2016年2月21日日曜日

①三河サドベリースクールの見学に行ってきたよ。



先日土曜日、三河サドベリースクール に行ってきました。

あれ?

私が小さい頃から違和感として感じてたことを

すでに体現してる場所が、 ある。
そんな人が、すでにいる。

・・・という静かで、深い気づきと、

今まで自分が受けてきた教育、
ジャッジ、評価、傷、
闘ってきたものと、
静かに向き合う時間になりました。





先生をやっているときに、感じる痛み。


例えば。

「私の職業は高校の英語の先生です」と言った瞬間、

180度態度が変わる人がいる。

それに、直面して、心底
悲しんだり怒ったりしてきた。



婚活の場面において、
男性に対し、
自分の職業を名乗ると
途端に、いきなり攻撃的になったり(攻撃は最大の防御・・・)。。。 
「すごいですねー」・・・と引かれたり。


要するに、その人自身の
「学校トラウマ」「先生トラウマ」
「英語トラウマ」「ラべル付の癖」
が私に投影されてたんだ。



が結局、それは相手のテーマであって、
私のテーマではない。
私が解決し、責任を負う問題ではない。

と切り離すことができるようになった。


そして、
自分自身を
優しく受け入れてくれる場所と相手を、選ぶようになった。
だから、
それも問題と感じ無くなってきたなあ・・・と、今日。
久しぶりに、思い出した。


小・中・高等学校での
強迫観念に基づいてケツバットで走らせる
勉強、教育、その時に教師から受けた痛みを
癒せずに、気づかぬうちに大きな怒りとなり、
そしてその、腹に抱えているトラウマにさえ
気付きもせぬ大人の多いことよ。
(注:もちろん全員ではないが。)



そして、そのような感情の溜め込みに
また自らも無自覚な教師自身も多いことよ。
(注:もちろん全員ではないが。)


ただ、そのことに、
わたしは怒り、そして、悲しんだ。





教育の場にいると、
本当に、ふたつの真っ二つの流れを感じる。



どんどん、保守的になっていく流れ。
時代を逆行するかのように、たくさんの課題。
過保護な関わり。



その一方で、
多様性、新しい協働・協創関係、新しい人間関係。
自分の軸で生きていく生き方。



また、
そんな痛みを
生み出す流れに乗ることへの
問題意識がいつも常にあった。
教壇に立ちつつも、同時に、
私はこんな指導をしていていいのか? と
いつも自らに問いかけていた。



だから、昨日三河サドベリースクールに
実際に見学に行ったときの衝撃は大きかったです。

<つづく>




<続きます。>

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