2014年11月11日火曜日

約半年ぶりに母方祖母に会って その①



10月31日~11月7日まで
私は、仕事の休みを取った。

11月1日、京都でのイベントで
産まれて初めて、出店者側、
となり、友人とコラボして占星術を
出店すると決めていた。


そして、同時に私の出身地元・名古屋にも
帰ろうと思っていた。

私は、離島で働いている。
同僚たちが、1週間程度まとめて休みをとって、
実家に帰省する姿を見てきた。



が、その時に必ずココロに、
のしかかる問題は、


実家に帰るかどうか?
両親と顔を会わせるかどうか?

これだった。


同僚が、素直な気持ちで、

「実家に帰りたい~!」
「実家に帰ると、もう、職場(この島)に戻りたくないよね・・・」

と仕事合間につぶやくとき。
それは、他愛のない会話だけれど私のココロを少しずつ重くした。

いろんな人が家に帰りたがる。
帰っていける家があるのに
私は、自分の家に、帰ることで安心することはできない・・・

名古屋に大切な友達が、たくさんいる。
SNSでも、LINEでもメールでも携帯でも、
よく連絡は取り合っている。


名古屋に戻ったら、寄りたい場所を
私はメモに書いてみた。


・母方の祖母に会いに行く
・父方祖父母のお墓参り
・伊勢神宮
・熱田神宮
・母方祖父のお墓詣り
・starbow


・・・・これだけだった。笑えるぐらいシンプル。


会いたい人には、
連絡をとった。
名古屋に帰るときに実家に泊まるかどうかで
また自分の中で葛藤があった。

考えてみれば、
1週間、完全に一人旅で
ここまで自分の動きを自分で計画して
プロデュースしたのは初めてだった。

最初は、友達の家に泊まるお願いメールを
出すために、3週間ぐらい悩んだ。
「こんなこと、お願いしていいのだろうか?」と。




そして、結果的に実家には、
泊まらないことにした。
電話とメールだけで、
両親との関係に疲れているのに
一泊も過ごしたらどれだけボディブローを受けるかわからない。
その回復にかかるエネルギーと時間を考えて
やっぱりやめた。



京都では、友達の家に3泊。

名古屋では、友人の家に、1泊ずつ。
2泊3日の弾丸帰省だ。

そして、名古屋最終日の午後、


まったりと午前を一緒にすごした、まりあさん
と、まりあさんの職場にお邪魔しようかと、
名古屋駅の裏を歩いていたとき

口を切った。

私「祖母に会いに行こうとおもうんです・・・」




母方の祖母。
母の母。

意識もはっきりしているが
手足が動かないので、老人介護施設に入っている。

三重県の、名古屋から電車で1時間半、そこから徒歩でまた30分ほど。

とても時間がかかる。
正直、かなり覚悟しないと、行けない。

高速バスは、5時半発。
時間的にはギリギリだ。

でも、、あっておいた方がいい、と直感が告げていた。
この午後のフリーの時間を
実家に寄ろうかとも考えていたが、
優先順位は、 祖母>>>実家となった。


電車に乗って、向かう。
色々と考える。


祖母のことを、母は大好きだ、と今は言う。
だが、同時にとても厳しかった、と。

私が、母に苦労して、
叔父(母の弟)に、どのように対応されたか
どんな言葉を言われたか、話したら、
叔父はポツリと言った。


「それは、俺たちのお母さん(私からしたら祖母)からされたことと全く同じだ」と。



松阪の、地元の電力会社の社長の娘に産まれた祖母。
お手伝いさんもいた、お金持ちのお嬢様。

祖母の姉は、戦前の時代には珍しく、、
御茶の水女子大学に進学した。

その姉が、大学に進学したいと言ったとき、

祖母の父(わたしからすると、曾祖父・ひいおじいちゃん)は、
怒り狂ったという。

「女が、大学に行くなんて! 学問するなんて!」

だから、祖母と、母(私からの曾祖母)は、
こっそりと、彼女を、御茶ノ水に出発する電車に載せたという。

そういう時代だ。
女性が学問をして、四大に行くのは許しがたいことだった。


彼女は、大学に残り、学者となった。
先進的な人だ。専門分野は化学。
周囲の研究者は男性ばかり。
徹底的な嫌がらせを受けたそうだ。


残された祖母は、成績も良かったが、学問の道には進まなかった。
嫁入り修行学校に行き、家のために、自分の父のために、いた。

祖母は、父にかわいがられ、
そして、三重県の、これまた代々庄屋の家に嫁いだ。
トラック数台分の嫁入り道具と、
婚礼が、確か、1週間ほど続いた、と聞く。



母方祖母も、家のために
自分を殺してきた人だった。
そして、その代わり、
身分のある結婚をした。

・・・とも言える・・・・



祖母は、5人の子供(4人の娘と、1人の息子)を育てるとき、
その、研究者となった、姉から言われたことを忠実に守った。

「女の子はお嬢さんに育てなさい。短大に行かせなさい

仕事なんて、大学なんて、ゆくものじゃない。

男にこれほど、仕打ちをうけるんだから」


見事のその通りになった。

母を含む、4人の姉妹は、
地元の一番の進学校の高校に通い、
愛知県のこれまた、伝統的なお嬢様女子短大に全員進学した。


女性は、まだ短大で、いい、という時代だ。


母の上の、3人の姉は、
次々と就職したり、結婚した。


母は、短大卒業後、苦労して教員免許をとり、
そして、小学校の教員となった。
その後、塾を知人と開き、繁盛した。

30代半ばまで、母だけが、実家に暮らしていた。
母の母、祖母のために。

そして、お見合いで結婚した、
それが父だ。
結婚を決める際も、確かに
祖母の意見が重視された。

父は、同期で出世頭で役付きだった。
時代的にもときめく、会社だ。
はたからみたら、ある程度の
身分がある結婚だ。

母は、ことあるごとに私にいった。

「結婚したら、仕事をやめろ!って父が怖かったんだもん!」
「父は結婚前はあんなにやさしかったのに! 結婚してから全然変わった」


・・・代々続く、根深い男性不信。


私は思う。

母を含む、姉妹は、
今の世の中だったら、四大に進学していただろう。と。
そして、バリバリと、働いていただろう、と。


母には働いていてほしかった。
それが、ずっと私の願いだった。

小学校教員だった時は、
他の先生が、母の授業を見に来たというぐらいに、授業のうまかった母。
塾を友達とやっていた(今でいえば、起業だ)時の繁盛ぶり。
今でも、教え子と交流のある母。
それほどまでエネルギーに溢れていたのに、

「専業主婦として」
「結婚したら家に入るものだ」という
考えに、しっかり乗ってしまったから。
その不満は、すべて父と私にぶちまけられた。

いや、私に。

幼いころは
母は、怖くて父に何も言えなかったのだ。


日本の戦後、
高度経済成長、
マテリアルの豊かさを支えた、
企業戦士とその専業主婦。

父親の不在。
その母親の孤独と母子密着・・・

外から見たら完璧な
物質的にめぐまれた
家族。


そんな風に今なら
遠くから思えるけれど。




******************

祖母の介護施設に入る。

が、部屋の番号がわからない。

8月末に、熱を出して危篤になり、
一度専門の病院に入院したらしいので、
受付で尋ねる。

「あの・・孫なんですけれど、〇〇〇〇の部屋は何階でしょうか?」


聞きながら、悲しいなあ、と思う
孫なのに、祖母の部屋番号を知らない。

母には聞けない。
聞いたら、そこから芋づる式に、また
会いに来い攻撃が始まってしまう。

親戚には聞けない。
「なんで、教師を辞めたんだ!」という
呆れと怒りの言葉しか来なかったから。


教えてもらった階に上がり、
またそこの受付スタッフに聞く。


「すいません、個人情報なので教えられないんです。部屋番号は。
それぞれの部屋に名前が出てますので、それで探してください」



・・・・・むっとする。
名前が出てるなら、部屋番号を教えてくれてもいいじゃない。
個人情報というなら、私が祖母の孫だということを
証明すればいいの?

個人情報っていう使い方が間違ってない?


だが、通常は
親戚の人が来たら、あらかじめ部屋番号がわかっているよな、と思い当たる。

こういところが、いちいち悲しい。
べったりと密着型の家族。親族。でも
どこかにいつも怒りがうずまいているこの家族の流れの中で。


仕方ないので、ぐるぐる回って祖母の部屋を探す。
表札を見つけて部屋を開けたら、
空だった。昼間は、一階で、デイケアの日だ。


拍子抜けして、深呼吸。
祖母の介護施設からは、母の姉妹兄弟全員が通っていた、
いわゆる、三重県でno.1の進学校高校が見える。

なんだか、マンガみたいなこの家。



*****************

祖母は、デイケアの場所で車椅子に座っていた。
スタッフさんに声をかける。

スタッフさんの方が、家族よりも
祖母がどこにいて、何をしているのかを、知っているのだ。

スタッフさん「 ようこそ、ありがとうございます」


・・・それは、この介護施設に。
ようこそ、という意味?

ありがとうざいます、というのは、祖母に会いに来てくれて
ありがとう、という意味?


なんだか、言語がわからなくなる。

仕方ないんだけれど、
ゆるい自己啓発グループにでも来た気分になる。
独特の雰囲気・・・・




本来は、家族が一緒に過ごせていて、
祖母がずっと過ごしていた家で
祖母を見られたらどれほどいいだろう。

その葛藤の中で、母の姉妹もいた。

母の混乱っぷりはすごかった。
ただ、困るのがパニックになって

その不安を周囲に巻き散らすばかりで
何も具体的には行動できないところだ。


「おばあちゃんが、かわいそう。なんとかしたい」

と、電話で泣きついたり、
私にいったり。

・・・・・わかるんだけれど、
それじゃあ、怖い怖いと
泣き散らしている小さい子供と同じじゃないか・・・


祖母は、ぼんやりとして、車いすで、そこにいた。


「よしこだよ~」

と言っても、目の焦点が定まらない。

以前は、孫の私がいるだけで、
ぱちっとハッキリしたのになあ・・・

哀しくなりながら、祖母の手をにぎる。
もう、握力の無い、つるつるの手。



祖母は、介護施設のゲームや、
職員の人のアクティビティーに加わわらない。
お嬢様の矜持がある。

だから、自分の中にじっと沈み込んでいる。


祖母が突然たずねる。

「よしこちゃん、どこにいるの?今」
「(仕事は)何してるの?」



・・・・全部知っているな。と瞬時に気づく。

母は、祖母に対して、
娘の私が何をしているのか
絶対に言わない、言えない、と言い続けてきた

手紙で。メールで。

母が私が仕事を辞めたとき、絶叫したのは、
まず、周囲に言えない!ということだ。

「こんなこと、おばあちゃんに言えない! 
おじさん(母の弟)に言えない! 
おばさん(母の姉)に言えない!」



母にとっては家族が神様。

あーこのパターンは変わっていないな・・・・と思う、

高校時代。
大学時代。


「こんなことは、おばあちゃんに言えない!」


が、母の決まり文句だった。




それでよかったのだ。
母の時代までは。

周囲の人を、世間様を
まず考えることで

身分の保証があった、
食べていけた、
ある程度楽しかった。
そういう時代だった。






私「 愛知県にいるよ~ まだ先生を続けているよ~」


・・・もう、これは決めたことだった。

今回は、祖母に、
優しいウソをつこう、それで押し通そうと決めていた。
ここで、初めて私が事実を告げて、
この前後関係から、
また祖母の体調が悪くなるのは困る。








祖母「ふ~ん・・・」


黙り込む祖母、その顔に

「ほんとかよ?」
「私に本当のことを言わないなんて」という不満が書かれている。

(沖縄にいる間に、
相手の表情に何が書かれているか、
言葉になってない部分にますます敏感になっていた)


私は黙るしかない。
おそらく、他の親戚からも聞いているだろう。
仕方がない。


祖母と一緒にいても、
実はそれほど話すことは無い。
祖母が元気だったころも、話題に困っていた。

母は、祖母に会うたびに、なんでも
機関銃のように話していた。

だが、私は特に話したいことも、ない。
10分でも押し黙って一緒にいると居心地も悪い。


だけど、遠く沖縄から飛んできたのだし
万が一
これが最後の別れになる可能性も高い。

だから、大事なことを話しておこうと思った。


私「(私の)母は、おばあちゃんが大好きですよ」

両手を握って、目を見ながら話したら、祖母が言った。



「○○(祖母の地元の家)のこと覚えてる?」



それを聞いた瞬間に泣いてしまった。
一気に押し寄せてきて。


ああ。祖母は家に帰りたいんだな。
私が、その家のことを忘れたと思ってるんだな。
まず、家のことを考えるのって、
昔ながらだなあ。

忘れてほしくないんだなあ。

涙が止まらなくて、
持ってきた白いタオルでふいたら
マスカラとアイシャドーが落ちて付いた。
それでも、泣いていた。

祖母に泣いてる顔をみられたくなくて、
後ろを向いて、泣いて、

また、なんとか泣き止んで
祖母の顔をみたら、

「孫を心配するおばあちゃん」の顔になって、
シャキッと最初に会った時よりは、していた。



・・・・まったくなあ~(苦笑)









次回につづく☆





























































































happyってどうやったら拡大できる? 【ひとちゃんのコーチング☆】

「どうやったら、自分の愛 や happyを拡大させていけるか。

広げて行けるか。 そこを、探りたい。 

 ・・・そんな、抽象的で漠然としたテーマでもダイジョウブ?」




と、始まった10月末の、ひとちゃん とのskypeコーチング。





コーチングの前に、

happy

http://www.happyrevolution.net/

という映画の自主上映会に行き、


・・・・といっても、前日の睡眠不足がたたって、
この映画の後半部分は、半分意識飛ばして、
寝ながら見てたものの、
(それぐらい、リラックスして見られた、ということで・・・)

見終わった後でも、ぼよ~ん・・・と感じることが多くて


深く感じ入ってしまった私。

その記事はこちら  →  http://red-roses-and-butterflies.blogspot.jp/2014/11/happy.html






自分にとってhappyを感じるときってなんだろう?


小さいころ、毎日は
明日は、予定調和じゃなくて、
何が起こるかわからなくて
いつもワクワクしてたっけ。

お金がなくたって平気だった。
「新しいことに挑戦する」、と

わざわざ言わなくても、
するするやっていた。
だって、世界は
周囲には、新しいこと、しかなかったから。



happyの映画上映会後、

感謝の瞑想を5分ぐらいした。

そしたら


気付いたのは、


お腹の中が真っ暗闇で、
自分の内側に、アメジストの光るガラス玉のようなものが、
おへその背中側にあるのに気付いた。

そのビジョンもずっと気になっていた。






本当は、ひとちゃんに、
別のテーマをコーチングにお願いしようと思っていた。


11月アタマ。
私は、11月1日に、京都のイベント(手作り市のようなもの)に
友人と出店して、占星術をやることにしていた。

そして、その後に、京都にしばらく滞在して、
名古屋に帰省。
その時、実家に寄るか・寄らないかが
その時に、10月末脳内を占めていた、重大テーマだった。

自分で、
カードリーディングをしても、タロットカードをひいても
よくわからない・・・

とりあえず、部屋を掃除したり、
メイクをがんばって外見とオーラの回復に向けて行動していた。


実家に帰ろうか? どうしようか?

それが、気になり続けて心に重しを載せていたテーマだった。

が。

それよりも、もっと大きくて豊かで・・・

何か、わからないなりに、次につながるヒントが来た。

と感じたのだ。


だから、ひとちゃんにhappyの拡大テーマをお願いした。


ひとちゃんのコーチングは
毎月受けるたびに、上達してるなあ~と思う。
人間的にお互いに変化があって成長があって。

受け入れる温かさ、
何を言っても大丈夫、
突然突飛なイメージに飛んでも
(私はよくある、前後脈絡なく、ひらめいて、そこから飛ぶ)

ふんわりと大きく包んでくれる安心感は
どんどんと増している。


様々なコーチングの方法で、
イメージを探る。


そして、
その瞑想の際に浮かんだ、

そのアメジスト色(紫)のガラス玉の
栓(コルクのようなもの)を
ひとちゃんの誘導で、
開けてみた。



内側から金色の粉のようなものがあふれてきた。

「金色の粉・・・」

そう言いかけたら、
今度は、それは金色の軟体の液体になった。

そうしたら、次には
金貨のようなかたまりになったり、
アップリケのような、金色の固形物になった。


言葉にしようとするたびに、するり、するりと抜けていく。
動き方は自由自在だ。


最初、私はそれを無視しようとした。

「金色の粉が出てきました。」

以上。


でキレイにキリよく回答して、
終わらせようと思ったら、

先にどんどん「それ」の方が、
形を変化してゆく。

まるで、私が、何かカタチを整えて
解答を出さねばならない。

と思い込んでいるのを、
わかっていて
遊んでいるかのように。
そんな、キマジメな回答を出そうとする私を。


私「あああ~もう! 次々と変わる!この金色!(-"-)」

ひとちゃん 「それは、だっちゃん(=私のこと) 自身の姿なんじゃないかなあ・・・」


ハッとする。

そうか。
これほど自由自在に
変化自在に変わろうとしている
変わる自分を

言葉で必死に説明しようとしたり
ラベル付で安心しようとしていたのは
自分だったのか。と。



言葉で説明しようとしなくてもよかったんだった。
ただ、変わることに身をまかせていれば。


そしてその金色の光
(粒・液体・固体、カタチもなんでもあり)は、


宇宙からつながる

玉がうちっぱなしでジャラジャラ出まくっている、
(その球には、愛&happy&JOYの塊)

パチンコ台イメージ(笑)だった。

じゃんらじゃんら、出てくる。

そういう源が私の内側にある。
すでに。




ついでに、そのアメジスト色(紫)のイメージを探る。

浮かんだのは、

ナイフ。

小説・「岩窟王(モンテ・クリスト伯)」で、
主人公が、不当に閉じ込められた孤島の刑務所から
脱獄するための穴を掘る道具。


ひとちゃん 「だっちゃんにとって、それは武器なんだね・・・」

そうか。

武器。
しかし、それは誰かを傷つけるものでもなく
自分を傷つけるものでもない。

魔法の杖。

ハッピーを拡大してゆく、杖。



ひとちゃん 「それを、何を見たら、思い出せる?」


私「(散らかった部屋を見回して) 紫色を見たら」


たまたま、私はイベント用に紫のストールを買った(@しまむら。笑)


・・・紫。
青と赤の混色。

青は理性の色、赤は情熱の色。
天と地をむすび、
直感と肉体を結びつける。

石ならば、アメジストだ。


時々、私はこの色が怖くなる時がある。

魔女の色。
何か自分の知らないところに領域に連れて行かれる気がする色だから。
でも、今回、占星術と言う自分のスキルを他の人に
出していくイベントで、紫の力が必要だ、と感じていた。




私自身がのびのびと生きてゆくこと。

大きく拡大して、
大木のように枝を大空をつきぬけて宇宙まで
伸ばしてゆくこと。
その枝に実がなり、花が咲いてゆくこと。

それを、また私が下から見ている視点。
(俯瞰じゃなくて、カエルの目、だ)


ひとちゃんが一緒にいてくれて、
彼女は何も制約をしないので
のびのびとどこまでも、イメージを育てて行ける。
イメージのガラス張りの、天井は無い。


壮大なビジョンに大喜びしていたら、
ひとちゃんが静かに言う。


ひとちゃん 「それが、だっちゃん自身なんだよ」


ゆっくりと内側から
喜びがこみあげてくる。

「先生」という肩書を外れて
親側からの親族から、厳しい言葉と反応ばかりで、
もう、完全に私は血縁者で、頼り切れる人はいなくなってしまったんだな、

という所属感からの離脱の孤独に苦しんでいた。

お金の使い方も貯め方もわからない。
母親が家事は一切取り仕切っていたから、
洗濯も料理も苦手だ。
名古屋から出る前に、受けた、同じ職場の人からの
「教師を続けていたら受けなかったであろう」対応。
それらに、自分が思っていたよりもずっと傷ついていて
哀しすぎるがゆえに、泣くこともできなかったこと。

これはやりたい。
あれもやりたい。
とアイデアは浮かぶ。

けれど、さっぱりわからない。
今いるのは、現場をはいつくばって、
目の前のことに不安で揺れて自信がない自分でしかない。



自分の内側からあふれ出てきた
ビジョンが大きすぎて

(大体、空→宇宙テーマになりがち)

わーい☆

と思っていたが、
それは自分自身の
周囲への姿でもあるのだな。


ひとちゃん:

「感じられたら大丈夫」

「変わることを認められたんだね」



自分が思っていたよりも

変わっていくスピードは早いのだから


それをとらえようとしたり

コントロールしようとしないで、いいのだ。



私「まず、やってみよう、と思うの。これからは」


まず、行動する。
行動を変えるんだ。

誰もが、成功者や大きな仕事をやっている人は口にする。


それはわかっていた。
だけど、できなかった。

どうしてできないのか、と言われても
怒られても、脅されても、
どれほど、強力で、有能な人に後押しされたり、
可愛がられても、無理だった。


これぐらいに、南の島で

ひとりきりになって
友達も
親も
誰も関係ない
ひとりっきりで、決断して

初めてできるようになった。

私の場合は。












大きな気づきをもらったコーチング。
具体的な行動としては、

happy! 自主上映会への、コツコツとした準備。

そして、


(その時点では)もうすぐ参加する、
イベントに向かって動いていくこと。

愛と、希望をベースに

(↑ まあ、振り返ってみると、
実際はイライラしたり、テンパったりしたけれど、ね☆笑)











そして、happy&愛を拡大してゆく、という


このテーマ。

少しずつにじりよりつつ。



どうしても、いつも足をとられていた。

悲観的に考えている方が、楽。といっていい、この癖。

自分の中の暗い、深い闇の部分。


分析してきたけれど、やっぱりもっと根深い何か、これは何なんだ!



・・・・これは、この後の、1週間の旅行で、

かなり大きく気づいた部分があった☆




また次回の更新につづく☆






※ひとちゃんのコーチング申し込みは、こちらの記事から☆

→  http://ameblo.jp/lifeperch/entry-11928819386.html







2014年11月10日月曜日

映画 「happy!」上映会 からの


happy -しあわせを探すあなたへ 予告編

今日はブログを更新しまくる日。(笑)

タイムラグありすぎですが、これだけは書いておきたい日記!

10月26日に、
映画 happy 見てきました~ in 石垣島。

同じ小浜島の、はいむるぶしリゾートにてヨガインストラクターとして働く、豊口育子さん主催の自主上映映画。

や~よかったのですよ。
一緒に行った、同僚のNちゃんと、

女人生現場・ベストタイミング☆で♪

そして、帰りのフェリーでしみじみ青空&海を見上げて、思ったのは

「すでに私、しあわせじゃん?」
「そろってるじゃん?すべて」


・・・でした。

じゃーん。


・・・それに気づいたとき

ふわ~っと不思議な感覚に・・・


というのも、
やっぱり

「今の自分、足りねえ!こんな自分じゃダメ!」と
ストイックに厳しくやっていくのが

私は、大ちゅき・・・だったのね・・・と
気付いてしまったのです・・・・

そして、

「お金が足りないー!ないー!」

と言い続けている自分がどっか好きだったよね・・・

とも気づいてしまったのですね・・・


その映画をみる前は、

11月1日に初出店予定のイベントにむけて、
気持ちが押されまくっていて(緊張と不安で)
どんよりしていたのに、

その映画を見終わって、
会場で周囲の人とシェアしたら、
ふんわり、CHO不思議な気分に・・・


いや~
ほんと、正直言って、前日も寝不足だったし、
映画を見ながら、後半部分はほとんど意識飛んでた(寝てた)んです。爆
データとかは、片耳で聞いてたし、
自己啓発書的なアドバイスも、
ふーん?と飛ばし読みならぬ、飛ばし見。のような感じで。


私は初めての、映画見ながら寝るということは今までやったことなくて。
それは、映画を作ってる人に悪いから~(笑)とか、
そういうところまで感じちゃうからなんですが。

それでも、なんだか見終わったら、
ヒーリング後のような気分に。

まもられている、と言ってもいいような。

で、帰ってきて、
小浜島の海辺で、一緒に映画を見に行った、Nちゃんと映画の感想を語り合いました。



その映画でとりあげられていて、ショックだったのは、
日本の過労死と、そして対極に沖縄の暮らし。

私の出身地・愛知県のトヨタの効率重視の部署で働いていた方が
亡くなり、そのお嫁さんが出てくるのですが
インタビューを見ながら、涙。

私の父も、製造業でそういう管理部署のトップにいて、
毎日私が小学生のころは、午前3時帰りでした。
工場現場で、人が亡くなったとか、
リストラをする立場だった父。


そして、私自身、
大学卒業後、新卒で
愛知県の製造業で働いていたので(事務的な仕事だったものの)
泣かずにはいられなかった。

そう、戦後の経済成長は
多くの人柱を経ているんだな、
そういう人たちの霊や魂は
今、
なぐさめられているのだろうか。

東京の通勤ラッシュ。
人ごみ。人が多すぎる。
そして、この島での対極とも言える、
空。海。

ま、仕事は時間、時間と言われるものの。

沖縄での暮らし。
長寿の暮らし。
昼は畑に出て、夜は眠る。
いろんな人に囲まれて。
そういう暮らし。








見終わってしみじみ・・・

ふつふつ・・・

湧いてきた不思議な気分。

それは、

「私もこの映画を、自主上映会したい!」


ということ。

どこで?

小浜島はもうすぐ契約期間が終わってしまうから、

次の仕事場。香川県で。


・・・あの、そんなことやったことないんですけれど?
どーすんの、貯金も0円なのに。
ていうか、そんなこと自分が

という、いつもなら大きく聞こえてくる自分ツッコミも、
なんだか静か。

ただ、「やりたい、やってみたい、きっとやれる」

というよくわからん衝動。

いろんな自分のこれまでの思いがグルグルやってくる。

・・・そんな思いをかかえて、

ちょうど、その日の夕方は、偶然にも

ひとちゃん  のコーチングセッションが入っていた。

・・・・ので、ふんわり不思議な気分のまま、ひとちゃんとのコーチングに☆

次の記事につづく!










N chan のこと



小浜島でできた友達が、ひとり
島を去って行った。
契約期間が終わって、
さまざまな変化があり、
そして、旅立ち。



最初に彼女に会ったときの印象は、


美人。だけど、硬い。

人見知りでガードが固い。

そんな感じだった。

だんだん話すようになっていって、

どんどん彼女が自分の持っているエネルギーや
カラダ形よりも、自分を小さく小さく見せるように
していることに気づいていた。


LINEを彼女とやるようになって、
私とのやりとりで、初めて「スタンプ」を使った!

と聞いてびっくりした。


(私は、なぜか、相手にとって
『初めてこんなことを、あなたに話した』ということを
告白されやすいし、
言われやすい。)



かたい表情で私の部屋で、
いろんなことを話してくれた時に、
ああ、私は無力だな、と思ったものだ。

高校生に対しては、
教壇に立っていた。
けれども、同世代に
何ができるだろうか。

セラピストとしての技量もない。
ヒーラーとしての知識の中途半端だ。

仕事を途中で辞めるということは
この島から出ていくということ。
なんとしてでも、同日に入った同期としてそれは
止めたいところ。

けれども、何ができるだろう。
自分のカラダやココロとは違う、
他人に対して。

それに悩み、SNSの closedのグループに
よく書き込みをしたものだった。

結局、それは私自身のためにしたかったことで
私自身が成長していくこと、
変わっていくことだった。

彼女の後ろから
仕事道具のカートを押しているとき、
その体調の悪さに
ふらついているのを見て
心底心配したこともあった。


だけど、


彼女の感性や直感は、
すくすくと
行動によって、
変わっていった。



同僚や先輩に守られて、
そして、顔つきも瞳の力も
どんどん変わっていって。

彼女に話すと、
すとんと、言葉を素直に
受け入れているのがよくわかる。


自分に厳しく
まず動くことが大事だと
分かっている彼女は、

一見すると
すごくか弱くて
繊細すぎるように見えた。

けれど、ぐぐっと
ギリギリ(そうに見えて)
持ちこたえて、
ちゃんと、光の方に
伸びてゆく力があった。


彼女が島を離れて
ぽっかりと空いた気持ち

そして私自身が
変わっていこうとする気持ち

と

ぴったり重なってシンクロしている。


お互いにひとりっこで
なんとなく
感性が似ていて

言葉にすべてしなくても
空気で語り合うことができた。
寮の狭い部屋で。

あのタカラモノみたいな時間は

これからお互い
どこにいようと
人生の宝物なんだな、

と思うのだ。


何歳になっても
こういう経験ができる幸せ。

Nちゃん、ありがとう☆




















メッセージは、繰り返し、甘く、現れる

Perfume  Sweet Refrain



間違いじゃないよ

同じコトを

結局は してる
 
形変えて







まさかというようなことを

次々と繰り返してきて








小浜島に来る前、仕事を辞める前後。

この歌詞が何度も耳に入ってきた。

間違いじゃない。

間違ってることなんてない。

同じようなことを

結局は、気づいたらしてる。

ただ、そのカタチは変わっている・・・・


様々な職業や住む場所を変えて、

やっていることも、いろいろと変わっているなかで、

その一貫性の無さとか

続かない自分の性分とか

途中で投げ出すとか、結果が出せないとか

そういう弱さの中で、

何度も泣いて、自分の中の「逃げたい」「やめたい」「投げ出したい」という

気持ちと向き合いながら

気付いたら、そのとっているカタチは、変わっていても

本質は変わっていない。


という自分を経験すると

周囲の人も、その人の、見た目(外見・ファッション)が変わっていても

仕事が変わっても

人付き合いが変わったように見えても、

本質や目指すところや ずっと見ていたところは

実は同じで

ずっとずっと、繰り返してきていることなんだ、と。

人生の中で、

なんども考えてしまうことは

くりかえしてしまうことは

実はメッセージ。

くりかえし、

くりかえし

どこまでもやってくる、自分の内側からのメッセージ

そこに素直に生きて行こうと

思うのです☆