなかった。


私は ものすごい劣等感を感じたのだ。


同じ基礎コースのメンバーは、

社会的に「スゴイ」人たちばかりだった。



おそらく、有名大学や、海外の大学を卒業したであろう、


レストランの、人事部の部長。

歯科大学で教える教授レベルの人。

開業医。

人事コンサルタント。

そのスーツを着込み、

隙無く仕事をやってジャッジを下していくオーラに

私は、ただただ、圧倒されたのだ。



「私が、こんな場所にいていいのだろうか」

「私には、何があるんだろう」


「私は、本業で、何をしているんだろう」


と。




世俗的なものに価値がない、価値が感じられない、と

よく書いてきたし、言って来たし、自分でも思って来た。


けれども、やっぱり

そういう人を目の前にしたとき、


自分は、(当時)単なる高校の英語非常勤講師で、

しかも、授業も生徒にも自分にもいつも自信がない

モヤモヤしている・・・




そういうオーラは

たたずまいは、

講座や教室に行けば、身に着けられる。

とも、どこかで思っていた自分に

今になると気づく。


私は学びが好きだ。

学ぶ場所が好きだ。

新しい知識、天からスパリと差し込むような視点と

接続するときの快感はなんとも言い難い。

おもわず、爆笑したり笑ってしまったりするぐらいに。

真理を、このシャバで聴くと。


そうすると、話し手は驚く。

相手によっては不快になる。

でもね、と私は自分の反応を、自分で説明する。


「interestingってこと。面白い、興味深いってことなの。あなたの話が。

あなたの言っていることが。だから、笑うんだよ、私は。」と。






********************



そう、コーチングに出会った瞬間は、



私のアタマにかかっていたモヤは、スッキリと晴れた気がした。


これこそが、私の求めていたツール!

そして私が無意識にやっていた技術だ!!と。

そのように意気込んでいたのに、

みるみると、「実践と練習」を重ねていくうちに、

私の気持ちはしぼんだ。


そう、実際に行動して、うまくいかない私。

できない私。

に、意気消沈していったのだ。

「思い通りにできない自分」を見せつけられるのは

私にとって、屈辱だった。








こうやって、小浜島 → 香川の、遠くの旅(占星術的に言うと9ハウスの学び)


を経た今になるとわかる。


あのね、失敗はつきもの。

そして、失敗なんて、いくらでもリカバリーできるんだよ。と。


そして、やっぱり自分が嫌いな

自己愛、自分がぼろぼろだったのもよくわかるんだ。




今、名古屋に帰ろうとしていて、寮の水回りの掃除なんかしてると

(立つ鳥跡を濁さず☆(●^o^●))

ぽこぽこ浮かんでくる思い。

(私は肉体労働、掃除してるときに、アイデアが浮かびやすい。と、

小浜島の客室清掃の仕事でもよくわかった)





「なんか、ムチャやりたい」


「今までにやったことないこと、やりたい」


「ワクワクし続けたい」



・・・シンプルな願い、ただそれだけ。


仕事でストレス溜め込んで、そしてストレス解消のためにお金を使って

また、お金がないから、仕事をして・・・


そんな循環って。何なんだ?と。






ここでの仕事で、


「そんなんじゃ、独り立ちできへんで」
「そんなんじゃ、宴会まかせられへんで」
「そんなんじゃ、ここでやっていけへんで」


と言われた時、

「あ、はい、そうですよね。では辞めます」


・・・で、よかったんだよな、と。

ふと思う。



やはり、私の中にあった仕事メガネ。


「仕事ってのは、耐えて耐えて耐えて・・・それでお金を得るもんなんだ。

ツライもんなんだ」と言う思いが

ここまでズルズル(といっても、1か月だが)

引き延ばしてしまった。







シャバで理想の言葉を語る。

腹を割って語る。

それが怖かった。

自分の思い、ドロドロした恐怖。

恐れ。



名古屋の、starbowやほんの内輪で語っている

分かり合える内容、

蝶シスと呼ばれる、私の好きな作家・蝶々さんの読者仲間。

その間の中での文法とボキャブラリー・・・価値観を共有する仲間とのみ

ふわふわと漂っているのも楽しい。


ホームとして。

十分満たしてくれる。

今も十分応援されている。




だけど。




現実この世で結果を出していきたい。

ちゃんと現実リアル現場で、俗の中で

カタチにしてゆこう。

お金と言う形に。

エネルギーに

仕事に。


そうしていきたい。

まだまだ、この資本主義社会のフォーマットの中で。

そうやって、カチッと

自分の中のピースのパズルがハマった。

ついに、ここで。





真理を語るとき。
スピリチュアル用語を語るとき。

相手からの、一瞬の空虚や間が怖い、と思う。



どう思われるだろう

どう誤解されるのだろう

どう解釈されて

自分はどう思われるのだろう、と

いう恐怖感が先走り、空回りしてしまう。


だけど、自分の直感をもっと信じたほうがいいな、とも

ここで思った。



私自身のカラダは、体の直感は、アタマと言葉よりもはるかに早くて

アタマがいい。


この人は、語れる、と思って出た言葉は

その人に、そして私に

お互いがいる場所で、出るべき言葉だったんだ。と。






そして、きっとこの恐怖はいつまでも終わらないのかもしれない。

今と次の瞬間への跳躍。

一瞬一瞬の断絶と、つながり。

そこを、ひらりと飛び越えていく時の、

ひやりとした思い。


それが生きていくことだし、

そうに過ぎないと言えば、それぐらいのものでしかないのだろう。








いくら、

「マジメで思いつめ過ぎる」


と言われても、

これが、私の生き方☆



と、

これを選んできたんだよ、と思う。


大体、

「割り切れよ」「世の中そんなもんだよ」

って言葉で満足してたら、

教員を途中でちゃぶだい返ししたり、新卒の会社を辞めたり、

これほど職を転々として、

親とのやりとりを、全部ブログに書きまくったりしないんである。



そういのが生きられないからこうやって生きている。

そうして、カタチにしていく。

それが私だし、

それでいいのだ。と。



そうやって行動していこう、と☆




シャバでも、実現できます!!




・・・と、なんの根拠もないけれど確信できた。



理想を。ぴかりと浮かんだ啓示を。
天啓を。ひらめきを。

職場環境の悪さや、
それぞれの働く人の内面の荒れ方から。

圧倒的に、これからの時代に
絶対的に

必要とされているものに、
私は深くアクセスしている、と悟ることができたし、

実感できた。

それを、ただ、実践していこう、と思う☆









































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