2014年7月22日火曜日

ここで、また自分の内側を見つける



小浜島で生活しながら
地元を離れてどのように自分が自分を縛っていたかとかが
また、よくわかるようになり。



「たしかに、自分でこう思い込んでいたら
こういう結果になるよね」

という、からくりが
しくみが、
構造が、

よくよく見えるようになってきました。



なにかと、じゃんじゃん人生現場で、
課題&テストはやってきて

肉体労働だから、
身体が疲れるんだけれど

だからこそ、
また

考えたり受信すべきことがだけが
残っていく、というか。





「嫌われる勇気」


を読んで

ふと気づいたのですが。


私は、ギャーギャーと何か大げさに反応することを選んでいて

それで、周囲に心配と注目することを強要しているということだ。

これは、母がやっていたことでもある。

冷静に淡々と助けを求めればいいだけなのに

自分からパニックになることを選んでいる、と。


どんなに一見ネガティブなことがあろうとも、
それに対する反応は


こちらで選べるはずなんだ。



そしてもう一つ。

「人々はわたしの仲間である。」という意識の
目標が、アドラー心理学にはある。

なるほど、私は
周囲の人全員が、仲間である。とは思っていなくて、

私はどこかで裏切られる。と願っているな、とも気づく。

だから周囲からも、
そのように接されている、とも。



「周囲の人間を仲間だと思っていない。

どんなに辛いことやしんどいことがあっても、

友人は助けてくれない!」

「だから家族には何でも言いなさい、家族だけが悩みや苦しみを解消してくれる場所だ」




・・・とは、母が小さいころから私に言い続けてきた言葉だ。

母もそれとは知らずに

家に縛る呪いとしてかけ続けてきた言葉。


そのように私も世界を眺めてきたな、と気づく。


そして、そのような世界が実現するように

振る舞って来たな、と。



「幸せになる勇気」

に、今足を踏み出してるんだな、と実感する日々です☆















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