2014年1月23日木曜日

スピについて その④  スピ部読書会での出会い


約一年ぶりに、再会したFacebookで、友人to-koちゃんから

一番最初に受けたイベントのお誘い。

2013年12月。

スピ部(=スピリチュアル部)という読書会だった。


課題本は、「未来は、選べる!」
http://www.amazon.co.jp/dp/4899762755


ピンときたら即実行。 
すぐに参加ボタンを押す。



結果的にその少人数の読書会で、
また新しいきっかけになる、大きな出会いがあった。









「とにかく、あなたは、強い、強すぎる! ケタ違いに強い!」


その日の当日、午前中。偶然にも、知人がやっている、占いに行き、
こちら↓ 
(http://blog.goo.ne.jp/ruricafe/e/f612cfedb03b7270fc96c5b406f1ad8a)

・・・そこで言われた。


・・・・占ってくれた彼女は、同世代、同じ本(蝶々さん)の読者仲間。

賢く、キレイに生きる尊敬する友達でもあり。彼女が、さばさば語る言葉を、


おもわず、笑って聞き、

・・・考え込んでしまった。

以前も彼女から、全く同じことを言われたからだ。あまりにも、感嘆・驚嘆する口調で。

そして、浮かんできたのはふたつの問い。




☆ 私は、私自身の強さを、自覚していないのではないか?
   外に出すことを恐れているのではないか?


☆ だからこそ、周囲に混乱を引き起こしているのではないか?


と。




疑問になり、言葉になれば
それは、そのまま答えでもある。 経験上。


そんな気持ちを、ぼーっと、かかえつつ、
スピ部読書会へ。





会場は、本山のカフェ、棘さん(http://www.yakusoulabo-toge.com/)



居心地のいい場所。

賢く、気づかい上手な、きちんと生きて行こうとする仲間たち。
小さな子供が、天使みたいに天真爛漫に遊んでいる。

ハーブティー。あたたかな場所。
レトロな、ストーブ。


五感がのびのびとほぐれるカフェだ。
するすると、気持ちも体もほぐれていく。

なっちゃんが、
自分の家のようにくつろいでいて、
棘カフェのオーナーさんのお子さんを抱き上げる。

多くの大人のように
変に遠慮しすぎて
ぎこちなく振る舞っていない。
役割分担とか、社会上の仮面に、ガチガチに捕らわれていない。


ふっと、するりと、どこの場所にも、なじむ人。
瞬間瞬間を生きる人。

こういう時間と空気、
アメリカに留学していたときはいつも感じていたのになあ。
いつでも、移動中のようで。






*************************



 読書会とは?

☆その進行手順について。





まず、
ファシリテーターと呼ばれる司会のような役目の人が
進行役を務めていく。

参加者のひとりひとりに、


自己紹介、
本を読んだ感想

それぞれ、ぐるっと一周で聞いていく。

1人ずつ、各人が発言(アウトプット、と呼んでいる。)
その後は自由に、意見を言っていく。

ゆるいルールと時間配分がありつつも、
おしゃべりのような気楽さ。


質問がされることもある。(ひとりずつ答えていく。)
たとえば、その時の質問。


☆あなたが、怖いものは何ですか?

☆あなたが、ワクワクするものは何ですか?




***********************








そこに遅れて登場したのは、
黒髪ボブの、美しい女性。
私の席の左隣に座る。



同い年ぐらいだろうか?
きれいな肌、漆黒の瞳。

その白目と黒目くっきりに、吸い込まれて
心を奪われる。

「目力強いですね!」私は、思わず声をあげていた。

「よく言われます」(にっこり)


う~ん、男子の2、3人ぐらいはその瞳の力で落とせそう。
いやあ女のワタシでもこれだけクラッと来るのだから。



彼女の名前は 牧 三喜さん。

(彼女のブログはこちら -革命する、水墨 http://ameblo.jp/bocca-m/ )

水墨画家の方だった。



「山に一か月こもっていたんです。」


さらり、と彼女が言う。


ドキリ。


山奥の鮮烈な空気が、
そのままこの、下界の私がいる場所まで、
ふっと来るような。

それに対し、自分が、都会生活の中で、車の排気ガスや
俗世間の澱に薄汚れている気分に。(笑)





そして読書会の場で、


彼女が語った言葉は
あまりに深く響き、
私は、言葉が、すぐ、出てこなかった。




「芸術家の生き方っていいなあ」


帰り道、
おもわず、私は、友達につぶやいていた。




後日、あまりに彼女のことを何度も考えていた私は

『私も山にこもりたいんですっ!!!』 と

意味不明なファンメールを彼女に送りつけていた。




そして、


彼女の登場が、

私がクリスタルヒーリングを受けるきっかけとなる。





(つづく)








スピについて その③ セラピスト、なっちゃん。


今までの内容。

スピについて その①

スピについて その②

**************


スピ(=スピリチュアル)について

というタイトルにしていますが、

このシリーズ、

あまり、世間一般的な「スピリチュアル」とは関係ないかもしれません。


私個人の、スピリチュアルとのかかわり、

それは、日常の小さな私個人の人生現場の話、

であり・・・

そういう思いで、

この日記は書いています♪


*****************



「なっちゃん」

本名、戸井なつみさん。


だが、多くの人が、彼女を「なっちゃん」と呼ぶ。

それで、なんとなく、関係が、完成されている。

特に、どこも無理をしていない。

彼女は、20代後半の、若い大人の女性だ。

だが、無理して呼んでいるのでもなく、甘えているのでもなく

なんとなく、「なっちゃん」になっている。



(ちなみに、私も趣味仲間には、いい年して、

『だっちゃん』 と呼ばれているので

まあ世間から浮いてる度合は似てるかも。)





「なっちゃん」という名前は、

友人伝いによく聞いていた。

だが、なかなか直接会う機会がなかった。



とにかく、なにかと目立つらしい。

強烈な印象を残す人らしい。


以前は会社勤めをしていたが、

その会社をやめて、セラピストとして

日本のあちこちをよく移動しているらしい。


とか。




しかし。

彼女の形容は、彼女を語る人によってくるくる変わる。


「ふらふら~としている子」

「その日の宿も決めずに、出かけて行って、目があった人に泊めてもらう女の子」

「真冬なのに、靴下をはかない」etc.


さっぱり、生身の彼女の像が浮かばない。(笑)



だけれど、そのエピソードを聞いて、

ドキドキして、

どこか、懐かしかった。

そう、私もそうやって自由に生きたいんだ、と。

場所にも縛られずに、

毎日を旅をするように、

直感に基づいて、ずんずんと行動して

身体を使い切って生きたいのだと。









そんな彼女の旦那さんのブログ

「けんとのひきだし」 http://ameblo.jp/kentnohikidashi/


ここには、お嫁さんである、なっちゃんの破天荒な言動と

それに振り回される旦那さん、が

面白おかしく書かれている。

ノロケに陥ることなく

笑いを絶妙な距離感で描いている。

なんとなく、
安野モヨコの、「監督不行届」を思い起こさせるような・・・



(そして、このヒーラー夫婦は、
 他の人に頭の良さで圧倒したり、威圧感を与えないような、
 頭の良さがある・・・♪)









彼女と初めて会ったのは、

去年の4月ごろ。
これまた私が好きな作家さん、蝶々さんの読者の集まりのワークショップ。


そして、彼女が主催する、12月のスピ部読書会、だった。



※なっちゃんの、お仕事紹介ページ☆ http://starbow737.com/?page_id=28





(つづく)

2014年1月20日月曜日

スピについて その②  クリスタル・ヒーリングとの、出会い







この世はあまりに、生き辛すぎた。


私にとって。

そんな時期が、長かった。







・敏感すぎる
・繊細すぎる
・人が良すぎる
・スレていない



以上、私がよく、言われてきた(言われている)言葉だ。


だが、

私にとっては

超天然でやってるだけなので、
ピンとこない。


「まあこの世の言葉で、

私のこうとしか生きられない在り方を

表現するなら・・・このボキャブラリーになるのね」



それより。

私が知りたいのは

そんな繊細すぎる、敏感すぎる私が


この自分をどうやって生かしていけばいいのだろうか?


という問い。







PTSD、うつ病、フラッシュバック、
とりあえず一通りとおってきた。



精神科の医者を嫌い、
精神病への偏見が強かった母には、
私が通っていた医者の診察券を
目の前でまっぷたつに裂かれたことがある。
(18歳ぐらいの話)



当時はまだ子供だった私は、
そんなことをされて、
まあ、当時は目の前が真っ暗になるなんてものじゃなかった。

人間、強烈すぎる出来事があると、
時間軸も、自分自身もその場に存在しなかったように感じる。
世界が、その度に分断されたように感じたものだ。




だから、
精神科に通うのもこれまた、その当時は
それだけで、死活問題の、必死だった。


「セラピー」や、「カウンセリング」という名のつくものなんぞ
問題外。



だからこそだったのか、
はいずるように、医者に行っても
必ず、そこのアドバイスから
灯台を照らす光のように
なにか、カチリと
もぎとっていた。


そして、診察を受けて、
次の診察で言葉を返す。
その必死のやりとりで、


医者に、
治療家に言われることがあった。


「さすが、頭のいいお嬢さんだ」
「お前ほど、治療しやすい患者はいない」


と。







言葉の力があって、
能動的に、自らの立ち位置を
明確に見定めて説明することができる。

言語を媒介とするカウンセリングにおいて、
私はめきめきと(?)自分で
気づいて行けることも、

それは、誰もができることでは
ないらしいことも

分かり始めていた。



そして、それは
崖っぷちに追い詰められる時ほど
生命力が湧き出てくるのか
また、いっそう強くなった。




心身症がおさまり、
社会的な活動に支障がなくなった範囲でも、
落ち込みは激しかった。
アップダウンは繰り返し、
他人の言葉と言動に過敏反応、
そんな自分自身に一番疲れる。




自分なりに、本をたくさん読んで
それなりにセルフセラピーは尽くしてきた。


ここ数年は、そんな出来事を思い出すことも少なくなっていた。

だが、
やはり、まだまだあちこちに、
同世代で、メンタルの病を抱えている人たちがいた。

その友人らと接するたびに

もう、はるか昔に済んだはずの

自分自身の記憶も揺り動かされ、
噴出し、また、混乱した。


終わったことのはずなのに
まだ、整理がついていない部分がある。



そろそろプロの手を必要としていると感じていた。



それも、自分ではアクセスできない

もう一段深い段階のエネルギーなり、

深層意識に向かうべきだ


と。






最初は、
よしもとばななさんの本「健康って?」
http://www.amazon.co.jp/dp/4344020391

の、
、
代替医療である、
ホメオパシーの考え方に非常に共感し、

せはたかよさんの、ホメオパシー (http://www.sehata.jp/)
をうけようと思っていた。

だが・・・・
非常に値段が高い(笑)

このような医療分野は、
現在の日本では、保険が当然効かないし。
薄給の身としては手が届かない。。。


彼女のHPをブックマークして、溜息をつきながら、
何度も眺めつつ、

本を買って読んだり、
試したり。

自分でできる分野から手を伸ばしていった。




そして、なっちゃん、と呼ばれるセラピストの、

クリスタル・ヒーリングに偶然出会った。

出会ったというより、向こうからやってきたというか。

お互いの準備ができたときに、出会うべくして出会ったようだ。




(つづく)






スピについて その① 猫町読書会と SNSのこと

去年の10月。


一度、全部退会していた、
SNSを再開した。



この世で生きるのは、
一人遊びで完結するものではない。

トラブルがあったり、
なさけない感情のぶつかりあいがあった、
泥臭い姿なんて見せたくない、

といちいち、
すべて切っていたら

なにも・・・

仕事も、友達も、恋愛も、


実を結ぶことができない。


そう痛感して、戻ってみた。

相当、葛藤があった。



今でも、あまりSNSを見ない時間は作るようにしている。
あくまでツールなのだ。

ただ、ポジティブな情報を伝えるときは

これは、伝えなければならない、と
意志を持って書かれた言葉には、

最大限の価値を発揮すると感じる。






昨年度、私は猫町読書会、という
名古屋に本拠地を置く、日本最大の読書会にて
ボランティアスタッフを務めていた。

ものごころついたころから、
本を読むことが無上の喜びであり、


大学に留学した時から
うつ病時代を経て、ずっと、

自分自身を客観的に見つめて、
発信し、
そして熱いレスポンスが
どこからか、必ずある
ブログを書くのが楽しみであり、

出会った人と、

対面で聞き、言葉を語ることに
最大の価値を置いていた

言語原理主義を生きていた私にとっては

地上の天国のような
遊び場だった。


今までの私の読書量や、
ボキャブラリーをもってすれば、

この読書会というコミュニティで、
注目を集めるのは造作もない。



遊び場だから、
利害関係の無い人ばかり。
大人だから、
周囲も、ほわほわと受け入れてくれた。




そして、また、
SNSという閉じたコミュニティを最大限利用して、
私なりの武器で、このコミュニティを盛り上げようとした。

ホメ言葉をつくして「ホメ日記」を書き、
(別に、無理をしておべっかと使っていたのではないが)

だが、同時に身を削っていた。
SNSで多くの人に
見られるプレッシャーと常に戦っていた。

それでも楽しんでもらえればいいと思っていた。


結局、燃え尽き症候群に陥ったのだ。

自分の羽根を抜いて
せっせと布を織っていた「鶴の恩返し」の、鶴のように。


私は、そのボランティアスタッフの任期終了とともに、

当時付き合って別れた彼氏と清算と同時に
逃げ切るように、
一気にSNSを退会した。




そういう行動が、
残った人々や、
今までのお世話になった人に
どのような影響を、感情を与えるかは、
わかっていた。


わかっていたが、
どうしようもなかった。

あらゆるものが、
中途半端な自分がイヤだったし、
何も決められない自分もイヤだった。

そして、SNSを離れて
動いていた間に、
自分の中で大切なもの、
大切な人は、軸は
しっかりと育っていたらしい。





今となっては、
SNSについても、
一番の悩みではなくなった。



少し前まで。


ブログを実名で公開するべきか?
どこまで書くべきか?
顔写真は上げるべきか?

もっと言うなら、

Facebookはどこまで公開すべきか?
mixiの日記はどこまで?


そういうことに、一番気を病んでいた時期があった。
それはそれで大事な時だったのだ。


だけれど、今は
それよりも、もっとやりたいことができた。

というか、やらねばならん、とわかった。
幸いに。



ちょっと、そういうことで、四苦八苦していた
昔の私自身をかわいい、
愛おしい、と思う。

そういうことで、

ぐだぐだと、
うだうだと、
延々と


迷い続けていたことは
決して無駄ではなかったし
貴重な時間だったのだから。




(つづく)

2014年1月17日金曜日

ZERO LANDMINE(地雷ゼロへ) 坂本龍一




ZERO LANDMINE(地雷ゼロへ) 坂本龍一




鳥肌が立った。

動画を見て聴きながら、

久々に、
日本国内向け・ドメスティック(ドメドメ☆)な視点から離れられた。

ぱあ~っと、
宙に浮かんで行って、地球を見下ろしているような

天空に
飛翔できる音楽。


「音楽は自由にする」by 教授
http://www.shinchosha.co.jp/book/410602/

だね。





次回の授業の教材で使うので
調べていたら出てきた動画。
20分以上。
だが、集中力が吸い込まれてしまって、
あっという間だった。



音楽って、生命体のように
有機的なつながり方ができるんだ。


血管のように、脈打って、
細胞を満たして、
水分を運び、
酸素がめぐる。


この世界を音楽で、
調整・調律を続ける人・坂本龍一さん。


愛・地球博(2005年開催・愛知県にて。こういう映像が出てくるパビリオンがあった)
のような、この音楽映像。

有名な、「We're the world」も思い出す。


世界中のミュージシャン、
様々な分野のミュージシャンとのコラボレーション。
民族音楽のようであり、
現代音楽のようであり、

祈りであり、
エンタメであり、
感謝であり
赦しであり。



すごくスピリチュアル(霊的・宗教的・精神的)であると同時に、
この世の俗(CDとして売り上げを上げている☆)の両方が、
ちゃんとつながっている。


ああ
私はこんな風に
オリコンCD一位とか取れないけれど(当然だ・・・笑)
でも、私自身のもともと持っている
天然の素質で

聖と俗をつなぎながら
第三の道でつむいでいきたい。



日常の雑事についつい見えなくなってしまうけれど
同じこと考えている人たちが、いるんだった。
行動している人がたくさんいるんだった。
てね。
また希望の光も感じた。


あらためて、


わたし自身も、
自分の足元、手元から

まあるく、まあるく、
あくまで、手の届く範囲を
愛で、明るく満たしていこうと思う♡

できるところから。
一歩一歩☆